--------最初におでんを注文してください。
--------え!?あ!?
--------店に入ったら箸の上げ下げまで全部私の言うことを聞いてもらいます。
--------はぁ・・・・・・ほしたら、ごぼてんとコンニャクと厚揚げ・・・・・・
--------今日はひろうす(がんもどきのこと)とレンコン、美味しいよ。
--------(それ食え、っちゅうことやんけ!)あ、ならごぼてんと厚揚げやめてそれにしてもらえます?
--------よかったね。うちのひろうすとレンコン、本気で美味い。
--------(何や?自慢かいな)・・・・・・え〜っと、んで、お酒は・・・・・・
--------最初はビール、飲んでもらいます。
--------(おでんやろぉ〜がぁぁぁぁっ!!熱燗はアカンのかい!?熱燗は!)・・・・・・は、はい。
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・・・・・・小ネタのツモリで始めたら、意外な長編になってしまった。
今回は真打ち、京都・下鴨神社は糺の森近くにあった「素人料理N」の登場である。最後に行ったのはもう15年前、当時ですでにオッチャンは60前後だったので、もう多分商売も畳んでしまったのだろう。ネットでいろいろサーチしてみたが、残念なことについに何も情報が得られなかった。
おそらくここは京都だけでなく日本でも1・2を争うヘンな店だったと断言できる。その後、大阪に暮らしてからもずいぶんヘンな店は行ったが、いずれもここの足許にも及ばなかった。そのバカバカしくも素晴らしい体験を少し後世に残すことが、いくばくかのトリビュートになるのでは?と思いまとめてみることにした。ちょっと長くなるのはご容赦願いたい。
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その店の情報を最初に引っ張ってきたのは、以前紹介にもした怪人の集う喫茶店「U」にタムロする一人、自称写真家のBさんだった。
曰く、下鴨本通を少し入ったところにすごい飲み屋がある。そこは非常に狭くて汚くて店の前にはトロ箱が積み上げられていて、開店してても鍵が掛かってるし、客がいないと電気も消してる。ドアをガンガン叩くと眼光鋭いロン毛のオヤジが出てきて、一人一人誓約をしないと店に入れてくれない・・・・・・と、やや興奮気味にBさんはその店で体験したことをしゃべりまくるのだった。
「あんさんかて目付きギョロッとしてて猛禽類みたいやんけ」と思いながら俄然興味の湧いたおれが一人で出かけていったのは、その話を聞いてから1ヶ月ほどたった頃だったと思う。
店はすぐ分かった。話に聞いていた通りの小さく小汚いトコで、鍵が掛かり店内の灯りは消えてるが、それでもくすんだ紺ノレンで開店していることが分かる。周囲は魚臭さが一面に漂う中ドアを叩くいてしばらくすると電気がつけられ、建てつけの悪い戸を開けてスウェット上下にハダシのオッサンが出てきた。イガグリ坊主にボウボウのヒゲ面で、眼光が異常に鋭い。ヘアスタイルこそ違え、これが噂のマスターだろう。その顔は今で言うならダウンタウンの松本人志にソックリだった。典型的な偏屈&変人系の顔立ちだ。
そしていきなり、
--------規約守りますか?
--------規約って?
--------店に入ったら、箸の上げ下げに到るまで全部私の言うことを聞いてもらいます。それが規約ですっ!
--------はぁ・・・・・・・
--------あと、店入っても安心したらダメです。私に(この人、自分のことを「わたし」と必ず言うのだ)「親子三代出入り禁止」と言われたら帰ってもらいます。政治の話も禁止です。
--------うわ、厳しいですな!
--------規約、守りますか!?
--------は、はい。
--------どうぞ。私は天皇陛下が来ても規約守らんのやったら店に入れんことにしてます。
そうして、冒頭のシーンに戻るワケだ。オッサンの怪気炎は無論、まだまだ続く。奥から新聞にくるまれた何かを持ってきた。
--------つぎはこれ、目板カレイを2匹400円、造りで食べてもらいます。
--------400円!?マジっすかぁ!?(←あまりの安さに声が裏返ったのだ)
--------はい。出されたものは必ず一口は食べてもらいます。それで、どうしてもダメなら、キャンセルできます。お金はいただきません。
--------いやいや、しませんしません!目板カレイ、ですよね?
--------はい。あ、もうお酒注文していいです。酒は白鷹の純米を5勺づつ出します。一杯200円。燗酒は普通の酒です。
--------あ、ぢゃ、純米で。
--------ちょっと手を出してください。
--------?
恐る恐る手を出したところを、オッサンはいきなり柳刃包丁でス〜ッと引いたのだった・・・・・・が、何も起きなかった(笑)。見ればその包丁真っ赤に錆びてノコギリのように刃こぼれしてるではないか!
--------切れないでしょ、この包丁!?見てください。上から見て刃の峯がこっちから見える!私はこれで何でも魚をサバきます!!私は包丁、絶対に研ぎません!これも一度も研いだことがない!
