「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
氷ノ山は氷の山・・・・・・山で死ぬということ(5)


かつて数え切れないほど通った氷ノ山林道入口。結果的にココは地獄の一丁目だったワケだ・・・・・・。

GoogleStreetViewより

 過去にイスズ・ビッグホーンには2台乗ってる。最初が7人乗りのロングボディで94年に出された限定車の「フィールドスター」ってヤツだった。出てすぐに買ったと思う。パートタイム式の4WDで、四駆にするときはフロントハブを手で回してロックする、っちゅう今やすっかり絶滅した古典的な仕組になってたっけ。オマケに何を考えたかマニアックな5MTを買ったのだった・・・・・・あぁ、金無くてAT買えなかったんだった!(笑)。

 なのになけなしの金叩いてちょっとづつドレスアップ、っちゅうんですか、まずは金の掛からないステッカーチューンで当時は定番の「OFFROAD EXPRESS」ってのを大きくサイドに貼って、4×4エンジのブラッドレーVXにホィール換装し、BFグッドリッチのAT履かせ、あの頃マストアイテムだったランプバー付けて、でっかいシビエのフォグなんか噛ましたりして、イッパシのクロカン乗りを気取ってけっこうあちこちの林道に行ってはムチャクチャやってた・・・・・・まぁ、ムチャクチャやりすぎて最後はパークで引っくり返って全損にしたんだけど。

 そんな中で最も頻繁に走ってたのが、大規模基幹林道の氷ノ山林道である。今はもうどこも舗装化が進んでしまったかもしれないけど、あっちの方には国道9号を挟んで北側には蘓武ヶ岳林道ってこれまた長距離のがあり、さらに北の小代の奥の方には通称「エイリンショ(←多分、営林署のことだろう)」と呼ばれる、扇ノ山林道なんかもあったりして、枝道まで入れるとホント、好きな人は何日でも遊べるダート天国だった。

 氷ノ山林道はその中でもとりわけ長距離で走り応えのある道だったが、遊びだけでなく盆の渋滞を避けるための抜け道として、夜に真っ暗な中、山越えして29号に出たこともある。当時はまだ和田山~八鹿あたりの9号バイパスもなく、播但道も生野の北くらいまでしか通じてなくて、混むとどうにも312号が動かなくなる時があったのだ。
 まぁ、ダートっちゅうたかてそこはさすが基幹林道、ルートの大半は道幅も広くてシッカリ路面も整備されており、当然ながら信号なんて1つもないから、馴れれば案外速いエスケープルートだったのだ。

 ・・・・・・気付けばもう四半世紀くらい前の話になってしまった。イスズがクルマ売らなくなってからも随分久しい。

 ちなみに氷ノ山は「ひょうの『せ』ん」と読む。但馬から山陰地方特有の読み方だ。扇ノ山は「おうぎのせん」、大山は「だいせん」、沖ノ山は「おきのせん」、蒜山はちょと音便で「ひるぜん」である。ここら辺以外で山を「せん」と読む例について、おれは寡聞にして「須弥山(しゅみせん)」か「金峯山(きんぷせん)」くらいしか知らない。
  も一つちなみに、2台目は中古で距離浅なのに120万の投げ売りになってた珍しい5人乗りロングボディ。何でそんな値段だったかっちゅうと、極悪燃費の3.2リッターV6ガソリンエンジンだったからだ。でも当時としては200馬力とハイパワーで、余分な座席取っ払ってある分荷室も広々してて、ホントこれではあちこちに出掛けた。おれの車歴の中では一番長く乗ったクルマだ。

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 さて、そんな氷ノ山林道で昨年の暮れ、遭難事故が起こった。登山客でもバックカントリーなスキーヤー・スノーボーダーでもなかった。雪中オートキャンプを愉しもうと3台のクルマに分乗して、コンボイ組んで出掛けた男ばっかし5人組、予想外のドカ雪で身動きが取れなくなり、4人は何とか逃げ出して救助されたものの、体調崩して動けなくなった1人が雪に埋もれたクルマの中で凍死してたという。
 正確なポイントは不明だが、報道されてる内容からするに恐らくは戸倉側の入口から入って数km、逆水の滝の先の、今はトイレも整備されてパーキングエリアとなってる辺りと思われる。まぁ、雪のないシーズンなら何の問題もない・・・・・・雪さえなければね。

 いつものおれなら遭難者に対してかなり辛辣かつ冷厳にディスってしまうところだ。しかし今回はいささか躊躇してしまう。何故なら、彼等は相当なベテランキャンパーで、色んなスキルも道具も有してたみたいだからだ。だからこそ他の4人は一晩で1m以上も積もった雪の中をラッセルして、ある程度国道近くまで戻って来れたのだろう。決してこれまで取り上げてきたような何の知識も常識も道具も有しないままの無鉄砲、物見遊山の手ぶら同然ではなかったと思われる。
 具合悪くなって動けなくなった1人を見捨てたことを非難する向きもあるようだけど、それは安易で無責任なヒューマニズム、お門違いってモンだろう。仲間を見捨てる苦渋の決断もまた、とても勇気の要るコトなのだから。もし全員が動かず、愚直にその場にそのまま残ってたとしたら、ヘタすりゃ全滅だった。

 ・・・・・・1つだけミスった点があるとすれば、冬場の氷ノ山界隈が極めて稀とは申せ、時に想像を絶する過酷な状況になるのを見誤った、ってコトくらいか。あと、アプローチが楽勝すぎて油断しやすい、ってのもあったかな?

