「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
インテリはエスノに走る・・・・・・TALKING HEADS


4th "Remain in Light"は後世に残る不朽の名盤だろう、やっぱし。

 ニューヨークアンダーグラウンド繋がりで、前々々回のテレヴィジョンに続いて今回は、シーンから登場した中では最も商業的成功を収めたと思われるトーキング・ヘッズについてダラダラと書いてみよう。ちなみに彼等も”The”は付かない・・・・・・っちゅうかニューヨーク系ってバンド名にナゼかほとんど”The”を付けんのんですよ。付くのってジョニー・サンダースのハートブレーカーズくらいだったんとちゃうかな?

 改めて調べてみると彼等、1991年には活動停止しちゃってんのね。光陰矢の如し。もうそんな昔のバンドになっちゃったんだなぁ〜・・・・・・って思わず遠い目になっちゃったよ、おらぁ。そらおれも歳取るワケだ。まぁ実際、1stが77年の発表やもんなぁ〜。ちなみにリズム隊の2人、クリス・フランツとティナ・ウェイマス夫婦が始めた派生バンドのトムトムクラブは未だに現役だったりするのはちょっと嬉しい。大仁田厚と千代の富士を足して2で割ったような顔したジェリー・ハリスンはどないしてはんねんやろ?

 結成はラモーンズと同じ1974年で、ちょっと早かったのがニューヨーク・ドールズやスーサイドで71年、テレヴィジョンが73年、パティ・スミスやブロンディはどやったっけ?ともあれ活動地盤が同じ地域、同じハコ(CBGB)ってだけで、目指してた方向やスタイルは様々で十把一絡げに語ることは到底できないけれど、ニューヨークアンダーグラウンドの重要バンドは大体70年代前半のこの辺くらいまでに出揃ってたことになる。

 ・・・・・・で、トーキング・ヘッズの音楽ってどぉなんよ!?ってコトになるんだけど、初期のシンプルだけどよじれまくって、それでいてどこかR&Bやカントリーのルーツを感じさせる素朴さの同居した通好みな2枚、アフリカンビートにちょっとだけ目覚めた3枚目、そんなエスノファンク路線を確立しつつ実験性が極めて強く、何だか殆どイーノの作品みたいな4枚目、イーノの下請け(笑)がイヤになったか、若干初期に回帰した5〜7枚目、それでもデヴィッド・バーンのエスノ指向はやっぱし止まらずワールドワイドに興味が広がっていささかゴッタ煮なラストアルバムの8枚目・・・・・・ってなカンジだろうか。
 たしかにパンクムーヴメントに沸き返るあの当時の状況の中から登場したとは申せ、楽曲にしたって服装にしたってどぉ考えても彼等は「パンク」ではなかった。音歪んでないんだもん。スラックスにきっちりインしたコットンシャツなんだもん。そんなんでも3ピースとか4ピースバンドで「シンプルなロック」っちゅうだけで、何でもかんでもパンクにカテゴライズされちゃってたあの頃ってかなりムチャクチャではあった。音楽評論家の耳ってどぉなってんねん?

 それはさておき、全てのアルバムに共通してたのはきわめて個性的なデヴィッド・バーンの引き攣ってこわばったボーカルは今さらおれが言うまでもなかろうが、どれだけアフリカ系ミュージシャンのパーカッションをゲストに加えようが、妙に淡々としてグルーヴ感の薄いリズム隊(何だかコルグのボルカを連結して鳴らしてるみたなんですわ、笑)、良く聴くと凝ってんだけど何だか一味二味足りないようなスカスカした間を活かしたアレンジなんかもワリと終始一貫してたように思う・・・・・・ラストだけはちょとちゃうかも。
 これらが独特のヒヤッとした感覚を与えるのだとおれは思ってる。ただ、ヒヤッとはしてても決して湿ってはない。あくまでカラッと乾いてるのも彼等の持ち味と言えるだろう。
 案外これにはティナ・ウェイマスのベースの貢献が大きいのかも?って気がしてる。いつも気難しい顔して(←多分、弾くだけでもう必死だったからだろう、笑)、やや背中を丸め気味にして隅っこで弾いてる印象があるけど、出て来る音はこれがもぉポコポコのパコパコで軽いのだ。何せ使うのがショートスケールのムスタングベースとかヘフナーとか、重低音が出しにくいのんばっかし。さらに言っちゃぁ悪いがテクもあんましない。そんなんんでシンプルだけど意外にメロディアスなラインを、ややたどたどしく(←ここポイントやね)弾くのが彼女の最大の持ち味だろう。ある意味、70年代以降のロックの世界では唯一無二の個性を持ったベーシストかも知れない。

