「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
名作と駄作の間・・・・・・GPz900RとKR250


夕暮れ迫る中、激走するチームグリーンのGPz750R

http://toshihirai.exblog.jp/より

 ちょっと気になることがあって、往年のカワサキのGPレーサーであるKR250について調べてた。

 もう、今では2サイクルエンジンそのものが淘汰されてしまったし、全くレギュレーションも異なるから、年寄りの昔話と思って読んでいただきたいのだけど、おれが単車に興味を持った80年前後のGPレースは50cc、80cc、125cc、250cc、350cc、500ccと排気量別に細かくクラスが分かれててとても面白かった。
 そんな中で250ccと350ccで無敵と言える強さを誇ってたのがカワサキなのである。絶頂期は1977年から81年あたりまでだったと思う。前面投影面積を少しでも減らすために、エンジンレイアウトがタンデムツインという直列2気筒になってたのが最大の特徴だった。

 ・・・・・・で、ネットでいろいろ読んでみるとムチャクチャなのね。もぉ笑っちゃうほどに皆さんいい加減なデマを偉そうにオーソリティぶって書いてたりする。おそらくは同時代を過ごしたことが無いまま仄聞とかを適当に繋ぎ合わせてとんでもない誤解して、それを信じ込んでるんだろうな?って思う。曰く・・・・・・

 ●ロータックス製のエンジンを搭載して・・・・・・ロータックスがカワサキをコピーしたんだよっ!
 ●KR500のエンジンを縦半分にして・・・・・・KR250を横に繋ぐようにして作ったんだよっ!。ちょっと調べりゃわかるだろうが。
 ●特異なロータリーバルブ・・・・・・当時はロータリーバルブが一般的だったんだよっ!。クランクケースリードなんてその後だ。
 ●タンデムツインのスクエア4・・・・・・2×4で8気筒かよっ!?(笑)んなモンあるかぁ!エンジン構造も知らんとバイクを語るな。

 特に読んでて笑ったバカは「Kicka758」なるヤフーHNを名乗るヤツで、間違いを指摘されて逆切れしてクランク重量がどぉこぉとか全然別の話題振って誤魔化そうとしてるのが実に見苦しい。幼稚園児みたいだ。ホント、知恵袋ってひどいわ。

 まぁそれだけ長い年月が過ぎ去った、ってコトなんだろう。40年から昔の話だモンな。

 今回はそこまでマニアックな話ではない。そういったデタラメが横行してる状況を見てるうちに、カワサキの不朽の大傑作であるGPz900R”ニンジャ”と、上記KR250の市販ヴァージョンで、これ以上は無いってくらいに大コケしたKR250(同じ名前なんだな、これが)について極私的に覚えてることを纏めてみようって気になったのだ。両方ともおれは所有してたので、耳年増で知ったかなコトを語る人達よりはちょっとは信憑性があると思う・・・・・・が、人間には「記憶の改竄」ってのもあるからあまり信用し過ぎないようにね(笑)。

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 まずはGPz900Rからだ。Z1系の空冷2バルブ4気筒エンジンが排気量増大に伴う熱対策が限界に来る中、ダウンサイジングしながら従来以上の運動性能を発揮させる、ってな考えで生み出されたのは有名な話だ。
 傑作であるZ1系の空冷エンジンは将来を見据えてシリンダーピッチに余裕を持たせてたオカゲでとにかくボアアップに強い。ワイセコ等のキット使えば1300近くまで上げれたんぢゃなかったかと思うが、それだけ排気量が上がれば熱量も増大するし、エンジンブロックが薄くなるから発熱に伴う歪みも出やすくなる。そんなんでZ1系最後のGPz1100は馬力こそ120psを絞り出してはいたものの、これ以上の排気量アップは難しい状況にあった。歪みのためにカムシャフトの受けのメタルが齧られるってなトラブルも起きてたらしい。設計者の稲村暁一は拘りの人で、「空冷は2バルブに限る」なんて言ってるのも、歪みを気にしてのことだった。
 熱対策についてちょっと脱線すると、おれにとって最初のカワサキであるGPz400Fって同じく空冷2バルブのを買った時も、店のオッチャンから「オイルクーラーはそんなに値段せぇへんし、入れといたら?」って奨められたコトを想い出す。そんな「サークの13段コア」とかヲタクな話ではない。純正で3段くらいの小さいのがたしか1~2万円アップくらいでポン付け出来たのだ。どうやら発熱問題は既知の事実になってたようだ。

