「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
札幌へ


閑散とした帯広の町


 16時22分帯広発札幌行きの特急「とかち10号」は、青い5両編成。グァラグァラグァラグァラとにぎやかなディーゼルのエンジン音を響かせて既にホームに停まっていたが、肝心の乗客の姿はサッパリ見えない。ホームだけではなく、巨大な駅構内全体にも、人の姿は疎らである。少々早く着いてしまったおれは手持ち無沙汰で、もう少し後から開けようと思っていた「北海道限定」とやらの発泡酒をもう飲み始めている。

 思えば、帯広の町自体寂しいところだ。道東の玄関口の都市とはいえ、人口僅かに15万人。駅前にはホテルがいくつも建ち並ぶが、通りを行く人も、クルマもほとんど見かけない。オフシーズンで雨模様の日曜日だからかな?と思っていたが、今朝になって、普通なら通勤通学客が行き交うであろう7時半に通りに出ても、状況は同じだった。

 特急は派手な外観のわりに、車内は少々くたびれている。古い車両を改造したものなのかも知れない。天井付近からはエンジンの振動に合わせて、何かの部品が外れかかっているのだろう、ジージーと別のノイズが耳障りだ。定刻となり、一層エンジン音がやかましく響き渡って、列車はゆっくりと動き出した。発泡酒は当然もう残っていない。しまった!これから3時間近くも乗るのに!
 結局、同じ車両には10人くらいしか乗客はいなかった。一体、全部で何人乗ったのやら。

 通過する駅にも停まる駅にも人の姿は皆無。たまに来る対向列車は特急がほとんどで、既に鉄道が地元民の足としての機能を喪っていることが良く分かる。おれはあまり列車で熟睡できない方なので、ぼんやりと外を見ながら、半分眠っていた。
 新得を過ぎると雪が深くなる。真冬の景色だ。そして、駅そのものがなくなる。スキーリゾートで名高いトマムや次の占冠は、駅間距離が40kmくらいあって、途中、ところどころに列車交換のためだけの無人の信号場があるだけだ。それもそのはず、人家が全くない。併走する道路にもドライブイン等の施設が見えない。何ちゅー人口密度だ。

 新夕張でやっと町らしい町に出た気がした。しかし、ここからは支線が出ているというのに、無闇にだだっ広い構内にやはり人の姿はない。寂寞、索漠、っちゅーのはこぉゆう景色のことなんやろうな〜、と思ってるうちに、また少しおれは眠り込んでしまった。

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 物心ついた頃から、おれは鉄道が好きだった。家の近所を関西本線が通っていて、側に卸売市場とくっついた巨大な貨物駅があり、行けばたいていノロノロと貨車の入換を蒸気機関車がやっていた。高架の上を走る貨物列車も蒸気機関車で、長い汽笛といつまでもたなびく煙が印象に残っている。

 もう少し大きくなってからも、南海電車を橋本で乗り換えて和歌山線に乗りに行ったりしていた。細かいことは忘れたが、キハユ15だったかな、とても珍しい形式のジーゼルカーが走っていたり、タブレット交換が見られたり、すでに使われなくなっているとはいえ貨物側線がどの駅にも残っていたり、あるいは北宇智のスイッチバック、以前にも書いた大和二見からの貨物線等、衰退しながらも色々な風物が残っていたからである。

 いつからか、鉄道で移動することに、気が滅入るようになった。パンク少年になったのも無論あるけれど、あまりにも鉄道の風景から一切合財が喪われてしまったからだと思う。面白くもなんともない。
 それでも、何かの機会にイタズラ心を起こしてバカなことをやる時がある。東京に来てからも、一区間運賃グルッと回りはヒマにあかせて2回ほどやったし、姫路〜広島間を鈍行で行く、というのも出張のついでにやった。そうして、ますます気は滅入っていった。

 丸田祥三という写真家の「棄景」という作品集がある。廃虚ブームの火付け役ともなった一冊で、雑草に埋もれ、朽ち果てた鉄道施設や廃車体を、広角で陰翳の濃い、やや沈鬱な画風にまとめたものだ。最近ちくまから文庫化もされたのでご存知の方も多いだろう。
 作者はおれと同年代の生まれである。つまり、戦後の復興と高度経済成長と、その後に続く空洞化と、虚業の繁栄と崩壊を見てきた世代、というコトだ。

 また、最近出た「模『景』を歩く」(ネコパブリッシング)という本がある。これは鉄道趣味の人間でないとまず買わない類の本で、日本に僅かに現役で残る古い鉄道風景を、恐ろしくマニアックな視点で集成した本である。余談であるがこの「ネコパブリッシング」、カラー写真満載で紙質の良い大判の本を、こういった趣味本にしては珍しく、かなりお安い価格で提供しているので好感が持てる。お高く止まってるなよ!機芸出版!(笑)

 さて、この本の後書きがとてもいい。この一文のためだけにでも買う価値があるのではないだろうか。おれの言いたいこと、あるいは「棄景」で丸田が表現したかったことを、大変明快にまとめているように思う。ちょっと引用してみよう。

 ------鉄道のみならず世の中のすべてが大きく変わろうとしていたのである。〜〜 中略 〜〜 模『景』を歩いた日々の中で期せずして私たちが目にしてきたのは、20世紀的産業構造が音を立てて瓦解してゆく姿にほかならなかったのかも知れない。

 「20世紀的産業構造」が何であるかをここでくどくど述べる気はないが、とまれ、鉄道施設や沿線風景だけではない。「日本の地方」そのものが今や、巨大な一つの「棄景」と化していることを、暮れかかる空の下、過ぎて行く昔のヤードや軌道敷と思しき、まばらに雪の残る荒れ放題の空き地を見ながら、おれは了解したのである。

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 19時14分、今までの閑散とした風景がウソのように帰宅客でごった返す札幌に列車は定刻通り着いた。眠りだけでなく、感傷的な夢想からも覚めたおれは、すぐさまホテルに荷物を叩き込むと、今までの憂鬱モードはどこへやら、職場の人間と待ち合わせた飲み屋目指して、一路、ススキノの街に繰り出して行った。

2005.04.13
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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