「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
霊峰登攀記


山頂食堂にて。ハラが出てるのは服のせいです。


 無論、タイトルはウィンパーの古典的名著「アルプス登攀記」のもじりである。これはずいぶん昔に読んだけど、中身はきれいに忘れてしまった。
 思えば中学の始め頃の一時期、新田二郎の山岳小説を契機に、登山文学とでも言うのだろうか、そんな本をいろいろ読み漁ってた。槙有恒だとか加藤文太郎だとか芳野満彦だとか、まぁ有名どころばっかだったけれど。

 つまり、山登りに元々興味はあったのだ。

 しかしながら生来の気の小ささが幸いしてか災いしてか、高い山にマトモに登ったことが皆無のままこの歳まで来てしまった。そして座職と運動不足と連日の暴飲暴食のせいですっかり太ってしまった。これではイカン!イカンイカンイカン!・・・・・・と、山道具を少しづつ揃えながら低山ハイクでカラダを鍛えようと目論んでたのであるが、数ヶ月前にわかに同僚たちの間で富士山計画が盛り上がってきたのだった。

 「来てみればさほどまでなし富士の山」とも言うではないか。何でも夏富士人気は年々高まってて、登山客は10年前の1.5倍に増えたらしい。道具ならすでにある。ならばおれも、と一念発起したのが今回のキッカケなんだけど・・・・・・あ〜、ナサケねぇ。

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 雨は宵の口になんとか上がったが、金曜の夜、東名・裾野ICを下りてしばらく行くと、すぐに周囲は深い霧に覆われてきた。10m先も良く見えない視界不良の中、グネグネと有料道路を上がり、終点の富士山新五合目に到着。すでに駐車場はクルマで一杯。赤色棒持った誘導員もウジャウジャいる。ヘッドランプつけてレインウェアを着込んだ連中が続々と登山口に向って歩いていく。

 ここはすでに標高2,300m。くどいようだが、濃霧でほとんど視界が利かない山の中で、こんなに人があふれてるのは異様な光景である。そりゃぁ仕事済ませてスーツ姿のまま到着したおれたちもじゅうぶん異様とはいえ、まさかこんなに仰山の人が詰めかけてるなんて思いもしない。おれは富士登山人気の高さを甘く見てたことを知った。

 当初の計画では、未明まで車中かどっか空地にテント張って仮眠して、と思っていたが、この騒がしさではとても眠れそうにない。第一平らなスペースは全て駐車場になっててテントどころではない。
 仕方なく、おれたちは寝ないでそのまま登り始めることにしたのだった。疲れたら途中の岩室で少しづつ休憩しよう、と。

 こうしてまるで無計画なアホそのもので、暗い山道を数珠つなぎになって頂上目指す登山者の列に加わったおれたちだったが、じきに激しく後悔することになる。第一、今週おれは3泊4日の遠方への出張があり、連日遅くまで仕事してた。つまり、最初から睡眠不足、っちゅうワケなのだ。

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 6合目の小屋にはすぐついた。これなら楽勝と、次の新7合目を目指し始めるが、急に風が強くなってくる。いや、強風どころかこりゃ台風並みの暴風やんか。樹林帯を抜けてしまっているので、あたりは岩と火山礫中心のノッペリした斜面が広がるばかり。風を遮るものはほとんどない。岩場で突風に吹かれるとバランス崩しそうになる。トレッキングポール(ストック)のありがたみを心底感じるが、酸素が薄いせいで息が上がり、いつしか気づくとコースに張られたロープにすがって、ストックは単に手首に絡み付けられ、引きずられるだけの棒になっていた。

 オマケにひどく寒い。レインウェアの下にフリースも着込んでいるのに、強風で体温が奪われていくのが分かる。スキータイツも持ってくれば良かった、と思っても後悔先に立たず。ここはすでに標高3,000m近くになっている。もう行くしかない。
 歩きながら意識が遠のいて、気づくと岩陰にしゃがみこんでる自分がいた。どうやらそのまま眠り込みそうになっていたらしい。気力を立て直して再出発、ハッと気づくと、また座り込んでる・・・・・・これの繰り返しでようやく元祖7合目に到着したが、もう寒さと眠さと疲労と高山病の頭痛でバテバテ。一歩も動く気になれない。

 何でもいいから少し仮眠しよう、とおれは同僚たちに告げた。全員おれより一回り以上も若く、オマケに普段からフットサルぢゃマラソンぢゃ、と鍛えてるのだが、そんな彼らでも少なからずしんどかったみたいで、提案はアッサリ受け入れられたのだった。
 そこだけ風のない物置小屋に降りる2〜3段の階段の窪みに座り込んだ途端、失神するようにおれは眠り込んだ。10分ほどだと思ったが、時計を見ると1時間半くらい経っていた。

 暗闇の中をノロノロと歩き始める。晴れておればさぞかし下界の夜景が綺麗なんだろうが、麓は雲に覆われているらしく、黒く沈み込んでいるだけだった。相変わらず強風が吹きまくり、寒い。8合目あたりで夜が明けてきたと思うが、意識が朦朧としていて良く覚えていない。
 相変わらず少し進んでは岩陰にしゃがみこみ、の繰り返しで、おれだけがだんだんと一行から引き離されていく。ちょっとでも油断すると足が止まってしまうのだから、遅れるのも仕方ない。他の登山客も後から後からどんどん追い抜いていく。しかし、もう悔しささえも感じなかった。おそらく人は遭難するとき、このようなひどくなげやりで無気力な気分で死んでいくのだろう。

 9合目で再び大休止。金剛杖の焼印を炙る囲炉裏の前で、火の暖かさを初めて知ったような気持ちでまたもや仮眠。ここのところの梅雨空がウソのように晴れ上がった中、ラストスパートをかけて9時、ようやく頂上の浅間神社に辿り着いた。呆れるほどたくさんの人が周りにタムロしている。
 登り始めて10時間以上もかかったことになる。最初にシッカリ仮眠してから登るのと、結果的には変わらないペースだった。

 同僚たちはやはり若い。完全にグロッキー(死語だなぁ〜)で、ア〜もス〜もなく休憩所の丸イスに座り込んでしまったおれを尻目に、そのまま剣ヶ峰目指して行ってしまった。いっしょに行く気が微塵も起きなかったのは言うまでもない。

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 下りは下りで難行苦行の連続だったが、詳細はもう割愛する。ともあれ、膝が完全に笑ってしまってるおれは何度も滑って尻餅をつき、四十肩で傷めてる右上腕の付け根あたりに激痛を走らせては顔を歪めていた。誰よりも歩みはトロく、貧相でトボトボしていたことは間違いない。

 3時、駐車場に戻り、クルマのシートに座ると、おれはモノも言わず眠ってしまった。時刻からするとこの後のキャンプ場のこと、風呂のこと、食材購入のこと・・・・・・組み立てるべきことが本当は沢山あったのだけれども、頭が煮えまくって考えることを拒絶していた。

 そぉいやぁ別の諺で「富士に登らぬバカ、二度登るバカ」と言われる・・・・・・富士に関してはおれはこれ以上バカにならないような気がする。懲りましたたわ。


こんな風に見えたら感動したんだろうなぁ〜
http://www.pref.yamanashi.jp/より

2006.07.27

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