「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ヒジョーカイダンッ!!


「蔵六の奇病」ジャケット

 音楽ネタの最初は何にしようかと思ったが、ま、息長くホームページを続けられればなぁ、なーんて思ってるので、「継続は力なり」を実践し続ける彼等について書いてみることにしよう。
 あ!息が長いってコトでは「裸のラリーズ」でもよかったかな(笑)

 ”King of Noise”としてはや25年、先日は結成25周年ベストアルバムまで出してますます意気軒昂なJOJO広重率いる「非常階段」であるが、最初はスキャンダラスなとんでもないライブアクトばかりが喧伝されていた。
 曰く、「機材をグジャグジャに壊す」「吐きまくる」「女の子がオシッコする」「納豆やら生魚やら生レバーをぶちまけてその中でのた打ち回る」「消火器をぶちまける」等々・・・・・・噂でも何でもなく、みんなホンマの話である。
 その辺のメチャクチャな状況については、444枚限定LPで出されてその後CD化されたアルバム「蔵六の奇病」の中ジャケ写真や、今回出されたベスト盤の付録DVDでもうかがい知ることができる。

 ・・・・・・とまぁ、ヴィジュアル面ばかりで音はさほど語られることはなかった。そりゃそうだ。音については語りようがないんだもん。ひたすら即興の轟音、それも比較的低音が薄くキーキーピーピーガーガーキャーキャーした高周波が多い、つまりは雑音なんだもん。何風でもない。しいて言うなら、最初期の音にはちょっとFAUSTを思わせる単調なベースパターンをバックにしたものがあったり、「VIVA ANGEL」辺りで若干構築的な方向性が示された程度で、あとはほぼ一貫してキーキーピーピーガーガーキャーキャーである。

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 最初に彼等のライブを観たのはいつごろだろう?多分、初期の過激路線がメンバーの大学卒業等で(笑)解体した、ベスト盤のライナーノーツにある、JOJO本人の解説に従えば第三期だと思う。場所は、おれもたまに出演させてもらってた西成「エッグプラント」だったから、寺田町に「スタジオあひる」があった時代よりは後ってコトになる。
 「非常階段フィーチャリング横山SAKEVI」と告知されてたので、怖いもの見たさもあって、その日は出かけて行ったのだが、何とSAKEVIは前日のGISMのライブで逮捕・収監されたとか、開演前にJOJO氏よりMCが入り、ハコの中にはやや失望した雰囲気が流れていた。「今日の売上は保釈金のためのチャリティにします」だって、全然デストロイなカンジちゃうなぁ〜、って正直思ったで。

 それでもステージ照明を落とした真っ暗な中で演奏は始まった。コアなファンが20名くらい前に陣取って、座り込んで頭抱えて聴いている。あ〜!思い出した。当時「ハナタラシ」でブイブイ言わせてた山塚アイも来てて、客席後方で壁にもたれて聴いていたな。
 曲は無論即興であるが、リズムボックスとベースを使ってたので、かなり「曲」としてまとまった印象を受けた。何より、グジャグジャとのた打ち回る初期の雰囲気は影を潜め、とてもスタティックなものだったことを思い出す。

 その日はライブ済んで帰る途中で、客に来てた美人のオネーチャンをナンパして、その後しばらく付き合ったりもした。彼女はかなり気合の入った非常階段の追っかけで、貴重な音源も沢山持っていた。特にその当時までに彼等が行った全ライブを90分テープ10本にまとめた限定100セットの珍作「極悪の経典」(TGの”24Hours”を意識してリリースされたのかも知れない)をダビングしてもらって聴けたことは、おれの音楽体験の中でかなり重要な位置を占めている。そのコとはすぐ別れちゃったけど。

