「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
超B級からA級へ・・・・・・Genesis


Pガブリエル在籍時のライブショット。かぶってはります!片隅にメロトロンも見えます!

 ジェネシスほどスタイルの変遷を繰り返したバンドも珍しい。

 1stは明らかにカレッジバンドの延長。2nd「Trespass」からPガブリエル在籍最後の6th「The Lambs Lies Down On Broadway」までの純プログレ路線。迷いまくってるとしか思えない「A Trick Of The Tale」から「・・・・・・And Then There Were Three」の3枚。「Duke」以降のポップへの転換。そして誰もいなくなった(笑)、目下ラストアルバムである「Calling All Stations」・・・・・・聴いてない、って(笑)。

 ジェネシスファンのご多分に漏れず、おれもフェバリットは初期の2ndから5thの4枚なのだが、実を言うと、最初に触れた彼らの世界は、「器材重量世界一」をボストンと競ってた(笑)、P・ガブリエル脱退後の70年代中期の頃なのである。ライブアルバムとしては2作目になる「Seconds Out」の辺りで、アルバムジャケットにもなってるバリライトシステムを駆使して、どえらく荘厳なステージングだった時期だ。

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 その昔、NHKに「ヤングミュージックショー」という番組があった。時間は大体30分。土曜日の夕方4時頃からやってたような気がする。内容は、と言うと、最初にタイトルテロップだけ流れて、あとはひたすらミュージシャンのライブをほぼ無編集で淡々と流すだけ。当時としてもシンプルすぎて却って斬新なもので、ビデオなんてまだない時代、外タレのライブに行く金のないガキには、ミュージシャンの動く姿を拝むことが観れる貴重な動画番組だった。
 おれはこの番組のかなり熱心な視聴者だった。KISSの火吹きも、ブラックモアのギター破壊も、要は全部これで体験した(笑)。

 やはりこの番組でおれはジェネシスを初体験したのだった。ナンバーは「Dannce On A Volcano」や「The Lambs 〜 The Musical Box」のメドレーといった、ほぼ「Seconds Out」通り。ステージングもジャケットまんま。
 ボーカルは勿論、フィルコリンズ。「こいつ何タンバリン振ったり、急にタイコ叩いてツインドラムになったりしとんねん!?せわしないやっちゃなぁ〜。」と思ったのを覚えている。そう、その時はまだ、実際メンバーの名前も良く知らなかったのだ。
 しかし、フィルコリンズがせわしないオトコだと思ったおれの直感は、さほど外れてなかったのかもしれない。当時すでに変拍子変態ジャズロックバンド「BrandX」を掛け持ちし、呆れるほどあちこちのアルバムにゲスト参加し、その後はソロアルバムで大成功、今やディズニーのサントラまで手がける八面六臂の活躍の「努力の職人」型ミュージシャンなのだから。ロックミュージシャンがそんなにマメマメしく働いていいんかな?とも思うけど・・・・・・
 番組で強く印象に残ったのはむしろ、M・ラザフォードのギターとベースのWネックである。何だかミョーな形をしてた。後年に到ってそれがシェラゴールドの、コインでネジを外すと一本づつにもできるものだと知ったが、エレキギターが欲しくてたまらん、まだ中学生のガキのおれは「こりゃ〜何でもできて面白そうだな〜」、と思ったもののだった。


ついに画像発見!!

 そろそろ直情径行型のハードロックからややこしい音楽に興味が移り始めていたおれは、そうしてテレビで観たとおりのジャケットの、発売されて間もない上記「Seconds Out」を買った。2枚組みギッシリ。ライブというにはあまりに静謐で整然とした演奏・・・・・・否、もっとハッキリ言うと、ライブアルバムとしてはこれほどライブ感に乏しいアルバムはないように思う。ただ、この作品をダメか?と訊かれたら決してそうとは思わない。思わないけど、「たださぁ〜」って気になるのである。

