「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
我、B級ギターを偏愛す(])・・・・・・Heerbyの巻


春日一幸近影(1969年)。

http://www.asahi.com/より

 ネットの発達によって世の中とっても便利で有難い時代になったモンで、ちょっとググればマイナーなまま消えてったこのハービーってブランドが民社党の委員長だった故・春日一幸が興した春日楽器製造って会社であったコト、そのブランド名が「春日」⇒「はるひ」⇒「ハービー」ってなまるで悪いダジャレのようなベタなノリで生み出されたものであったコト、一時期はヤマハのOEMなんかも手掛けてたり、ローランドが富士弦楽器(フジゲン)と組む前にココと組んだR.K.ハービーなるブランドがあったコト等々がたちまちに分かる。

 そらまぁとても便利で有難いことではあるけれど、しかし如何にもイージーすぎて、そこに知ることについての感動がまったく無いのも一方で揺るぎがたい事実であって、「ほぉ〜!そぉだったんだぁ〜」くらいの間抜けな感想しか出て来ない。何とも哀しいハナシだ。
 実際、ブランドの語源をこうしてこの歳になって知るまでは、おらぁてっきりギリシャ神話の人面鳥の化物であるハーピー(ハルピュイア)から取られたのかなぁ〜?くらいに思ってた。PCの画面上では殆どその差が分からないが、前者は「゛」の濁点、後者は「゜」の半濁点だからかなり違うんだけどね。いや、お恥ずかしい。

 ともあれおれの中でのハービーのイメージは、漆黒の宇宙をバックにしたミョーにスペイシーなバックに、も一つ解像が悪くて発色も濃すぎる画像でコピー度も今一歩なギターが沢山並んでるカタログから始まり、取って付けたようなスルーネックの一群の製品くらいで終わってる。一話にまとめ切れるかな?

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 初めて実際の製品を見たのはいつだろう?もう高校生になって、阿倍野のアポロビルにあった三木楽器や梅田のナカイ楽器辺りを頻繁にウロウロするようになってからであるのは間違いない。だいたい地元の富田林界隈ではグレコやアリア、フェル、トーカイなんかでさえマトモに売ってなかったくらいなのだから。
 しかし実際、大阪市内の大きな楽器屋でもハービーはとてもマイナーな存在だったような記憶がある。店頭に並んでて試奏させてもらったのはコピー物ではなく、それなりにオリジナリティを追求しようとして、結果的にはアレンビックにBCリッチを振りかけてパチモンにしちゃったような、本家よりずいぶん丸々としたシェイプのシリーズだった。(※註1)
 これは見た目はちょっとアレだったけど、音としてはそれなりに良かったような記憶がある。ただ、値段もかなり立派だったし、それにプログレ少年から少しづつパンク/NWニーチャンに鞍替えしつつあったおれにとっては、その高級家具を思わせる木目を活かした重厚な造りは却って食指の動かないものだった。

 話は逸れるけど、70年代後半から80年代初頭にかけてのスルーネックのブームってそれはそれは凄まじかった。通しネックなんて素朴な呼び名も初期の頃はあった気がする。とにかく猫も杓子もスルーネック。ギターもベースもスルーネックがハイエンドの証、メイプルとマホガニーやウォルナットのスカンクストライプは無条件にステータスだったのだ。え!?ブビンガ!?そんなん出て来たんもっともっと後ですよ。
 その実、根本的にネックが反ってしまうと修正がほぼ不可能だったり(だってボディとネックが一体化してんだもんね)、あまりに弦の振動系に対してガッチリとした構造体になってるもんだからイマイチ音がふくよかさに欠けたり、結局どのメーカーの何を弾いても似たり寄ったりの音になったり、どうしても重量が嵩んだり・・・・・・といった数々の欠点については少しも語られることが無いまま国産各社もこのブームに追随してたのだった。

 それでハービーだ。もちろん、耳年増っちゅうかカタログヲタだったおれも高校に入って初めてのギターを選ぶ際に一応検討はしてた。件のスペイシーなデザインのカタログで、だ。そして、実見するまでもなくすぐに購入の対象からは外れた。

