「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
地獄のエンタテインメント!・・・・・・KISS小考


天井桟敷のポスターみたいな2nd”Hotter Than Hell”ジャケット。横尾忠則のデザインをパクッたらしい。

 初めにそのディスコグラフィーを邦題で列挙してみよう。「地獄からの使者」「地獄のさけび」「地獄への接吻」「地獄の軍団」「地獄のロックファイアー」「地獄の子守歌」「地獄変」「地獄小僧」・・・・・・あ、そりゃ日野日出志やんか(笑)。いきなりボケてどないすんねんな。
 いやホンマ、これほどタイトルに「地獄」がバンバン出て来るのって、キッスか日野日出志かっちゅうくらいなのである。もぉ地獄大安売りのクリアランスセール状態ですな・・・・・・実際本国ではそんな「地獄」のイメージはないみたいだが。

 今更おれがここで力説するまでもなく、キッスがアメリカを代表するスーパーバンドの一つであることは間違いない。残念ながら全米1位のシングルヒットこそないものの、アルバム総売上1億枚以上、キッスのキャラを使った商品は3千点以上あるなんて言われてる。もう70近いハズなのに未だに大規模なライブもやってたりする。まぁ、若い頃からあれだけ重たいコスチューム着けて(一説には25キロあるらしい)、ステージ走り回って歌って弾いてだから、絶対身体も鍛えられてるだろうしね。
 メンバーの脱退や復帰、死亡等、色々紆余曲折はあったけど、こうして40年以上の長きに亘って第一線で続く彼等の息の長い活動はそれだけで十分に称賛に値するものだし、そもそもその音楽作品だけでキッスを評価しようってコトには大いなる無理があるだろう。だって目立ってナンボ、ショーアップしてナンボの細部まで緻密に計算された冷徹にビジネスライクな活動歴なんだもん。

 今回はちょっとひねくれてはいるけど、おれなりのキッスへのオマージュだ。

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 ロックオヤヂは掃いて捨てるほど世の中にいるんだけど、ぶっちゃけいい歳こいたオッサンになっても未だに「キッスが大フェバリットです!」って正面切って言う人には会ったコトがない。おれだって正直今はちょっとビミョーだ。そしてそんな感覚は高校生になった時には既にあった。「キッスゥ〜!?中学生のガキぢゃあるまいし!」みたいな(笑)。
 だって、テクニックっちゅう点ではもっと巧いバンド一杯ありましたやん。ヘヴィでダークっちゅう点でも他にもっとありましたやん。そもそもおどろおどろしい外見を除くと彼等の音楽自体はハードロックと呼ぶのもちとしんどい。ちょっとハードだけど基本は陽気でキャッチーなリフやメロディが印象的なロックンロール、ブギ、そして箸休めのバラードが基調なんだもん。

 おれたちの年代ならば誰もがそうだろうと思うが、彼等の存在を知ったのは間違いなく「ミュージックライフ」誌を通じてだった。恥ずかしながら、ビンボで大して小遣いも貰えない身だったゆえ買ったことは一度もない。買える程度の小銭を持てるようになった頃には読むのは「フールズメイト」や「ロックマガジン」、「DOLL」等に移ってしまってた・・・・・・こうして振り返るとナサケないほどに中二病やったワケやね(笑)。
 そんなんで学校から帰る途中にあった「モール」ってトコの本屋で立ち読みばっかしてたのだ。今はもうツブされてマンションに建て替わってしまったけど、思えばおれのいろんな雑学の基礎は専らここと、あとは駅前にあった小さな本屋で形成されたようなモンだ。駅前の本屋は今でもあるけど、ちょっと南に移転して随分立派になってしまい、こちらも昔日の面影は残ってない。ともあれ、おれにとっての図書館だったと言える。

 そんな「ミュージックライフ」、おれが一番熱心に読んでたのは、水上はる子や東郷かおる子が編集長をやってた時代と大体重なる・・・・・・ってエラそうに書いてはみたものの、つい今しがたウィキで仕入れた情報です。スンマヘン。
 まぁ、クィーン推しまくったり、ベイシティローラーズ仕掛けるかと思えばセックスピストルズを初めとする初期ロンドンパンクシーンをドーンと紹介したりってな感じで、現代の極端にジャンルが細分化・専門化した世界とは随分違って無節操で大らかな紙面作りだった。
 だから、おれの中では未だに血ノリ吐いたり火を噴いたりのジーン・シモンズと自傷して血だらけになってプレシジョンベース提げてるシド・ヴィシャスが、イメージ的にはけっこう同じような位置にいたりする。

 ともあれそうして「ミュージックライフ」でキッスの写真を初めて見た時の衝撃は忘れがたい。とんでもなく奇抜なメイクとコスチューム、電飾だらけで花火が噴き出しまくるド派手なステージ、印象的なバンド名とそのロゴ、そして演奏以外の数々の芸・・・・・・何ぢゃこらぁ!?である。慌てて同じ「モール」の中にあったレコード屋に行ってLPレコードを探したのだった。

 みんな情報ソースが一緒だった関係で(笑)、数日のうちにロックに目覚めたばかりのアオいガキ共の間ではたちまち話題はキッスのコトで持ちきりになったのだった。
 さらにしばらくすると、これまた当時の貴重な動画を観れる機会であるNHKの「ヤングミュージックショー」でキッスのライヴをやるという・・・・・・ん!?誰が仕入れた情報だったんかな?ちょっとこの辺の前後関係は忘れた。
 ビデオデッキなんて気の利いたものもまだ存在しない時代だったんで、TVにラジカセを繋いで、時間が来たらこの二つのボタンを押してくれってオカンに頼んでおれは塾に出掛けてったのだった。そう、当時おれは猛烈な進学塾に通わされており、学校から戻るとすぐにカバンを持ちかえて電車に乗って出掛けてたから、どうしてもその時間にTVの前に座ってることが出来なかったのだ。電車に揺られながら、「あ〜、S次朗とかU田は今頃TVで観てるんだろうなぁ〜」と思うと何とも悔しくも恨めしかったのを想い出す。

