レンコンの引力 |

熊本名物・辛子レンコン。鼻に抜ける辛さが酒のあてにピッタリ。
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https://gu-taro.net/より
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もう何十年も昔、原付の運転免許を受けに門真の試験場へ駅から歩いてく途中、実はこれが本来の「文化住宅」ってモンなんだけど、大阪特有のモルタル二階建ての五軒長屋が櫛比する街のところどころには、まだレンコン畑が残ってた。でもまぁ「畑」っちゅうたかて見た目は単なる真っ黒の泥の池である。
あの風景はどうなったんかな?って調べてみると、当時よりさらに宅地化が進んだ中、今でも細々とではあるものの地場のブランド野菜として作り続けられてるようである。それくらいに大阪では門真っちゅうたら松下かレンコンかってなイメージがあった。
オモダカの根である「吹田くわい」なんかもそうだろうけど、水の都・大阪と言われるだけあって、淀川の両岸にはかつて水田にも出来ないくらいにジュブジュブの茫洋たる湿地帯が一面に広がっていたのだ。
関東に越して来て、まだ廃線になる前の石岡と鉾田を結んでた鹿島鉄道に沿ってひたすら歩く、なんて酔狂な企画に挑んだ際、常陸小川の駅の近くだったっけ?一面に広がるレンコン畑に驚いた記憶がある。暮れだか新年早々のことで、湖上を渡る寒風が吹きすさぶ中、赤茶色く枯れた葉っぱが泥からワシャワシャ飛び出しており、農家の人たちはウェーダー着て、消防士みたいにホース持って腰の上まで泥水に浸かりながら黙々と収穫に勤しんでいた。ホンマ神経痛出るんちゃうん?って心配になるほどの、それはそれは寒くて冷たくて辛そうな作業だった。
霞ケ浦や北浦の周辺、あるいは利根川流域に行くとホントあちこちでレンコン畑を良く見掛ける。実際、統計資料によればレンコンの作付面積では茨城県が圧倒的に広く、出荷高ベースでは2位の徳島県を4倍以上引き離してたりする。
レンコンは文字通り「蓮の根」であるから、このように沼地みたいなトコに生える。ちなみにお寺や公園の池の蓮だって掘り返せば食えないことはないらしいが、野菜として品種改良されてないからあんまし美味くないし、細くて小さくて可食部分が少なく調理が大変とのことだ。
そぉいや昔、「熊本辛子レンコン事件」ちゅうてボツリヌス中毒で沢山の人が亡くなったことがあった。毒性は地上最強とも言われるボツリヌス菌ってのはこうした沼沢地の泥の中とかにフツーに遍在してる。ぢゃあ何で死んだんや?っちゅうたら、殺菌チャンとせんまま真空パックにして長い間常温保存してたところ、嫌気菌ゆえに袋の中で大繁殖しちゃったからだ。でも別に全てのレンコンが危ないってワケではないからね。それにおれ、辛子レンコンは九州土産の中では贔屓にしてるモノの一つだし。
そんなんで・・・・・・って、何が「そんなんで」か良く分からないが牽強付会に前回のゴボウに続いて、今回はレンコンについて。
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こいつも野菜としてはかなりワイルドサイドを歩んでる方だろう。絶対にメインストリームではない。大体、ヴィジュアル的に他のどんな野菜類とも似てない。大枠で根菜であることは間違いないけど、こんな風に節に分かれて中に穴がいくつも(殆どの場合8つ、稀に9つがあるらしい)空いたものは他にない。デンプン質がひじょうに多いからどちらかっちゅうと芋に近い気もするけど、芋でもなければ根でもない。余りに唯一無二の存在で、不気味っちゃぁ不気味だ。調べてみたところ実はこれ、根ではなく茎らしい。ハハ、全然違うたね。
そうそう、不気味と言えばもう20年近く前になるだろうか、「蓮コラ」って嫌がらせみたいな画像がネット上で大流行したことがあったっけ。成熟した蓮の実って黒くなったのがイボイボ・ツブツブして並んでて何となくグロテスクなんだけど、それをオネーチャンとかの画像とコラージュしたのが登場したのだった。
「トライポフォビア」っちゅうて、ブツブツがビッシリ並んでる様子に対して人は生理的嫌悪感を催すのである。これが一種の精神的ブラクラとして使われまくって、あくまで噂に過ぎないけど、それがトラウマになってマジで病んぢゃった人がいるなんてこともまことしやかに囁かれてた。思えば「ブラクラ」って言葉自体が懐かしいけど、もちょっと建設的なコトにフォトショ使えよ、ってねぇ。蓮の実ってそれはそれで美味しいのに。
それはさておきレンコン、火を通しても無くならない独特のシャクシャクした食感と特有の風味、やはり根菜ならではの力強さが身上の野菜だろうと思う。また、食材としての使い途はゴボウよりも広いかも知れない。これまた大好きな野菜・・・・・・っちゅうか、続けて書いたことからもお分かりのようにおれの中ではフェバリット野菜として甲乙付けがたいっちゅうか、もぉ大袈裟にゆうと双璧をなす存在だったりする。
まずはありそうであまりない使い方から。
実はおでんだねにレンコンを使うとメチャクチャ美味い。これはこのシリーズの初めの頃に書いた、京都・下鴨本通にあったカルトな居酒屋「素人料理N」で教わったのだ。特に何か凝った下拵えが必要なワケではない。丁寧に洗って泥を落とし、皮のままで厚さ3cmほどの輪切りにしたものを、一度下茹でしてから出汁の中で煮込むだけである。強いて注意点を挙げるなら、味を芯まで滲み込ませるため、入れる順番を一番最初にすることくらいだろう。
