「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ノイバウ体験記・・・・・・あるいはKの記憶


1st。必聴!!


後楽園でのライブの模様

 ノイバウテン、正しくはアインシュテュルツェンデノイバウテン、この手の音楽に興味のない人も、その妙に耳に付くバンド名は一度くらい聞いたことがあるかもしれない。その意味は「崩れて行く新しい建物」ってコトらしい。
 何とまぁ、未だに現役、それどころかドイツの音楽シーンではすでに大御所で、TVドキュメンタリーや映画のサントラまで幅広く手がけている模様である。

 ドイツっちゅー国はまことに変な国で、当時としては新しすぎて売れてなかった頃のビートルズがハンブルグのクラブで糊口をしのいでたのは有名な話だし、プログレ輸入すると変質して奇妙な電子音楽やら実験音楽になるし、濃いけど到ってノーマルなフレンチポルノは、ウンコんぐんぐ食ったりする陰惨なビザーレフィルムになったりする(笑)。
 しかして彼等もドーバー海峡渡ってやってきたノイズ/インダストリアルの潮流を、見事に変質させた点で、立派なドイツのバンドと呼んでいいだろう。

 知ってる人はここから下の「・・・・・・」まではトバしてください。別に目新しいことは書きませんから。

 彼等はさまざまな廃材・スクラップ・ジャンク(ガラクタ)を駆使して、リチュアルでパワーあふれる構築的な楽曲をモノしたバンドの嚆矢である。使われる器材は、鉄板・ガスボンベ・鉄パイプ・ポリタンク・スーパーのカート・スプリングコイル・一斗缶・電気ドリル・削岩機・グラインダー・ハンマー・・・・・・etc。楽器も少々入るが、大半はそんなもんばっかしで、ウソかまことか器材は全て現地調達とのことだった。

 とはいえ、決して暴れたりとかのムチャクチャをする訳ではない。ほとんど全ての曲はボーカルナンバーだし、おおむね再現可能なものである。とにかくカッコいい。上に掲げた1stや、R・ハワード、N・ケイブを加えてリリースされたマキシシングルは聴く価値大有り、と断言してもかまわないだろう。
 
 彼等以降、同じように廃材をドンガラガッチャンやるメタルパーカッションのフォロワーが続出したのも、言うまでもない。でも、エピゴーネンが詰まらないのは古今東西普遍的な事実のようで、面白い、っちゅーか聴くに耐えるのは「TestDept」くらいだったけど・・・・・・。恥ずかしいことには、日本にもドイツ語の名前を冠した鉄工所系バンドが現れたりもした。何だったっけ?・・・・・・あ、ツァイトリッヒフェルゲルターとかいったような気がするが・・・・・・ま、おれだって一時はガスボンベを金ヅチでガンガンぶん殴ってたから、同じ穴のむじなだな。いや〜お恥ずかしい。

 さてさて、そんな風にマイナーながら大ブレークしたノイバウテンが、確かセゾングループはWAVEの招聘で初来日したのは、85年頃だったと思う。東京・後楽園ホールと京都は大映太秦撮影所の二回公演で、京都に住んでたおれは当然、太秦の方に友人数名と出かけていった。客はかなりの入り込みで2,000名はいただろう。ホール後方には埃をかぶって打ち捨てられた巨大な「大魔神」。そんな中で演奏は始まった。・・・・・・ん!?

