「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
不器用でいいぢゃねぇか!(2)・・・・・・Roy Buchanan


40代には絶対に見えない・・・・・・ローズネック弾いてるんで70年代後半くらいかな?

 早いものでロイ・ブキャナンが亡くなってもう30年近くになる。1939年生まれだったから、生きておれば今頃は御年78歳の渋い爺さんギタリストになってたろうに。

 日本ではあんまし知られてない、今では半ば忘れられかけたギタリストだけど、彼の卓越したテクニックに関するエピソードは数多い。「世界最高の無名ギタリスト」と呼ばれ、ジェフ・ベックが自作「悲しみの恋人たち」を彼に捧げた(←これ実話、ちゃんとそうアルバムに書いてある)、クラプトンがブートレグに至るまで丹念に集めていた、ストーンズがブライアン・ジョーンズの後釜にって声掛けたけど断られた、ゲイリー・ムーアが敬慕の余り「メシアが再び」をカヴァーした、噂が噂を呼んで彼が出演してた田舎のクラブには有名ミュージシャンが大挙して連日押し寄せた・・・・・・要するに最高ランクの「ミュージシャンズ・ミュージシャン」だったと言えるだろう。

 嘘だと思うなら試しにYoutubeに上がってるライヴの模様でも見てみるとイッパツで分かる。もし、貴方がエレキギターをちょっとでも触ったことのある人で、この人のギタープレイを知らないままだとしたら、あまりに損と言える。とにかく上手い。それに上手い、っちゅうても決してテクニックのひけらかしや押し売りではない。有り余るほどの歌心あってのテクニックだ。あくまで表現のための方便としてテクニックがあったと言えるだろう。

 しかし、これほどまでに世界のトップミュージシャンからの賞賛と敬意を集めたにも拘わらず、彼は最後まで地味なギタリストに終始し、そしてその最期は余りに寂しく、そして悲劇的だった。可哀想に、泥酔して収監された警察の留置場でシャツで首吊って自殺したのである。享年48歳。亡くなる1週間前にもライヴをフツーに行っており、特に普段と変わるところは無かったらしいから、自殺が発作的なモノだった、ってのは間違いないようだ。

 今回はそんなロイ・ブキャナンについてだ。

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 過去に共和商会の薄倖のブランド「CAMEL」について書いた時に触れた通り、その名を初めて知ったのは中学の終わりくらい、そのカタログでだった。ホンマ当時ってムチャクチャな時代で、堂々とテレキャスターのコピーモデルの欄に代表的アーティストとして彼の顔のイラストと簡単な紹介文が書かれてあったのだ。
 残念ながらその少し後くらいからやれプログレだオルタナだノイズだっちゅうてややこしい方面に傾倒してったモンで、実際にその楽曲を気合い入れて聴いたのはもっとずっと後になってから、ひょっとしたら亡くなった後かも知れない。

 実際、彼こそが真のテレキャスターマスターを名乗れる資格があると思う。今改めて動画を観てみるとプリンストンリヴァーブかヴァイブロラックスか、とにかくフェンダーの古いシルバーパネルでちょっと小さ目のアンプに漢の直結で、それであの驚異的な演奏を繰り広げるのである。どうもテレキャスって見た目の印象がちょっと薄味でバカテクが似合わないギターではあるのだけど、もうブリブリのバリバリに弾く・・・・・・いや、むしろ「音を引き出す」という表現の方が似つかわしいかも知れない。
 そう、決して不器用ではないのだ、演奏そのものは。超絶技巧と言っても過言ではない。

 しかし、彼の不器用さは実はそんな演奏にも既に感じられる。10曲くらい続けて聴くと段々分かって来るのだけど、何だかもぉ誰が来ようと今日の仕入れが何だろうと、絶対にメニューを変えない頑固な板前みたいな感じがあるのだ。

    1.ロングトーンの泣きのフレーズ
    2.チョーキング絡めてボリューム奏法
    3.チキンピッキング
    4.リアピックアップ一杯のトコまで押弦してのオーバーフレット
    5.強烈な下降フレーズでのラン奏法
    6.ピッキングハーモニクス奏法
    7.3弦の2音チョーキング連発(全音で上げといてさらに上げるとかもあり)
    8.トーンノブを回しての疑似ワウ
    9.正確無比なミュート

 ザッと想い出したトコでこんな感じだろうか。たまにフィードバックやナット押さえてのベンディング、若干のタッピングなんかも繰り出してくるかな?とにかく抽斗はムチャクチャに多い。そいでもって基本はブルージーでオーソドックスなペンタ主体のフレーズに、これらのテクニックの数々をビシバシと散りばめまくるのである。音色はトレブリーなのに不思議と暖かみのある音で、恐らくアンプ側はフルアップさせて十分なサスティンを稼いでるにも拘らず、あんまし歪みは感じない。ナチュラルオーヴァードライヴの半歩手前くらいな印象だ。

 どんな曲だろうが、こうした仕立ては変わらない。そらまぁブキャナン節っちゃなるほどそうなんだろうけど、アルバムを何枚出そうが、とにかく頑ななまでに変わらない。そんなんだから大体フレーズ展開の予想も付いてしまったりする。言っちゃぁ悪いが、ある意味ドッスンバリバリ、ピーピーガーガーなだけのハーシュノイズもタマげる一本調子とも言える。
 いわば、「極めて高度なテクニックを駆使した手クセフレーズ」の塊りと言える演奏スタイルだった。

