「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
小さな小さなスキー場


休日だというのにほとんど誰も乗ってないリフトにて。

 何年ぶりかで自分の中でスノーボードが盛り上がってる。所謂「マイブーム」、っちゅうやっちゃね。大体において、自分の今の住まいから小1時間も走ればゲレンデに到着できるのだから、これで行かへん方がおかしいわな。そんなんで休み少ないのに、もう3週連続で出掛けてった。関西にいた頃も、関東に越してからも、スノボに出かけるのは難行苦行の一日仕事だった。朝の5時くらいに起きて準備して、高速道路が渋滞する前に走ってって、そんでもって帰りはキッチリ渋滞につかまって、睡魔と闘いながら家に辿り着くのは8時9時である。だから、今の家に帰ってから他に別のことができる、というのが何とも不思議な感覚で、イマイチ未だに実感が湧いてなかったりもする。

 札幌国際や手稲は足がかりの良さからは想像もつかない規模の大きさと、雪質の良さがある。コース的には札幌国際の方がスノボには向いてるかもしれない。ゴンドラばびゅーんでゲレンデトップに上がれば、初級・中級・上級どれもロングコースで、座り込んでバインディングのストラップをコキコキやるのが少なくて済むからだ。おまけにちょっと外れるとバフバフ、すぐに腰近くまで埋まるほどのパウダーだ。
 レジャーや趣味の多様化もあって、こちらの人とはいえわざわざ寒いところに出かけて雪まみれになるなんて、今やダサいことなのかも知れない。いやいや、あるいは少子高齢化が進行したせいかも知れぬ。ともあれ休日だというのにゲレンデは空いている。リフト待ちの行列なんてほとんどない。板踏まれてイラッとすることも、IQの低さがモロに顔に出た連中にスネークされて日本の民度の低下を嘆くこともないから実に快適だ。ただ、当然ながら猛烈に寒い。今日出掛けてったトコなんて終日吹雪きまくりで、山頂の気温はマイナス15度だった。思わずおれはカラス天狗みたいな黒いフェイスマスクを買ってしまった。分厚い靴下とインナーに守られてるにもかかわらず足先がジンジン冷える。グローブにしたって結構厚手で高性能の物をしてるにもかかわらず指先がかじかむ。何本か滑っては頂上のレストハウスに入って暖を取り、を繰り返す。

 そうしてボーッとストーヴの前に座りながら、スノボにハマッた当時のことを思い出したりもしたのだった。

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 おれがスノボに乗り始めた頃は、まだ大きなスキー場では禁止になってるトコが多かった。関西最大のハチ・ハチ北なんかがまさにそうである。実際、滑って行くラインが異なるから、長年スキーに慣れ親しんだ人からすれば予測不能の動きをするし、そもそも突然コケるし(笑)、ゲレンデの真ん中にへたり込んで邪魔だし、なんかチャラチャラしてガラ悪そうだし・・・・・・で、排除しようとした気持ちは分からないでもない。スキー場は常連、それも家族連れで何泊もしてくれるようなお客さんが一番の上客で、その人たちに嫌われては商売上がったりなのである。どだい、若いボーダーは地元に金落としてくれない。リフト券もロクに買わずハイクアップしては飛んだり跳ねたり回ったりで、昼飯は買い込んできたコンビニのおにぎりなんてこともある。

 しかし、このブームを天佑と捉えたスキー場も一方であった。リフト数本、ヘタすりゃ1本きりの有象無象の小規模なゲレンデである。多くは60年代の第一次スキーブームの頃に作られたのが、全国各地で細々と生き残ってた。「私をスキーに連れてって」で盛り返して辛くも命脈は保ったが、それもすでに一昔以上の話となって、明日をも知れん状況に陥ってたのだ。それがとにかく「スノーボード全面滑走可」・・・・・・これを掲げるだけでボーダー達はワラワラ群がった。え!?金落としてくれないんとちゃうん?それは物の喩えで、金もってるファミリーに比べたら、の話である。これら零細スキー場は大きなところに集客されて、客自体がほとんど来ない悲惨な状態だったのだから、到来したスノーボードブームは千載一遇のチャンスだったのだ。