 最初に書いた通りでコピー度がいささかアイタタだったからだ。

 例えばフェンダー系、ヘッドの形が本家に較べてビミョーに長くて馬面なのである。もちろん、60年代のテスコやグヤみたいに殆ど薙刀みたいなのとは違うけど、なんかちょっと長い。もちょっと厳密に言うと、ナットから6弦のポストまでの距離が間延びしてるようにおれには思えた。また、具体的には説明がむつかしいが、ストラトもテレも何となくボディシェイプが本家とちょっと違ってる気がした。
 ギブソン系はまぁレスポールモデルしかほぼ眼中になかった時代なのでその比較になるけど、何となくアーチトップの膨らみ具合が違ってるように思えた。本家始めコピー度の高い他社は極端に言うとボディの縁から一旦凹んで盛り上がるような形になってる。それが音色に如何ほどの影響を与えるかっちゅうと、恐らくは皆無なんだろうとは思うけど、何せその頃はコピー度の高さが大事なファクターだったワケで、それだけで何となく買う気が失せたのだった。それと、こちらはヘッドだけでなく何となく全体的なシェイプがヒョロ長いような印象だった。まぁ今から思えば、あくまでカタログでの写真写りの問題だったのかも知れないが・・・・・・。(※註2)

 後は前回のキャメルの流れと同じである。何でそんなんにグレコやアリア、フェル、トーカイと変わらん金を遣わんとならんのや?ってコトだ。

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 大学以来の悪友のS年と酔っ払ってギター談義になると、彼の口からは何故か必ずこのハービーが出て来る。どうやら彼の脳内ではハービーこそが星の数ほどあった国産エレキブランドの中でもB級の極みらしい。「そらオマエ、B級ゆうたらハービーやで!ハービー!」は口癖だ。何でそんな風に思うようになったのかはこれまで訊いたことはないが、ひょっとしたらガキの時分、周囲で買ったヤツがいたのかも知れない。

 今になって気付いたんだけど、っちゅうことはこのハービー、おれたちが大学に入った頃には既に過去の遺物のようなブランドに成り下がってた、ってコトに他ならない。もっぱら行くのは三条の十字屋や河原町御池のワタナベ楽器になってたけれど、そぉいやそこら辺の店でついぞハービーは見掛けたことが無かった。詰まるところ、おれも実物を見たのは高校時代の数度、それも後述の通りハービーからザ・カスガに変わってからのモノだけなのである。
 ジャパン・ヴィンテージとか、往年の国産エレキが持て囃される昨今だけど、中古市場にも殆どハービーは出回ってない。一時は自民党に次ぐ第二勢力を誇った政党の委員長がやってた会社の製品としてはちょっと寂しい感じもする。

 ちなみにネット情報によれば春日楽器製造が事業を停止したのは1996年(平成8年)のことらしい。縮小に縮小を重ねて最後は社員僅か数名の規模にまで零落してたようである。工場に備え付けられてたNC旋盤はヤマハ繋がりの縁でもあったのか寺田楽器に引き取られたとのことだ。また春日一幸はその遥か前、1989年に亡くなっているが、晩年は業績不振に陥ったこの会社のことでけっこう真剣に悩んでいたみたいである。
 思えば自転車業界同様、国産ギターもまたプラザ合意以降の円高の流れの中でボトムラインを中韓に取られ、ハイエンドを謳うほどにブランドステータスも確立できないまま沈んでった業界なのだろう。



※註1
 今回、纏めるに当たって調べてみたところスルーネックの製品はハービーではなく、ザ・カスガってブランドで出されてたモノであることが判明した。また、エレキギターのブランド名としてはギャンソン⇒RKハービー⇒ハービー⇒ザ・カスガと変遷したらしい。ハービーが用いられたのは意外に短く、70年代中期から80年代初頭の僅か数年間だったようだ。これはおれの記憶とも大体合致する。

※註2
 これも今回、ネットでいろいろ調べて判明したことだけど、極めてコピー度の高いハービーの個体が存在する。おれがギターに興味を持った頃は、各社競ってコピー度を上げ始めてた時代であり、ハービーもその流れの中でデッドコピーの技術を向上させていたのだと思われる。また、初期ESPのOEMをやってたって情報もあり、玉石混交の国産ブランドの中ではむしろ「技術力は極めて高かった」というのが正解だろう。 


ハービーのカタログ


今見ると、すごく意欲的な製品群だったな〜!

http://www.geocities.jp/guitarofworld/より

2016.10.03

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