おばんざい(笑) |

本人にあまり他意は無かったとは思うが、結果的にはデマの流布になってしまった。
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京都で暮らしてたのももう30年以上前の話になってしまった。
思い起こせば、当時は「おばんざい」って正面切って看板に掲げてる店なんて市内には殆ど存在しなかったように思う。みなさん信じられないかも知れないけど、これホンマのハナシどすえ。
呑む量は尋常でなかったとはいえ、そんなあちこちの店を飲み歩いてたワケではないから、あんましドヤ顔で言い切ることはできない。でも少なくともおれの知る限りでは、たしか三条木屋町をちょっと北に上がったところにあった「M」って小料理屋が、当時既に「おばんざい」を看板に掲げてたような記憶がある。ちなみにこの店、当時でも既に結構名の通ったトコだったんだけど、小銭持ってる程度の学生でもそこそこフツーに飲み食いできる値段でありながら、落ち着いて飲める上品な佇まいで、河原町方面に出た帰りとかに立ち寄ることが何度かあった。たしか有名な俳優の姉だか妹だかがやってたのではなかったかしらん。初めに見付けたのは誰だったっけ?M作だったかな?それはともかく他では見掛けなかったな、「おばんざい」の看板は。
そう、ぶっちゃけ全く浸透してなかったのだ、「おばんざい」なんてぇコトバ。小さな飲み屋はそれこそ「素人料理」とか「小料理」、「居酒屋」、ちょっと気の利いた店だと「スタンド割烹」なんて暖簾に染抜いてたし、敷居の高い店になるとただもうシンプルに「京料理」だったと思う。
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それがですわ、先日所用で京都に行って久しぶりに夜の町に一人繰り出して、もぉおらぁマジで仰け反りそうになったね。右も左もあっちもこっちももぉ「おばんざい」だらけなのである。もぉバンザイ!降参です!って駄洒落が出るくらいに京の町は、いつの間にか「おばんざい」に完全に侵略されてしまってた。実に恐ろしいコトだ。
そんな一軒に入ってその店の「おばんざい」とやらを注文してみて、いささかおれは鼻白むような、遣る瀬無いような気分になってしまったのだった。一言で言うとそれは、「おばんざい」の名の下にあまりに中途半端かつテキトーな京料理が横行しとるんとちゃいまっか!?ってコトだ。黙々と酒杯を含みながら出される料理を摘むうちに、心の中で「やっぱし京都はどこまで行っても看板商売で中身あらへんよなぁ~」と独りごちる自分がいた。
取り敢えず料理のどこかに生湯葉とか生麩入れとけば許されると思ってません?
取り敢えず鱧の落とし(湯引き)に梅肉塗れば許されると思ってません?
取り敢えず揚げと菜っ葉の煮物を薄味で作って「**の炊いたん」って言っとけば許されると思ってません?
取り敢えず実山椒どこかに混ぜ込んどけば許されると思ってません?
取り敢えず何でも良いから大皿にチョコチョコ並べたら許されると思ってません?
・・・・・・そんなんをスカして「へぇ、お待っとうさん、おばんざいどす」では、そらナンボ何でもイージーすぎまっせ。
生湯葉や生麩は乾物と違って実は「おばんざい」の素材とは呼べない。元々が希少でハレの食い物だからだ。鱧だってそうだ。それにバカの一つ覚えみたいに梅肉添えて来るけど、昔は辛子酢味噌のことも多かった。鰻や穴子と同じ長い魚に共通するクセの強さがあるから、必ずしも梅肉が合うワケではないのだ。煮物にしたって薄味なのと味が無いのは違ってる。なるほど薄口醤油で色は薄いかも知れないけれど、甘味や塩味自体は実はけっこう付いてたりするモンだ・・・・・・本物の「おばんざい」なら。実山椒だってそう。今は茹でて冷凍しとけるから良いけれど、昔は青々したのなんてそもそも簡単に出せなかったものだ。
・・・・・・などとリゴリストを気取っても始まらないとは申せ、な~んか体裁だけ取り繕って「これが『おばんざい』どすえ~」はちょっとなかろうって思うし、こんなコトしてたらその内みんなから見限られてしまうと思うぞ。外からの客をバカにしてる。京都をダメにしてるのは京都人自身だわ。俗に「京に田舎あり」なんて言われるけど、全く以て田舎の観光地のセンスの悪さと変わらん。
だってさぁ、「おばんざい」って要するに日々の庶民のおかずのこっちゃんか。そらまぁ飯のおかずで酒呑むのって美味いことは認めるよ。でもそんなんを麗々しく商売にして、どぉでっか?よろしおまっしゃろ?これが京でおます、って虫が好過ぎやしませんかい?。
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それにそもそも論で「おばんざい」なんて、かつて京都言葉には存在しなかったのだ。
ルーツは江戸時代に出された家庭料理本である「年中番菜録」、このタイトルが全てを物語る。今で言えば「日々のおかず365日」みたいなタイトルだな(笑)。当時かなりのベストセラーとなったみたいで、内容的にも今でも十分通用するくらいに大変に優れている。陰影本は読むのに苦労はするもののいろんなサイトで閲覧できるんで、料理に興味のある人ならば是非一度ご覧になられることをオススメしたい・・・・・・で、出版されたのは京ではなく江戸の町だったりするんだな、これが。
そしてさらに言うと「ばんざい」ってコトバ、実はこの本くらいにしか出て来ないのだ。それどころか本の中では御丁寧に「関西ではオカズのことを『お雑用』と呼ぶ」って書いてありさえもする。これは「おぞよ」っちゅうて、実際おれも古い年寄りが使ってるのを耳にしたことがあるから間違いなかろう。
・・・・・・では何で町中におばんざいの看板が氾濫するコトになっちゃったのか?