 そしてとにかく見てくれには一切気を使わない。何となく「公園のベンチでハトに餌やってる孤独な年寄り」みたいな雰囲気と服装で、どんなにエモーショナルなフレーズの時でも殆ど表情を変えず、これといったアクションもなく、深い碧眼を物憂げな伏し目がちに、ただもう突っ立ったままで淡々と演奏する。さらに体型もオッサンっぽい。
 ぶっちゃけこれほどジジ臭い外見のギタリストも珍しい。遅咲きで世に出たのが30過ぎくらいなんだけど、その時点で既に世の酸いも甘いも知り尽くしたような、どこか寂寥感と諦念を感じさせる風貌で、20歳は老けて見えた・・・・・・っちゅうか、おらぁ訃報で初めて意外に若かったことを知ったくらいなのである。

 これでストーンズ入ってたらエラいことになってたんとちゃうか?って真剣に思う。そらまぁ、ステージの隅っこで動かないどころかロクに弾くこともない(笑)ビル・ワイマンがオリジナルメンバーでいたとは申せ、そこにもう一人さらに地味で凡そロックとはかけ離れた風体のオッサンがいたら、フロントマンのミックとキースがどんなけ頑張ってもやはりちょっとイメージ違っちゃうっしょ?

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 恐らくは本人もそのことはよぉ〜く分かってて、遅咲きでいきなり世に出てこのままのスタイルだけぢゃアカンって思ったんだろう。事実、いろんな呻吟が70年代の半ば過ぎから始まる。何とプロデューサーに元祖チョッパー男のスタンリー・クラークを迎えてみたり、思いっ切りロックに振ってみたり(・・・・・・結局単なるロックにしかならんかったのが痛いけど)、音色的にもディストーションをより強調したりと音作りが若干カラフルになって行った。結果的にそれらの苦悶と試行は全て迷走であったのだが・・・・・・。
 格好だってチョイ悪オヤジっちゅうか、それまでのハンチング止めてソフト帽やマドロス帽にしたり、ツィードのジャケット止めてレザーのベストやジャケットにしたり、スラックス止めてデニムにしたりとあれこれ工夫してたのである。あろうことか、あれほど身体と一体化してたテレキャスからロックなイメージの黒いレスポールに替えたりさえもしてる。イメチェン、っちゅうやっちゃね。やはり本人なりに一生懸命変わろうとしてたんぢゃなかろうか?って気がする。

 そんな一方でこうしたスランプ時期のミュージシャンにお約束のドラッグとアルコールに相当身体を蝕まれてたのもどうやら事実のようである。一番ダメだったのは80年代初頭で、それまで割とコンスタントにアルバムをリリースしてたのが何年かのブランクがあり、ようやっと復帰してヘンな力みも吹っ切れたような素晴らしいアルバムを3枚ほど出し・・・・・・そして突然自裁の道を選んでしまった。
 完全におれの当て推量だけど、ついつい大酒呑んでツブれてるところを保護されて放り込まれたトラ箱で、酔いから醒めてふと我に返った瞬間、フラッシュバックによる強烈な自殺念慮が襲ったのではないかと睨んでる。無力感、厭世、自己嫌悪、後悔・・・・・・具体的にどのような想いが去来したのかは知る由もないが。
 精神疾患にも似たようなトコがあるんだけど、アル中やヤク中も回復期がヤバい。何故ならいっちゃんボロボロになってる時は死ぬ気さえ起きないのだ。

 そんじょそこらのギタリストがどれだけ束になって掛かっても太刀打ちできないほどの歌心とテクニック備えてたんだし、もしも彼がもっと鷹揚に、泰然自若と構えて自分のスタイルを貫くことが出来てたら、あるいは、日の当たるところに引っ張り出されることもなく、家族最優先で地元のクラブとかでテレキャス抱えて黙々とブルースやカントリーを弾いてる生活だったらば、彼はもっと長生き出来てたのではないか?って思ってしまう。
 しかし、彼はあまりにも誠実で繊細で不器用だった。そんな人に限って往々にして器用になろうと頑張ったりなんてやらかす。当然ながら器用にはなれず、それどころかやればやるほどズレてった。
 そうなのだ、生き方が不器用な人が努力の甲斐あって器用に立ち回れるようになる・・・・・・な〜んてまかり間違っても絶対にない。生き方が不器用であるってことは、悲しいことに宿痾であり業病なのである。

 本当におれは問いたい。何度でも問いたい。

 ------不器用は罪なりや!?

 ロイのところにメシアが再び来てくれることは無かった。変化と前進ばかりを求める強迫的な世の中で、彼はある意味犠牲者ではなかったのか?って気がどうしてもしてしまう。

 さてさて、蛇足ながら実はテレキャスターといえばもう一人、悲劇的なヴァーチュオーゾがいる。ダニー・ガットンである。ロイよりちょっと後に生まれ、ちょっと後に世に出て、同じようにバカテクで、ミュージシャンズミュージシャンで一般的な人気を得ることはなく、そしてロイの死のちょっと後に最後やはり自殺した。ただ、驚くほどロイの生涯をなぞるかのような人生を歩んだこのダニー・ガットンについて、おれはあまり聴いたことが無いのでこれ以上は何とも書きようがない。


ロイが好きだった1953年テレキャスター(但しこれはカスタムショップ製レリック仕様)

2017.10.20

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