「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
不器用でいいぢゃねぇか!・・・・・・Rory Gallagherやらなんやら


ロリーギャラガーといえばやはりこれ!(画像はフェンダーカスタムショップ製のドンズバ)
ひねくれモノのおれとしてはグヤトーンの「マロリー」を挙げたかったが良い画像が見付からず・・・・・・

 昔、友人の誰だったか、とてもいいことを言ってた。日本のロックは小器用すぎる、と。どぉゆうことかっちゅうと、アルバム3枚も出すと、テクはエラく上達してるわ、声域は広がってるわ、アレンジは巧なってるわ・・・・・・で、まったく別のバンドみたいになっちゃうのが面白くないんだ、と。
 なるほどその意見には一理も二理もあるように思える。アルバム出すごとに堅実に進化していくなんて、根本的な部分で妙にマジメでまめまめしくも小賢しい。そしてそれは極めて小市民的でちょっともロックしてない感じだもん。「小さいのぉ〜!」と言いたくなってしまう。

 ・・・・・・って、上記の会話は80年代初頭のことなので、既にそれから四半世紀以上が経った今となっては、読まれた方にいささか奇異の念をもよおさせるだろう。今や、世界中の音楽はテクノロジーの進歩と表裏一体のところにあって、どんなスタイルであれちょこまかちょこまかと進歩して行くことが求められてるのだから。
 それに当時だってもちろん全部が全部、進歩も退化もなしに自分の芸風だけで勝負してたかっちゅうともちろんそうではないワケで、ま、酒の席での放談で専ら60年代から70年代のハードロックやブルースロックなんちゅうのを俎上に上げてみんなであーだこーだ言ってるうちに出てきた話のように思う。

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 ともあれ、そんな変わらなかった中でも、頑なまでに変わらなかった代表格にロリー・ギャラガー(Rory Gallagher)がいる・・・・・・え!?おまえブルース系嫌いちやうのん?って!?いやぁ〜、弾くのはチョーキング下手なんで嫌いやけど、聴くのはまんざらでもおまへんで〜!
 それはさておき、そのギタリスト人生で変わったのは体型と、日本での読み方ぐらいだ(最初は"ギャラクハー"なんて言われてた。花村萬月もそのことをエッセイに書いている)。ホントこの人、最初から最後まで何も変わらなかった。早いものでもう鬼籍に入って15年くらいになるだろうか。

 腰だめに提げた例のサンバーストがボロボロに剥げ落ちたストラト、ジーパンにチェックのシャツ(寒い時はその上にジージャン)、ぶっとい揉み上げと緩やかにウェーヴの掛かったロン毛・・・・・・って、見た目全部がトレードマークで、元気一杯弾いては歌い、歌っては弾く。音はといえばガシャッとしたストラトの生々しいトーンそのままのナチュラルなオーバードライヴサウンド。組み立てはペンタトニック主体のオーソドックスなフレージングなものの、そのタメとかタッチとかセンス、あるいは直情径行型のギミックがたまらなくカッコいい。

 最近はYOUTUBEなんてーのが広まり、貴重な動画をアップしてくれる奇特な人が世界中にいるお陰で、この不世出のギタリストの動画についても数多く見ることが出来る・・・・・・そして知った。この人見た目だけに留まらず、演奏の中身までデビューのときから最晩年まで何一つ変わっていないのだ。もっと言えば、最初から既に完成されていた、と言った方が正しいのかも知れない。いわばウルトラ金太郎飴だ。
 大抵は漢のアンプ直結でヴォリュームだけでクリーンからディストーション、はてはフィードバックまでを自在に操り、壊れたトーンコントロールをクルクル回すことでワウワウにしてみたり、ボリューム奏法やってみたり、トリルしながら弦引っ張ったり、神経質に演奏中に糸巻き弄ってみたりしながらおそらく大半はアドリブでフレーズを紡ぎ出す、驚くべきはボトルネックでブリブリ弾きながらそのフレーズをハミングでハモッたり・・・・・・使い古された言い方だけれどホント、ギターを自分の分身、あるいは玩具のようにして、時に楽しそうに苦しそうに切なそうに弾きこなしている。いやもう、こうして改めて動画で追っかけてみると、ムッチャクチャに巧いしエモーショナルだわ。言っちゃ悪いが、商業的には遥かに成功した頁さんなんかよりよっぽど上手だし歌心がある。ストーンズやパープルといった大御所の後釜ギタリストに指名された、っちゅう伝説もまんざらウソではないって気がする。

 そこにまったく様式上の新味はない。シブいっちゃこれほどシブい人もおらんワケで、どだい日本でついた楽器スポンサーがあのグヤトーンなんだからもぉシブさの極致だわな・・・・・・あー、マロリー欲しい!!
 しかし、代わりに圧倒的な溢れるリアルがある。実に生々しい演奏を聴かせてくれる。ただ、残念なことにそのリアルは文章で言うなら行間から立ち上るリアリティなんかと同質で、どうにも字面だけからは伝わって来にくい。ま、玄人ウケっちゅうほどエラそうでもないとは思うが、それでもなかなかパッと聴いただけでは一般には伝わりにくいし、数値化してどうこう言える類のものでもないし、TAB譜に起こしても特段の革新的なテクニックがあったわけでもない。オーソドックスそのものだ。

