「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
表参道でPUNKでっせ・・・・・・2006.08.10 町田康


当日のセットリスト。何のかんのでミーハーなんで家宝にします。

 単に大阪弁で怒りを歌に載せただけ、って批判的な見方もあるだろうけど、たしかにINU〜町蔵時代から町田の言語感覚には抽んでたものがあったと思う。実を言うとおれはアルバム「メシ喰うな」は、青臭い感じが気になってそれほど好きになれなかったけど、でも、たとえばアルケミーから出されたINU時代のライブ音源、「牛若丸なめとったらどついたるぞ」での、

 -------ハラ立つ奴は殺せ!
      ハラ立つ奴は殴れ!
      カンボジアへ行きたい。
      青空が見たい。

 なーんてくだりを初めて聴いたとき、その積み重ねられるフレーズの、切り返しの鮮やかさや意外性にすごく惹かれた。山崎春美とのユニット「至福団」でも、「何でオマエそんな上手いこと行くのん?」とか「みなで高野山へ行って阿弥陀への道をたどろう」とか、意味不明でパンキッシュなのだけれども、どこかユーモラスな言葉があちこちに散りばめてあって楽しい。「磁石入っててなぁ〜っ!電気仕掛けで音出るんぢゃ!アホンダラッ!!」は何にあったっけ?

 そういやぁ、オーケンこと大槻ケンヂ(あ、この人もミュージシャンから作家に転身したよな)が町田の文庫本のあとがきか何かに書いていたと思うが、昔、大槻が一介のパンクオーディエンスだった頃、ライブハウスの前でタムロってたら、向うから例の爛々としたギョロ眼で町田が歩いて来る。その辺のパンクスが口々に「あ〜!町田や!町田」と騒ぎ始めた。すると町田、

 --------誰がマチダやっっっ!?

 ・・・・・・と一喝。凡百平民パンクスが引きまくったところで、ニヤッと笑って、

 --------わいや!

 で締めたそうな(笑)。一発ギャグかよ。同じネタはライブでもやってて、東京でのライブで「この中になぁ〜、大阪モンが一人おるっ!!誰やっっ!?・・・・・・わいや」ってMC入れたのもあったと思う。

 ともあれ、上のカンボジアもそうだけど、何てーか「ガーッと上げておいて、ストンと落とす感じ」が四半世紀(何てこった!)に亘る彼の変わらぬ芸風だと思う。パンクなのにトボけた笑いが必ずある。

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 ・・・・・・とたらたら書いてはみたが、おれはさほど町田の熱心なリスナーではなかった。

 というのも、言葉に較べて音的にはさほど新鮮味が感じられなかったし、おれが実際にライブで見た姿があまりにどぉしよ〜もなかったからだ。INUではない。フナも解散して、一番プラプラしてた時期だと思う。

 おそらくは83〜4年ごろだったと思うが、ブレイクしたTACOの同志社でのライブにおれは出かけてった。ボーカルが件の山崎でドラムがEP−4の佐藤薫、ギターが同じく好機タツオ、んでもってベースが町田・・・・・・っちゅうても、彼はまったくベースが弾けず、ほとんど突っ立ってるだけでたまにテキトーにボーンボーンとやるだけだった。ホンマ、ビル・ワイマン以下やったね。
 とはいえ、その時のタコは、基本的に佐藤がこしらえたテープループか何かをバックにグジャグジャとノイズを垂れ流し、山崎が痙攣しながら深いエコーのかかった呪文みたいなんをボソボソ言う、ってスタイルだったので、まぁ、町田は立ってるだけでもよかったのだろう。全員、テンションの「テ」の字も感じられない投げやりな演奏だった。

 30分かそこらでライブが終わった。すると町田は客席に向って一言

 -------ロックンロォルゥ〜!
 -------アホォ〜ッ!!