 それから数回、彼等のライブには足を運んだと思うが、ほとんど覚えていない。やはり、過激なステージングを期待してたので物足らなかったんだと思う。

 テープはその後売り飛ばした。コピーなのにレアモノだったからだろうか、結構な値段で売れた。レコードを蒐集してるだけみたいなフェティッシュな自分に嫌気がさして、全部、百万遍を銀閣寺の方に上がった所にあった中古レコード屋に持ってったのである。だから残っていない。
 それに音そのものについても、元来口ずさむのも不可能な代物なので、いちいち覚えてない。けれども、天王寺「まんとひひ」でのチンドン屋のラッパ風のサックスから始まる部分や、上記「あひる」で演奏終了後にアンコールがかかって、「ギターが二本とも壊れちゃったんで演奏できません」と大真面目に答えてるくだりとかは、今でも覚えている。

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 さて、時は下って2002年、東京は下北沢シェルターでおれは若い友人達を誘って久しぶりに彼等のライブを観た。しかし、その日出かけた動機は、実はそれほど積極的なものではなく、全然畑違いの「あぶらだこ」も出るし、一度に2つ楽しめたらまぁエエか、程度だったのである。どーせ進歩も退化もなくやり続けてるんだろうなぁ〜、みたいな。つまりさほど期待してなかった。

 すっかり太ってトドを思わせる風貌でSG抱えた坊主頭のJOJOと、酒でむくんだサラリーマンのような顔で、キッチリ7:3に髪の毛分けた小柄なT美川(実際、彼の本職は銀行員らしい)、スレンダーなJUNKO、高木ブーをさらに一回り大きくしたような巨漢のF小堺の4人編成。率直に言って、こんなカッコ悪いバンドも珍しい。
 トリで出てきて無造作に演奏は始まったのだが、結論から言うと、実に素晴らしい内容だった。いい意味で裏切られた。超満員の客は踊り狂っていた。JOJOは白眼むいて客をあおりながら、アンプを投げようとしたが思いとどまった(笑)。最後、ステージからヘッドダイブして頭上で暴れてもがく美川におれは顔蹴られた。すごいライブだった。
 どうしてリズムもメロディーもサビも歌詞も何もない、ひたすら即興の轟音、要はノイズだけで、こんなにもすごい疾走感とテンションを表現できるのか、おれには分からない。ホンマ、しょーもないハードロックやヘビメタのライブよりも千倍イケてたで、全く。

 吉野屋じゃないがノイズ一筋20何年、コケの一念岩をも通す、だ。彼等は音楽の奥底にある「何か」を確かに掴んでいる。でなきゃあんなブッ飛んで神がかった演奏がどうしてできるというのだ?それもノイズでやで。
 「蔵六の奇病」のメンバークレジットに書かれてある「一生非常階段」、多分その言葉にウソはないと思う。そうして、彼等は確実に進化し続けている。

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 おれはそのライブをキッカケに再び彼等の音に接するようになった。代官山であったJOJO+JUNKOという二人階段も行ったし、新宿でのインキャパシタンツも行った。
 リスナーのおれも一生非常階段で聴き続けてやろう、と今は思っている。

----附記----

 余談だが、JOJO氏は日本のインディーズレーベルの老舗、アルケミーレコードの社長であるとともに、もう一つの顔として「日本スポーツカード協会会長」とかいうのがある。本名の廣重嘉之名義で本も出されているし、あろうことか「開運お宝探偵団」の鑑定人であったりもする(ちゃんと公式ホームページに写ってたりもする、笑)。ま、非常階段のファンならみんな知ってるよね♪
 知らない人は↓でもコピペして見て下さいな。

                  http://www.mondo21.net/mondo-soken/b-n/4344.html

 アルケミーのサイトについては今さら紹介するまでもないだろう。

 あと、本稿のタイトルは、「極悪の経典」の中で、メンバーがそう絶叫して演奏が始まるテイクがあったのを思い出してつけた。 


2000年11月ニューヨークライブの模様、らしい。


おそらく80年代初頭のライブの模様。オシッコしてはりますね〜。

2004.10.03

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