「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
わたしの単車遍歴


おれが昔乗ってたGPz900R IGOLのステッカーは自作。改造はステアリングダンパー取り付けのみ。

 ・・・・・・ナンテね♪(笑)

 鹿爪らしく書いてはみたものの、実を言うと現在のおれには自転車もないが、単車もない。家でエンジンがついてる乗り物は自動車だけである。

 手抜きで前回と同じ出だしにしてしまって申し訳ないが、チャリの次は単車だ、オートバイだ。

 おれの単車への傾斜は、以前登場したK田が赤い「スカイ」というホンダのスクーターを買った辺りから始まる。やっぱ速いしベンリなんだわ。そのうちそれはまだ無免許のMに譲渡され、彼は「TS50」だったかな?スズキの赤い原付オフロードに変わった。6速ミッションだったかな?下宿「K村荘」のMの部屋で飲んでると、ビンビンとカン高い音で白煙を巻き上げながらバイト先から戻ってくるのだった。

 世は中型バイクが大ブレークしてる真っ最中であった。カワサキのZ400FXに始まる400ccのDOHC4気筒・・・・・・いわゆる400マルチのバイクは爆発的な人気を呼び、各社から続々と対抗車がリリースされる一方、それまでは400ccと車体が共通で、車検がないだけで鈍重なイメージの強かった250ccクラスに、マッハ以来の本格的なスポーツモデルとしてヤマハからRZ250が売り出され、これまた大人気を博していたのである。

 大学に入って刺激の欲しい俺たちがバイクにハマるのは、もう、目前だった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 口火を切ったのは、普段は寡黙なK西だったと思う。ホンダのCBX400Fというのを買った。ちょっとみんな驚いた。これは中型バイクの歴史に残る傑作バイクだろう。空冷400初の16バルブ。当時としては最高の48ps(馬力)をしぼりだすエンジンに、CB750Fのイメージを残した塗り分けと、よりマッシブなデザイン。一時はもう、400はこれしかないんぢゃないか?ちゅーくらい売れまくった。
 続いてはK田の向かいの部屋のT橋だったかな?「打倒RZ!」を合言葉にホンダが総力を上げて開発したVT250Fを買った。これも文句なしの80年代の名車だろう。90°V型の水冷2気筒エンジンは、当時4サイクルでは無理だと言われたRZに並ぶ35psの高出力。それでいてとてもコンパクト。メチャクチャに売れまくった。おれはタミヤの1/12のプラモデル買った記憶がある。
 トリは真打、K田である。RZ250の後継のRZ250Rとゆうのを買った。デカいタンクに赤いスチールの鉄フレームがとてもカッコいいバイクだ。ヤマハに共通するディメンジョンだが、ものすごく腰高で、直進性より旋回性を最優先した本当にスポーティーな名車だろう。

 さて、ミーハーなおれも彼等にアテられて、熱心に色々単車を調べ始めた。免許も取った。そんなある日、実家に遊びに来た親戚のオッサンが、乗り換えで400が要らなくなったので乗らんかと言う。おれも新車が欲しいのはヤマヤマだが、最初は何かテキトーなんで慣れてから、ちゃんとしたのを買っても良かろうと思い、現物も見ずにOKしたのだった。
 10日ほどしてやってきた、その銀のホンダCB400NホークV見て、おれは泣けた。何と、暴走族でも珍しいような「コミネの出目金カウル」「飴ゴムグリップ」「バーエンドミラー」が付いてたのである。よく言えば「70年代カフェレーサー」だが、とてつもなく悪シュミな外観であった。周囲の連中からは「サイクロン」などと思っきりバカにされまくって、我ながら反論のしようもなく、ナゲヤリに乗ったのがいかんかったのか、わずか1ヵ月後、深夜の京都工芸繊維大学のだだっ広い構内で、泥酔してグルグル回ってる最中に転倒して全損と相成った・・・・・・アホです。

