「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
パスハントはイヤや


1982年、木曽から飯田に抜ける大平街道にて。左がおれ。右は誰だったっけ?

 近年、世は自転車も大ブームである。

 中高年が支えてる山登りブームとは異なり、こっちは年齢層がかなり下の方に広がりを見せているのが異なるところだ。たまに所用で麻布や赤坂・六本木なんざ行くと、坂道の多い街なのにもぉ自転車だらけ。人種はおおむね2種類に分けられる感じ。片や高そうなロード、あるいはMTBをメッセンジャーバッグ斜に背負ってシャーコンシャーコン漕ぎまくる書類配達のバイト、片やセレブかそのモドキかは知らないが、ミニヴェロとか折り畳みに乗ったミョーに小洒落たオネーサン達。
 最近は川沿いにサイクリングロードが整備されるケースが増えてきて、家から少し行ったところにもそんな専用道があるのだけど、休日などウジャウジャ走ってる。専門誌も増えたし、いろんなトレンド雑誌での特集も増えた。エコロジーとかに加え、都市部の渋滞や駐車場不足があまりにもひどく、自転車で移動した方がよっぽど速い、って実利的な要因も強いのかも知れない。

 ・・・・・・あ〜、この辺のくだりは以前書いたっけ。

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 自分の中でもこのところ、自転車熱が盛んになってる。ここまでの人生でこれが4度目、かな。

 何のことはない、そもそもの発端は肥満解消・ダイエット・メタボ退治、ってなことを考えてて、そんでもってやっぱ近所の散歩だけだと気が滅入って、だんだんと億劫になってしまってることに気付いたのだ。
 だってさぁ〜、歩いてるの大半がジャージ着た年寄りばっかなんやもん。そこに交じって歩くのは、タマにはいいかも知れないが、いつもはやっぱぶっちゃけ辛い。

 なら昔取った杵柄で自転車はどや?

 平日、帰宅後に1時間走ったとしても15〜20kmくらいはウロウロできるから目先も変わっていいだろう。歩きだと家のホンの先まで行ったらもう引き返さなくちゃならない。特に用事のない休日とか、本気で何時間か走れば相当の運動にもなる。それに、最近一つのテーマにしてる、ローカル線の全線踏破の手段にも使えるかもしれない。途中の全駅に丹念に寄りながらだと、一日で歩けるのはせいぜい30kmである。これより長いローカル線だと途中で日が暮れる。暮れた所が街中だったりしたら野宿の場所にも難渋するではないか・・・・・・え!?行程を調整しろって?

 しかし、ジャイアントの安いMTBは引っ越すときに捨ててしまった。新たに買わなくちゃならない。しかし、1万円のママチャリではいささか厳しい。おれの今の体重だと安物自転車ではフレームがマジでよれてしまう。それどころか、折れたり曲がったりするかもしれない。やはりそこそこの出費は覚悟すべきだろう。恐る恐るおれはヨメにお伺いを立ててみた。
 意外にも快諾。そうだった。ヨメは健康増進に関することにはひじょうに積極的、かつ協力的なのだった。

 15年ぶりくらいにおれは自転車を買うことに決めた。この前のMTBは近所の足に買っただけで趣味性は乏しかったから、こだわって買うのは学生の時以来になる。色々ネットで情報を仕込むのは楽しい作業だ。
 その一方で、かつて何で自転車に嫌気さしちゃったんかをここで改めてキチンと整理してみることにした。だって、それなりに投資してすぐにイヤになったらもったいないモンな。前のエッセイではおもしろおかしく、ただもう単車に興味が移ったようにサラッと書いたのだけど、チャリ止めて単車に移行するまで、実はちょっとした葛藤と逡巡があったのだ。

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 当時支配的だった「パスハント」っちゅう考え方に、どうにも馴染めなかったのである。

 パスハントとは、要は峠至上主義、みたいな自転車の乗り方である。いくつの峠を越えたか?が価値基準なワケだ。だからパス(PASS・峠)をハント(HUNT・狩る)。数に加えて、標高が高いほど、また道が荒れてるほどありがたがられる。登山に非常に近い考え方だ。そんなら北アルプスの大キレットでも越えろ、って?(笑)・・・・・・まぁまぁ。

