「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
我、B級ギターを偏愛す(\)・・・・・・Camel/Argusの巻


Argusのカタログ。Camelは発見できず

http://archivesofkyowa.obunko.com/より

 この2つの薄倖のブランドを語る前に、まずは今は亡き共和商会について触れておく必要があるだろう。B級ギターシリーズの最初に述べた国産廉価ブランドの雄・フレッシャーも共和商会の取り扱いだった。倒産してもう何年になるだろう。東京に越して来て、都内の楽器屋に出掛けるとたまに店の前に共和商会のロゴの入った1ボックスが停めてあったりするのを見掛けることがあったので、そんなに昔の話ではない。調べてみると2011年、今から5年前だった。歳月の過ぎるのは早いモノだとつくづく思う。

 一時期は傘下にエレアコの名門であるタカミネやハイエンドのキャパリソン、或いは愛して止まないビザーレであるダンエレクトロなんかも抱えてけっこう幅広くやってたんだけど、数こなす部分でのブランドがどうにもダメだった。そんなんでドンズバのデッドコピーブームからオリジナルへ移行してった日本のエレキギターの流れの中で時流に乗り損ねて埋没してったような気がしてる。

 その、数こなす使命を担ったブランドこそが実はCamel/Argusだったのではないかと思う。

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 元々、廉価帯ブランドとしてのフレッシャーは幅広いラインナップと求めやすい手頃な価格、意外にチャンとした造りでかなりの支持を集めていたのだけど、70年代末あたりから始まったドンズバブームの中では如何せん安物イメージが強過ぎてブランドとしては弱かった。いや、ぶっちゃけステータス性ゼロだった。そりゃ使ってる木がラワンやシナでは如何にも安っぽいわな。

 それで新たな中級以上のブランドを確立させることが急務になってたものと思われる。77年か8年ごろだったと思うが、突如としてCamelなるブランドが登場する。家の近所のダイエーの3階にあった楽器屋にカタログが並んでるのを見付けたものの、製品は取り寄せなのか一向に店頭に並ぶことは無かった。ちなみにバンドのキャメルもアンディ・ラティマーも全く関係なかったと思うんだけど、カタログの表紙はレコードジャケットそのままパクッたんぢゃねぇのか?っちゅうくらいによく似てた(笑)。でも駱駝でっせ、駱駝。
 製品としては極めてコンサバっちゅうか手堅いトコだけに絞って押えられてた記憶がある。レスポール・ストラト・テレキャス・プレベにジャズベ、リッケン#4001といった定番中の定番ばかりで、当時のグレコ・アリアプロU・フェル・トーカイ等の賑やかさと比較するといささか寂しい感じがしたのは事実だ。そんな中でちょっと意外だったのはマローダーのコピーが入ってたことだろう。当時はキッス全盛期でポール・スタンレーがマローダーをバキバキ壊しまくってた時代なので、それで無理矢理にラインナップに加えたのかも知れない。そぉいやフレッシャーにもマローダーあったもんな。しかしながらコトの真相はギブソンとエンドース契約してたキッスが、不人気で大量に不良在庫を抱えたマローダーを破壊専用に提供されてたのが実態である。どうやら極東のガキだけでなくメーカーまでがその事実を知らなかったようである(笑)。思えば長閑な時代だった。

 そうそう!Camelのカタログがユニークだったのは、それらの色んな型を使うアーティストの囲み記事みたいなんが差し込まれてたことだろう。全部は忘れたが、たしかレスポールはポール・コゾフ、テレキャスにはロイ・ブキャナン、プレベにはロジャー・ウォータースな〜んてちょっと渋めでマニアックな人が選ばれてた。おれなんてそれでロイ・ブキャナンに興味持ったくらいだもん。「飯屋が再び」・・・・・・なんちゃって(笑)。

 とまれしかし普通に考えて、エレキギターを買おうと思う、専ら若い連中が7万8万するものにポッと出の無名のブランドを選ぶだろうか!?だって既にグレコを始めとする、そこそこの値段でシッカリしたブランドは目白押しなのである。結局、おれは実物を一度も見ることのないまま、すぐにカタログ自体も店頭から見なくなってしまった。いや、当時のギターキッズでCamelの実機見たことある人って一体全体どれだけいるのだろう?とも思う、ともあれCamel、殆ど市中に出回ることもないまま先行ブランドの間に割って入ることに失敗したのであった。