 大体、近畿地方なのにあの辺はスキー場銀座なコトからも、どれだけ冬の降雪量が多いか容易に想像が付くだろう。ホンマ降る時はバッカバカ降る立派な豪雪地帯だ。それでも近年は暖冬化が進んで29号に近いゲレンデなんかは営業休止に追い込まれてるコトも多かったが、でも、どこもみんなこの林道よりも標高はもっと下の方にあるのだ。そう、林道はスキー場よりもさらに200mほど高い、概ね標高1000~1200m附近を等高線に沿うようにしてウネウネと伸びてるのである。氷ノ山の標高が1500mほどだから、決して大袈裟ではなく山頂のすぐ下を通ってるワケだ。
 さらに、この29号側は林道入口としてはものすごく敷居が低い感じがする。理由は元々このルートを森林鉄道が通ってたコトにある(29号沿いでは音水の森林鉄道が有名だけど、それは最後まで残ったからで、実はこの氷ノ山側に大規模なのがあった)。だから全体的に勾配は緩やかだし、オマケに国道との分岐点あたりはかつて何本もレールの敷かれた貯木場になってたから、ミョーに広々してて明るい雰囲気さえあって、知らない人だったらこの先に関西屈指の総延長40km以上の林道が延々と続いてるなんて思えないくらいなのだ。一説にはジムニー軍団だったと言われる彼等も、いつものノリで入ったんだと思われる。

 しかし12月25日、雨から変わった雪は、この何十年かでも稀に見るような異常なドカ雪となった。あくまでおれの勝手な想像だけど、その時点では、「スノーキャンプはこれくらい降らんとアカンよねぇ~!?」くらいの軽口は叩けてたんぢゃないかと思う。だっておよそキャンプを嗜む者にとっての終着駅の一つはスノーキャンプなんだし・・・・・・ちなみにあとはソロとライトウェイトだろうな。
 それで適度に降っただけなら、そこそこにワイルドな気分を味わえたキャンプで無事終了してたろう。でも雪はいっかな降り止まなかった・・・・・・どころか、恐ろしく大量に降った。ここからはちょっと北になるけど、その頃のアメダスは、盆地の比較的大きな町である朝来で空前の70なんcm、ハチ北近くの兎和野高原で1m近くを記録してる。これは12月の1日の降雪量としては、雪を心待ちにしてるハズのスキー場でさえ困ってしまうレベルの驚異的な数字だ。氷ノ山山頂付近のこの辺りではそれをさらに超えてたであろうことは想像に難くない。当然、クルマも雪に埋まってしまい、スノープレートもスコップも役に立たず、ちょっとやそっとぢゃ動かすコトは出来ない。

 翌日26日はどうやら無闇にジタバタ動かず、全員クルマでジッとしてたようである。賢明な判断だろう。さらに翌日、27日になって徒歩での下山を試みたものの、何せなだらかな地形に深く積もった雪と、依然ハッキリしない天候でどうにもならず、何とか繋がったケータイから遭難を告げる電話して、恐らくはまたクルマに戻って車中泊。そいでもって天候回復した28日の朝からラッセルして動ける4人は下山した・・・・・・と。
 1分10mくらいのペースでラッセルしてたっちゅうから、この人たちは決してド素人ではなかった・・・・・・どころかそれなりに経験と知識を有してたような気がする。噂通り、ガチなジムニー乗りだったならば、絶対に色んな道具クルマに積んでただろうし。

 それでも遭難し、1人亡くなった・・・・・・繰り返すが、むしろ4人「も」生き残って、ほぼ自力で戻れたって方が実はスゴいんだが。

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 山で遭難したくなければ、行かないコトだ。
 海で溺れたくなければ、これまたやはり行かないコトだ。
 行く方が悪い。

 したり顔でネットにそう書きこむヤツは、多分引き籠りの自宅警備員みたいな人なんだろう。火事かガス爆発か強盗に入られるか、あるいは隕石ぶつかって死にやがれ、と言いたい(笑)。
 なるほど「君子危うきに近寄らず」で、そんな雪山に吞気にスノーキャンプに行ったのはそら悪いっちゃ悪い。また、クリスマスに強烈な寒波襲来って情報は、何度も天気予報で流れてたのも事実だ。決してそれを無視したワケではなかろうが、いささか軽く見てたことは間違いなかろう。だってこれまでの何十年、同じような予報は毎冬あったけど、結局今回みたいにメチャクチャ降ることはなかったのだから。
 大体、既に12月初頭から例年になく多かった降雪で、既にかなりの雪が積もってたであろう林道をそこまで入れたってことは、相当にシッカリした体制で行ったか、あるいはひょっとしたら一度くらいはブルで除雪が行われてたのかも知れない。ホンマに閉鎖なら、林道ってゲート鍵かけて閉まるハズだし。

 つまり、地元民含め誰一人として、そこまでエラい状況になるなんて思ってもいなかったのではないか?ってコトだ。だから、今回の遭難事件に関しては、おれはそこまでボロクソに指弾されるほどではないと思う。ましてや兵庫北部が豪雪地帯であることさえも知らない無知なアホにディスる権利はない。

 嫋やかな山容とは裏腹に、「氷ノ山」の名前はダテではなかった・・・・・・それくらいしかおれには言えませんです、はい。

2022.01.08

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