「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
我、B級ギターを偏愛す(T)・・・・・・Fresherの巻


偶然見つけた画像、恐らく33,000円のモデル

 今の職場の近くには某有名楽器店があって、昼休みとか、タマにのぞきに行く。色とりどりのギターがズラッと並べられているのは見ているだけで楽しい。
 実は楽器、ことにギターっちゅーのはタマゴといっしょで物価の優等生で、この数十年、全く値段が変わっていない。それどころかむしろどんどん安くなっている。NCルーター旋盤の進歩のオカゲである。本家ギブソンとかフェンダーだってスタンダードモデルだと10万円切ってるのがザラで、こんなんおれが中学の頃には想像もつかなかったことだ。ま、ツクリは大したことないけど。
 逆に言えば、昔は相対的にムッチャクチャに高いものだったのだ。それが証拠にバーチャンか誰かの見舞いに行くのに、おが屑に埋めてカゴ盛りになったタマゴを持ってったコトがあるもんな・・・・・・あ、タマゴの話ぢゃなかった。
 
 これは過去に何度も書いてきたのだけれども、おれはパチモンとかフェイクなモノが好きだ。その理由にはいくつかあるのだけれども、一つには楽器、とりわけギターがある。そりゃ〜年端もいかぬ少年の頃はおれだって欲しかったさ、本家のヤツがよぉ。でも、買えるワケあらへんやんか。あの頃30万円前後しててんで!!それらが買えなかったルサンチマンがバッタモン好きの深層には確かにあると思う。

 さて、それから幾星霜、おれだって生意気ながら買おうと思えばギブソンでもフェンダーでも買えるくらいの所得はある。でも、何だかソソられんのだよ、これが。理由は実に簡単で、「値段の割にも一つ良くない」からだ。こんなもんにいい値段出すのは勿体なくって仕方ない。ま、50〜60万出せばそれなりのものも買えるのだろうけど、そもそもおれにはそれに見合ったテクも、耳もない。
 そう、ある程度以上になると、おれには音の違いが良く分からない。要はチューニングがカチッと合って、フレットがビビッたりせず、サスティンがある程度効けば何でもええのである。

 それにそう!思うんだよ。店でメサブギーとかいいアンプにつながしてもらって、ガッキョ〜ン、とか弾くと実はちょっとガッカリする。あの頃のコピーモンの方が絶対いい音してたよな〜、って。あの頃とはおれがギターに目覚めて必死こいて練習してた頃だ。

 これはあながち間違いではない。おれがギターキッズだった70年代後半から80年代前半、これは日本のエレキギターの水準が爛熟期を迎えた頃と重なっている。その頃のグレコ・トーカイ・フェルナンデスのコピー御三家の完成度は、無意味なまでに凄まじかった。材質やフォルムは当然、内部のザグリも当然、そんなん言うまでもない。あろうことかピックガード止めるネジのネジ山のピッチはおろか、ネジ山の高さ、材質までコピーしてたのだ!!これってちょっとおかしいよね?
 その後、急速にこのブームが凋落したのも、ひとえに完成度が高すぎることにあったと言われている。本家が訴えたろか!?コラァ!?と脅してきたらしい。

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 でも、今回触れるのはそんな高度なヤツではない。おれが初めてエレキ、ってモノに興味を持った中学生の頃、ちょっと頑張ってお年玉貯めれば何とか買えた、愛すべきビギナーズブランド、「Fresher(フレッシャー)」についてである。

 フレッシャーというと、「あ〜あのベニヤ板で中身スカスカの!」とかワケ知り顔で言う人がいるが、実はこのブランド、70年代初めはいざ知らず、70年代中期くらいからは材こそラワンとかナトーとかシナとかあまりロクでもないもの使ってたけど、構造そのものはかなり本格的にシッカリ作り込んだ良心的なブランドだった。スケールやフレットだって二光の通販とかメチャクチャなものも多く流通して、「マトモに合っていないのが当たり前」の時代に、かなりキチンと採寸されたモノだったのだ。
 それにラインナップがすごかった。定価28,000円で最安だった、当時人気絶頂だったチャーのムスタングのコピーモンは現物が入手できなかったのか、ちょっと形がヘンだったけど、あとのはかなりリアルにコピーしてる上に、マローダーとかリッケン#4001とかファイヤーバードとか、ちょっとマニア心をくすぐるモノまで揃っていたのである。とはいえ、どれもこれもネックはデタッチャブルだったけどね(笑)。リッケンとかあんなネックの仕込みでよく持ちこたえることが出来たものだ。
 
 今でも、空色の表紙のカタログの隅っこにあった豆知識欄を思い出す。それは「ベースのオクターブチェックはキチンとしよう」というもので、ベースのように音域が低いものは、その辺が正しく合ってないと、音を二つ以上鳴らしたときにアンプのスピーカーコーンがトブよ!!ってなことが書かれてあった。つまりはそれだけ、きちんとチューニングが合うってことだったのだろうと思う。大したものだ。

 まだオールドブーム以前だったので、ストラトならラージヘッドだったし、レスポールはスタンダードよりもカスタムのコピーが多かった記憶がある。レスポールには3ピックアップモデルもチャーンとあって、律儀なことにカバーつきのハムバッキングを並べてあった(ひょっとしたら中がPAFとは似ても似つかないので外せなかったのかも知れないが・・・・・・)。1.5流ギターの代表のテレキャスやSGのコピーも無論あった。シブいねぇ。こうして思い出してみるとオーソドックスな型で廉価版を作ってたことが良く分かる。