 ちなみに後年に至って、Camelが見かけ倒しのパチブランドに近い造りだったことがかなり研究されてたりする。レスポール等のアーチトップには合板で盛り上がった部分が空洞の、まるで70年代初期のグレコみたいなコピー黎明期の構造のままのがあったり、フォルム自体のコピー度もかなりアバウトで低かったらしい。厳しい言い方をするならば、要は急拵えでヤッツケ仕事の半ば詐欺みたいな製品群だったと言えるだろう。

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 共和商会としてもサスガにこりゃマズいと思ったのか、以前にも書いた通り、慌てて既存ブランドであるフレッシャーの高級化を進めようとする。勘亭流みたいな黒一色の筆記体のロゴから、金地でFが活字体で筆で書いたようなちょっと枯れた感じのロゴに替え、木やら造りや値段やら(笑)をかなり頑張るようになったが、これもあえなく沈没。誰がフレッシャーに5万6万出すねん!?って。結果的にはこれは完全に迷走だった。

 そんな状況の中、新規巻き直しで捲土重来を期したんだと思うけど、遅ればせながらというかようやっとというか、格段にコピー度を上げて出されたのがArgusだった。80年くらいぢゃなかったかな?ラインナップは相変わらず絞り込まれており、レスポール、335、ストラト、テレキャス、プレベ、ジャズベくらいしかなかったと思う。世はクロスオーバー(今でいうフュージョン)なんかがブームになりつつあり、マローダーが落ちて335が加えられたのだと思う。ちょっと記憶が曖昧なんだけど、ひょっとしたらラッカーフィニッシュだったかも知れない。
 ちなみにArgusはあくまでおれの想像だけど、ウィッシュボーンアッシュのアルバム「百眼の巨人」から採ったのではないかと思うが、本当のところは良く分からない。思えばCamelにしてもArgusにしてもブランド名そのものが救いようがないくらいB級だった。

 このブランドについては何度か店頭で試奏させてもらったことがある。一時期は楽器屋にもそこそこ並んでたし、中身はワリと良いギターだったような記憶がある。他のドンズバに較べてさほど引けを取ってるようにも思えなかった・・・・・・が、しかし極端に抽んでてるワケでもなかった。つまり敢えてそれを選ぶ必然性はない(笑)。そんなんだったら素直にグレコのミントやフェルのリバイバル、トーカイのリボーン買えば済むハナシではないか。
 大体、ドンズバなんてオリジナルが究極の到達点なのだから、ハナッからアタマが決まっちゃってるのである。どしたってそこには限界があるっちゅうモンだろう。

 さて、Argusがブランドとしてヘンだったのは、相前後して恐ろしく多数のリプレースメントパーツが売り出されたことだ。恐らく、共和商会としても先行メーカーに打ち勝つことがむつかしいことはCamelでイヤっちゅうほど学習したハズで、起死回生のArgusにしたって他社に並びはしたものの圧倒はしてない。つまり売れない。オマケにドンズバブームも少しづつ翳りが出始めている。これは八方塞の状況と言える。
 窮すれば通ずっちゅうか、そこで気付いたのだろう。各社がコピー度を極限まで高める中、各社のあらゆるパーツ類の寸法が細部まで同じ状況になってるのに目を付けたのではないかとおれは睨んでる。それにパーツの単品売りは完成品より利ザヤが稼げたりもするだろうし。

 ・・・・・・結局、ギターブランドとしてのArgusは何年続いたんだろう?80年代終わりには殆ど店頭でも見かけることは無くなってたんで、10年弱って感じだろうか?いずれにせよ、ドンズバブームに最後まで乗り切れないまま儚く消えてったアダ花のようなブランドだった。ただ、パーツブランドとしてはワリと最近まで楽器屋の棚にぶら下がってるのを見掛けたから、その後も共和商会倒産までは命脈を保ったものと思われる。

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 別段、Camel/Argusのギターを今さら欲しいとは思わない。それならフレッシャーの方がよほど欲しい、ってか・・・・・・(笑)。でも、百花繚乱だか百家争鳴だか分からないけど、様々なブランドが一生懸命にシノギを削ってたあの時代はやはり楽しかったし、そんな時代に目一杯国産エレキギターの世界にハマりまくって、各社の全てのモデルの仕様やら値段までを諳んじることができるほど、飽くことなくカタログを隅々まで読み込むことができたのは、けっこう幸せな体験だと思う。それは間違いない。

2016.09.18

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