 しかしアホだけに行動は早い。当時は金回りが良かったので、事故の僅か二週間後、おれは中京区のカワサキのディーラーで現金握り締めてGPz400F購入の手続きをしていた。
 他に例のない銀とあずき色のツートンに塗られた、金時アイスみたいな550ccと共通の流線型の大柄な車体は、その時のカワサキの共通デザインで、レーサーレプリカとは一線を画した個性的なものだった。エンジンはFX以来熟成を重ねた、空冷2バルブとしては空前の54ps。これも売れに売れまくったので、80年代の名車と言って良いだろう。
 メカ的に特筆すべき点は何もなかったが、これは本当に扱いやすいバイクで、おれはそれから、さして遠出はしなかったものの、京都近辺の峠をあちこち攻めまくったり、近畿の各所に出かけていったものだ。キップも青いのやら赤いの色々切られた(笑)。


GPz400Fのカタログ。サーキットイメージではない構成


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 音楽活動の方が忙しくなったのと相前後して、事故やら何やらが周囲に相次いで起きたこともあって、おれのバイク熱はいったん冷める。銀あずきのGPzは14万円で下取りに出され、替わりにおれはスクーターを買った。パステルピンクの「イブパックス」というものだ。これはこれでゲタとして大活躍して、何度も回しすぎてエンジンを焼き付かせた。
 思えば「拾得」でのライブとか、コイツの足元にアンプとギター、前のカゴにエフェクターやシールド一式積んで出かけていったものである。ビンボーバンドなんてそんなもんだ。

 しかし根っこの部分でおれはやはり乗り物好きなのだ。スクーターではどうにも物足らない。そう思ってるところに、K田がカワサキのイメージカラーであるライムグリーンのZ400GPを中古で買ったのを見て、またもや単車が無性に欲しくなってきた。バンドは解散してちょっとヒマになっていて、おれは高野川沿いの中古専門店に出かけて行き、これまたカワサキでライムグリーンの「KR250」というのを買った。傷もなくほとんど新品同様でポッキリ15万円だったと思う。ん!?買ったのは南区のSモータースだったかな?

 ケロケロKR!これはカワサキの一世一代の珍作・怪作だ。250ccで比肩しうるモデルは、ホンダの大失敗作っちゅーか欠陥車、MVX250くらいだろう。


薄倖の珍車、KR250。後継モデルKR−1はさらに悲惨という珍しい例

 思えば売り出された当初から、すでに薄倖の予感はあった。タネ車は70年代中期から末期にかけ世界GPで大活躍したKR250なのだが、80年代も半ば、カワサキはロードレースから撤退してすでに久しく、今さらレーサーイメージで売ろうにも根本的に無理があった。リアルタイムで活躍してないのだから(笑)。
 エンジンは極めて特異な、2サイクルタンデムツインという前後にピストンが並んだ2気筒。このせいでマフラーの取り回しがものすごく複雑。おまけにクランクケースリードバルブ全盛だとういうのに、2世代も古いロータリーディスクバルブ。それも仕方ないことで、直列エンジンにはこれしか積めないのだ。なおかつピストンにはリングなし。焼き付いたらブロックごとゴッソリ交換するしかない。
 さらにキャブレターに癖があって、混合比を前は濃いめ、後ろは薄めにしないと吹き上がらない、というのも何とも未完成品のようで、明らかに練り込み不足、勇み足のようなモデルだった。
 スタイルもレーサーもどきのが250クラスにあふれかえってるのに、今さら何ともの個性的なスタイルで、早々に不人気車の仲間入りして、中古市場では大安売り状態だったのである。

 でも、初めて経験する2サイクル250の世界はナカナカ楽しかった。5000回転くらいからドッカーンと一気にレッドゾーンに突っ込むエンジンも、切り返しのヒラヒラした軽さもこれまでの400にはない感覚だ。おれはペラペラのクセにバカ高いメーカー純正のライムグリーンのビニジャンなんか買いこんで、全身黄緑のケロケロになっていった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しかし、どうもこの2サイクル、俊敏で軽快な分、走りに深みというか落ち着きがない。アクセルも神経質で、峠を攻めれば楽しいが長距離はひどく疲れる。半年くらいでだんだん飽きてきた。

