「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
晩説汚しまくりの頂点へ!・・・・・・Queen


TV出演時と思われる初期の極めて珍しいショット。B・メイはストラト、J・ディーコンはジャズベ提げてる。
チャーリー・ワッツばりのスカスカなドラムキットがこれまたスゴい(笑)。


https://ultimateclassicrock.com/より

 ハッキシ言って、クィーンは最大限長く見積もってもフレディ・マーキュリーが亡くなった時点で終わった、っておらぁ思ってる。多分この一言だけで、今稿はキマリっちゃキマリだ。後の活動は蛇足以外の何物でもない。そして多くの人がおれと同意見なのではなかろうか?とも思う。

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 「ボヘミアン・ラプソディー」って、臆面もなくよく付けたよな〜、ってこっちが恥ずかしくなるようなベッタベタで直截なタイトルで昨年、フレディのトリビュート映画が公開され、世界的に大ヒットした。クィーンは押しも押されぬロック・レジェンドであり、確立されたアイコンなんだってコトを改めて思い知らされた気分だ。
 ヒネクレ者のおれは結局映画館には行かず仕舞いだった。中身は結成から85年のライブ・エイドでの復活劇(・・・・・・っちゅうても演奏僅かに20分!笑)までを描いてるらしいんだけど、なんだかんだで今から思い返せばオリジナルの4人のメンバーでの活動期間は案外短かったんだ、ってことを想い出した。

 ここでざっくりとクィーンの活動歴をおさらいしておくと、結成が71年で、その後数年はお決まりの「鳴かず飛ばず」な雌伏の時期があって、74年の「シアー・ハート・アタック」〜「オペラ座の夜」あたりで一気にスターダムに昇り詰める。ブレイクのキッカケは日本での「ミュージック・ライフ」誌、っちゅうか水上はる子による押しまくりの影響が極めて大きい。ホンマ、ベイ・シティ・ローラーズが出てくるくらいまで、この雑誌のアイドル路線での押しバンドはズーッとクィーンだったモン。メンバーも初来日の時に、本国では想像もできないほどの若いオネーチャンが空港に殺到してメチャクチャ驚いたってエピソードが残ってるくらいだ。
 ところが早くも「ジャズ」くらいからメンバー間の不和や迷走がちょっとづつ始まって、バンドもなんかゴタゴタしたものの、一旦名声が出来上がってしまえばこっちのモンなのがショービジネスの世界であって、アルバムは出せば売れる状態のままその後も7枚か8枚アルバムは出たし、その中にも「地獄へ道づれ」やら「レディオ・ガ・ガ」といった今でもたまに流れる名曲もある。事実上最後の「イニュエンドゥ」が91年だから、20年って活動期間だった。不幸にしてフレディがHIVに感染することがなければ、バンドはもうちょっと続いてたのかも知れない。

 それから既に30年近い月日が流れた。ブラブラしてても印税収入で食えるだろうに、根が貧乏性なのか何なのか、その間も「クィーン+」とかもぉモロに「昔の名前で出ています」的な小銭稼ぎでB・メイとR・テイラーは食いつないで来たように見える。J・ディーコンは音楽業界がイヤになって引退したとか言うけれど、実はこの二人の守銭奴ぶりにほとほと愛想が尽きた、ってのが本音ではないかと思ってる。
 そぉいや有名な自作ギター「レッド・スペシャル」にしたって唯一無二の個性のカタマリゆえにゼニ儲けの種になるワケで、ギルドやバーンズ、果ては自分の名前を関したブランドまで立ち上げてるが、一体どれだけ売れたんだろう?他にも改造VOXやブースターもシグネチャーで出したり、ホンマあんさん天文学者っちゅうワリには商魂逞し過ぎまへんか!?と茶々入れたくなるくらい小遣い稼ぎに余念がない。

 しかしそろそろステージに上がるのもタイヘンだし、イッパツここいらで余生を過ごす年金を一時払いで貰おうや・・・・・・ってなノリで上記「ボヘミアン・ラプソディー」は制作されたんとちゃうんかい?ってな下衆の勘繰りしたくなるぞ、おれは。それほどに、フェレディ逝去後のこの二人の活動はみっともない。一時期のプログレ系の再結成ブームも相当だったけど、それよりもなんかもぉセコセコしてる気がする。仮にも一時代を築いたロック・ミュージシャンならロック・ミュージシャンらしく、もっとデ〜ンと構えてろよ、と。醜怪ですらある。

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 ところでクィーンの楽曲のスゴさって何なんだろう?