 山がちな地形と道路整備の遅れから、80年代半ばくらいまでは都市近郊でも未舗装の峠道がけっこう残ってた。日本のサイクリングはそのような状況を背景に、メンタリティの部分で日本人が本来持ってるワビサビ志向や求道性も加わってか、このパスハント主体に自転車の仕組みや考え方が形成されてきた。比較的軽装なランドナーからカバンをたくさんくっつけたキャンピングやツアラーまで、ロード以外は全部その呪縛に囚われてた、と言ってもよかろう。
 なお、このパスハント、どうやら和製英語らしく外国では見かけない。だからこの点からも日本独特のものだと思う。

 実際「パスハンター」ってそれだけに特化した自転車もあった。今でもあるんかな?おおむね自然に同化するような地味なアースカラーで、ユーレーだとかサンプレだとかちょっと古めのパーツをつけることが好まれた・・・・・・とはいえ、パッと見はランドナーと区別がつかない。
 違いはギアだ。極端にフロントのアウター(重い方)とインナー(軽い方)のギアの歯数が異なるのが特徴で、小さい方が22なんてーのもあったな。リアのフリーの一番大きいのが通常24とか26だったから、前の方が小さい。漕いでも進まんがな。押した方が速いで(笑)。

 知らない人にちょと説明すると、インナーからアウターにギアチェンジする際、歯数の差が大きいほどチェーンを引っかけるギアの歯が少なくなるので、慎重さと慣れが求められる。無理やり力掛けたりすると歯を歪めたり、最悪、欠けさせたりってコトにもなりかねない・・・・・・つまりマニアックなのである。これを避けるには中くらいの大きさのを1枚はさんで3枚(トリプル)にすれば良いのだけど、敢えてダブル。おれはこんなむつかしいの扱えるんだぜ!みたいなんがあったのかも(笑)。
 余談だが、昨今一般的になったコンパクトトリプル(フロントに通常より小ぶりの3枚ギア)は、このような経緯を考えると日本の道路事情に実に良く合ってると思うのだが、いかがだろう?

 ややこしいことは抜きにして、ともあれそんなんがランドナーとかツアラー系の究極みたいに思われてた。

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 以前も書いたとうり、大学に入っておれはサイクリング部に入った。入ってみるとロードやるヤツは皆目おらず、ほとんどがランドナー系でタイヤの太いのん。クリンチャーが普及するまでのロードは今よりはるかに専門的で、維持する手間も金もとてもかかるものだったから当然かもしれない。おれは元々ツアラー志向が強かったので、好都合な気がした。

 運動部だけあって当然、練習がある。比叡山に向かう山中越え、鞍馬の奥の花脊峠、さらにそっから大原に抜ける百井峠、途中峠、保津峡の近くの六丁峠や若狭に抜ける京見峠、なんてーのを放課後、えっちらおっちら(←ちょっと死語)登るわけだ。時にはサイドバックに電話帳なんか詰め込んでワザと重くして(笑)。まだ百井や途中、六丁なんて未舗装だったんぢゃなかったかな?
 脚力をつけるための練習だと思ってたし、まぁ、登り切ってしまえばあとは当然下りだし、それに何より遠出の気分が味わえるのが楽しかったから、しんどいだけでまだその時点ではあまりヘンだとは思わなかった。

 夏休みが近づいた。部員は先輩をリーダーとするいくつかのグループに分かれ、2週間ほどのツアーに出る。おれは信州方面を選んだ。

 ゴチャゴチャは書かない。結論を言うと、全体的にはあちこち行けて楽しかったけど、何でそんなに峠に拘わんなきゃならんのかが、おれにはどうしても理解できなかった。ワザワザ迂回してまで、さらにはまだマトモに道さえできてないようなルートを自転車押したり担いだりしてまで辿る必要があるのか?
 大変な思いして峠に着いたって、ほとんどの場合、何もない。茶屋さえない(笑)。せいぜい看板が立ってるだけだ。時には切り通しだったり草ボウボウだったりで、まったく眺望が開けないこともある。下りがダートだと前傾姿勢もあってこれまたひじょうに疲れる。爽快感もヘチマもない。しかし先輩は、「いや〜、以前の**峠よりひどかったなぁ〜」とか何とかのたもうてひどく満足そうだ。マゾか!?オマエは?
 当時はあまり疑うことを知らなかったので、それが自転車、とりわけランドナー乗りの正しい所作なんだと思って一生懸命合わしながら、しかし心のどこかに違和感が絶えずくすぶっていた。