 そんなんで出来たのがニンジャである。カムチェーンが自動車のエンジンみたいに片側に寄せられた水冷4バルブ4気筒エンジンは当初ものすごく異様な感じがした。馬力は115psとちょっと落ちたが、トータルバランスで前作を凌駕しようとしているのは明らかだった。そんなんで重量は20kgくらい軽く、車体も短く、全体的に一回り小さかった。1984年のことだ。
 カワサキの久しぶりのブランニューエンジンでZ1を髣髴とさせる900ccであったコト、発売当初は世界最速を誇ったコト、デザインが流麗でありつつも分かりやすいカッコ良さがあったコト・・・・・・色んな要因が組み合わさって大ヒットし、とにかく世界的に売れまくっただけでなく、後継機が次々ディスコンになる中しぶとく生き残り、ひじょうな長寿モデルともなった。何と最終型は2003年のマレーシア仕様である。ただ、年を経るごとに排ガス規制やなんやらでドンドン馬力は落ちてって、最後は90psくらいしか出てなかったのではなかったか。

 エンジンも特異だったけど、フレームもひじょうに特異だった。これだけのビッグパワーにも拘わらず、軽量化と低重心化のためにダイヤモンド型っちゅうてアンダーフレームが省略されてたのである。当時、ハイパワーなエンジンにはダブルクレードルが常識だったのですごく華奢に見える。そりゃぁトップチューブはそれまで乗ってた400ccとは比べ物にならない太さだったとは申せ1本しかなくてあとはシートレールくらいで何もない。最初に見た時は何だか背骨だけで肋骨が無いような雰囲気で、こんなんでホントに大丈夫なんかなぁ~?ってちょっと不安になった記憶があるが、今になって思えばその先見性、進取の気風は驚嘆に値する。素材はアルミやカーボンになったものの、現代のスポーツバイクはみんなアンダーパイプなんて持たない。

 しかしながらフロントは16インチだわ、キャスターが29度とロードモデルにしては異様に寝かされてるわ(例えば当時のカタナで28度10分、CB750Fで27度10分)で、応力が集中するフォークやフロント周りは当時から泣き所と言われてたし、実際自分でもヤワだな~って思ったことが何度かある。例えば中国道の宝塚当たりのトンネルが続く高速コーナー区間を200km前後で流して(・・・・・・スンマセン)、路面の継ぎ目なんかが大きかったりすると、衝撃を吸収しきれないからかフロントの三角あたりから微妙にヨレてハンドルが暴れ始めるのだ。グニョォ~ングニョォ~ングニョ~ングニョ~ングニョングニョングニョニョニョニョ~、ってな感じ。体験した人なら分かるだろうがこれはかなり怖い。それで仕方なくデイトナの750R用ステアリングダンパーを買って裏返しにしてに突っ込んでたけど・・・・・・まぁ気休めにしかならなかったな(笑)。おそらく当時の解析技術では、鋼が弾むヤング係数とかまで設計に加味出来てなかったのかも知れない。
 ただ、直線での安定性には素晴らしいものがあって、何度か最高速アタックをした時も車体はビックリするくらい安定してた。結構引っ張らないとダメだったけど、メーター読みで255km/hちょっと切るくらいは出たと思う(・・・・・・重ね重ねスンマセン)が、如何せんタコメーターよりスピードメーターの方が小さくて読み辛いもんだから正確な所は分からない。オービスにでも引っ掛かれば正確に計測できたかもしれないが(笑)、愛称が良かったのか何なのか不思議とこのバイクではナンボ飛ばしても捕まらなかった。

 走ったら止まらなくちゃなんない。ブレーキについてもちょっと触れとくと、他社が対向ピストンとか4ポットキャリパーなんて出し始めてた中で、カワサキは昔ながらの片押しシングルポットだから効きがどぉこぉ、な~んて知ったかなコトを言う人がいたが、ストッピングパワーについては全く問題なかった。ガツンと初期制動の後ジンワリでひじょうに扱いやすかったと思う。雨でもまったく問題なかった。ただ、ローターの鋳鉄成分が多いのか何なのか、とにかく赤錆が出やすいのは見た目的には勘弁して欲しいポイントではあった。
 逆にガタイのデカさからするとおっかねぇなぁ~、って感じたのは、GSX1100カタナとCB750Fである。もちろん止まらんワケぢゃないけれど、ニンジャに乗り馴れてると特に前者は頼りなかった印象が強い。また、あの頃良く効くなぁ~って感心したのはホンダが一時期採用してたインボードディスクってのだった。しかしあまりに形がヘンなためかすぐに消えてしまった。