・・・・・・見りゃ分かるがな(笑)。そして、カビだかなんだか知らないが真っ黒になった家庭用の樹脂のまな板をおれの座るカウンターの目の前に置き、包丁でバンバン叩きながらさらにボルテージはさらに上がる。。
---------私は包丁と魚とまな板は絶対に洗いませんっ!!ウロコも落としません。ふきんで拭くだけです。それでも、絶対当たらんし、メチャクチャ美味いっ!
・・・・・・正直、ちょっとこの人キチガイなんぢゃないかと思った。
ともあれ魔法のように目板カレイはサバかれた。切るっちゅーより、ノコギリで引くような感じだったが、不思議と身は粉砕されず、きれいな切り身になっていった。約束どおり最初の一口は試食。そうして口にしたそれはおそろしく美味かったのである。
---------美味い!
---------なかなかマシでしょ!?よかったね!(この後分かるのだが、これらも口癖)。これでこの魚、シメてから2週間っっ!
---------えっ!?
---------普通の店なら造りなんかで食べたら、キッチリ当たる!キッチリ!(これも口癖)その前にとぉに腐ってる。私の魚、全部野〆、活〆には絶対しない。エラもハラワタも抜いてないけど、それでも絶対大丈夫。全然匂いもない!
申し添えるならば、ここまでのエピソード、おれは一言も脚色してない。むしろかなり端折って書いてる。恐ろしくオッサンの言うこと、やってることはムチャクチャだったが、魚はこれまでに食べた魚の中では圧倒的に美味かった。何よりも雄弁にその事実がオッサンのメソッドが間違ってないことを物語っていた。その美味さとは、口に含んだ瞬間思わず笑いがこぼれてしまうような類のものだった。
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この後どんなメニューが続いたのか、詳細は忘れたが、途中で出されたメゴチの天ぷらと、シメの生きた鰻一匹をまるまる使った落とし(湯引きのこと)、骨の唐揚、雑炊(それだけでもわずか1,000円)だけは忘れがたい。
天ぷらは普通の天ぷらとはこれまた異なり、大量の玉子を使った衣で揚げたもので、ちょっとフリッターのようだった。メゴチとはご存知キス釣りの外道、ネズミゴチともいう小さなナマズのような魚で、見た目は悪いが身は淡白で実に美味い。
そしてこれを揚げるのはオッサンではなく、奥さんであるところの「ヒロコさん」の仕事である。怪気炎を上げつづけるオッサンに「アンタ、ペラペラしゃべってるけど天ぷらの魚用意したんかいな!?」と奥から甲高い声が飛ぶ。
--------はい。
おい、その一言で終わりかよ!?(笑)。さっきまでの勢いはどこへやら、急にシュンとなって、オッサンは黙々と魚サバキに精を出し始め、哀れげな声で「ヒロコさぁ〜ん、ヒロコさぁ〜ん、できたでぇ〜」と呼ぶのだった。。
「割れ鍋に綴じ蓋」とは失礼なたとえだが、このオッサンにしてこのオバハンあり。女丈夫、とでも言えばいいのだろうか、揚げた天ぷらを持って奥から出てきた「ヒロコさん」はものすごく厚化粧でものすごく迫力のあるオバチャン。ここからは、彼女の独演会が始まる。
--------ホンマ、この人アホみたいなことばっかしワーワーワーワーゆうてワケ分からんお人どっしゃろ?この店かて最初は私がやってましてんえ。そう、私の店なんですよ、ここ。それがこの人、お客さんで来はって、何や知らんそのままいついてまいはって、いつの間にやらこんな分からんようにしてしまいはってからに。気に入らんお客さんやったら追い返してまいはるし、『わしがこの店の主やから、たとえ天皇陛下でも入れんときは入れん』とか、ほんなことばっかりゆうたはるし、往生してますねんえ。天ぷら、どないです?え?おーきにありがとうございます〜。衣!?そんな変わったモンは入れてまへんえ。メリケン粉と玉子と水だけどす。アンタ〜!!何やってんの!?ちゃんと次の用意せんとあきまへんやんか!ね〜!ホンマ、子供みたいな人ですわ。それがエエ思ってこないしていっしょなったんですけど、ホンマにワタシ、苦労させられ通しですわ。あ、おでんはどないでした?あれね〜、あのひろうすは北大路にある美味しいお豆腐屋さんから買うてますんよ。銀杏とかキクラゲとかいろいろ入ってましたでしょ?アンタッッ!何してはりますの!?遊んでやんとちゃんと支度せんとあきまへんがなっ!・・・・・・
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・・・・・・ずいぶん、この店には通った。そしておれは魚について実にいろいろなことを教えてもらった。食べさしてもらった魚介類で覚えてるものを少し列挙してみよう。
