「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
「どらっぐすとぅあ」の記憶

 下宿「K村荘」の主であるNさんは、マイナーの師匠だった。京間の4帖半にズラッと並んだレコード・カセットは、どれも好事家なら一度は聴いてみたいレアな珍品揃いだったのである。
 当時一体、何歳だったのか、何年大学に留年してるのかも良く知らなかったが、ともあれ今より大学生が老けて見えた時代ではあった。定番スタイルと言える、ドテラ+Gパン+長髪には、高校出たてでアオいコト抜かしてるおれ達とは根本的に年期の入り方の違いがあった。「格」とゆーやつだろう。あれが。

 とはいえ、随分気さくな人で、別段威張るわけでもなく、貴重なコレクションをあれやこれやと聴かせて頂いた。

 −−−−「どらっぐすとぅあ」行ってみんか?

 ある日、いつも通りノソッと現れたNさんは、M作の部屋に勝手に上がりこんでゴロゴロしてるおれを誘ってくれたのだった。

 「どらっぐすとぅあ」!!言わずと知れた、京都を代表する超アングラ/マイナー系の伝説的ライヴハウス、っちゅーかフリースペースである。一も二もなくおれは承知したのだったが・・・・・・でも、確か去年か一昨年か、ツブれたんやなかったっけ!?

 −−−−かまへんかまへん、大丈夫!!

 師匠を単車に乗せて向かったのは、千本中立売を入った所にあるゴチャゴチャしたスナック街だった。千中は戦前、祇園と肩を並べていたと言う古い花街だが(水上勉「五番町夕霧楼」の舞台もこの辺)、今は往古の面影も消え、何だか淋しいだけの場末の通りとなっている。その裏路地を東に入った。
 間口一間に満たない小さな店。どうみてもウナギの寝床のカウンターだけのスナックくらいしかない。どーしてこんなんでライヴハウスなのか?不審がる私に構わず、Nさんは扉を開けた。後についたおれは我が目を疑った。百聞は一見にしかず。図解しよう。文章では百年かかっても説明出来ん。

 もう20年以上経ってだいぶ記憶が薄れてきたが、大体以下のような感じだったと思う。



ワードでチャカチャカやったんで雑ですみません・・・・・・・

 つまり、普通の1階分の高さの天井の店内を、無理やり2階にしてあったのである。玄関を開けると、すぐ左側に垂直のハシゴがあって、客は靴脱いで1.5mほど上がり、そのまま這えずって奥に行く。すると広さ2m四方で高さ1.2mくらいの「空間」とゆうか「穴蔵」とゆうか、要は単なる「スキマ」があるのだった。元はそこが演奏するスペースだったと思うが、今は小さなちゃぶ台と電気スタンド、布団が敷きっ放しになっているだけだ。
 ちなみに2階部分は、床といわず壁といわず天井といわず、すべて毛足の長い紫の絨毯で覆われている。

 ここでどんな風に演奏されてたかは、未だもって謎だ。弾き語りの店だって、とゆーか物置だってもう少しは広かろう。しかし、ここで録音されたカセットは自主盤やらカセットでけっこう出回っていた、のいずんずり・仏滅愛好会・耳から回虫etcetc・・・・・・実際に聴いたことはなかったが、流通してたのだから、それなりに演奏もできたのだろう。そういやぁ、非常階段の初めてのライブ(JOJO+頭士)もここで行われたらしい。

 さて、そこには住人がいた。閉店後もそこに居座り続ける「8浪のヤマムラさん」とゆー怪人物である。実は8浪どころかもっと歳食ってんだが、親から勘当以来、ここの店主(?)だというコトだった。ともあれ何だかケッタイである。Nさんとはツーカーの仲のようだった。
 風体は殆ど60年代の人間国宝!腰までの長髪にボロボロのジーンズ、汚ねえTシャツ。もろヒッピー!何とまあフラワーなことか!オマエは「裸のラリーズ」か「灰野敬二」か、今でゆーなら「みうらじゅん」か!?と茶々を入れたくなるオッサンが、その紫のジュータンに囲まれた小部屋の万年床にゴロゴロしてた。どー見てもリリリのラリリ、店名の通りなんだろーなー

 That'sマイナーな怪人2人を相手に、何時間話したことだろう、教わったことだろう。帰る頃はもう真っ暗だった。この1日がそれからのおれの方向を決定付けたと言っても過言ではない。

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 翌年、Nさんは実家の父君の病気とかで、自由気ままな生活もままならず、まともに卒業して郷里の滋賀に帰ってスーパーに勤めることとなった。どらっぐすとぅあもその内、火事かなんかでキレイに無くなってしまったと思う。そういえば、その後おれが千本今出川の寿司屋で配達のバイトを始めた頃には、既に消滅していた気がする。

 「8浪のヤマムラさん」の行方は、残念ながら、知らない。


※附記

 はたして、数回の、それも閉店後の訪問だけで、さほどこの「どらっぐすとぅあ」にハマることもなかったおれに、この伝説の店についてあれこれ書く資格があるのか?という疑問はあるが、ネット上で調べてもほとんど既に情報はなく、JOJO氏や美川氏がエッセー等で若干触れられてるに過ぎない。あの奇妙な空間の記憶を何とかちょっと後世に伝えられれば、と思って本稿はまとめたものである。

Original 1997 Add 2005.07.30

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