「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
親日家


マーティー・フリードマン。凄い人だと思う。

 日本で洋楽が売れなくなって久しい。

 かつてなら武道館だって余裕で満杯にしたであろうアーティストがゼップ東京クラスのハコでライヴやるのもそう珍しくはない光景だ。今やドームを満杯にするのは一握りの大御所と言われるクラスの・・・・・・まぁ言っちゃ悪いが、ロートルばっかと言っても過言ではない状態になっている。
 何でそんなことが起きるのかっちゅうと、一つには洋楽を紹介するメディアが減っちゃった、っちゅうのが大きい。この点でかつての「ミュージックライフ」誌の功績はまことに大で、ここが気合い入れて売り込んだことで世界的な人気に火が点いたミュージシャンは数多い。クイーンしかり、チープトリックしかり・・・・・・あ、ベイシティローラーズはあきませなんだ(笑)。

 しかし、もっと本質的な問題がある。要は日本の音楽、それも所謂ポップミュージックの領域での水準が向上して、無理に外国から仕入れる必要がなくなっちゃったのだ。実はそのミュージックライフだって段々それで売れなくなって廃刊に追い込まれたのである。取り入れた文化を器用に換骨奪胎しながら独自の洗練を加えて行くのは日本人のDNAに刻まれた特技なのではないかと思えるくらいに、ポップミュージックの世界でも日本流は遺憾なく発揮されたっちゅうこっちゃね。

 とは申せ、様々な工業製品が世界を席巻したことに比べると、日本の音楽は現状ワールドワイドに認知され、評価されているとは言い難い。依然、この国は音楽的には発展途上国なのである。しかし、不思議なことに外人ミュージシャンに親日家は多い。今日はそんなお気楽な話だ。

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 以前、帰宅中の電車内でギタリストのポール・ギルバートを見たことがある。

 「・・・・・・ある」などと断言してしまったが、そりゃ〜、最初は我が目を疑いましたよ。だって、当代きっての超実力派ギタリストの一人でっせ。それが帰宅途中のサラリーマンで混み合う国電(ふっるぅ〜!)に一人、大きな図体で座ってんだもん。良く似た外人さんかと思った。しかし、顔つきだけでなく、背の高さ、独特の不精髭とヘアスタイル、それと一部で噂される私服のセンスがチョーダサい(失礼!)って特徴もそのまんま。何よりその頃はちょうど日本の歌謡番組にレギュラーで出演してたから、都内近辺に在住してたとしてもおかしくはない。どう考えても、やっぱありゃポール・ギルバートだわ。
 だからって、「そぉりぃ〜、あ〜ゆ〜ぅぽぉ〜るぎるばぁ〜と?」などと不躾に質問するワケにもいかず、おれは驚きの目で彼を見たままだった。ポールさん、気付いてたんならゴメンね、あん時の変なおっさんはおれです。

 さてさて、このポールさんは大の親日家として有名で、ヨメは日本人だわ、気に入った日本酒のデザインとカラーでギターを作らせるわ、そもそもそのギターはメイドインジャパンの良品として知られるイバニーズ製で、彼はこのブランドの世界的コレクターだったりもするわ、公式ホームページ(そのアイタタな作りが最高におもろい)にも日本語があちこちに出てくるわ、と日本大好きなのである・・・・・・って、言葉についてはあまり熟達してるとは言えないけど(笑)。
 そのあまりの親日家ぶりが評価されたか、名義貸しみたいなものとはいえ、たしか新宿か池袋の音楽専門学校の校長まで勤めてる。

