「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
オトコの汗だぜ!汁だぜ!〜〜DAFについて〜〜


「Alles ist Gut」ジャケット

 どや!?見てみぃ!この濃さ!!めっちゃ体臭強そうやろ!?カラダもテカッてるし。
 それにどや!?このものごっつスケベな流し目にハードゲイ丸出しの刈り上げ!!服も当然ピッチリモッコシの革ジャン!!
 誰!?ってガビでんがな!ガビ・デルガド!DAFのボーカル。声もスケベやで〜♪

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 ・・・・・・かつてドイツのロックは「ハンマービート」などと呼ばれてもてはやされたものだが、その立役者がプロデューサー、コニー・プランクっちゅーヘビースモーカーのオッサンだった。タバコが過ぎて肺ガンで80年代半ば過ぎに死んでしまうが、その彼がプロデュースしたバンドで最も成功したのがDAFだったと思う。

 存命中は知る人ぞ知るってオッサンだったが、その後やってきたテクノ・ハウス・トランスといった電子舞踊音楽のムーブメントの中で多くのミュージシャン・DJが彼へのリスペクトを口にし、その名前は今や神格化されている・・・・・・とまで言ったらちょとホメ過ぎか(笑)。
 同時代に一世を風靡した名プロデューサー、スティーブ・リリホワイトがディレイ+リミッターで拵えたサスティンのない人工的なドラム音をウリにしてたのに対し、彼の音作りは生々しさが身上だった。あと、ルーツは恐らくMiniMoogだろう、チューバ風の金管楽器系のベース音。プヨンプヨンしてる。
 それらを駆使して、テクノなのに不思議に人間くさい、っちゅーか人力の香りがする名作をものしていたのである。

 ・・・・・・でDAFである。

 どいちぇあめりかにっしぇふろいんとしゃふと(ドイツアメリカ友好同盟)、なんちゅー人を食ったバンド名で活動を開始したのは70年代終わり。初期は「シンセがワキャワキャいってるPUNK」って雰囲気の今ひとつアカ抜けない音だったが、メンバーが一人抜け二人抜けし、上のガビと太鼓のRゲールの二人だけになって奇跡のホモパワーが炸裂したのか、彼等は件のコニープランクの協力の下、アホみたいに素晴らしくシンプルで肉体の躍動感溢れる傑作アルバムを三枚リリースし、そして解散した。

 何せボーカルと太鼓しかメンバーがいない。後は機械にやらせるしかない・・・・・・・とはいえビンボだし機材もそんなにないんで、シンプルなベースパターンをテープに録音し、それに合わせて太鼓をたたいて歌う、というこれ以上スカスカな音はないだろう、ってトコまで切り詰めたスタイルを確立したのである。
 実際、床にラジカセを置いてライブやってる写真、ッちゅーのがあった。

 たしかに、今のデジタル機器がふんだんに揃う時代とは異なり、当時はシーケンサ買うのも使うのも大ごとだった。一台で8音とかしか登録できなくて、それより長いフレーズを登録するとなると、何台もシーケンサーをつなげなくてはならなかったのだから。
 そんなゼータク、彼らにできる余裕があったとは到底思えない。

 ・・・・・・てなワケで、どの曲もせいぜい16音程度までの短いシーケンスパターンの繰り返し!!和音なんて当然なしの単音。それにこれまたオカズの少ないキックとスネアとシンバル1〜2枚だけの超シンプルな太鼓(恐らくむつかしいパタンは叩けなかったのではなかろうか?16ビートとかもないし)。後は若干の効果音。マジでこれだけだっせ。
 これにガビの「耳元で喘いでよがってるような」ボーカルが加わる・・・・・アッ、アアッ、アアンッ、アウッみたいな。オトコのやで(笑)。

 ともあれ、かくまで潔いシンプルさ、汗臭くも精液臭いナマナマしさ、スピード感!!・・・・・・もしアナタがダンスミュージック好きでDAFを体験したことがないのなら、今すぐ輸入版の揃うCD屋に走れ。そして買え。今は三枚抱き合わせ盤で出てたはずだ。でも聴くのは”Alles ist Gut”だけでジューブンだ。そして、踊れ!踊って踊って踊りまくれ!さらにアナタがホモなら、踊りながら、相手の耳を舐めながら掘りまくれ!

 何故彼らがメジャーシーンに躍り出て、僅か三枚のアルバムで解散したのか?痴話ゲンカが原因だとかなんとか言われるが、事実のほどはどうなのだろう?オレとしては「曲のネタが尽きた」のが正解ではないか、と思っている。

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 比較的リアルタイムなおれのハンマービート体験は、この後に出てきた「TRIO」あたりで終わる。彼らについてもちょっと書いておこう。名前の通り、メンツは3人。ボーカルとギターとドラム。おい!ベースはどないしてん!?ってカンジ。
 彼等はDAF以上にアホみたいだったし、シンプルだった。しかし、惜しいことに決して素晴らしくはなかった。「ライブ当日までベースが確保できないまま、勢いで文化祭に出演した高校生バンド」みたいなショボ〜い雰囲気があった。
 歌詞もほとんど掛け声みたいなんばっかし!「Ja!Ja!Ja!」とか「Da!Da!Da!」とか「Bum!Bum!」とかさ。も〜アホを通り越して白痴的だったよなぁ。ま、ハンマービートのキワモノだった気がする。

 もう一つ、大阪で活動したDAFのモロコピーバンド「XOYO」についてもちょっと書いておこう(バンド名はRoughTradeの傑作コンピレーションアルバム”Pirrows&Prayers”に収められてた曲から採られている)。編成も演奏スタイルも全く同じ。異なってたのは、服装とボーカルがギターを抱えてたことくらいだろう。ハナタラシやアマリリスと「パイロマニア」なる集団を作っていて、何となく怖い人達、って印象があったが、いつだったか対バンで一緒になったらホントに気さくないい人達だった。
 おれはコピーバンドとかは原則キライだが、彼等は別格であろう。本家DAFが曲のネタが尽きた後に現れ、同じような曲調でカッコええ新曲をいくつもいくつも作ったのだから。

 さらにもう一つ。DAFをスピンアウトした連中が結成した「リエゾンダンジュルース(綴り方忘れた)」、これもメッチャクチャかっこいい。モノクロジャケットでネーチャンが踊るジャケットの1stは必聴でっせ〜!(2nd出たんかな?)
 こないだディスクユニオンに行ったら、ナゼか平積みで売られてた。20年も前のマイナーアルバムなので驚いた。

 DAFに戻ろう。82年に彼等は解散して、割とすぐに再結成もして、アルバムを一枚出しているが、これがもー全然どぉでもいいような箸にも棒にもかからない駄作に終わって、すぐに再解散している。小遣い稼ぎだったのかも知れない。
 で、またその後さらに懲りずに再々結成し(HPもある”http://www.daf.ag/”意外にカッコいいよん)、何と昨年、埼玉アリーナで行われた石野卓球主催のテクノイベント「WIRE03」にも出演している。でも、スッカリ初老の皺だらけのオヤジになった二人なんてど〜でもいい。

 82年の西部講堂来日公演が解散でポシャッたん、オレはホンマあの時悔しかった!と、それだけ最後に書いて終わりにしたい。

2004.10.03

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