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 そんなトーキング・ヘッズ、そらまぁデヴィッド・バーンの溢れる才能とアイデアあってこそのバンドだった、っちゅうのは間違いなかろう。でもおらぁバンドサウンドとしての真のカナメは意外にジェリー・ハリスンではなかったか?と睨んでる。ギター兼キーボードと、他のバンドなら一番目立てたであろうポジションにいながら縁の下の力持ちっちゅうか、大体いつもドラムの左横あたりで黙々と弾いてた、っちゅうかなり可哀想な人だ。
 とにかくそんなジェリー・ハリスン、ソロ作品を聴くと彼の作品の方が雰囲気的にはヘッズっぽいのである。メロディこそ違え空間処理とか色んなオカズの入れ方とか、デヴィッド・バーンのソロよりヘッズしてる。なるほど楽曲のクレジット通りで、トーキング・ヘッズの作詞・作曲の大半はデヴィッド・バーンだったんだろうけど、それは恐らくギター1本の弾き語りみたいな状態であって、そんな謂わば「元ネタ」を、あまりテクの無いメンバーの技量等も勘案しながら職人芸的にマトモな曲に仕立てて行ってたのは彼だった、とおれは思ってる。

 バンドへの加入は彼一人だけが遅い。年齢的にも実は一番上だったりする。元は結構長いことアートスクールの学生たちの趣味の軽音バンドみたいな3ピースバンドだったのが、ジェリー・ハリスンが入ってようやっとマトモなバンドになったようなカンジだ。おれの偏見でもウソでもない。3人時代の音源は僅かながら残っててYouTube上で視聴できたりもするんだが、たしかに後に繋がるエキセントリックな個性は感じさせつつも、まぁ一言でゆうてこのままのスタイルやといささかしんどいんちゃいます!?ってな音ばっかしだ。
 すごく単純に図式化すると、癇の強そうな見た目そのまま、アーティスト志向が強くてやりたいことだらけでロックどころか音楽の枠からさえもハミ出して行きたいデヴィッド・バーン、新しいことは好きだけどあんまし小むつかしいこと言わず、まぁ楽しくみんなで音楽やれたらエエやんか的なノリのクリス&ティナ夫妻、職人肌であくまでミュージシャンのフレームの中にいるジェリー・ハリスンってなトコだろうか。

 こうして考えると、最高傑作と言われる誰が本来のメンバーか分からないくらいゲストミュージシャンだらけの編成でエスノ路線に大きく舵を切った(←メチャクチャ接頭辞だらけだな、笑)4枚目、「リメイン・イン・ライト」ですでにバンドとしては終わりを迎えてたんだろうって気がしてる。

 この推理を裏付ける動画を見付けた。
 どぉゆう主旨で行われたのかは良く分からないが、エナジー飲料のレッドブルが主催したトムトムクラブ名義でのレクチャーにクリス&ティナ夫婦が出て、これまでの来歴やら裏話をおよそ2時間半の長尺で語ってるのである。何と収録場所は東京だったりする。
 すっかりジジィ・ババァになった二人がいろいろ話してんだけど、デヴィッドはこのレコーディングの前後で2回バンドを辞めたんだ、ってな言い方をしてる。まぁ、実際は辞めるっちゅうよりは、抜け駆けしてソロアルバムの制作にイーノと二人で取り掛かったのが実態だったんだろうが、未だに根に持ってるみたいだ。
 彼に対しては他にも相当言いたいことが溜まってるみたいで、如何にも英語圏の人間らしいジョークやユーモアのオブラートに包みながら、この作品のレコーディングがかなり緊張感タップリで難航したことを仄めかしてる。他にもヴェルベッツのジョン・ケールがあまり好きで無さそうだったり、イーノに感謝しつつもその抜け目なさにちょっと距離を置いてるカンジだったり、「ブッシュ・オブ・ゴースト」はホルガー・シューカイのアイデアをパクッただけやんか、って貶してたり、イアン・デューリーのコーラスに参加した時に「痙攣してるアーティスト気取り!」って歌った(そりゃイアン・デューリーは障碍者だったけど、痙攣パフォーマンスはバーン先生やんか、笑)とか、かなり面白い・・・・・・まぁ、いっちゃん驚いたのはティナ・ウェイマスが元はロングスケールのベース弾いててさらには実はベースのイコライジングに拘ってた、ってコトだけど(笑)。

