「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
”インディーズ”とは何だったのか?




ロゴいろいろ。

 ・・・・・・なーんて、大上段に振りかぶって演説かます気はさらさらないんですよ。でもま〜、当時の熱気の中に多少なりともいた者として、やはりいつか自分なりに振り返ってみたいなぁ、っちゅう気持があったのは事実だ。

 そもそもインディーズ、っちゅうのは和製英語で、最初はそんな呼ばれ方されてなかった。どうだろ?83〜4年頃から急速に広まった言い方ではなかったかな?だから個人的には今でもすごい違和感があって、「自主制作」とか「自主レーベル」、「自主盤」、あるいは正確に「インディペンデントレーベル」っちゅうた方がシックリくる。はいはい、古い野郎なんです、ワタシ。

 そんなんで、これまで書いてきたこととかなり重複する部分もあるが、まぁ年寄りの繰り言と思って読んでくださいな。

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 高校の半ばくらいからキングクリムゾンを聴いたことを転機として、少しづつ難解っちゅうか難儀な音楽に興味が出てきた。それはコードとかメロディ、フレーズやビートといった一般的な音楽のイデオムとは違うところで音楽は出来るんぢゃないか?ってな疑問の萌芽・・・・・・は勿体つけ過ぎで、ほんなんフツーにギターが上達してりゃ、素直に何も考えずその頃大流行のクロスオーバー(その後のフュージョン)とかに流れてったんだろう。ところが、何せナンボ練習しても悔しいことにちょっとも巧くはなりよらんので、こむつかしいノー書き付けてテク以外の部分でバーンとハッタリかませるものを心の底で求めていたのだろうと思う。
 アホみたいだが、今になって冷静に思い返せば要はそぉゆうコトだ。死ぬほどカッコ悪いってことはなんてカッコ悪いっちゅう話(笑)。

 ちょうど相前後して欧米ではパンクムーヴメントの後にニューウェーヴとかオルタナティヴなんて呼ばれる音楽が現れた。取りあえずそぉゆうのをやってる彼等は髪の毛が立ってなかったし、皮ジャンに鋲打ったり安全ピンさしてなかったし、ちょっとタルそうだったり暗そうだったりがパンクほどバカっぽくなかったし、音楽だって単純な3コードのロックンロールでない分、何か考えてそうな雰囲気があった・・・・・・ヒネくれたミーハーもあったモンだ、ったくよぉ〜!(笑)。
 その内に知識だけは増えてきた。完全に耳年増、っちゅうやっちゃね。ソースはB5版の大きさだった頃のフールズメイトと、それをさらにマイナーにしたような阿木譲主催のロックマガジンばっか。どっちも零細で月刊になってなかったような気がする。
 そこに紹介されてる数々の音源は輸入盤屋に行けば手に入るのだろうが、いかんせん金がない。当時は安く音楽を入手できるってコトで既にレンタル屋が広まり始めた時期ではあったが、そんなマイナーなモンどこにも置いてない。メジャー系輸入盤なら当時国内盤が2,500円ほどするのを1,780円とかで買えたので貧しい高校生にはありがたかったが、このマイナーな自主盤とやらは国内盤より遥かに高くてとても手が出せなかったのである。
 ニューウェーヴ/オルタナの流れは日本にも広まり始めていた。カッコつけ過ぎで好きにはなれなかったけど、トーキョーロッカーズなんちゅうてポストパンクな一派が現れ始めてたし、京都・大阪では関西ノーウェーヴとかなんとか、さすが関西と唸らせる過激な動きが出てる。京大西部講堂では夜な夜なワケ分からんライブやってる・・・・・・ちなみにどれも末尾には「らしい」がつく(笑)。ハハハ、全部上記雑誌からの伝聞、受け売りの知識に過ぎなかったワケで。

 レコードの金策に苦労してボヤボヤしてる場合ではない。ここは何としても大学には受かるのが、おれにはその世界にハマる一番の近道だった。受かれば「どや!?」ってなもんで、いい加減うるさく奇妙な親共も黙らざるを得ないだろう。そしてバイトもホイホイできて、自由になる金が懐に入ってレコードも買いまくることができるやおまへんか。逆に受からなければ丸まる1年シーンに乗り遅れて(笑)しまう・・・・・・大袈裟かも知れないけどかなり本気でそう思ってた。それは何だか浪人で勉強漬けになることよりも耐えがたいことにおれには思えた。

 でもその時点では、ぶっちゃけ自主、ってことについて何だかよく分からなかったのが正直なトコだ。まぁ、自費出版みたいなモンやろ?要は自分たちでレコードやらカセットテープ作って売ることなんやろ?くらいのアバウトなことしか分からなかった。しかし、どこ行ったらレコード盤なんてこしらえてくれるんやろ?とすりゃやっぱカセットのダビングか?・・・・・・あ!そもそもおれ、オリジナルの曲あらへんやんか(笑)。