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 本格的に彼等にハマったのは、もう少し後だったように思う。ちょっと前後がハッキリしないが、キーボードマガジンのスコアに「The Lambs〜」が取り上げられ、それならいっそってことで、おれがメドレーになってる「The Musical Box」をコピーしてたら、友人の誰かが中古盤屋で1973年の「Genesis Live」を買ってきて、その世界にブッ飛んで曲の前半もコピー・・・・・・みたいな流れだったように思う。
 これが同じバンドのライブアルバムか!?っちゅーくらいに「Genesis Live」はごっつかった。分離の悪い8トラで、どえらい音圧で初期の楽曲が5曲くらい収められている。メロトロンが唸り、ハモンドがピポピポ!手数の多いタイコに、チマチマと積み上げられる12弦ギター・・・・・・しかし、曲の複雑でメロディアスな構成にもかかわらず、全体としては何とも「泥臭い」っちゅーか、洗練されてない。いわば、「アク」が強いんですよ。プログレやのに(笑)。
 これは言うまでもなく、ガブリエル先生の個性によるところが全てであろう。考えても見て欲しい。初期の「逆モヒカン」「花びらマスクとマント」「マタンゴみたいなかぶりもの」「何故か足元にバスドラ」、でもってミョーにダミ声のクセに声量の細いボーカル。・・・・・・これってカッコええかぁ?


「GenesisLive」のジャケット表裏


みーんなガブリエル先生。右端がマタンゴ。

 アルバムジャケットにしてもロゴにしてもしかり。冷静に見ると初期のって何だかゴチャゴチャしてて全然垢抜けしてない。
 言っちゃなんだが、こりゃもう「B級バンド」ですわ。カリスマレーベルの二大看板は、ジェネシスとVDGGだったが、今になって客観的に冷静に判断するとどっちも超B級でっせ。

 だがおれはこっちの方にアテられたのだ。どうもやはり、おれの心の琴線に触れるのはB級なんだな。ちなみにVDGGも大好きだ!(笑)。ワンパターンな歌い回しと変拍子、意味もなくブーブー吹き鳴らされるサックス。ハマるでぇ〜♪

 ま、VDGG/P・ハミルのことは横に置いといて、おれはP・ガブリエル在籍時の初期ジェネシスにハマりまくった。それからのアルバム遍歴については、大抵のファンと同じだろうし、書いても仕方ないことだろう。ただ、彼らの特に2枚目から4枚目は、それこそレコードの溝がスリ擦り切れるほどおれは聴きまくった。ほんとにスリ切れちゃ買い直す金ないし困るので、カセットテープに録音して聴いてた(笑)。それでも結局、「Nyrsery Cryme」「Fox Trot」の二枚はオリジナルジャケが欲しくて買い直した(笑)。そんなんだから、今でもおれはほとんどこれらに収められた曲なら歌詞を諳んじることができる。
 それにもう高校生になっていたが、ケッコー色々曲のコピーもした。構成やコード進行はその後バンド活動する時のアレンジに大きな影響を与えていると思う。「Watcher Of The Skies」のペダルノートとかね。

 さて、今でも言われてるのかどうか走らないが、P・ガブリエルの歌は当時、「ささやきボーカル」と評されていた。誰が言い始めたのかは知らない。少なくとも「マトモにジェネシスのアルバムを聴いたことがないヤツ」の評であることは確かだろう。なるほどささやいている箇所もある。でもそれは、一人何役もとっかえひっかえ声色を分けながら(コスチュームも)、芝居がかったを歌っていく途中の一つのスタイルに過ぎない。
 その点で「シアトリカルな」という表現は、まぁ間違ってないと思う。上掲の通り、ちょっとグロテスクだけど。

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 ともあれ、メンバーの中で一人だけ奇天烈な格好して、突出した個性を放っていたガブリエルはんが脱退して、前途を危ぶまれたのも何のその、良くも悪くもジェネシスはだんだんと一般的なポピュラリティを獲得して行く。「Duke」や「Abacab」は正調プログレマニアからは非難轟々だったが、商業的には大成功を収めている。