 おれの乗ってた紺銀のは最初期型であるA1の401仕様とか言われてるヤツで、フランスからの逆輸入だった。401っちゅうのはフルパワーってコトらしいが良く知らない。とにかく重量からするととても乗りやすいバイクで、旅行に出掛けてダートに入っても、ちょっとくらいならそのまま走れる柔軟性もあった。当時はダートだった別府の塚原温泉や野湯群に近くまで乗り付けたのだからウソではない。
 ただ、とにかく暑いバイクではあったのは事実だ。フルカウル状態で夏の日に信号待ちなんてもぉ堪らない。カワサキ名物のすぐにサーモスタットが切れて回るラジエータファンもあって、モワァ~ッと熱気が上がって来る。そんなんで丁度チームグリーンから8耐に出たマシンがカッコ良かった影響もあって、サイドとアンダーは外してしまったのだが、それでもやっぱしクソ暑かった。外されたカウルは下宿の押入で場所取ってとても邪魔だったっけ。
 燃費は夏で18km/ℓ、冬はひどく落ちて14km/ℓくらいだったと思う。高速流すと2~3kmは伸びた記憶がある。いずれにせよ今のエコカーの方が余程良い。オマケに当時はガソリンがリッター140円くらいしてたので、貧乏な学生にはいささかキツかった・・・・・・なら逆輸入車なんか買うな!ってね(笑)。
 まだアフターパーツなんて気の利いたモノも殆どない時代で、デヴィルやツキギ、カーカーからマフラーが出てたくらいだ。たとえあったとしても買う金もなかったし、結局カウル外した以外は特に弄ることもなく、自作のIGOLのステッカー貼ってハイグリップタイヤ履かせたくらいでそのまま乗ってた。今は丸型ヘッドランプにオイルクーラーを元のヘッドライトスペースに押し込み、サイドの補強ステーやアップハン、アンコ抜きシートといったチームグリーン8耐ドンズバ仕様なんてのも金さえ掛ければたちまち作れてしまう。実に良い時代になったと思う。

 手放してもう四半世紀が過ぎたが、名車には名車になるだけの理由があるとやっぱし思う。

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 ・・・・・・で、カワサキ一世一代の駄作・マイナー・失敗作の名をほしいままにするKR250だ。発売は実はニンジャと同じ1984年である。同じ時期、同じメーカーから売り出されてここまでその後の明暗を分けたケースも珍しいのではなかろうか。

 まず最初に誤解を解いとく必要があるだろう。エンジンはレーサーと市販車では同じタンデムツインだったとは申せ、構造はまったく別物である。前者が直立したシリンダーをそのまま直列に並べ、クランク同士が直結で互いに逆回転して後方のギヤボックスに繋がっているのに対し、後者はシリンダーが前傾してるだけでなく段差が設けられており、またクランク同士も繋がっておらず同方向に回転、ギヤボックスの斜め上に乗っかっている。だから見た目の形が全然違う。さらに爆発間隔が前者は同爆、後者は180度、さらにはキャブレターの取り付け位置が車体の左側、右側と異なる。つまり、タンデムツインってコトしか共通点は無いのだ。
 これはあくまで個人的な想像なんだけど、その時代のマシンの開発思想の差がエンジンの違いに繋がってたのではないかとおれは睨んでる。即ち、レーサーの方は80年代初めまでの長いホイールベースと極端に低い車高、前面投影面積の少なさを実現するために、低くて異様に前後に細長いエンジンとした一方で、市販車は何としてもタンデムツインは継承せんとアカン事情があった一方で、80年代半ば以降の主流であるホイールベースを詰め気味にして若干腰高にしつつマスの集中化を図る流儀から考えられたと思うのだ。

