記憶味・・・・・・力餅で泣けた |

夕闇迫る中、大阪のオバハンが店の前を通り過ぎて行く。
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随分メッキが剥げてしまったとは申せ、グルメ漫画という世界を切り拓いた点では未だ評価に値する「美味しんぼ」の初期の頃の話に、ハゲでコテコテの大阪弁って如何にも成金なルックスのクセに味覚だけは人並み外れて鋭敏な京極万太郎ってオヤジが、幼い頃に食った四万十川の鮎を天麩羅で食わされて思わずボロボロ涙する、ってエピソードがある。かなり人気のある回で、これをネタにいろんな懐かしのAAやら二次創作やらパロディやらが氾濫したことがあるんで覚えておいでの方もいるだろう。「なんちゅうもんを食わせてくれたんや・・・・・・なんちゅうもんを・・・・・・」のセリフのTシャツまで存在するのには笑っちゃった。なんちゅうことすんねん!?(笑)
今回はこの「記憶味」についてだ。ちなみに元々この「記憶ナンチャラ」ってのは、写真における「記憶色」v.s.「記録色」ってのがルーツらしい。この2つの概念の違いは何かっちゅうと、要は前者が実際よりもやや美化したり強調した絵作り、後者が見たまんまに忠実な絵作りってコトで、俗にデジカメの画像処理エンジンの特性を表すのにキヤノンは「記憶色」、ニコンは「記録色」なんて言われてた時代もあったみたいだ。でも冷静かつ客観的に見て、何だか冷たい発色のキヤノンも、黄色系・緑系が強めに出るニコンも、どっちもイマイチちゃうか?っておれは思ってる。特に全てのメーカーがデジタル一眼に参入した現在、ストックの撮って出しで色味っちゅう点だと、フジフィルムが一枚も二枚も上手ではなかろうか。ホンマ味付けが絶妙に上手い。「A-3」だったかな?子供の持ってるフジのエントリー機でもマジでビックリしたもん。オリンパスは・・・・・・う~ん、光量があってややアンダー気味だと抜群なんだけどねぇ。
それはともかく、「記憶味」だ・・・・・・ナゼか何べん変換しても「記憶鰺」って出て来やがる。なんちゅう変換してくれるんや(笑)。
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ちょっと前、仕事で大阪に行った。
こっちでの生活も随分と長くなり、最近はもぉ「戻った」って感覚は殆ど喪われてしまっている。大体、風景がすっかり変わってしまい、大阪駅前に降り立っても何だか知らない街に来たみたいだ。相変わらずコロナの影響で道中の新幹線はガラガラ。並んだ三席を独占してPCを広げ、お茶やらスマホやらタバコやらも並べて、普段よりもよほど作業が捗ったくらいだ。
ホテルもインバウンド最盛期にはしょうむないビジネスでもケッコーなボッタクリ価格だったのが、もぉウソみたいな値崩れ起こしてて、オマケに「GoToトラベル」、あれのオカゲでさらに激しく値引きになってるわ、地域共通クーポンとかゆう金券まで貰えるわで、至れり尽くせりである。それでも世界規模で完全に冷え込んだ観光需要は取り戻せるハズもなく、チェックインしたのは本来は最も到着客で込み合う時間帯だったにもかかわらずフロントには誰もいない。案内されたフロアも静まり返っており、ついに他のお客の出入りを見かけることはなかった。まぁヤバいっちゃヤバいけど、インバウンドバブルに浮かれてボコボコ建てまくったホテル業界がそもそもおかしいのだ。間違いなく体力のない所からナサケ容赦ない淘汰が拡がってくんだろう。
狭く味気ない部屋に荷物を放り込んで、すぐ夕食に出掛ける。泊まったのは梅田界隈だけど、阪急東通りやお初天神通りは昔からあまりしっくり来ないし、そぉいやつい先日天神橋筋商店街について駄文書いたりもしたんで、散歩がてらテレテレと向かうことにする。道行く人々の数は一時期よりは格段に少ないが、思えばそれが本来の姿だった。ミャーミャーギャーギャー大声で話しながら、ガラガラと巨大キャリーバッグ引いた大量の中国人が町中を占拠するような状態の上に成り立つ商売なんて、どのみち長続きするはずなんてなかったのだ。
何となくうら寂しい方から歩いてみたくて、2丁目あたりからアーケードに入って北に上がってぶらついてみることにした。大分、新興勢力の安っぽい飲み屋が増えたとは申せ、まだこの辺にはかつての昔ながらの商店街の雰囲気が幾許かは残ってる。段々と飲食が増えてくる通りをテレテレと一旦6丁目まで歩いてUターンして、適当に目星付けてた一人でオッサンが呑んでても違和感がなさそうな、シブい雰囲気の飲み屋に入ることにした。
出先でこの時とばかり呑む、なんてことはしない。実のところ昔から一人で泥酔するまで呑むなんて滅多になかった。湯豆腐とかポテトサラダとか、食事代わりの全くもってオカズみたいな肴数品とビール2本ほどでサッサと済ます・・・・・・え!?多いっすか?(笑)
あ~、そうだったそうだった。天五中崎通り商店街を忘れちゃいけない。この通りは天神橋筋に直角の東西方向に梅田の手前の中崎町に向かって伸びてる商店街で、昔から天神橋筋よりさらに時代が止まった、言っちゃ悪いがシケた雰囲気があって好きだった。沖縄料理の「梯梧屋」はこの途中、スープスパゲッティの「倶蘇酡麗」の支店は出口附近にあったなぁ~・・・・・・ってなワケで、こんどはそっちへ。酔っぱらいの散歩はホンマとりとめがないねぇ。