 そのカセットはホント、何べん聴いたか分からない。一番安物の磁性体が錆色したテープに録られた、モノラルで籠りまくったヒデぇ音質のテープ。実はレインボーだってジェネシスだってドゥービーだってELOだってチートリだってEW&Fだって(←全然脈絡ないよね、笑)、そんな風にしてTVから録ったテープでおれは入ってったのだ。
 セットリストはどんなんだったっけ?「デトロイト・ロック・シティ」「雷神」「ロックンロール・オール・ナイト」「ホッター・ザン・ヘル」「ファイヤーハウス」・・・・・・当時の代表的なナンバーが揃ってたと思う。そのうち誰かの上の兄妹ルートでレコードなんかも僅かながら回ってくるようになった。レンタルレコード屋が世に広まる何年も前の時代、ビンボな家の中学生がまとまった音源を入手するのは本当に大変だったのだ。

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 思うに、キッスってロックに於ける男の子が最初にハマる「はたらくじどうしゃ」みたいな存在なのではなかろうか。長じてクルマのエンスーになったりして、イタ車やドイツ車がどぉとかサスがこぉとかってスカした薀蓄並べる鬱陶しいオヤヂとかでも、何だかんだで最初の出発点は強そうで奇抜でコテコテに分かりやすい消防車やダンプだったりするワケだ。それと一緒。その後、そういったものが何となく小っ恥ずかしくなってくるトコまで一緒だな。
 つまり、どこかで卒業するのである。そして彼等(・・・・・・ったって、イニシアティヴはジーン・シモンズとポール・スタンレーが握ってるんだが)はそこまでキッチリ自覚してる。随分以前に読んだインタビューで彼等は、「簡単でコピーされやすいコト」を念頭にリフ作りをしてるなんて語ってた。ややこしいのはいくら良い曲でもボツにするんだそうな。

 おれも周囲の連中も、そうして同じようにして段々とキッスを卒業して行った。リアルタイムでアルバムを追っ掛けてたのは案外短く、せいぜい7枚目の1979年「Dynasty」くらいまでだったように思う。当時全世界的に吹き荒れてたディスコ路線の「ラヴィン・ユー・ベイビー」が収められた大ヒットアルバムだった・・・・・・が、一方でちょっとづつややこしい音の世界にも入り始めてたおれには何だか変節漢のように思えたのが正直なトコだったりする。
 話は逸れるけど、この1978〜9年あたりというのは今から思えば、レインボーが「ダウン・トゥ・アース」出したり、EL&Pが「ラヴ・ビーチ」出したり・・・・・・と従来のロックイデオムの頭打ち状況が顕在化し、大幅な路線変更を余儀なくされる一方で、新興勢力の旗手であったはずのセックスピストルズが無残なまでに瓦解したり、その後のテクノからエレクロまでの潮流を包含するYMOが1stを発売したり・・・・・・いわばロックの一大転換期だったように思う。そぉいや私淑して止まないディス・ヒートの1stも79年にリリースされてるな。

 ところで彼等が権利意識の強い欧米人の中でもとりわけいろんなパテント類を、活動の初期からキッチリ管理してるのはたいへん有名で(あのメイクにしたって全部細かく商標登録され、使用者の範囲も決められている)、そのために守銭奴呼ばわりされることも多かったりするのだけど、おれとしてはそこに何だか上方の商人に通じる堅実さを感じている。「キッス」のパブリックイメージっちゅうとカッコ良いが、要は一代で築き上げた「暖簾」をシッカリと守り育てようとしてるワケだ。そんな風に見るとジーン・シモンズの独特のヘアスタイルも大阪の商家のごりょんはんのアタマに見えてくる・・・・・・わけねぇか(笑)。
 しかしこれって規模やジャンルこそ違え、実はその後のインディペンデントレーベルのバンドがやって来たこととひじょうに近かったりもする。大資本に食い物にされたり隷属的にされたりしないよう、音楽作品だけでなく、そのヴィジュアル、ツアーにプロモーション、それらに伴って発生するいろんなノベルティグッズに至るまでしっかりと自分たちで責任持って、細部まで権利を管理しようとする姿勢は、とかくドンブリ勘定の多いロックミュージシャン連中の中にあっては極めてクレバーで異例のコトだし、むしろもっと賞賛されても良いのではないかと思ってる。

 今でこそネコも杓子もやるようになった楽器のエンドース契約なんてーのも、キッスはかなり早い時期からやってる。最初の頃はギブソンで、これまた芸の一つのポール・スタンレーのギター破壊で、マローダーやS−1があまりにバキバキ壊されまくったせいで元々不人気でタマ数が少なかったのが余計に少なくなってると言われる。当時、楽屋には”FOR CRASH ONLY”ってマジックで大書された段ボール箱に入ったままのマローダーが山積みになってたそうな。まぁ、ピート・タウンゼントのSGジュニアと一緒の話やね。実に勿体ない話ではある。

 話が長くなってしまった。

 聖飢魔Uのデーモン小暮閣下にしたって金爆の樽美酒にしたってみんなキッスのフォロワーだ。世界中の後進に与えた影響の大きさを考えてもやはり、キッスが偉大なバンドであることは疑うべくもない。出来れば一つの事業体として法人化して、オリジナルメンバーがいなくなってもなお大きな存在として続くようだと、ビジネスライクな彼等らしくて面白いと思う。


最早「花火大会」みたいになってるライブの模様。

2017.09.17

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