 いやいや~、カワサキもいよいよ2サイクルのレーサーレプリカに参入するって聞いて、そら当時のおれだって心弾みましたよ・・・・・・で、発表された時のガッカリ感は半端なかった。これは恐らく日本中のカワサキ党が感じたハズだ。
 だってカッコがまずもってレプリカちゃうねんもん。もうすでにスズキからはRG250γとか出てたんですよ。たしかホンダからもNS250が出てたかも知れない。それらは本物からすると若干太目だし、そもそもスズキはGP250に参入してないわ、ホンダも宗旨替えして参入したばっかしで結果が出てないわだったけど、充分レプリカを名乗る資格のあるスタイリングだった。
 それが何やねん!?ニンジャを中途半端に取り入れたような角張って妙チクリンなカッコは!?それにリアの丸テール、これ81~2年の耐久マシンやんか。エンデュランスとGP一緒くたにしたらアカンわ・・・・・・つまり完全にデザイン戦略を見誤っていたのである。まぁ、この辺が明石のコテコテのオッチャン達のセンスらしくて楽しいが。

 さらにカワサキ、GP250から撤退して3年も経ってるのである。GP500も鳴かず飛ばずのまま2年前に撤退。世界耐久も前年撤退・・・・・・今は単車のモデルチェンジのサイクルが長くなってそれほどでもないが、バイクブームが異常なまでに盛り上がってたあの頃、恐ろしい勢いでフレームからサスペンションからデザインからが日進月歩で進化しており、レース活動してないなんて周回遅れもいいトコ、完全に過去の栄光に過ぎなかった。つまり、レプリカを名乗ろうにも現在進行形の雛型がなかったのだ。
 ここはウソでも最新の250ccレーサーのスタイリングにして、草レースで良いからキットパーツ等をシッカリ揃えて、底辺から粘り強くレース活動やってればちったぁ違ってたろうに、寄せ集め感満載の峠マシンでもなければツアラーでもない、何ともオンリーワンなスタイルで売り出されたのだった。

 発売前はマッハ以来の250cc2サイクルとしてあんなにも期待されてたのに・・・・・・それはそれは見事なくらい売れなかった。テコ入れのためのマイナーチェンジも、余計にヘンな塗り分けにしたオカゲで、焼け石に水どころか却って売れ行きを落とした。

 買ったのは86年頃だったか、鴨川沿いのSモータースって中古屋で、1万kmも行ってないピカピカのライムグリーンのが25万で投げ売りになってたのを衝動買いしたのだった。ナンボなんでも安い・・・・・・そ、つまり発売後3年もしないうちに超不人気車となってたのである。それでもまぁカワサキ党なら乗ってて違和感もなかろうと、後先考えずに買ってしまったのだった。

 ところがデザインだけでなくエンジンもまたタンデムゆえかクセが強く、お世辞にも完成度が高いとは言えなかった。出力特性の唐突さは2サイクルの宿命だから仕方ないとして、まずは整備性。後ろの気筒なんてプラグ交換にも一苦労する。さらにキャブセッティングが振動ですぐに狂うし、それを素人の当て推量で前後を同じくらいにすると全く吹け上がらなくなる。オマケにオイル注入口のカウルの丸いフタが外れやすくてすぐになくなる・・・・・・何とも急拵え感丸出しだ。さらには他社に比べるとプラグのカブる確率が高く、キックスタートにも良く泣かされた。ハンドリングも2サイクルらしい切り替えの軽快さなんてのは微塵もなくて、とにかくドッシリと安定してるし、あろうことか先行するγ等のモデルより車重は重いと来てる。

 ホント、ナニからナニまでサッパリ理解に苦しむ、実に珍妙なバイクだったと言えるだろう。歴史にIFは無いけれど、発売がせめてもう1年早かったら少なくともMVX250には勝ててたろうから、もう少しはその後の運命も違ってたかも知れない。

 それでも何だかんだで2年弱くらい乗ってたと思う。途中でニンジャを買ってしまって出番はめっきり減ったものの、たまに峠に引っ張り出せば痩せても枯れてもそこはやはり2サイクル250cc、重量級のリッターバイクよりは振り回せて面白かった。トップエンドも170km/hちょっとくらいは出せたかなぁ?ドナドナした時は意外に高値で15万くらいだったと思う。

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 過去に書いたものとの繰り返しもあったけれど、以上がおれのGPz900R”ニンジャ”とKR250に関する想い出話だ。ちょっとバタバタと書いたんで想い出したことがあればまた加筆したい。

 ともあれ、単車についてはおれはとても良い時代を過ごせたと思う。それだけはもう間違いない。 


同じようなアングルのKR250のカタログ。まったく軽快さの感じられないチグハグなデザイン。

http://www.bikebros.co.jp/より

2017.04.04

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