それぞれにオッサンのおもろいノーガキがあるのだが、あまりに長くなりすぎるので割愛する・・・・・・味わいはヒラメを超えるマゴチ、海の底を歩く奇妙な魚ホウボウ、肝を8匹分も食べさせられたフグ(こうしておれはピンピン生きているけど)、これまた肝が絶品のカワハギ、テンコ盛りのサヨリ、凶暴なハゼといった風貌のギンポ、血だけでギブアップしたスッポン、ネットリした刺身のネコザメ、まるでテッチャンとしか思えないメナシウナギ、魚のジュン菜のようなミズウオ、見た目は悪いが濃厚な味のガサエビ、頭デッカチなウチワエビ、ワタリガニに上海ガニに謎のカニ、40cm四方くらいあるカレイは干物、2尺は優にある生きたアナゴは塩焼、中トロのカタマリはステーキ、レモンで〆た巨大なタラ、生だとまるで正露丸のような匂いのニシ貝、大量の生きたホッキ貝、バカのようにはみだしたミル貝、水槽から出されてもがくナマコにホヤ、生きたままのタコ、皮はヒロコさんの襟巻きに化けたキツネ(これは陸の物やんけ!何ちゅうもん出すんや!?笑)・・・・・・etcetcetc、そして帰るときにはいつもダルマストーブの上で焼いた芋、大きい小さいに関わらず200円だった。
それらの魚のほとんどは、オッサンが3輪スクーターではるばる片道80kmも離れた小浜まで出かけて行って、どうやら昼網で帰ってきた漁船から、タダ同然で仕入れてくるらしかった。ちなみにキツネはその帰り道に「拾った」そうな。クルマに轢かれてたんちゃうんかぁ?そんなことを言うとおっさんは「ワタシはタヌキかて店で出したことがあるっっ!!」と、またまた怪気炎を上げていた。
そんなオッサンの自慢はずいぶんくたびれた1冊の「週刊朝日」だった。その中ほどにある、ヘンなニュースばかり取り上げた「デキゴトロジー」というコーナーに掲載されたのだという。自慢は掲載されたことではない。カテゴリーが「飲食」ではなく「冒険」になっていたことなのである。そして「私の店は魚を食べてもらうだけと違いますっっ!冒険してもらうんですっっ!」と必ずその後に続くのだ。
ボロボロの店内のあちこちにも(後付のような気もするが)主張があった。「この雰囲気は漁師の船小屋なんですっ!」「この水槽は、水族館より魚がチャンと生きるんですっっ!!」「この電気の傘がないのは、同志社の相撲部のアホがよーさん来て親子三代出入り禁止にしたとき叩き割った記念ですっっ!!」・・・・・・。
しかし、天皇陛下云々とか言いながら、何のかんのでミーハーなところもあって、有名人が来たことは良く話してくれた。「先週、精華のキムさんが来た。おもろい人やった。」とは、キム・ミョンガンだったし、「アラマタはんって人は、飲めそうで全然お酒飲まんね」ってーのは荒俣宏、この二人はおれもファンなので名前を覚えているが、他にも数名の有名人が来た話をうれしそうに聞かされた。とはいえ、それで色紙を飾るとかそんなことは一切なかった。
要は「がんぜないいたづら好きの子供」そのままなのだ。そぉゆう有名人が店とオッサンの凄まじさに目を丸くして驚いて、魚の美味さを絶賛して帰って行ったことが、ただもううれしくてたまらないのである。
おそらく・・・・・・ありえないだろうけど、マッチ箱やキャラメルの空き箱に標本詰めて謹上した南方熊楠との対面の楽しかったことを終生忘れなかった昭和天皇が来店していたなら・・・・・・大喜びして帰ったことだろう。
そう、このオッサン、これだけ好き放題ホラとも妄言ともつかないことを吹きまくりながら、料理のセオリーからまったく外れたムチャクチャしながら、おれは一度も飲んでて気分を害したことがない。それどころか、寒いときは足元に角火鉢持って来てくれたり、注文は聞かんとかいいながら実は聞いてくれたり、酔っ払ったおれを朝まで寝かせてくれたり、本当は一人一人の客の様子をよく観察しながら、出すものや量を加減したり、実に細やかな気配りともてなしのできる人だったのだ。
海原雄山ぢゃないけれど、客を一瞬たりとも間然とさせず、しかし媚びず、自分の世界に引き入れて愉しませることを「もてなし」と言うのなら、破天荒とはいえオッサンははたしかに完璧なもてなしをしてくれてたのである。
そんな風にしていつでも勘定は5,000円ほどだった。「ワタシは美味しい魚をハラ一杯食べて、飲んでもらって5,000円になるようにしてるんですっっ!!」・・・・・・その言葉にウソはなかったワケだが、「これ**円!」の合計と合うことは、当然ながら、なかった(笑)。でも、ベラボウに安かったことは間違いなく事実だ。
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細かい記憶までたどればもっともっとあるけれど「素人料理N」で体験したことの概容は、これであらかた書きつくしたことになる。そしてヘンな店シリーズもこれで終わり。くだらないオチは、今回は止しとこう。 |