「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ダブルネックへの憧憬


非常に珍しいリッケンのダブルネック。ちなみに並び方が逆のものは特注でしか存在しない。

 未完の絶筆「ロカ」のモチーフともなった青いアコースティックのダブルネックを、中島らもは実際ひじょうに気に入っていたようで、ライブでも頻繁に弾いていた。変わった形のサウンドホールが空けられた、小ぶりでカッタウェイのついたモデルだ。「Infie」ってルシアーブランド製で、何とあのアルフィーの坂崎幸之助のシグネチャーモデルらしい。どぉゆういきさつで同じものを氏が入手したのかは寡聞にして知らないけど、ともあれ間違いなくおっそろしくいいお値段の非常に凝った造りの逸品だ。

 ダブルネックとはその名の通り、一つのボディからネックが2本生えたギターのことだ。通常は12弦と6弦のギター同士の組み合わせが多いが、ベースとギター、バリトンギターとギター、マンドリンとギターなんて組み合わせもある。何てったって有名なのはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジがライブで「天国への階段」を演るときに弾いてた、テールピースを後ろにずらせたギブソンのワインレッドのEDS1275だろう。あとは同じく1275の白をイーグルスのドン・フェルダーが「ホテル・カリフォルニア」の際に使ってたのも有名。そぉいやラッシュなんて3人バンドでドラム以外の2人ともダブルネックでライブこなしてた時代があったなぁ。一人がEDSでも一人がリッケンバッカー。あまつさえ足許にはペダルムーグ、左手の届くところにはキーボード・・・・・・オマエ等は「くいだおれ」の人形かいっ!?(笑)。個人的にはやっぱマイク・ラザフォードのシェラゴールド製合体ダブルネックがもっとも印象的ですわ。

 トリプルネック以上のものもまれにある。リックニールセンの明らかに「イチビリ」なだけの5本ネックは以前紹介したけど、イエスのクリス・スクワイアのベースや、これまたツェッペリンがライブで「永遠の戦い」かなんかのアコースティックナンバーやるときに使ってたのはいずれもトリプルネック。

 いずれにせよこんな大層なもの、本来的にはライブ専用といっていいだろう。何らかの理由で1曲の中で持ち替えが必要だけど時間がない、とか、単に見かけのハッタリが効いてるとかそんなんだ。そぉいやたしかジャーニーのニール・ショーンはネックがボディの左右に飛び出したトンでもないのを持ってたはずだ。最近ではマイケル・アンジェロやスティーヴ・ヴァイが実際にこのタイプのを弾き倒すので有名。

 しかし、そぉゆうギミックに使うのならともかく、どぉしてもダブルネック以上のものを使わにゃならん状況って一体全体何の理由によるのだろう?ライブならそれ用にアレンジして音を整理するなればいいんだし、なんぼエフェクターが今より少なかった昔とはいえ、レスリースピーカーやフェイザーを駆使すれば12弦ギター的な音は出るワケだし、それにオーディエンスはスタジオ盤の再現なんてライヴにちっとも求めてないんだし・・・・・・何よりプレイヤーにとってもややこしいことこの上ない。
 現に以前見たツェッペリンのライブ映像の中で、ペイジ先生は間違ってギターソロの2小節目くらいまで12弦の歪んでない音のままで弾いて、気づいて慌ててトグルスイッチ切り替えてたもんな(笑)。あ〜、イケてねぇ〜!

 しかしおれは、ダブルネックにひどく惹かれている。いつかは1本(2本?)欲しい。

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 ダブルネックはおれにとって、弦楽器における万能幻想と畸形趣味の顕現なのではないかと思う。

 手は2本なんだから一度に二本のネックは絶対に弾けっこない。ベースの音が出てるとき、ギターの音は誰が出すねん!?12弦ギターのアルペジオをバックにギターソロはどうする!?・・・・・・そんなことは初めから分かってる。それでも、それを抱えれば2つの音が出てきそうな気がするし、何でもやれそうな錯覚(それも幸福な)に陥ることができる。強そうぢゃん!宮元武蔵の二刀流みたいぢゃん!1つより2つ機能がついてた方がエラいやん!ってな感じかな?
 これを万能感の陶酔であり酩酊と言わずして何と言おう?すなわち幻想だ。