これはダサい!!(笑)初期メンバーの時代のシングル日本盤

 ぢゃ、ガブリエルはんがマイナーの因果を一人背負っていたのかというとそうでもなくて、まぁソロになってからの「T」〜「U」はいささか中途半端だったものの、「V」で中ヒット。「W」は大ヒット、「So」は超ヒット作となっている。その中からシングルカットされた「スレッジハンマー」は、曲のデキもさることながら、ビデオクリップがクレイアニメを前面に打ち出した恐ろしく凝った内容で、その後の音楽ビデオ制作に多大な影響を与えたのは有名な話だ。ま、あまりに大成功して嫌気がさしたのかその後は極めて寡作になっちゃったけどね。
 ちょっと余談だが、とんねるずの「みなさんのおかげでした」の人気コーナー「食わず嫌い王」(・・・・・・っちゅーかほとんど番組これだけ!!)のバックで流れる尺八の音は、確証はないが「スレッジハンマー」の間奏部分だと思う。

 つまり、袂を別ったことでジェネシス一派はみんなA級になったのだった。みんなでやってるときは全英チャートはともかく、全米チャートなんてありえない状態だったのに! こんなヘンなバンド、ちょっとない。
 しかしおれは逆に、そんな彼等からどんどん離れて行ったのだった。P・ガブリエルも一生懸命聞いたのは「W」までである。

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 最後に、ジェネシスフォロワーを若干取り上げておこう。

 まず、日本代表、「新月」・・・・・・スンマヘン。聴いてまへんねん。何か日本のプログレ、って嫌いでして。キングレコードとかが一時プッシュしてたなぁ〜、YBO2に一時メンバー在籍しなかったっけ?くらいしか知らない。写真で見ると、ドンズバ初期ジェネシス(笑)。

 続いてイギリス代表、「マリリオン」。こいつ達にはちょっと付き合った。
 どっから連れてきたのか往年のプログレ界の名プロデューサー、D・ヒッチコックを引っ張り出してリリースされた33回転12インチシングル(!?)「Maket Square Hero」でデビュー。思わず、ジェネシスがオリジナルメンバーで新作を出したのか!?といぶかしむくらいにソックリ!!特にボーカル!!クリソツ!B面全てを占める「Grendil」なんてほとんど「Supper’s Ready」のパートUだっせ(笑)。
 彼等の欠点は、曲展開があまりにワンパターンだったことだろう。コード進行なんかも大体予想通りになる。変幻万化な曲こそがプログレなのに、ここまでパターン化させるのは却ってむつかしいことかも知れない(笑)。
 何と、フロントアクトであるボーカルのフィッシュが脱退するトコまで忠実にジェネシスの歩みをコピーしたが、そのままどっちも失速したのはエピゴーネンの悲しさだろう(・・・・・・というとちょっと言い過ぎで、残ったメンバーで堅実にアルバムは発表されている)。

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 現在、もはや改めてジェネシスを聴くことはないけれど、それでも無意識にギターで曲の一部を弾いてたり、風呂で一節を歌ってたりすることがある。ちょっと恥ずかしい。何て言えばいいのだろう。おれにとってジェネシスは、ムーブメントにアテられることなく自ら興味を持ってその世界に漬かった最初の、そして自分の10代を象徴するバンドなのだ。


附記
 いわゆる「ライトハンド奏法」、今で言う「タッピング」は、E・ヴァン・ヘイレンが衝撃的なデビューを飾って一般化したが、実はジェネシスのS・ハケットが元祖であるという説がある。オランダ出身のヘイレン君は少年時代にジェネシスのライブを観て、それをさらに工夫したのだ、と。確かに例えば「Firth Of Fifth」のソロで聴かれる長いトリルは、音程からしても右手でタッピングした方が自然な気もするし、信憑性はあるかも知れない。


アンタは猿之助か!?(笑)

2005.03.14

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