ここに一人のバーサンが登場する。「おばんざい」を最初に広めた立役者、あるいは戦犯と言える、随筆家の故・大村しげだ。
鬼籍に入ってもう20年くらいになると思う。そして一般的には、昭和30年代の半ばに何人かと共同執筆で連載開始したエッセイで初めて「おばんざい」なるコトバが登場したと言われている。
実はおれ、小学生くらいから「おばんざい」って知ってた。とゆうのも当時定期購読してた「暮しの手帖」に、彼女の「京のなんちゃら」みたいなエッセイが連載されてたのを読んでたからだ。ガキのクセに他に娯楽を与えられてなくて、半ば強制的にビブロフォリアな日々だったから、この生活雑誌にしたって仕方なく毎号かなり隅から隅まで目を通してたのである。
しかし当時だって他の本ではついぞ「おばんざい」なんて見掛けたことが無く、随分と違和感のあるコトバだと思ってた。ああ、そぉいや中2の時、京都の旧市内でバーチャン子で育った京都弁丸出しのUってヤツが転校してきて、しばらくして仲良くなってからおれは訊いたことがある。だけど彼の返答は「そんなん知らへんわぁ~。おかずはおかずやったで」とのことだった。そのことからも、京都市民の中に「おばんざい」なんてコトバは存在してなかったことが伺える。
調べてみると大村は仕出屋の娘として生まれたと来歴にある。これはあくまでおれの想像だけど、家には件の「年中番菜録」があったのではないか。それでたまたま彼女は知ってた・・・・・・と。あるいは、祇園の一部の料理人の世界でのみ使われる特殊な言葉だったのかも知れない。いずれにせよパンピーな京都人に誰一人としてこんな言葉使う人はいなかったと断言しても良いのではないかと思う。
つまり、「おばんざい」は、ほぼほぼ大村の造語と呼んでも過言ではない。しかし彼女は一連のエッセイによって、京都の古い文化やしきたりのオーソリティとして世に認められる存在になっていた・・・・・・。もちろん彼女自身はただもう京都の古い暮らしを書きたかっただけで、「おばんざい」って名乗って、ざっかけない庶民のおかずと劣化コピーした京懐石をテキトーにチャンポンにした料理がここまで氾濫するなんてコトまでは想像してなかったとは思うが。
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それはさておき大村の歳時記みたいなエッセイの数々、こう言っちゃうとミもフタもないが、内容的には今の意識高い系の連中が言う「シンプルライフ」とか「丁寧な暮らし」、あるいは「スローフード」、「オーガニック」みたいな内容ばっかしだった。その舞台が世田谷区か昔の京都の旧市内かって違いだけだ(笑)。そしてそこにこそ、「おばんざい」がここまでバカみたいに広まったヒントがある。
要はバブル崩壊以降の大衆の嗜好の変化に迎合するように、メディアがこの言葉をベンリに濫用しまくったのだ。これは、バブル崩壊まではツブされてマンションに建て替わるばっかしだった京の町家が、リノベーションだの再利用だのってニュースが増えた時期ともかなり被って来る。
何となく自然で、穏やかで、素材志向で、滋味があって、アッサリしてて、質素で、慎ましやかで、生活の知恵があって、工夫が凝らされてて、丁寧で、だから身体に良さそう人に優しそう・・・・・・完全にイメージばっかしと言えるな(笑)。
・・・・・・おばんざいの店をそこそこに切り上げたおれは、ラーメン屋に入ってビールと餃子とラーメンを頼んだのだった。 |
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2018.09.24 |
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