 ちなみに彼のお師匠さんはサンプラザ中野くんと見間違えそうな金柑頭のジョー・サトリアーニなんだけど、お師匠さん自身も昔日本に住んでたことがあるらしい。

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 目下最強の親日家と言えば、やはりこの人にトドメをさす。今更おれが言及するまでもないくらいに有名だ。元メガデスのギタリスト・マーティー・フリードマンである。この人、日本がとにかく気に入っちゃって、別に招聘されたわけでもないのにアメリカから単身やってきて東京に居を構えた、っちゅうのだから筋金入り。もはやギタリストに於けるデーブ・スペクターと呼んでも構わないと思う。そのうち東スポが「M・フリードマン、実は日本人だった!」ってな見出しを掲げるかも知れない。あ、デーブに相当するのはピーター・バラカンか・・・・・・。
 とにかく異常に日本語が巧い。流暢に話すだけでなく書くのまでもがメチャクチャ巧い。書くと言っても二つある。いわゆる文章力と字の達筆さだが、これがもうどっちも舌を巻くほどに巧い。もぉホンマ、そこら辺の頭の悪い日本人女子高生なんて彼をお手本にもっと正しい日本語を勉強しろ!と言いたくなるほどだ。

 おそらくは元々ものすごく頭のいい人なんだろう。それに加えてものすごく努力したに違いない。大体日本語を学び始めたのがメガデスで来日して以降というから驚きだ。北方アルタイ語族に属すると言われる日本語は助詞による膠着性や単語配列の自由さから、欧米人にとって非常に習得が困難な言語であると言われる。ちなみにこの語族に属するのはあとはモンゴル語と朝鮮語だけ。モンゴル力士がどうしてああも流暢に日本語を話せるのかというと、発音が違うだけで文法が同じだからである。SMAPの草g剛がチョナンカンとして比較的短期間で流暢に朝鮮語が話せるようになったのも同じ理由による。もちろん、どっちの場合も努力あってのものだろうけど。

 それはさておきマーティー・フリードマンの凄い所は、まぁギタリストとして一流なのは当然のこととして、複雑な欧米コンプレックスに塗れた日本の歌謡曲をきわめてフラットな地平から真っ当に評価したところにある。如何にもヘビメタ然としたルックスからは想像もつかないけれど、その伝ではアーネスト・フェノロサやブルーノ・タウト、ラフカディオ・ハーン達と同列に評価されてしかるべき優れた知性と審美眼を備えた日本文化の紹介者であり、おれたちの蒙を啓いたと言っても構わないだろう。日本人は深く恥じなくてはなるまい。

 本人気立てがいいのか、色物みたいな番組でもニコニコ笑って出演しているが、業界はこの人をそんな使い方するんぢゃなく、もっと真っ当な日本文化の紹介者として扱うべきだと思うな。

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 上記二人と似たようなケースでは前衛系の鬼才、ジョン・ゾーンだろう。今でも日本とニューヨークを半々で行き来する生活してるらしい。この人もヨメは日本人だっちゅうし、本人は大阪弁が堪能だったりする。スティーヴン・セガールかよ?(笑)・・・・・・あ、この人、俳優としてはひたすら大根だけど渋いミュージシャンとしての顔もあるよね。娘の藤谷文子はいい感じやな。
 ・・・・・・いささか脱線したが、ずいぶん昔、80年代の一時、ややこしい音楽のライヴポスターにやたら「ゲスト!ジョン・ゾーン」などと書かれてた時期があった。おれはその頃はフリージャズっちゅうだけで嫌悪感を催す方だったので実見したことはない。しかし、今から思えばあれがひょっとしたらジョン・ゾーンが東京に居を構えていたと言われる頃なのかもしれない。「来日」ぢゃなかったワケだ(笑)。

 ああ、前衛系ではあと、これまた才人、ジム・オルークも忘れちゃいけない。シカゴ音響派のキーパーソンの一人であり、ホンマにちゃんとやってたんかどうか知らんけど、とにかくソニック・ユースのメンバーだった人。マイナー一筋40年!のgdgdサイケ、レッド・クレイオラともコラボしてなかったっけ?
 ミュージシャンとしては何となく変態ギタリスト、っちゅう印象が強いが、実際は作曲家・プロデューサーとしての評価がひじょうに高い。カテゴリーが特殊なとこにいるから一般的な人気を博するタイプではないけれども、かなり真面目で学究肌な努力家だと思う・・・・・・で、この人も何がそんなに気に入ったのか異常に日本好きで、結局数年前に東京に移住しちゃって今は日本国内を中心に活動してる。日本人でもそれほど知ってる人が多いとは思えないカルトな映画監督・若松孝二を大リスペクトしてたりと、もはや親日家を通り越して日本ヲタクに近い気もする。ヨメは・・・・・・そもそもいてはるんかな?