 ・・・・・・もっと凶暴な演奏かと思ってたら、意外なほどおとなしく、まっとうで技巧的な内容に、おれはいささか肩透かしを喰らった。ちゃんとアンコールもやりよったし(笑)。あまりにフツーすぎて不満だったのだろう。終了後、客として来てた山塚アイがステージに上がって、「ハナタラシのヤマツカぢゃぁぁ〜〜〜〜っ!!」とか何とか絶叫して、スタッフに引きずりおろされてた(笑)。非常階段の項でも書いたけど、何だか当時ライブに出かけるとしょっちゅう彼の姿を見たな。他にもおもろい話があるが、それは又別の項に譲ろう。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、たしかその翌日の夜のことだ。夜の10時過ぎに下宿に電話が掛かってきた。出ると、電話の主は、今は亡き舞踏集団「白虎社」のKである。珍しく部屋にいてこの電話を取ったことが、おれの本当のノイバウ体験記の始まりだった。
 おれより2歳年下のKは一種の異常天才だろう。中部地方の山奥の、朝刊が昼ごろ届くような僻地の村に生まれ、県きっての進学校に下宿しながら通い、本人曰く「さして勉強もせず」現役で名門国立大学に通って京都に来たが、住んだ下宿が悪かった。S荘といって、K村荘の次くらいに俺たちがタムロするところに、おぼこい顔して入ってきた。
 そうして、一体何にそこまで感銘を受けたのかは知らないが、白虎社公演を見た翌日、そのままその門を叩いていたのだった。恐るべき行動力である。大学はあっという間に中退してしまった。
 正月に帰省した彼の姿を見て、駅まで迎えに来たトーチャンは怒り狂ったそうだ。そりゃそうだ。村始まって以来の神童が、出て行くときには提灯行列まで出たというのに、冬に戻ってきたら、エスニックな襤褸をまとったスキンヘッドの眉毛なしですよ(笑)。何でも正月の間中、家の一室に閉じ込められて改心を迫られ、彼が頑として言うことを聞かないので、そのまま最初に待ち合わせた県庁所在地の駅まで捨てに来られて勘当されたそうな(笑)。
 そんなKのうれしそうな声が受話器の向こうに聞こえる。

 ------もしもしノイバウテン、行きました?
 ------ああ、昨日行ったで
 ------好きなんですよね?
 ------そら好きやから行ったんやんけ!
 ------・・・・・・サイン、欲しくないっすか?
 ------えっ・・・・・・!?アイツ等の!?欲しい欲しい!
 ------うん。メンバーにも会えますよ。
 ------え〜っ!?ホンマ!?それ?
 ------いやね、アイツ等のビデオ撮影に俺たち(白虎社)参加することなったんですよ。
 ------ほぉほぉ!
 ------で、俺ちょっと出前に出てて合流するの遅れたんで、撮影場所までバイクで乗っけてって欲しいんですよ。いや、金はちゃんと払いますから。
 ------分かった!!送ったる。どこまでや?
 ------・・・・・・・東京。

 冗談のようだが、これは全く脚色なしの真実である。ちなみに「出前」とは、舞踏で食えないのでサイドビジネスでやってたストリップ劇場での金粉ショウのことだ。ともあれ行きがかり上、仕方なくおれは送って行くことになり、およそ1時間後には、当時の愛車GPz400Fの後ろに、何だかワケの分からないステージの小道具をけさがけに担いだKを乗せて、深夜の国道1号線を東に向けて走っていた。単車の二人乗りでは高速にも乗れない。ちなみに有料バイパスにも乗れない。道行きは最悪だ。オマケに雨まで降り出した。
 
 覚えているのは夜明け間近の浜松で、アサリ汁の朝飯食ったことくらいだ。とにかく夜の1国はおっかなった。誰も赤信号で止まりなんかしない。バイクは航続距離が短いので給油が何度か必要だったが、いったんGSに入ると、国道に戻るのは死ぬる思いだった。雨はだんだん激しくなり、ズブ濡れでカラダも冷え切ったおれ達はついに三島で単車を捨てた。
 そこから東海道線に乗り、小田原で乗り換え小田急で新宿に出たときはラッシュアワーの真っ只中である。ここでおれ達は不思議な体験をした。疲労困憊、フラフラで改札を出たところで、雑踏の中、見知らぬ初老のサラリーマンとおぼしきオッサンにに声を掛けられたのである。

 ------きみ!きみ!そのカバンから出てるものは何だね?
 ------はぁ!?何って、これ尻尾です。
 ------何の尻尾だね?
 ------ワニです。
 ------そうか・・・・・・・これはワニか・・・・・・
 ------はい。
 ------いやぁ・・・・・・・これはいい尻尾だね。実にいいよ。いい尻尾だ。
 ------・・・・・・あ、ありがとうございます。
 ------ぢゃ、頑張ってね。

 「尻尾」というのは他でもない、Kがけさがけに担いだずだ袋のようなカバンからはみ出してた「庭ボウキにぼろきれを巻きつけたもの」のことなのであった。あのオッサンはなんだったんだろう?何かの神様だったのかも知れない。厄病神かな?