 その思いは方向性は逆だがK田も同じだったのだろう。そりゃそうだ。RZと馬力がほとんどいっしょで重さは1.5倍くらいあるZ400GPでは、いかんせん鈍重である。飽き足らなくなった彼は大型免許試験、いわゆる「限定解除」に挑戦すると言い出した。
 後先を考えない行動力では、おれなんて彼の足元にも及ばない。何とまぁK田、件のZ400GPを叩き売り、GPz750Rに乗り換えたのである・・・・・・限定解除まだ受かってない、っちゅーねん(笑)。淀の試験場までナナハン乗って、ナナハン免許の検定受けに行くのだから大物だ(笑)。
 人一倍努力の嫌いなおれもいっしょに限定解除に挑戦し、有料練習をたくさんした甲斐あってか5回で通った。

 男はカワサキ!とか言われるが、何となくそれは事実だろう。やはり単車に乗ったら、一度はカワサキのリッターバイクに乗ってみたい。それもやっぱZTの流れを汲む空冷4発の稲村エンジンだ・・・・・・と言い切れればカッコいいが、実はヘルメットも服もカワサキに合わせてあったのも大きな理由だった。今さらヤマハやスズキでは用品代がかかるがな(笑)。
 おれが欲しかったのはKZ1000Jである。その後プレミアつきまくったZ1000RZ1100R・・・・・・いわゆるE・ローソンレプリカもこれの兄弟車である(”KZ”というのに「強制収容所」の意味があるため、アメリカとヨーロッパでは同じモデルでも名前が違ったりして、細かくは良く分からない)。流線基調のデザインになる前の、角張ったタンクが実に無骨でカッコいい。
 ・・・・・・ところがないのだ、中古のタマが。あってもこの時代のは人気があって、ちょっと手の出せない高さ。資金はKR購入と受験費用で底をついている。せっかく限定解除受かったのに、おれはKRのままだった。


カスタマイズされているがオリジナルの姿を比較的良く残すKZ1000Jの例

 ある日、出入りしているバイクショップ「オートショップK」に顔を出すと、通称「社長」がニコヤカに話し掛けてきた。この人はいつでも陽気で豪快で、親身になって出入りするバイクキチガイ共の世話をしてくれるアニキ分のような人だった。

 ------おい!!GPz900Rのフランス仕様出たぞ!!115ps!バリバリのフルパワー、っちゅうやっちゃ!
 ------んん〜??でも高いんとちゃいますのん?わし今、金ないんですよ・・・・・。
 ------それがやな、メッチャ安いんぢゃわい。知り合いのバイク屋に入ってのぉ〜。
 ------ナンボですのん?
 ------65万!どや!?
 ------!?それ安過ぎ!走行距離は!?8万くらい行ってるでしょ?
 ------アホォ!おれがオマエにそんなヘチャチャなん勧めるかぁ〜っっ!!2万ちょっとや!。
 ------エ゛〜ッ゛!!シャチョー!絶対それおかしいわ!その程度やったら90ナンボでしょ。事故車起こしちゃうん?
 ------何ゆうとんねん!オーナー持ち込みで、そこの店とオレはツレやから、そのまま回してもろたんや。マージン入れてない、っちゅーねん。信用できひんのやったら、明日実物持ってきたるさかいに見てみたらええやんけ!

 翌日、おれが再び店に出かけたのは言うまでもない。

 うわ!マジ、フランス仕様やん♪俗に言う「401」のフルパワーやん♪吹かしたときの独特の音、うう〜タマらん♪・・・・・・その場でおれは一目ぼれして、すぐにローンを組んだ。学生の分際で、おれはいきなり逆輸入車のオーナーになったのである。
 しかしそれ聞いて温厚なK田もちょっと怒った、っちゅーかスネた、っちゅーか気を悪くした。当然である。自分の750Rは国内用で見た目900Rと全く同じだけど、馬力は2/3しかないダウンサイズモデルなのだから。彼はアッサリした好人物だが、このことだけは20年経った今でもケッコー根に持ってたりする(笑)。