 そんな程度、どこまでも底抜けにアオくてアホだ。

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 大学に入り、堰を切ったようにおれはレコードを買い漁り始める。店員にそのテのが好きなヤツがいたのだろう、大阪・なんばシティの南の端にある新星堂がかなり気合の入ったマニアックな品揃えの上、他店より値付けがちょっと安いことを知って、この店には随分通ったものだ。ここで手に入らない場合は三条の新京極通手前の十字屋、あるいはその近くの雑居ビルの上にあった店なんかにも良く行った。毎月10枚20枚はヘーキで買ってた。ガキのくせして大人買いだ。
 当時はインディペンデント最大手(?)だったラフ・トレードを筆頭に、列挙しても意味ないだろうっちゅうくらいおびただしい数の自主レーベルが存在し、本当にメジャーにはないような面白い音が沢山あった。だから、アッとゆう間におれのレコードの数は膨らんで行った。

 そうしてるうちに「自主」の意味もだんだん分かって来た。レコード作るだけぢゃない。ライブの企画をし、フライヤーを作り、プロモーション活動、作品のディストリビューションに至るまで、つまり音楽活動に関わる一切を自分たちで行うことがインディペンデントなのである。

 けっこう大変そうやなぁ〜、と思うと同時に、チマチマした家内制手工業を感じさせる小銭稼ぎの零細なノリがおれの心の琴線にいたく触れるものがあったのだろう、バンド始めるとほぼ同時におれは自分の下宿の住所で掘っ建てレーベルを作って自分たちの音楽を流通させることを画策したのだった。
 レコードはプレス代が捻出できないので、カセット。15分くらいの生テープが寺町の電気街あたりでバッタ売りされてるの大量に手に入れ、Wカセットのラジカセでシコシコとダビング。音質はもちろん最悪だ。ジャケットはパソコンやワープロなんてまだないもんだから、転写マーカーでチマチマとバンド名や曲名を貼り付け、色んな本の写真をコピーしたものを切り貼りして、それを原紙に大学近くの10円コピー屋で大量に複写してハサミで切ってカセットケースに収めれば、もうそれらしい自主カセットいっちょ上がり。恐ろしく手軽にできた。
 宣伝は最も安価な方法、フールズメイトの「日本の音楽」っちゅう有象無象のマイナーなバンドを紹介するちっこいコーナーにカセット送って紹介してもらうようにした。いや、実はこれ、なかなか掲載されるのも激戦なのだが、その時はヘンな自信・・・・・・つまりは自惚れがあったからとても気楽に考えていた。神さまも時にはバカな若者に優しい。おれたちの音源はすぐに、それも割と好意的に紹介されたのである。

 結果的に1本目だけで300本近く売れたのではなかったかな?意外にハケるのに驚いた。でも、まったく一銭の儲けにもならなかった。プロモーションの一環くらいに位置づけて、送料と上記の原価だけの価格設定にしたからだ。自分の手間賃は含まれてないので実質は赤だ(笑)。切手の入った封筒が届くとフライヤーとカセットを郵送料節約のために一番小さな封筒に押し込んでポストに入れに行く。まことに儲からない内職もあったモンだ(笑)。
 ここで小銭稼ぎでがっついてもしゃぁない、果報は寝て待てで、まぁこうしてやってりゃ〜その内色んなアプローチがあるやろ・・・・・・くらいに思ってたら目論見どおりで本当にだんだんそうなって来た。日本中に同じようなこと考えてるヤツはいたし、この自主制作ブームとほぼ同時並行でミニコミ誌やファンジンっちゅわれるのもまた巷に溢れ返ってたから、結構あちこちからインタビューの申し入れや、コンピレーションへの参加要請なんかもいただいた。おれ達と同じく、どうにもこうにもならない泡沫ばっかだったけど、それも結構楽しかった。なんかもちょっとイケそうな気がしてきた。

 楽器盗まれるわ、バンド空中分解するわで立ち行かなくなるまで、カセットは3〜4種類出した。発送したのは全部で800本くらいか、とにかくしんねりとこのショボさ炸裂の作業は続けられた。バンドが続いてたらレコードとか次のシナリオも自分の中にはあったのだが、何せ当時は今よりはるかに刹那的かつ根気がなかったので、もう楽器パクられただけで完全にどぉでもエエやんけ、ってアナーキーで投げやりな気になってしまってた。勿体ないことをしたものだ。こぉゆうことに必要なのは才能もそりゃあるだろうが、何よりコケの一念的なしぶとさである。その点で決定的におれはダメだった。