 ・・・・・・ともあれ大変な艱難辛苦の道のりの果て、おれ達は撮影場所に到着したのだった。巨大な工事現場。それはのちに億ションとして名を馳せることになる広尾ガーデンヒルズであったことを後年になって知った。まだ打ちっぱなしのコンクリートの壁と剥き出しの鉄骨だらけ。床に様々な機材が散乱する中で、すでに撮影は始まっている。おれはカットの合間に、メンバーにサインをねだろうとした。
 しかし、だ。ブリクサには水上はるこだかなんだか、どっかで顔写真見た記憶のある女性音楽評論家と通訳がベッタリ貼り付いてる。FMアインハイトはチョー機嫌悪そう。ボルジヒはガキであっちこっち楽しそうにチョロチョロ走り回って捕まらん。おれは好人物そうな、NUウンルーとマークチャンに狙いを定めた。

 あ!大事なことをおれは忘れてた!!おれは英語もロクに話せんが、ましてやドイツ語なんざ全く話せん!!うう!

 「さいんぷりぃ〜ず」とか何とかマヌケな片言英語で、おれはTシャツを脱いで、その辺にあったマジックと鉛筆を手渡した。思ったとおりこの二人は温厚な好人物で、トレードマークの目玉オヤジロゴをあーだこーだ言いながら一生懸命書いてくれた。それから通じてるのかどうか良く分からんが、京都でのライブの印象や器材についていろいろ話した。
 チャンさんはかなりプロフェッショナルなミュージシャンって印象だったが、ウンルーさんは根っからのジャンクマニアで、ガラクタのことをいくらでも話したそうだった。

 これでおれの用は終わったのだが、実に何とも帰りの路銀がない。白虎の連中は撮影に没頭してて、とても金のコトを持ち出せる雰囲気ではない。くっついておらざるを得ない。一睡もしてないので眠いことこの上ないのだが、何せ建設現場、休めるところなんかどこにもないし、撮影現場というのはとにかく鉄火場のような慌しさで、部外者のおれでさえボーッとしてるのは何だか申し訳ないような雰囲気だ。
 いつしかワケが分からないまま、おれはパシリのようなことに使われてた。

 ------次のシーン、金ダライ背負って走りますから、たらいの中の爆竹に火ぃ点けてください。
 ------はい。
 ------花火持って群舞です。花火ください〜。
 ------あ〜はいはい。花火っすね〜。
 ------金粉どこですか〜!?
 ------これですかぁ?

 Kの手がちょっと空いたのを見計らって、おれはかなり怒って、声を掛けた。

 ------おい!いつんなったら撮影終わるねん。金!!金わい!?おれゼニない、っちゅーたやろーが!
 ------いや〜、それがだいぶ遅れてるみたいなんですよぉ、撮影。それと・・・・・・金は旅館においてあるみたいっす。
 ------なにぃ!?ほたらおれは、ズ〜ッとこないしてなアカン、っちゅーコトかい!?
 ------はぁ・・・・・・すんません。

 非常識で失礼なヤツだが、何とも不思議な磁力が彼には備わってて、スキンヘッドで眉毛なし、あまつさえ白塗りの不気味な顔で上目遣いに神妙にしてると妙に憎めない。おれは怒る気が失せた。
 
 撮影は一向に終わる気配がない。何度も何度も「ハァ〜バメ〜ンシュ♪ハァ〜バメ〜ンシュ♪」ってテープが再生されて響き渡り、同じようなカットが積み重ねられていた。監督は当時「爆裂都市」で有名になりつつあった石井聡互、ってコトだったが、スタッフはワンサカいてどれがその人やらよく分からなかった。気づくとすでに夜中の2時。もう一昼夜半、一睡もしてないことになる。おまけにえらく冷え込んできた。当たり前だ。ここは建設現場なんだもんな。

 意識朦朧としたまま、ようやく明け方に撮影は終わり、一行はマイクロバスに乗り込んだ。おれも仕方なく後ろにくっついて行った。やっと眠れる。シートに座ったとたん、意識は遠のいた。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ガーン!!
 何やねんココ!?