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 脱線してるうちにタイトルからメチャクチャ離れてしもたやんけ。ホンマおれの文章は脱線だらけだ。そぉだったそぉだった、インテリはエスノに走るってハナシだった。

 古くはストーンズのインテリ枠担当だったブライアン・ジョーンズの「ジャジューカ」あたりが嚆矢かも知れない。中島らもがラリッて聴いてたらオカルト体験をしたっちゅう、サイキックなアルバムだ。70年代前半だとやっぱし上記シューカイさんの在籍したCANだろうか・・・・・・まぁ彼等は10年以上早過ぎたトンデモない連中で、エスノさえもその混沌とした世界の一要素に過ぎなかった気もするが。
 ピーター・ガブリエルもソロの3枚目くらいから急速にエスノに傾斜してって、その流れでWOMADだったっけ?ワールドミュージックのフェス開催がどぉこぉとかにハマッた挙句、ムチャクチャな大赤字抱えたりしてる。それで二進も三進も行かなくなって、泣く泣く物置でホコリかぶってた往年の狐やら花やらの被りもの引っ張り出して、初期ジェネシスのリユニオンやって借金を穴埋めしようとしたのは有名な話だ。
 ほいでもってデヴィッド・バーンも似たようなことやってて、今はワールド・ミュージック専門のレーベルまで立ち上げて、世界中のエスノミュージシャン発掘して回ってたりする。みんなアムネスティの回しモンかよ!?って言いたくなるぞ(笑)。

 ・・・・・・何でやねん!?

 あれこれ考えてみたのだけど、どうにも気の利いた答えが見付からない。実は案外事態は単純で、何だかんだで色んな教養やスキル、常識、論理性等に於いて、暴れたりケツまくったりできないってインテリゆえの限界があって、それが結局エスノに向かわせてるだけなんぢゃないか?って仮説を立ててはみたものの、確証はない。ないけど、少なくともインテリには、ガラクタ同然のTB−303をグリグリ弄って新しい音楽の潮流を作るような芸当は逆立ちしたって出来ないのは間違いないとも思う。

 ただ、そうして芸術的探究心からやってるんだろうなぁ〜、って思いたい一方で、そっから後がどうもおれは気に喰わない。如何にも白人連中のオメデタいとこで、功成り名を遂げたらまるでそれが耶蘇の勤めであるかのように、すぐにボランティアみたいな方に行っちゃう。その背景には本当は欧米人の度し難いまでの優越感があるんだけど、ちっともそこには無自覚だ。
 要するにノー天気に世界の文化の表層の剽窃と換骨奪胎から始まるのはエエんですわ。稚気溢れる好奇心やツマミ食いは許されるべきだろう。しかし、自らについて慈善と義侠心でやってるんだと露ほども疑わないまま、才能の発掘あるいは支援という名の下の収奪や搾取、あるいは青田買いをやってるだけちゃうんかい!?って気がおれはしてるのだ。
 それはまるで古くから続くオリエンタル趣味の果て、「考古学」っちゅう錦の御旗の下に、エジプトを始めとするアフリカ諸国、あるいは南米あたりから大量の埋葬品やらなんやらが大英博物館に持ち去られたように。要はかつて美術工芸品で欧米がやらかしてたことを音楽に置き換えてやってるだけちゃうんかい!?って疑念だ。

 そう思っちゃうと、やっぱしトーキング・ヘッズは4枚目、最大限譲歩しても5枚目までなんだよな〜・・・・・・どうもそっから後は今聴いてもちょっとイタいんですわ。フロントマンのデヴィッド・バーンの以降の発言やら活動とかも情報として入って来てただけに、残り三人との音楽的な方向性を巡る綱引きまでがモロに表れてるみたいで、未だに何とも素直に聴きにくいんですよ。

 ツラツラ書いてるうちに久しぶりにチャンとアルバム1枚通して聴きたくなってきたな。ちなみにおれがいっちゃん好きなのは実は3枚目、グレーチングのパターンが印象的なジャケットの「フェア・オブ・ミュージック」だったりする。1曲目で強烈なフリップ節が炸裂するのはちょっとアイタタだけどね。


3rd "Fear of Music"ジャケット

2018.06.30

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