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 古くは故フレディ・マーキュリーなんかも相当の親日家などと言われてたが、ホントのトコはどうなんだろ?なるほどアイタタな日本語歌詞を無理やり乗っけた曲もあったものの、そんなんポリスにもあったワケで、おれは一つは日本での異常なまでのクイーン人気に対するリップサービスと、ジャポネスクなものへの憧憬だけぢゃなかったのかな?と思っている。
 実際、自宅には日本庭園があるそうだし、そこには田中角栄もびっくりの素晴らしい錦鯉がいたらしいし、瀬戸物集めなんかにも凝ってたという。しかし、それらはあくまで日本趣味な事物に過ぎない。まぁ、最後はHIVで亡くなった彼らしく、新宿2丁目に馴染みの店があった、などとも囁かれてはいるが・・・・・・。
 単なる個人的なアテ推量で言わせてもらうと、モロッコだったっけ?北アフリカの国に生まれ、インドで少年時代を過ごし、イギリスで大人になった中近東系の血を引く彼にとって、極東の国・日本、っちゅうのはあまり生々しい現実と向かい合わず、純粋に憧れのままにしときたいファンタスティックな存在だったのではないかと思うのだが、どうだろう?

 ビッグネームが出たところでも一人、超メジャー。意外なことにエリック・クラプトンがそうらしい。あくまで噂のまた聞きなので自信を持って語れないが、何でもツアー以外でもしょっちゅうどころか月1くらいのペースで来日しては、あちこち旅行したり買い物したりしあるいてるっちゅう話である。まぁ、見た目的には比較的小柄な不精髭の爺さんだから、一人で歩いてても案外気付かれないかも知れない。それこそ「エリッ・クラプト来る!」なんちって、ソックリさんショーに本人のフリして出てたりしてね(笑)。
 デヴィッド・ボウイはかつて京都に別荘持ってたらしいが、今はどうだか知らない。シンディ・ローパーも相当らしいけど、残念ながら具体的なエピソードは聞いたことがない。分かってるようでちっとも日本のこと分かってない場合もあるからなぁ、ガイジンさんは。あれ!?サンタナってどやったかな?・・・・・・

 ああ、この人もミュージシャンだった、ってコトすっかり忘れてた。元祖帰化系ギタリスト、クロード・チアリだ。昔は関西ローカルにやたら良く出てた大阪弁の陽気なオッチャン。「壁に耳あり、クロード・チアリ」などとギャグネタにされるくらいに日本に根付いちゃってる。ギタリストとしては本職だからそら当然巧いのだが、コンピュータの使い手としても古くから有名。
 活動を関西中心にせず、もっと全国的にしておればもっと違うポジションにいることが出来たかも知れないと思うな。最近はあまり名前を聞かないけれど、どないしてはんねんやろ?

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 ・・・・・・ま、他にもいろいろいるみたいだけど、最近の人は良く分からん。

 後段に列挙したのはどっちかっちゅうと、勘違い系ジャポネスクに惹かれたようなケースがかなり多いような気がするのだけれど、最初に挙げた人たちはみんな、今の日本をシッカリ見て、マトモに向き合った上での日本贔屓である。民謡とか長唄とか義太夫とか和太鼓とかそんなジャパニーズエスノではなく、今の音楽が彼らを惹き付けてるのだ。

 「日本で洋楽が売れなくなった」・・・・・・それは喜ぶべきことなのだろう。洋楽聴いて育ったおっさんのおれとしてはちょっと寂しいけど。

2010.03.13

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