 いや、しんどい思いした後の達成感を否定する気はないし、いささかの冒険心みたいなんがそこにあるのも確かだろう。また、旅のテーマはあれやこれやテンコ盛りにするより、何かに絞り込んで特化した方がより濃密な体験ができることも事実だ。しかし、パスハントだけを唯一無二の至高のものとして、あとは一顧だにしないどころか、どことなく高いトコ目線なのは何か違う。
 そう感じつつ、そんな風に感じることがとても間違ったことなんだ、と自分に言い聞かせるところですでに間違っているよね〜。

 パスハントしなければ真のランドナー乗りとはいえない、みたいな雰囲気がイヤで、おれは自転車そのものがイヤになって行った・・・・・・と書ければ良いが、あの当時の心情としては、峠に興味が持てないおれはどうやらランドナー乗りとしては異分子だし失格なんだな〜、って挫折感だった。可愛いトコあるやん、おれも(笑)。

 しょうもない話だけど、相前後して、秋の学園祭の模擬店で出す食べ物のメニューを巡って部内でモメた、っちゅうのもリタイアを後押しした原因だと告白しておこう。

 平たく言うと、幹部の出したアイデアの欠陥をおれは指摘したのだけれど、受け入れられず、また、賛同する者は誰もおらず、すっかり自分がクラブ内で浮いた存在になってしまったのである。
 無論、非はおれにもある。昔からの悪いクセで、他人に筋道立てて丁寧に説明するのがどうにもめんどくさく、途中をスッ飛ばして断定口調になってしまうのだ。ナンボ正しいことでも、聞かされる方はそらムッとなるわな。さらには異常に雑学に長けてるものだから、何も知らない他人には根も葉もないことを断定しているように聞こえるのもあるだろう。
 今思えば、新入生は新入生らしく、ガンウェル(岩井商会)あたりの安いフレームにサンツァーとかで最初の自転車組むのに、いきなり全国にその名を知られるVIGORE(ビゴーレ)にほぼフルカンパ(全部カンパニョーロ、って意味。カンパはイタリアの部品メーカー)なんて構成でこしらえたあたりから実はすでに、鼻持ちならないヤツとして疎んじられてたのかもしれないが・・・・・・。

 ちなみにプランは実行され、結果は指摘した通り惨憺たるモノになったのだが、すでに気分が冷え切ってたおれは、他人事のように傍観するだけだった。

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 いい時代になった。

 ハードに山道下るサスのついたMTBもあれば、スケボーと変わらぬトリックを決めたりするBMXもある。ロードは敷居が低くなったのか金余りなのか、外国製で目の飛び出すような値段のがフツーに走ってたりする。全部を折衷したようなシクロクロスなんてーのもあれば、超高性能な折り畳みもある。一部の好事家だけのモノだったミニヴェロもやたらと見かける。代わりにもっともオーソドックスだったランドナーはすっかり下火になった。
 乗り方だって千差万別だ。水系に沿って遡上するも良し、街中を行くも良し、公園でハデに飛び跳ねるも良し、クルマに積んでってギンギンに走り込むも良し、効率的な観光の足とするも良し、もちろん峠を攻めるも良し・・・・・・そこにヒエラルキーはない。何をするかは自由だぁ〜っ!!ってか(笑)

 今なら複雑な思いを抱かず、肩の力を抜いて時速15kmの世界を愉しめそうな気がする。

 誤解のないように最後に申し添えるならば、パスハントが無上の楽しみだ、って人をダメ、って気はサラサラない。あっていい。むしろ趣味としてとてもシブくていいと思う。ただ、おれはイヤだしやらない、と言いたいだけだ。

 おれの中で峠は目的地ではなく、通過点に過ぎない。


【補足】
 泥縄で色々調べてみたら、今のパスハントはより過激になって、一種の山岳サイクリングの域にまで達しているようである。当時はそこまでの概念はパスハントになかったので、単に「道のある峠を好んで登ること」くらいに思って読んでいただいた方が理解しやすいかもしれない。


同年、たぶん能登・七尾駅にて。右から二人目の態度デカいのがおれ。左側のコは美人だったなぁ〜。

2007.10.13

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