 そして国内の状況も変わり始めていた。

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 う〜ん、明確な形を取り始めたのはどの辺からだろ?個人的には宝島のJICC出版あたりが、インディーズを標榜してカセットブックを出したあたりからではないかと思うんだけど、とにかく、大きなマーケットに育った自主市場に対してメジャーが触手を伸ばして来たのだ。
 いやいやいやいや、今になって思えばその始まりはずっと早かった。おれが大学に入った辺りにはもう既に始まっていた。それに気付けなかったおれがアオくてアホなだけである。例えば今一歩ロック系の音楽会社としては弱かった徳間ジャパンがラフトレードの日本盤を引受け、スターリンの「虫」やらあぶらだこの「木盤」を出させた頃からとっくに図式は出来上がりつつあったのだ。まぁ、海外でもサイキックTVがEMIだったかと法外な契約金でデビューしたのも同じ伝だろう。

 要はインディペンデントレーベルっちゅうものをムーヴメントとしての「インディーズ」に祭り上げつつ、メジャーレーベルと契約するまでの登竜門と言えば聞こえは良いが・・・・・・野球でゆうなら「二軍」みたいな位置づけにしてしまった、ってコトだ。本来的に自主レーベルとは商業ベースに乗らないような音を自分たちで新しモノ好きのマニアに向けて売るのだから、メジャーとは対極にあるはずだったのに、何だか気が付いたらキッチリ商業ベースの回路に組み込まれて、ただの手下になっちゃてたのである。
 メジャーは自主の世界が広がることが自分たちの商売にとって不利になるどころか、大きなリスク回避になることに気付いた。そりゃそうだ、無名の新人と契約していろいろ世話してやって、それでアルバムがさっぱり売れなければ巨額の損失になる。ところが、インディーズと称する連中は自分たちでとっくにレコード売ってるのである。売上予測はバッチシだ。全国ライブハウスツアーくらいならやっちゃってるのもいるから、シチめんどくさいドサ周りプロモーションのためのブッキングも不要・・・・・・で、そんな中から人気あるのをチョイスして、どぉせ貧乏暮らしだろうからそこそこの契約金を提示すればホイホイ食いついてくる、と。これなら手堅く儲けることが可能だ。まったくもって仏作って魂入れず、みたいな話ではあるが。

 資本側を責めるような書き方をしたが、もちろんこのような流れの責任はバンド側にも大いにある。自主制作っちゅうスタイルが一般化したから、おれみたくラジカセ一台で誰でも参入できるし、そこに何の規制や法律があるワケでもないので、これを成り上がるためのメソッドとして使うことは一向に構わない。
 そんなこんなで双方の利害は一致した。まぁ、どっちもどっち、ってコトだな。

 しかし、自主制作が元々持ってた面白さは完全に喪われてしまった・・・・・・っちゅうか、どぉ考えたってこりゃメジャー無理っしょぉ〜!みたいな音が狂い咲きのように次々と出てくること自体が減ってしまった・・・・・・う〜ん、それも違うな、マイナーがマイナーの中で細分化して小さなコミューンこしらえて自家中毒起こしてるような閉塞状態がやって来た感じとでも言えばいいだろうか・・・・・・どうも正鵠を射ない表現で歯痒いが、ともかくその時はそんな風に感じた。

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 もう30年近くが経った。今、あんな百鬼夜行のようなグロテスクで猥雑で楽しい世界はどこにあるんだろう?ネットか?DJが板回すクラブか?ゴスパーティーか?芝居か?相変わらず音楽の世界か?

 ・・・・・・答えは実は今のおれにはハッキリもう見えている。面白い「場所」は今だって探せばいくらでもある。そう、あの時だって面白いものは相変わらず面白かった。面白くなくなったのはシーンでも何でもなく・・・・・・おれ自身だった。

 自主制作だろうがメジャーだろうが、それこそ「インディーズ」だろうが、畢竟そんなモンは表現を流布するための方便にすぎない。そんなん気にせずもっとドンドン曲書いて、練習して、コンスタントにライブハウス出てりゃ良かったのである。楽器にしたってどうだっていい、何なら空身でも音楽はやれる。バンドだって極論すれば方便に過ぎない。またメンバー集めりゃいいだけやん。それをあれこれ理屈付けて止してしまったのは、おれの意気地のなさの顕れに他ならない。
 何のかんので性根を据えて一人で状況の中にダイブするのが怖かった。失敗して浪々・敗残の身になることも、しかし、かといってまかり間違って大きな存在になってアンダーコントロールに出来なくなることも、いろんなしがらみができることも、どこかで全て忌避していた。小さな小さなお山の大将でいたかっただけなのだと思う。

 そしてこれを言っちゃミもフタもないが、「インディーズ」とかゆうてメディアにヨイショされて盛り上がってたとはいえ、そこにいたほとんどの大多数はおれと大差ないハンチク極まりない連中だった。ムーヴメントなんて所詮そんなモン・・・・・・で、ムーヴメントからアタマ一つ抜け出してそれなりに残って行くヤツほど、そのムーヴメントなるものには無頓着だったりする。

 ・・・・・・いささか寂しいが、それが”インディーズ”とは何だったのか?へのおれなりの結論だ。


大阪・アンバランスレコードのフライヤー

2009.08.24

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