 前置きが長くなった。おれが通い詰めたのもそんなところだ。要は近場ではそんなところしかなかった。

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 まず挙げるべきは美方奥ハチ(現:ミカタスノーパーク)だ。ここは最初の板を買った年から翌年に掛けて何度も通った。リフトは4〜5本あったと思うのだけど、行くのが平日ばかりなのもあってか、上の方は動いてなかったような記憶がある。もう、滑ってるのはスノボばかりで、スキー板履いてるのなんて、そこのスタッフだけぢゃねぇのか?っちゅうくらいにスノボが溢れ返ってた。
 実のところこのスキー場、小さいけれど素性は悪くない。リフト乗場前が結構な急斜面で無駄にフラットな部分がなく、逆に上の方が緩すぎも急すぎもしない広いバーンになっている。距離はメインのペアから真っ直ぐ下って1,000mくらいだろうか。

 今でもハッキリ思い出す。一人で出掛けてって、まだマトモにスケーティングもできんのにボード履いて、ドキドキしながら初めてリフトに乗ったこと、降りるときにいきなりコケたこと。その1本目でスイスイ滑ってく他の客を前にズリズリさえできず、何十回も転倒しながら雪まみれになって、ようやっとの思いで下まで辿り着いたこと。リフト小屋のオッチャンに「しゃーよぉ(あっちの方言で一生懸命の意味)頑張りや!」と励まされたこと。それでも8本目(なんとまぁ、1日でたったそれだけしか滑れなかったのだ!)の最後、西日に輝くゲレンデでテールを振って思い切り板をズラしながらとはいえ下れるようになったこと。それから行くたびにメキメキ上達して行ったこと。本数を稼ぐため、靴も脱がずにリフトに滑り込んでたこと。上のカレー屋の裏の崖みたいなところを、ただもうコケながら落ちてったこと。金が無いもんだからそのカレー屋のカツカレーが食えず、いつも普通のカレーだったこと。それでもビールだけは買い込んでたこと。リフトの橋脚下のコブをキッカーに跳ぼうとして回り切れずに大転倒したこと。緩斜面から落ち込むところで綺麗に飛べたこと・・・・・・etcetc。

 自分の原点はあそこだ、と思う。

 翌年の途中くらいから、一緒に行く連中が増えたこともあり、大阪からだとかなり手前の東鉢伏(現:ハイパーボウル東鉢)に拠点は移った。ここもボーダー天国で、尾根を挟んで反対側のソラ山(現:スカイバレイ)がスノボ禁止を墨守して閑古鳥が鳴いてたのと裏腹に、我が世の春を謳歌してた。実際、昼飯食いに入るレストハウスのオヤヂがそぉいってたんだから間違いなかろう。そぉいやたしか手前には葛畑ってリフト1本だけのスキー場もあったが、いつもリフトは止まっていた。今でもあるのかしらん?
 アップかんなべなんかと並び、ここには関西の上手い人が集結してた感がある。また、奥ハチではかなりアルペンのボーダーもいて独特のキョンシーみたいな乗り方でカッ飛んでくのを見かけたが、ここはフリースタイル命!みたいな連中がほぼ100%だった。おれはリフトに乗りながら、上手な人の滑りをジーッと観察しては、自分の滑りに活かそうとああでもないこぉでもないと工夫してた。重心を前に落として軸足をキチンと踏み込むとか、ちょっと後ろノリでスケートライクに乗るとかの意味が何となく分かって来たのもこのスキー場でだ。多分、この頃が体重も軽くて最も跳びまくってた頃で、谷間に落ち込んで行くところをリップに、今から思えば恐ろしいほどのスピードで突っ込んで行ってた。サポーターにしたって尻や膝は勿論、手首にまでつけてた。実際それに助けられたこともある。
 このスキー場、コンパクトな割にはてっぺんから下まで通しで滑ると2,500mくらいあってそこそこ滑り応えが得られるだけでなく、ものすごい急斜面、一枚バーン、林間コースと変化に富んでるのも楽しかった。リフトが比較的長めなのもボーダー向きだったと言えるだろう。欠点は真冬でも下の方では雪が柔らかく、ひどいときは泥のシャーベット状になってる箇所もあって、板がすぐに汚れてしまうことだった。

 這えば立て、でたまに気分転換に違うところに行くこともあった。余呉や伊吹山5合目は忘れられないゲレンデだ。ちなみに前者は規模こそ小さいがナカナカ人気のあるスキー場で、北陸なのに意外にゲレンデの少ない福井県からの客が多かった記憶がある。全体のイメージとしては東ハチに似た感じだが、スキーセンターなんてローカルな東ハチとは比べ物にならないくらい立派な建物だった。ただ、奥琵琶湖というよりは一山越えれば日本海なので、雪起こしの雷がゴロゴロ鳴り、霰みたいな氷の粒がバチバチと顔に当たるハードさには往生したが・・・・・・。たしかヤンキーモーグルなA、おれよりド素人なO、美人のYちゃん、てなボードとスキー半々のメンバーで行った。みんな今でも元気にしてるだろうか。