この通りにも最近はカフェやらバルやら随分とオシャレで新しい店が増えて、若者の街っぽくなっている。それでも西に進むにつれて、そういった店は少しづつ疎らになってくる。そんなトコに古びた佇まいの「力餅」があった・・・・・・いや、「残ってた」と言った方が良いのかも知れない。しっかしこんなトコにあったっけかなぁ~?覚えてないなぁ~。「力餅」だから大昔からあったに決まってんだろうけど全然記憶にない。大体、「力餅」って昔からどこの商店街にも標準オプションのようにして必ず一軒はあって、あまりに日常風景に埋もれてしまってるモンだから逆に印象に残りにくいのだ。
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力餅の共通ルールなのか、やはりここも通りに面したガラスケースにはおはぎやおいなりさんが並べられている。でももう夜なので、アルミのバットにはほとんど残っていない。それにしてもポスターやら貼り紙の多い店だな。ナニナニ!?見てみると、店を紹介した記事のコピーとかが多い。そのレトロさから逆に今やちょっとした人気店になってるのかも知れない。どうやらこの店ではカレー味で工夫してざるうどんだとか独自色を出してるみたいだ。
う~ん、どうしよう?さっきはまぁご飯物は頼まなかったから食えっちゅわれたらまだ食える。しかし食えば折角最近少しは努力して痩せたのがまた太る。実に悩ましい。
店の前でモジモジ逡巡するオッサンのみっともなさとと、デブの不細工さ、どっちも一緒くらい醜いやんけ(笑)・・・・・・ってなワケで入店。薄暗い照明の煤けた店内には、アートだとかクリエイティヴだとか口走ってそうな風体の若者4人グループの先客がいる。やっぱこの時代が止まったレトロ感は、彼等には逆に新鮮に映って再評価されてんだろうな。
頼むのは当然ながらカレーうどんだ。店頭の記事の切り抜きではこの店、いろいろ創意工夫して麺にカレー粉練り込んだのとコーヒー練り込んだのとストライプに盛り付けてタイガース仕様にした「虎ザル」や、「カレー皿うどん」なんて名物メニューがあるみたいなんだけど、ここは断然古典的なカレーうどんだ。だっておらぁ、「これっちゅうたらこれ」な母親に連れられてしか力餅に入ったことないし、カレーうどんしか力餅では食わしてもらったことないんだから。
おれの記憶の中の源ヶ橋とは違う店とはいえ同じ暖簾を継いだ店、聞くところによれば力餅は厳しい徒弟制と暖簾分けによるシステムで明治以来堅実に店を増やしてきたという。ならばどの店で食ったってその味は継承されてるハズやろ?違てたらシバいたるからな!くらいの意気込みで、あの頃の味がどれだけ残ってるかを検証してこましたろ、な~んて気持にさえなってたのだ・・・・・・道場破りかよ!?(笑)見ず知らずの胡乱なオヤジにシバかれたら年老いた店主、たまったモンやおまへんで(笑)。
待つこと十分少々、550円也のカレーうどんが出てきた。ヴィジュアルは要はカレーうどんだ。それも具が牛肉と青ネギだけ、刻んだ薄あげも蒲鉾も入ってない、どちらかっちゅうたら何の変哲もないどころかちょっと殺風景とも言えるくらいにシンプルな見た目のカレーうどんだ。七味を雑に振り掛けてとにかくまずは一口、
ヤッパシ八ッ橋、食ってもフツーのカレーうどんだ。柔らかめの麺、鰹節とサバ節ベースだろうか、旨味は強いけれど醤油や味醂も含めて全体的にあんまし尖ってはない優しい出汁、そこにサッと煮られた薄切り牛肉の旨味が僅かながら滲み出してる。後はこれまたごく一般的なSBの赤缶カレー粉だろうか、エスニックさにやや乏しい素朴なまでのカレーの味。
やれアゴぢゃイリコぢゃ、西インド直送、自家焙煎・自家配合のスパイスぢゃ、とやたら複雑化、専門化、高度化、ついでに言えば高濃度化(笑)した現代のうどん出汁とかカレーの味からすると、申し訳ないが凡庸と言ってもいい。もう一口、あぁ思えばたしかにこんなんだったような気がするな。偏食が激しくて食えないモノばかりのクセに、子供には辛いハズのカレーうどんは喜んで食べてたっけ。ホンの僅かの脂身でさえも普段なら嚥下できないのに、カレーの餡が絡むと不思議と呑み込めたんだよな。さらにもう一口、もう一口・・・・・・箸が止まらない。
・・・・・・食べながらいつの間にかボロボロ涙していた。
店の名誉のために初めに申し上げるならば、もちろん記憶の底にあった味を想い起させてくれた感動もあった。しかしながらそれ以外に、後悔や喪失感、感謝と懺悔、徒労感等々、まぁ一言で言ってしまえば「万感の思いが去来した」っちゅうコトなんだろうけど、「記憶味」ってヤツは、名状しがたいくらいにややこしい味なのだった。
ホテルに向かって蹌踉と歩きながら、記憶味を体験できた至福感と共に、過ぎた年月の長さと喪ったものの多さを思い知らされたようで、おれは少々打ちひしがれてもいたのが正直なところだ。
記憶味・・・・・・どうやら迂闊に手を出すと、ヘタな激辛や痺れなんかよりも遥かに刺激が強くてヤバいモノみたいで厄介だ。 |

シンプル・イズ・ベストを地で行くルックスのカレーうどん。
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2020.10.29 |
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----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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