 すかさずそぉ切り返したオーディエンスの呼吸も大したもんだ(笑)。なぜか彼は上機嫌で手を振りながら袖に引っ込んでいったのだが・・・・・・おれの感想は率直なところ、「町田も終わっとるなぁ〜」だった。

 ・・・・・・それからはや20余年、いつのまにやら町田「町蔵」は町田「康」となり、リッパな作家である。芥川賞はじめ川端康成文学賞・谷崎潤一郎賞・萩原朔太郎賞・・・・・・etc、とあまねく国内の文学賞を総ナメにし、もはや「日本を代表する」って形容詞をつけたって構わないだろう。業界筋の陰口で、押しかけ女房の奥さんがものすごいヤリ手であちこちに売り込みまくってる、なんてまことしやかな話を以前チラッと聞いたけど、真偽のほどは知らない。まぁ下衆の勘ぐり・ヤッカミ、っちゅうやっちゃろ、と思う。

 そんな彼のライブがあると言うので出かけていった。って、特に指名買いではなかった。ちょっとクサクサすることがあって、ここは一発ライブでも出かけて安易なカタルシスをゲットしてこましたろかい、と思ってた矢先、久々に覗いた公式ホームページ上で告知を見つけたのだ。

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 夕方になっても熱気の冷めない表参道のライブハウス「FAB」の前には人だかりができつつあった。見る見るうちに増えていく。年齢層バラバラ。俳優も余技でやってるくらいの、文壇イチの男前だけあってか、若い女性の姿もとても多い。昔日のアタマ悪そうな若いパンク兄ちゃんが9割を占めていた時代とは隔世の感がある。
 そのうち開場。小屋の中は狭いが、オールスタンディングなのでどんどん観客は詰め込まれる。目測、ザッと400ってトコだろうか、もうスシ詰め。もっと大きいイス付きのトコにして座らせたれや、ホンマ。
 開演時間が到来しても演奏が始まらないのは、ライブの常とはいえ、もぉちょっとチャッチャと段取り良うできんもんか、と心の中でぼやいてるうちに前座スタート。ヘビメタ漫談だった(笑)。

 そして真打登場。

 ゴチャゴチャ書いても仕方ない。町田はええオッサンになってた。相変わらずの痩身小柄。眼光の鋭さも変わらず、マイクスタンドに体重預けて神経質にその高さを絶えずいじりながら、苦しそうな顔でうつむき加減に一息で歌っては、顔を上げてニヤッと笑う仕草も変わらない。違うのはロン毛になったことくらいだろう。
 いや、もっと違ってることがあった。歌唱力・・・・・・むしろ姿勢と言ってもいいだろう。パンク歌手を自称する割には、元々腹式呼吸でひじょうに明瞭に聞き取りやすく歌うのが特徴だったのだが、まぁ、音程感やノリの点にはいささか難点があったし、MC等に一発芸的な面白さはあっても、根気がない、っちゅうか、気まぐれ、っちゅうか、全体としてだらしなかったのが実態だ。でも、それがパンクだったのだから、まぁ仕方ない。
 それがいやに上達してやんの。マジメになってやんの。加えて、バックの演奏もタイトかつノイジーでフリーキーなかなりのバカテクで、暴れ回ってもアンサンブルの乱れはまったくない。ボーカルとの息も良くあっていた。かなり練習積んだものと思われる。

 今までからは想像もできないバラード的な新曲も交えてバランスよく13曲。お約束のアンコールは、こないだ出たライブ盤にも収められてた「名前の歌」で、最後は丁寧にアタマを下げて引っ込んでいった。ベルトのチェーンが後ろポケットに突っ込まれた金の財布につながってるのが、何だか妙におかしかった。

 もう、サービス精神メチャクチャ旺盛やん、って感じ。かつての「フェイドアウト」や「メシ喰うな」といった、いかにもパンクな名作も冷徹に、ある意味、戯画的なまでに対象化してキッチリ手堅く仕事してはりました。しかし、決してそれをおれは変節とは思わないし、大阪弁ハードロック、として単純に聴くならば、どれもすごく楽しい楽曲群だった。

 20何年経ったのだ。
 不惑も過ぎたのだ。
 町田ももう刹那的な若きパンクのカリスマぢゃないのだ。

 無論、おれも同じく歳を取った。情けないことに、スッカリ中年太りでアタマの薄くなった、地味で冴えないサラリーマンに過ぎない。表参道の駅への階段を下りながら、おれは3時間以上立って、オーディエンスのおしくらまんじゅうに揉まれた疲れ以外の疲れ、を感じて一瞬、よろばったのだった。


附記:
 まさかとは思うが、この数日後、夕方の東京発の「のぞみ」の車内で、タイコのニーチャンらしき人物を見かけた。「そんな偶然あるかよぉ〜」と思って声はかけなかったが、スネアやシンバルを持ってたのでやはり、メンバーだったのかも知れない。
2006.08.30

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