 どれくらいバスに乗ってたのか良く分からないが、目覚めておれは仰天した。そこは旅館の前ではなく、川っぺりの何だか荒れ果てた廃工場の前だったのである。何と、次の、撮影現場だった。

 もう詳しく書きたくもないし、だいいち記憶が錯綜しててよく分からない。京都公演でも何曲か使用されたブリクサの赤いエレキギターが隅っこに投げ出されてあり、そのケースにフライトの手荷物シールがベタベタ貼ってあって、必ずしも全部の器材が現地調達ではないんやなぁ、と思ったことだけは何故か鮮明に覚えてる。このワリのまったく合わない仕事に対する、せめてもの報酬にパクってやろうかと一瞬思ったが、単車には積めない大きさだし、そもそもそこまで隠し持って行けないので諦めた。
 とにかく撮影はそのまま翌朝まで続いた。金ダライの爆竹も、あるいはこの日だったかもしれないが、記憶はグチャグチャだ。

 不眠不休の二昼夜半が終わり、白虎の一行とともに宿に着いたのは朝の7時頃だったと思う。全員、異様な風体のまま昼頃まで仮眠を取り、そうして折り詰めの弁当を食べた。風呂も入った。

 ------あなたがKをここまで送ってきて下さったんですね。

 そう話し掛けてきたのは名前は忘れたが、大須賀・蛭田に続くそこのナンバー3くらいの人だったと思う。穏やかな風貌・口調のやさしいオニーサンといった感じだ。

 ------はい。
 ------そうですか・・・・・バイクで来られたとKから聞いたんですが、どうなさいました?
 ------いや、雨でもう寒くて寒くて三島の駅前に乗り捨ててきました。
 ------三島!?沼津の近くの三島ですか?
 ------はい。
 ------・・・・・・そうだったんですか・・・・・・本当に申し訳ありませんでした。
 ------いえ・・・・・・

 彼は財布を取り出した。やった〜!!どれほどこの瞬間を待ったことか!!

 ------これ全然足りないと思うんですけど、取っといてください・・・・・というか私たちも正直、貧乏所帯なんでごめんなさい。貸す、ってコトにしときます。

 おいおいおいおい〜!!これだけメチャクチャ拘束されてボランティアかよぉ!おれは何しに東京までやってきたんだ!?一気に疲れが噴き出した気がする・・・・・・渡された金を見ると三万円。うくく。オマケにKの野郎、みんなといっしょに新幹線で帰ると言う。このボケ!おめぇだけはヒッチハイクでもして帰りやがれ!何だか怒りが猛然と甦ってきた。

 怒ろうが何しようが、おれはしかし単車で帰らなくちゃならない。世界一のアホだ。ひとり三島で新幹線を降り、駅前の薬局で眠気覚ましのアンプルを2本買って一気飲みし、眠らないように大声で歌いながら、東名・名神を乗り継いでやっとの思いで京都に帰ったのだった。歌ってたのは何故かノイバウではなかった。
 シャブならともかく濃縮無水カフェインではさほどの効果は期待できない。途中、何度も意識が遠のき、パッシングに我に返ると大きく蛇行していたり、とずいぶん怖い思いをした。高速代・ガス代をさっぴくと、手許にナンボも金が残らなかったことは言うまでもない。おれは、土埃に汚れたままのTシャツを下宿の部屋の壁に飾った。

 ・・・・・・ほどなくしてその時のビデオは「半分人間」ってタイトルで売り出され、特殊なジャンルのミュージッククリップとしては、かなりの売れ行きとなった。見てみたら、結構カッコよかった。今でも家のどこかにダビングしたのがあるはずだ。


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 あれから20年経った。

 ノイバウテンが今や本国で大御所なのは、冒頭に書いた通りである。赤いエレキはその後、「ベルリン天使の詩」だったかな?Nケイブ&バッドシーズのライブのシーンがあって、ブリクサが弾いてるのが一瞬写るのを見た。大事にしてるんやんか(笑)。白虎社は90年代半ば、誰やらの追悼公演を最後に解散してすでにない。Kは震災のあとに一度再会してそれっきりだが、その後もソロで舞踏を続けているようだ。広尾には白亜の大マンションが建った。廃工場は今でもロケ地に使われてるらしく、アクションもののドラマとかでたまに似たような景色を見かけることがある。そして、当然ながら、おれはあの時の三万円を返してはいない。一生返すツモリもないけれど。


怒りモードの大魔神

2005.02.02

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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