 凄まじかったのは後者、伊吹山5合目だ。関西ではありえないくらいに早い時期である11月からオープンしてると聞いて、行ってみたらこれがもぉとんでもなくひでぇの!だって、周囲にまったく雪無いんだわさ。おっかしぃなぁ〜、とレストハウスに行くとちゃんと開いててチケット売ってる。それにしても、どこがゲレンデなんですか?って思わず訊いちゃったくらいに穏やかに晴れた晩秋の山の風景だ。
 指差されたのは、ちょっと山蔭になったような谷間で、見ると貧弱なシングルリフトが隅っこで動いてるのが望まれた。

 近寄って愕然としたね。何もない雑草の山の斜面に緑色の巨大な歯ブラシ状のマットが敷き詰められてあって。そこに人工雪が申し訳程度に貼り付けられてあるだけ。どうだろ?幅にしてせいぜい10mといったところか。まぁ、チケットも買っちゃったし仕方なく滑り降りることにする・・・・・・って、チョー短かっ!!200mくらいしかあらへんやんか。
 当然ながらエッヂ立てて滑ると雪は削られる。そうすると緑の歯ブラシが現れる。あまり板にとってはよろしくなさそうに見える、だいたいコケでもしたら摩擦で火傷しそうだ(笑)。
 コース途中にはジーサンが立ってて、雪がめくれてくるとホースから、おそらく製氷機で拵えた氷を砕いたものだと思うが、ブワーッと白い氷の粉末を撒き散らす。何が悲しゅうてここまでして滑らんとアカンのや!?って情けない気分になって来る。それでも金は払ってしまった。おれたちゃ貧乏だ。元は取らなくてはならない

 恐らく本数だけで言うなら、この日の記録を塗り替えることは一生あるまい。少なくとも5〜60本は滑ったろう。もは半ばやヤケ気味に得意の靴脱がずにリフト滑り込みでクルクルクルクル、その姿はまるで輪っかを回るハムスターだった。

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 快適さを求めるなら、豊富で最新鋭のアメニティを求めるなら、コースや風景の変化を求めるなら、そりゃもぉ絶対に名の通った大きなスキー場に行った方がいい。
 しかしもし貴方が全くの素人でイチから覚えたい、と思ってるなら、おれは小さなスキー場を勧める。そしてコケつまろびつで半泣きになってもしつこく、ひたすら同じコースを何度も滑り降りながら、基礎を叩きこむのがいいと思う。あちこちのゲレンデをつまみ食いするばかりよりは絶対に上達が早い。

 それに小さなスキー場には小さいなりの捨てがたい味がある。実はボード乗りに優しいシングルリフト、その遅いリフトが滑車を越えるときに鳴らすカタカタいう音、巨大な花を想わせる転がった雪玉が年輪状に成長して倒れて割れたもの、古びたレストハウスの畳張りの休憩室、煙突の飛びだした煤けたストーヴ、色褪せたポスター、微妙に野暮ったいゲレ食、割烹着のオバチャン、ドカジャンのオッチャン、夕方になってホントに自分以外誰もいないんぢゃないかっちゅうくらいに人が疎らになったゲレンデ、学校帰りに来る地元の中高生、山々にこだましながら流れる「蛍の光」・・・・・・何となく裏寂れたような、ワビサビの雰囲気はそれはそれでいいもんだ。

 ただ、淘汰は進んでいる。零細なものが生き残るには付加価値しかないのだけれど、「スノーボード全面滑走可」はあまり長続きする特別なバリューではなかった。90年代末期あたりから大きいところが、さすが雪山だけに雪崩を打って軒並みスノボOKに方針を転換したのだ。そうなれば客は再び大きなところに流れてくに決まってる。しかし、その大きなゲレンデさえも集客に苦しんでるのは冒頭に書いた通りである。今や有名どころのスキー場なんて、ワヤワヤうるさい中国人に占拠されたといっても過言ではない。寂しい話だ。

 そうそう、この地に来て最初に出かけるゲレンデに、おれはリフトが3本しかないところを選んだ。しばらくブランクがあったので勘を取り戻す、って技術的な目的もあったけど、とにかくそうすることで何となく、初心に帰れるような気がしたからだ。

2012.02.14

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