 そんなチープなくせに妙に手堅かったこのブランド最大の怪作は、やはり何といっても「エフェクター内蔵ギター」と「竜の彫刻入り漆塗りギター」だろう。
 前者には確か、ストラトとレスポール、そして何故かファイヤーバードのシェイプの3機種があって、入ってるエフェクターは確か5種類。何だったっけなぁ・・・・・・コンプ・ディストーション・フェイザー・オートワウと・・・・・・あとひとつが思い出せない!ブースターだったかもしれない。まだ空間系エフェクターが一般化する前だったので、ま、それほど大した物は入ってなかったような気がする。
 かくして、狭いボディの表面にそんなけエフェクターを並べたもんだから、BCリッチもタマゲるツマミの数!!どれがどれやらサッパリ分からんくらいギッシリ並んでいたし、ON/OFFはミニトグルスイッチでやるもんだから、実際はやはり別に買って足元に並べて踏んだ方が速かったんではないかと思う。まぁ、ポリスのアンディ・サマーズがピートコーニッシュ特製のエフェクターボード持って来日する数年前のことではあった。
 もう一つはストラトタイプで、ボディに見事な竜の彫り物の入ったギター。何だか「欄間」とか「霊柩車」を連想させるバッドテイストな一品であったが、肝心の木はナトーとかの安っぽいものだったと記憶がある。
 いずれも当時の定価は、おれの記憶が確かなら6万円。一体全体、何本売れたのだろう。
 
 その後のオールドブームの中でもフレッシャーはかなり頑張った。ロゴを、フェンダーが勘亭流になったようなヘンテコな筆記体から、ブロック体っぽいスマートなデザインに変え、定価もそれまでの3万円台前半主体から、4万円台後半に引き上げた。その代わり、スペック(特に木)を良くして巻き返しを図ろうとしたのだが、時すでに遅し、若者はそれなりに小金を持つようになっていたし、件のグレコ・トーカイ・フェルナンデスのコピー御三家の怒濤のラインナップの前に、それまで培われたブランドイメージはあまりに悪く、あえなく消滅していったのだった。
 ともあれ、この末期のフレッシャーはかなり出来がいいので、見つけたら買ってソンはないと思う。

 ちなみに、このブランドを扱っていたのは「共和商会」というところなのだが、どうもここの一統は、いいものなのにも一つサエないブランドが多いのが特徴で、コピーブーム前夜にホンモノのドンズバコピーを目指し、あえなく沈没した薄幸の「Camel」だとか、それの後継でアイテムを絞り込んで木にこだわりまくった「Argus」とか、知らない人には初耳のブランドが多いだろう。
 現在も、「タカミネ」が唯一メジャーな以外は、ダンエレクトロの復刻とか、キャパリソンとか、近年スッカリ地味になったBCリッチ(お!このページで二度目の登場だ)とか、イマイチ垢抜けしない印象が強い。ダンエレクトロなんかは個人的に大好きだけどね。

 最後に、このフレッシャーに純正で張られていた弦についても触れておこう。それは「ロンドネア」ってブランドのもので、今はもう全く見かけなくなってしまった。ネットで色々探したけどほとんど何もデータが見つからない。
 殊に、ベースに張られていた弦は忘れがたい。黒いナイロンだかプラスチックだかのフラットワウンドで、ものすごく見た目が異様だった。まるで黒い毛糸。近年フェンダーで同様のものが発売になるまでは、ずいぶん長い間見ることのなかった珍品である。フラットワウンドは今でこそ、ジャズ系専門みたいに思われてるが、沈み込む音が求められたハードロック全盛の時代は、むしろラウンドワウンドの方がマイナーだったのだ。
 実のところ、ラウンドワウンドは、ジャコ・パストリアスの超絶指引きやスタンリー・クラークのド派手なチョッパー(スラップのコトね)が人気を博してから一般化したものなので、こうして考えると、ラウンドワウンドの方がよっぽどジャズ系やんけ!って思う。
 あともう一つ、このロンドネアには、実に「007」というギター弦のセットがあった。「008」でもフニャフニャでチューニングが合わないこと甚だしいのに、「007」!!まさかロンドネア⇒ロンドン⇒イギリス⇒ジェームスボンド、で007でもあるまい、とは思うが、一度も試すことのないままいつしか消えてしまったのが残念である。確か、6弦は「032」だったと思う。昨今のダウンチューニングのベロベロよりもっとベロベロだったことだろう。

 さて、フレッシャー。昭和40年代後半から50年代にかけて、エレキに目覚めた日本の少年達を下支えしてきた点で、立派な意義を持っていた、とおれは思う。そういや、中学のときの悪友S口君も白のレスポールカスタムもどきを買いこんで、YAZAWA、なんてコピーしてたよな〜!!サッパリ上達しよらんかったけどさ(笑)。
 でも、あまりにチープ、あまりにB級過ぎたためか、未だにマトモに取り扱われることのない可哀想なブランドである。悔しい思いでネットを散策してたらありました!!

     「平七とフレッシャー」http://sk.aitai.ne.jp/~luesan/

 ここの「フレッシャーへのオマージュ」とも言えるギャラリーは圧巻である。そしておれはこのページを見て、一つ一つを思い出しながら何だか少し泣けたのだった。

2004.11.15

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