 初期のハードロック〜プログレ路線の頃から、歌心溢れる親しみやすいメロディセンス、多重録音によるハーモニーや一度聴いたら忘れられない独特の音色のギターオーケストレーションへの頑ななまでの拘りの一方で、カテゴリーとしてはいきなり小品でウクレレをフィーチャーしてみたり、ドラマチックとゆうよりはいささか分裂症気味なまでの切り替えしや変拍子をポップな作品にもヘーキでブッ込んでみたり、全くカテゴライズ不能なとまでは言わないが、どうにも掴み処がない。オペラとかロックのイデオムからもかなりハミ出してるし、それが最初は本国の評論家たちから不興を買った部分でもあった。曰く、「装飾過多」・「骨太さに欠ける」・「クドい」等々・・・・・・ああ、想い出した。「ブライトン・ロック」のソロなんてもぉマンマ「津軽じょんがら節」のパクリだもんな(笑)。何かの機会に「寺内タケシとブルージーンズ」のレコード入手して聴いたんだろう。

 統一感があるのはフレディのハリのある歌声であったり、上述のハーモニーや、ギターの音色・・・・・・ついでに言うならスッテケスッテケ・ドッタンドッタンと今一つグルーヴ感に欠けるドラムっちゅうのもあるかな?(笑)・・・・・・とまぁ、要はどんな素材だろうが見事なまでの「クィーン節」にして強引にまとめてしまう。
 パンクが来ようが、テクノ〜エレクトロポップがウケようが、ヒップホップやダンスミュージックが流行ろうが、もぉなんだってクィーン節である。思えばこの辺の貪欲とか柔軟、っちゅうよりは無節操さではビートルズやツェッペリンも相当なモンだったんだけど、消化・吸収の具合ではクィーンが一枚も二枚も上手だったように思う。これはマジで強い。スタイルが何であれ強力な個性がそこに乗っかって来るのだから。今から思えば、沢田研二がテクノ(TOKIO)やエスノ(晴れのちBlueBoy)、ロカビリー(ス・ト・リ・ッ・パ・ー)まで取り込んでも沢田研二だったみたいだな、っちゅう気もちょとするけど・・・・・・。

 ともあれ言わば和・洋・中・エスニック何でもやってんだけど、どんなメニューでも甘さも辛さも濃い目でスパイスタップリに仕上げる「クィーン食堂」、ってなカンジだろうか。サラダや茶漬けでさえもコッテリと脂タップリで甘辛い、みたいな(笑)。

 だからクィーンのフォロワーのバンドっていないんだろう。何故なら彼らの後追いをしようとしたら、どしたってコピーバンドとかトリビュートバンド、あるいはパロディになってしまうのである。
 とは申せ一方で70年代初めのブリティッシュロックシーンは百鬼夜行状態で、ごった煮っちゅうかチャンポンっちゅうかあらゆるスタイルを取り入れ、ヒネリだらけの突拍子もないアレンジを施し、カラフルなポップセンスが光るメロディラインっちゅう点では同じようなバンドは沢山いたことはいたし、凝ったコーラスや多重録音を全面に打ち出したバンドだって相前後するように現れもした。しかし、どれもこれも後世に名を遺すほどの存在とはなりおおせなかったのが厳然たる事実だ。

 やっぱ才能はあった。それもスゴくあった。そこは大いに認める。ちなみにメンバーそれぞれが作曲した曲が全米一位を獲得したバンドっちゅうのは目下クィーンしかいない。

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 だからクィーンの華々しい過去の功績を貶める気はこれっぽっちもない。数々のプラチナ・ゴールドディスクだとか二日間のライブで60万人なんちゅう驚異的な観客動員数も溢れる才能+努力の結果だと思う。
 だからこそ、だ。ただただ、上に書いたようにフレディ逝去後のB・メイとR・テイラーの活動はあまりにみっともない、って言いたいだけだ。そしてその延長線上にあの映画が出てきたようにしかおれには見えないのだ、どうしても。

 「晩節を汚す」ってコトバがある。残った二人のメンバーがやってるのはまさにそれだ。ただまぁ、その振る舞いのスケールの大きさ、ハンパなさにおいても彼等はまぁケタ違いなところが、痩せても枯れてもクィーンのクィーンたる所以のようにも思えるが・・・・・・。

 え!?オマエの好きなクィーンのアルバムはぢゃぁ何やねん!って?

 ・・・・・・おらぁ最初の2枚がやっぱ好きかも。


これが1st。ロゴの位置とか発色とか何パターンか存在する。

2019.08.29

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