 やっぱパンクに転んだとはいえ、出だしがプログレだけあってついつい重装備なモノに目が行ってしまうんやねぇ・・・・・・って、いや、プログレの出だしそのものがおれの心性に起因している。おれは無節操で雑多な「詰め込み」とか「テンコ盛り」が本質的に好きなのだ。よく「オモチャ箱をひっくり返したような」などと形容される、ノンジャンルっちゅうよりはあらゆるテーマがグジャグジャに網羅された状態、そんなのが心地よいのだ.
 これまであまり書いたことはなかったが、おれは料理が実はかなり得意な方だ。そして作るのは居酒屋の一品料理みたいに和洋中何でもありの(もちろん、組み立ては焼き物・揚げ物・蒸し物・生物、魚に肉に、とバランスよくはするけど)ニギヤカさ。
 作る楽曲にしてもそうだ。パンク/オルタナのようなプログレのようなサイケのようなファンクのようなハウス/テクノ/ノイズ/インダストリアルのようなごった煮状態・・・・・・あ、このサイトにしたっておれのそういった傾向が色濃く反映されてる。広く、浅く、脈絡なく、際限なく膨張し続けるコンテンツ。


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 さて、ダブルネックはいわば双頭(正しくは双頸、?)である。人間で言えばシャム双生児みたいなもので、忌憚なく言えばそれは畸形に他ならない。視覚的なインパクトの根本はやはりこの畸形性に負うところが多いように思う・・・・・・と、このような書き方をすると何かとややこしいことになりがちで、で、その防衛線をあーだこーだと張り巡らせると、往々にして言葉尻だけの問題にすり替えられてよけいややこしいことになりがちで、ちょっと書く前からウンザリしてしまうのだけど、おれは昨今のコトバ狩りの風潮にもかなりウンザリしつつ腹も立ててるのでこのまま続ける。

 おれはダブルネックに、一種の「畸形の聖性」みたいなものを看取しているのだ。双頭は畸形であると同時にその異様なルックスゆえの比類なき威厳に満ちた聖性を宿している。それは多面仏を見れば一目瞭然だ。例えば興福寺の阿修羅や琵琶湖周辺に多数の優れた作例の残る十一面観音等々、普通の人間がありえない形に合体することで、その尋常ならざる霊的なパワーを視覚的に表現している(ちなみにこれらを異時同図法で理解しようとするのは間違ってると思う)。それかあらぬか、加持祈祷・法力全開な密教系になるほどにこのテの多面多臂はやたらと多い。
 日本だけではない。皇帝の紋章としての「双頭の鷲」は、ありゃぁドイツやったっけ?やはり、双頭には畸形の聖性がたしかにある。でもまぁ、それもしかしパノフスキーに言わせると、鷲がキョロキョロしてるのを表現してることになるんかな?(笑)

 いずれにせよその異形あればこそ、ある種の畏敬をもってダブルネックをおれは憧れて眺めてしまうのだ。

 この聖性と万能幻想が通底しているのは、今さら申し上げるまでもなかろう。

 余談だが最近は「障害者」のことを「障がい者」と書かねばならんのだそうな。理由は「害」って字面が悪いから、なんだって。プププ(笑)。どこまでもこの国は一部の主義者によってフニャフニャして行きよる。
 アホか!!「害」があってそれが身体に「障ってる」からこそコトバの意味が通るのだ。おれはこの話を聞いて「そんなら『盲』を『めくら』と書けばいいのか?」ってツッコミを入れたくなった。何だかこの手の差別用語、およびそのコトバ狩りに関する議論は、そのくだらなさで、もはやスコラ哲学の域に達してると思うな。

 閑話休題。仏像の喩えを出したけど、そのうち「八面六臂の活躍」も放送禁止用語になったりしてね・・・・・・ああ、オチがついた(笑)。

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 ちなみに悪友のKはモノホンのEDS1275持ってやがる。本人曰く「コタツに座って弾くとアゴがつかえる」のだそうな。あまつさえベラボウに重く、およそ立って弾く気にはなれず、弦交換のめんどくささにいたっては筆舌に尽くしがたい難行だという。

 くそぉ!やっぱ面白そうぢゃねぇか!

 買っちゃおうかな?太棹と細棹がダブルネックになった三味線でも。思えば琵琶のダブルネックも見たことない。それでもいいや♪

 ・・・・・・なーんて。売ってへんか、そんなん。


これだす。ネックにESPのインレイが入ってますな。微妙に非平行なのも凝ってる。

2007.02.14

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