良く煮込まれたレンコンって何となく青紫がかったように黒ずむから、ぶっちゃけヴィジュアル的にはあんましよろしくない。しかしその味は、何でこれが定番のおでん種になっとらんのだろう?っちゅうくらいに美味い。おでんの季節もレンコンの旬も冬なんだから、も少し一般化しても良いのに不思議だ。
続いての使用法は、北海道時代に知ったカレーにレンコンである。レンコンってそもそもはインド原産らしいから、使い方としては正しいような気もする。具というよりはトッピングで、ごく薄くスライスしたのがチップスになってあしらわれてるのから学んだのだ。ちなみにゴボウも半割にしたくらいのが唐揚げになって添えられてたりもした。札幌のスープカレーは無手勝流の極みで何でもありなのだ。
この数年、自宅でカレーを拵えることが増えた。スープカレーではないけれど、レンコンがある時はパリパリに揚げて添えるようにしてる。レンコンの食感が損なわれるのはちょっと残念だけど、おれ的にはかなりこれは絶妙なアクセントになってるように思う。ちなみにゴボウも長く薄くスライスしてから丸めて揚げたのを同じように付け合わせにすることもある。
具材としてルーの中に入れていろいろ試したこともある。結論としてはタイカレー系に良く合うように思ったが、そもそものベースであるタイカレーのココナツ風味自体があんまし好きではないんで、しばらく最近はやってないな。
もちろん、定番であるレンコンのきんぴらも好きだ。ただ好きなんだけど、ゴボウよりはちょと落ちるかな~?やはりデンプン質ゆえか、キンピラにすると一種のトロミみたいなんがどうしても出てしまう。あれがどうにもシャキッとしない感じがするのだ。はさみ揚げなんかも超定番だし大好きだが、レンコンよりも挟まれた具材の方がどうしても目立ってしまうのがいささか難点のど飴かも知れない。もちろん筑前煮や酢バス・・・・・・考えてくと本当に活用幅が広い。
凝った使い方では山芋のように摺り卸して団子にしたり、あるいは蒸し物の上に載せたり、摺り流しのように汁物にする、ってなのもあるけど、レンコンの折角のあの食感が無くなってしまうのはちょっと勿体ない気がする。
しかし何だかんだで、最もレンコンの風味や食感をダイレクトに愉しめる調理法は、シンプルに天麩羅にすることではなかろうか。もちろん味付けは天つゆではなく、これまたシンプルに塩だ。店だと普通、肉厚のを輪切りや半月切りにしてることが多いように思うけど、少し小ぶりのサイズのを一口大の角切りにしたのも、サクサクとポクポクが合わさったような歯応えを感じられて好きだ。
こうして列挙してみるとレンコン、ゴボウよりはちょっとメジャーなようにも思えて来る。そぉいやゴボウ料理の専門店って聞いたことないけど(川越にキンピラ専門店ってのが存在するみたいだが)、昔、たしか大阪の福島だったかにケッコー老舗のレンコン料理専門店があったのを想い出す。書棚のどっか奥深くに転がってる昔の大阪のグルメガイドに出てたハズだ。
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そうそう、今年の春はコロナでスッカリ日陰の存在となってしまったけど、症状のある人には毎年ひじょうに悩ましい花粉症、あれにレンコンがひじょうに効くっちゅう説がある。毎日何十グラムか食べ続けたら具合が良くなったとかなんとか、如何にも怪しい民間療法っぽくてホンマかいな?って気もちょっとする。しかし溺れる者は藁をもすがるのにつけこんでか、「レンコンパウダー」なるものが結構なお値段で売られてたりするのはたしかに事実だ・・・・・・って、そんなワザワザ干して粉砕して粉薬みたいにせんでも、フツーに料理にレンコン使っとけば済むハナシではないかと思うが。
たしかにレンコン好きなおらぁ、ありがたいことに花粉症とはほぼほぼ無縁の生活を送れてるから、決してガセではないのかな?って気もしないではないが、もう一つの効能であると言われる血圧を下げる方はサッパリなんで、やっぱしそれなりでしかないんだろうな。それに、薬効を求めて食べるなんちゅうのも何だかねぇ。
・・・・・・大分話がダレて来た。最後にレンコンネタでこれだけは触れておきたいのを取り上げて、そろそろ終わりにしたい。
どのエッセイでだったか忘れたけど、中島らもが自宅で幽霊みたいなものを見て(あれ?B・ジョーンズの「ジャジューカ」聴いてて、ヘンな顔の塊が出てきたエピソードだったかな?)、あれは何だ!?ってなって、そこはドロップアウトしたとはいえさすが神童の誉れ高かった彼だけあって、ダテに灘中・灘校出てない。リクツっぽく考えた結果、その土地(たしか宝塚・雲雀丘花屋敷の新興住宅地)は家が建つまではレンコン畑だったってコトをふと想い出して、きっと宅地化で理不尽に埋められてしまったレンコンの祟りだろう、って結論付ける話がある。そう、それは何と恐ろしいコトに・・・・・・
・・・・・・レンコンの霊魂だった、と。
御後が宜しいようで。 |

記憶に間違いはなかった。どうやら90年代初頭まで店はあったみたいだ。
跡地が高層マンションになってしまってるってのは、京都・修学院のナマズ懐石の十一家みたい。
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https://ameblo.jp/tanonoboru/より
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2020.07.12 |
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