 ・・・・・・このGPz900R、ペットネーム「Ninja(ニンジャ)」は、国産バイクの歴史の数ある名車中の名車、不朽の傑作と断言してかまわないだろう。通常2年以内にフルモデルチェンジが繰り返される単車業界にあって、1984年の発売開始以来、実に20年にわたって細部の微修正だけで発売が続けられたのだから、どれだけ高い人気と完成度を持っているかが分かる。
 世界最速の座は、後から次々と発表された新車に譲っていったし、エンジンも年々マイルドにデチューンされて、最後はロングツアラーの味付けになってたようだが、発売当初はその設計思想から「ZTの再来」とも言われ、間違いなく世界最速を誇る過激なバイクだった。
 自動車のようなサイドカムチェーン式の水冷並列4気筒16バルブエンジンは、ZTと同じく稲村暁一の手によるもの、アンダーチューブを省いたダイアモンドフレーム、スポーツモデルとしては異様に寝たフロントキャスター角、従来の大型バイクのイメージを払拭するシャープなスタイリング・・・・・・数々のユニークな特徴を備えたこの傑作に関しては、トリビュート本・ファンサイトもたくさんあるので、詳しくはそれらを見て欲しい。
 ともあれその初期型(いわゆる「A1」)は、恐ろしく速いくせに非常に取り回しがラク、それでいて安定感は抜群。これ一台で何にでも使える気軽さも備えていた。

 決してそれは誇張ではない。ほどなくおれはKRもスクーターも売り飛ばし、実際に生活のあらゆる面で使いまくった。すなわちこれで風呂屋や飯屋に行き、デートをし、メーター読みで時速250何キロを出し、150キロからポルシェをブチ抜き、淡々と1日600km走り、たまにはダートにも入り、1週間の一人旅に出掛けたのである。本当に素晴らしく魅力あふれる、実に懐の深い単車であった。
 欠点は唯一、フロント周りが頼りないことで、フォークオイル漏れが発生しやすく、超高速のコーナリングで若干よじれが出ることがあった。本当は事故車起こしだったのかも知れない(笑)。まだ後付けパーツ類なんてロクになかった時代だし、あっても金欠で買えなかったので、仕方なくおれは最低限の対策として、デイトナの750R用ダンパーをワッシャをかませて裏返しにして取り付けてた。効果は・・・・・・んん〜、良く分からなかったなぁ。

 結局このGPz900Rに乗ってた期間は4年あまり。それまでで一番長かったのだが、ある日突然、命はいくつあっても足りないことをおれは悟った。そうしてこの名作もまた、下取りに出された。売値は25万円だった記憶がある。
 実はレコードコレクションを売り飛ばしたよりも、おれはこっちの方をむしろちょっと後悔している。

 早いもので、それから10数年が過ぎてしまった。K田は国に帰って後もしばらく、ZUZX−10その他を乗り継いだが、彼も今は引退し、全く乗っていないという。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本での単車販売が低迷して久しい。世話になった「オートショップK」もなくなって既にずいぶん経つ。さまざまな快楽のツールが世の中にはあふれ返り、もはやオートバイが若者の心をときめかすものではなくなってしまったのだろう。メーカー各社の最近の総合カタログを見ておれは驚いた。全盛期の半分くらいにまでラインナップが減ってしまっているのだ。排ガス規制の影響で2サイクル車は原付以外はほぼ全滅。レーサーレプリカは大型車のみに残り、中型以下はアメリカンやフラットトラッカーにデカいスクーターばかりが目立つ。

 そうなった責任の一端はおれたちの世代にもある。我も我もとスリルとテクの向上を求めて峠道に押しかけたせいで、キモチのいいルートでは事故が多発し、多くの道では二輪走行禁止、あるいはデコボコのゼブラ塗装が導入され、単車に乗ってることで却って制約が増えた。ワインディングが走れなくては、単車の面白みなんて半減してしまう。
 そう、単車はリスクと引き換えの「自由」を喪ったのだ。

 小金持ちが増えたせいか、外国製二輪・大型車はそれなりに元気だけど、これらがゾロゾロ隊列組んで高速道路を行儀良く走ってるのを見ると、おれは妙にイラつく。どうしてもそれが単車本来の乗り方に思えないからだ。群れてどうすんだよ!?ってカンジ。それに、そいつらが路傍に止めてヘルメットを脱ぐ姿を見ると、オツムが淋しくなってたり、ハラが突き出してたり、イケてない黒ブチメガネだったり(笑)、高齢化の進行がはなはだしい。つまり単車は中高年のシュミの乗り物に成り下がってしまったのだ。
 とはいえ、恐怖がスリルを上回り、単車を降りてしまったおれに、これ以上四の五の批判がましいことを書く資格はないのも事実で、何とも寂しい限りである。
 しかし、実を言うと現在、ちょっと個人的にはタノシミもあったりする。それだけ最後に簡単に触れて本稿を終えることにしよう。