 自らの意思で不器用に一途なのは、言ってみれば「納得済み」だからまだいい。頑なであることそのものに価値とウリを見出すのはピュアではないかも知れないけど、まぁそれはそれで良しとしよう。また、才能に劣って一途にしかやれないのもまだ救われてる。それしかすがるモノがないんだからそりゃ必死にもなるし、そのど根性はそれだけでこれまた一つのウリとなるもん。
 不幸なのは、溢れる才能ゆえに却ってその確立された枠からどうしても出れない人だ。天才なのにおっそろしく不器用な人だ。大愚は大賢に通じる、っちゅうけど、逆に大賢は大愚にも通じてるのである。

 ロリー・ギャラガーは長年のアル中に苦しみ、結局はそれで肝臓ワヤにして死んだのだけど、そこまで彼を深酒に溺れさせた根本はつまるところ、初めからあまりに完成され過ぎてた技術とスタイルによる華々しい初期の活躍と、その後の人気のジリ貧にあったのではなかろうかとおれは思ってる(・・・・・・極端に人付き合いが下手でシャイだったために酒に溺れたって説もあるが)。天才はその卓越ゆえに進歩も退化もない、ってことはどうにも理解されにくい。

 不器用とか一途とか頑なとか、そんなシブい芸がなかなか評価されにくい時代になってる。

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 同じような感慨を吉本新喜劇にも抱いてしまう。

 今でこそ立錐の余地もないほどの大盛況となった「花月劇場」だけど、70年代終わりから80年代末にかけてはズーッと低空飛行が続いていた。空前のMANZAIブームにもかかわらず新喜劇のほうは閑古鳥、ってな悲惨な時期があったのだ。ちょっと記憶に自信ないが、あとちょっとで廃止ってなトコまで行ったんぢゃなかったっけかな?当時は風呂屋に行くと、良く番台のところに無料招待券なんかが置いてあったりもした。今とは隔世の感がある。
 面白くなかったワケではない。あまりにもその芸風はマンネリに陥ってしまってたとはいえ、そのお約束の笑いは・・・・・・いや、お約束だからこそか、それはそれでとても面白かった。言うまでもないが、復活なった今でもこのマンネリ芸は継承されてる。島木譲二のパチパチパンチ、桑原和男の「ごめんください、どなたですか?」、池乃めだかのチンピラ役とその後の舞台からの突き落としやら猫真似・・・・・・etc。

 それらマンネリを極めながらどうしようもなく笑っちゃうしかない芸人たちの中でも、とりわけ素晴らしく抽んでていた天才肌の芸人は?っちゅうと、おれ的には岡八郎と花紀京だったと思ってる。別に芸そのものに目新しさがあったわけではもちろん、ない。そんなんあったらアカンのが吉本の世界なワケで、いつでも一緒。むしろ、他の芸人たちよりもオーソドックスで地味なくらいだった。なのに、何故だかこの二人のお決まりの芸はたまらなく可笑しかったのは間違いない(余談だが、おれが物心つくか着かない頃、この二人はコンビ組んで漫才やってたこともあるらしい)。
 しかし、彼等のその後が一番悲惨でもあった(・・・・・・あ〜ま〜、室谷信雄や木村進も悲惨だったっけかな)。岡八郎はアル中が元でクビ同然で追われ、程なくして亡くなり、花紀もほぼ同じ時期に新喜劇を退団し、それからは専ら関西系のドラマの脇役で見かける程度になってしまった。この数年は病に臥せってて活動もままならないようである。同じように新旧交代の流れの中、船場太郎が退団後、堅実に市会議員の道を歩んだのとは対照的だ。

 ロリーさんも含めいずれも共通してるのは、芸そのものは本当に天才的だったのに、どうにも世渡りとか、時流に乗っかるとか、変わり身とか、他のいろんな点で要領が悪かったりツイてなかったりしたことだろう。ま、京さんに関して言えば倒れるちょっと前くらいに吉本オールスターズとも言える「明日があるさ」のメンバーになったのがそれでも救いか・・・・・・。

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 人間、最低限の社会性は必要だ。厭人癖があったりしてはどうにも上手く行かないことが多い。そりゃ良く分かる。
 人間、あまりに頑固で自説を殊更に曲げないようでは嫌われる。それも良く分かる。
 人間、同じコトばかり言ってたらワンパターンと罵られたり、痴呆症を疑われたりする。まぁ仕方ないわな。

 ・・・・・・でも、普段の生活ぢゃなくて表現の世界の話やん。スタイルの話やん。古典芸能とかの世界やったら持て囃されるやん。

 改めて、思う。
 不器用は罪なりや?

 世の中不器用だらけになったらちょと困るけどね(笑)。それに芸そのものが不器用ぢゃ話になりまへんな。


花紀京と岡八郎の掛け合い。

2010.05.06

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