 ・・・・・・どんな趣旨かは分からないが、ヨメは何でも、40才になったらバイクに乗るんだと宣言している。おれはその時48才。ムリせず250のオフローダーでも買ってトロトロ走ろうかな〜、な〜んてとちょっとトボけたことを、実は目論んでいたりするのですよ。


オマケ:

 ちょこっと借りたりしたのも含めて、おれがこれまでに乗ったことのあるバイクは以下の通り。一言コメントつきで列挙する。

    HONDA     CB250T HAWKU・・・ヤカンタンクの愛称で親しまれた。ダサいが扱いやすいツアラー。
              VT250F・・・言うまでもなく傑作。非常に乗りやすかった。
              VTZ250・・・上の改良型。マイルドなツアラー。
              NS250・・・ホンダの過激路線の始まり。荒々しく、おっかなくも楽しいバイク。
              NSR250・・・その改良型。性能は向上したがずいぶん洗練された。
              CB400N HAWKV・・・傑作OHCエンジンだったが、400マルチ化の流れの前に消えていった。
              CB400NE SUPERHAWKV・・・何だったんだろ?これ?上の改良型だが違いが分からず。
              CBX400F・・・中型マルチの傑作。扱いやすさと高い動力性能。
              VF400・・・初の中型V4マルチ。かなりクセのあるエンジンだった。
              CB750F・・・名作だが意外に低速がスカスカで走らせにくかった。バリ伝みたいには走らない(笑)。
              VF750F・・・ナナハンV4マルチのハシり、アクセルの戻りが独特でちょっと馴れないと怖い。

    YAMAHA    RZ250・・・国産250の金字塔。いかにも2サイクルらしい吹け上がり。
              RZ250R・・・上の改良型。イタリアンテイストの感じられる小粋なデザイン。走りはさらに過激。
              SRV250・・・空冷V2の、ネオクラシカルな珍車。乗りやすかった。
              RZ350・・・最後のキチガイバイク。扱いを間違えると大ヤケド。命知らずにオススメ。
              SR400・・・息の長い単気筒。唯一カタログスペックを無視して「味」を語っていいバイク。
              XJ400・・・空冷パラ4は燃費以外、全く特徴がなかった。性能いいのに地味なまま消えて行った。
              XV400・・・当時としては本格的なアメリカン。特に印象なし。
              FZ750・・・極端に前傾した5バルブエンジンは低速トルクがすごかった。
              FZX750・・・上のアメリカンモデル。乗りやすかったが、不人気。

    SUZUKI     GS250F・・・250マルチの草分け。どこまでも回るエンジン。デザインがねぇ・・・・・・
              GSX400E・・・空冷2気筒。扱いやすかったがカッコがも一つ。
              GSX750S KATANA・・・イレブン刀の国内版。カッコだけで全く走らず。ハンドルが不細工。
              GSX750E・・・性能は優れていたが、何とも地味だった。
              GSX750R・・・750レプリカのハシリ。その後各社に与えた影響は絶大。油冷エンジンはトルク不足。
              GSX1100S KATANA・・・不朽の傑作。ただし斬新なのは外見だけ、中身は旧型。ブレーキ弱し。

    KAWASAKI   AR50・・・水冷化するゼロハンの中で、最後まで空冷で頑張った。燃費ひどし。
              KR250・・・とにかく珍車。今ではしかし珍しすぎてファンクラブがあったりする。動力性能は高かった。
              Eliminator250・・・900の成功に気を良くして出されたミニ版。特筆すべき点はなし。
              Z400GP・・・角型路線の最後。完成度は高かったが商業的には失敗。販売期間は極端に短い。
              GPz400F・・・流線型路線のハシリ。内容的には上と大差なかったが大ヒット。
              GPz750R Ninja・・・900の国内版。性能では劣ったが大ヒット。Team38の8耐マシンが懐かしい。
              Zepher750・・・ZUのリバイバル。4気筒のSRみたいなものかもしれない。
              GPz900R・・・後世に残る大傑作。今でも愛用する人多数。これならもう一回買ってもいい。


1988.11 伊豆・宇久須高原にて

2005.01.14

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved