遅れて来た焼きそばの町・・・・・・下館外伝 |

テーブルの上の割り箸で辛うじて飲食店と分かる「我楽多屋」の店内。
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昨秋、真岡鉄道の蒸気機関車に乗りに行った時のサイドストーリーだ。日帰りの小旅行で駄文を2つヒネリ出すおれってやっぱしセコいのかも知れないな(笑)。
・・・・・・ってイヤイヤ、そんなに大層なハナシぢゃござぁせん。折角朝も早よから遠路はるばる出かけてくのに、ただ汽車に乗るだけでは何だかも一つ芸がないような気がしてたんで、下館の町についてあれこれ調べてたのだ。それで発見したのが、北関東の多くの町がそうであるようにここもまた「焼きそば」の町らしい、ってコトだったのだ。焼きそばにはおれもヨメも至って目が無い方なので、さらにネットを駆使してディープマイニングしまくる。
ほしたらもぉ出るわ出るわ出て来るわ。下館って立派に「焼きそばの町」してるんやんか。何だぁ、今は観光協会もチョロッとだけど焼きそば推しぢゃんかよ。
これは是非とも食さねばならんだろう。
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下館の駅は3つの路線(JR・関東鉄道・真岡鉄道)のジャンクションであって、かつては物資の集散拠点として貨物の入換等に多数の側線を有してたためか、片田舎の駅にしてはムチャクチャに構内が広い。それを跨ぐ歩道橋を越え、駅の南側へと向かう。北側は寂れてるとはいえそれでも多くの商店が今なお残るが、こっちにはマジで何もなくてガランとしてる。関東鉄道の改札口がやや目立つくらいだが、今やこの路線も水海道以北の区間は廃止が取り沙汰されるような状況であるからして、駅前に何の活気ももたらしてはいない。
そんな南側を線路沿いにしばらく歩くと踏切の横に出る。そこに目指す「我楽多屋」はあった。何でココにしたのかっちゅうと、駅から一番近かったからだ。
それにしてもまぁとにかく怪しい外観だ。昔のサボだとか鉄道グッズがいろいろ飾られた平屋のバラックで、どう見たってこれは古道具屋である。大体、店の名前がそんな感じなんだモンな(笑)。閉ざされたガラス戸の奥に立て掛けた赤い「焼きそば」の暖簾が見えなければ、焼きそば屋には絶対見えない。
汽車の発車時刻は10時35分、そいでもって今は9時45分、開店は10時と手書きでカレンダーの裏か何かに大きく書いてあるが、一向に店の開く気配がない。覗いてみると住居部分らしきスペースは見当たらないんで、別にどっか自宅があるんだろう。仕方なく踏切の傍でポツネンと待ってると、10時ギリギリになってようやく1台のクルマが来て店の横の空地に停まり、老夫婦と孫らしい少年が降りて来た。
------あ~、待っとられたんですか~!?済みませんねぇ~、すぐ支度しますから~。
------いえいえ、それよっか汽車に間に合います?
------大丈夫だよぉ~!絶対間に合うよ!・・・・・・と少年。
------食べてる時間は無いかもねぇ~・・・・・・とバーサン。
------あ、持ち帰りでいいです。元々汽車の中で食べるつもりだったんで。
それにしても通された店内は外よりもさらに雑然としてる。看板に偽りなしのガラクタの山だ。それでも良く見ると一応はジャンル分けはされており、鉄道グッズは入口側の窓に沿って、その反対側の壁は腹出した布袋の木彫りだとか色んな民芸品、踏切側の壁には古いオーディオ、っちゅうかステレオとオードリー・ヘップバーンやら演歌歌手のポスター、その反対は小上がりになってて真岡鉄道の毎年のカレンダーがギッシリぶら下がる。
こう書くと何だかスッキリしてるように思えてしまうが、その隙間を埋めるかのように芸能人のサイン色紙やら金モールやらアルミ缶で作ったランタンやら、殆どゴミみたいなワケの分からんモンまでがワシャワシャと飾られてて、もとい置かれてて、いや、放り込まれてて(笑)、まったく収拾の付かない状態となってる。
結局店内ったってテーブルを並べて5人づつが向かい合わせに座れるようにしてあるだけ。小上がりもいろんなガラクタで実際には上がれない。飲食店としてはある意味ものすごく空間を活かした贅沢な店内レイアウトと言えるな、これは。それにしてもサイン色紙はかなり多い。「笑神様は突然に」の「鉄道ビッグ4」で中川家の礼二とか宮川大輔とかも来てるやん(笑)。結構有名な店だったんだ、ココ。
これだけ雑多なモノが溢れてるにも拘らず、肝心のメニューらしきものはどこにも見当たらず、バーサンから口頭で説明。どうやら基本料金が200円で、そっから100円ピッチで100gづつ麺が増えて行くようだ。おれは400、ヨメは300を注文。
汽笛が聞こえた。少年が「あ!来たよ!もうすぐ入換が始まるよ」などと教えてくれる。朱色のDE10に牽かれた3両の客車とC12は、そのままホームに入線したって支障なかろうに、ユックリと隣の側線に入って行く・・・・・・こんなトコで悠長に焼きそば待っててホンマに大丈夫なんだろうか。
少年は小学4年生くらいだろうか、ナカナカこまっしゃくれて利かん気の強い子で、一生懸命焼きそば拵えてるバーサンに、「ソースはもっとよく混ぜて炒めんとダメだよぉ~!」とか「お客さん、一味は沢山!ってんだからもっとだよぉ~!」などと逆にあれこれ指図なんかしてる。ジーサンはそんな孫が可愛くて仕方ないのか、目を細めるばかりで何も言わない。
まぁ、何でもズケズケ言えるくらいの関係性が良いんだよ、頑張れよ!少年!と言いたくなってくる。大きくなったら最近流行の、ヴェルファイアとか転がして地元でそれなりにハバ効かせて暗然たる権力で仕切りまくる、所謂「ヤンキーの虎」とかになれるかもしれないな(笑)。
出来上がった焼そばは、透明のパリパリいう昔ながらのパックにギッシリ入ってた。100グラム100円だから、こんなに山盛りでもたったの700円、何と言う真っ正直な商売なんだろう。さらには来店記念なのか、ビーズで出来た根付みたいなアクセサリーもオマケにくれる。何だか申し訳ないような気持になってしまった。
汽車に乗って焼きそばのパックを開ける。具はキャベツのみ、後の味付けソースのみ、トッピングは青海苔・カツオ節・紅ショウガ・一味、以上!・・・・・・嬉しくなってくる。この潔さと明快さ、チープさがない交ぜになった世界こそがおれは焼きそばの醍醐味ではないかと思う。
ソースの匂いでみんながこっちを注視してるのではないかといささか心配になりつつも、取り敢えず目の前の焼きそばが美味いのでワシワシ食って、区間の半分も乗らないうちに平らげてしまった。
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ユックリと流れてく煤煙と景色を見ながら、それにしても下館(・・・・・・っちゅうか正確には現在は筑西市)って何とも商売がヘタな町だなぁ~、って思ってしまった。焼きそば屋は観光協会が取り上げてるだけで市内に10軒、しかしネット情報ではどうやらその他にも無名のままで市中に埋もれた焼きそば屋はまだまだ沢山あるみたいで、これは有名な足利よりは少ないけれど、群馬の太田や栃木の佐野あたりとなら決してヒケを取らない数と言えよう。
なのにまだまだ「焼きそばの町」としてマイナーな存在であることは間違いない。ようやく最近になって自分たちの町がそんなにも焼きそば屋だらけだったことに気付きましたぁ~、ってな雰囲気だ。蒸気機関車に焼きそばって、おらぁ観光のリソースとしては決して悪くないどころかケッコー恵まれてるのでは!?と思うのだけど、何としてでも盛り上げてやろうって気迫があまり伝わらない。
そらまぁあざとく何でもかんでも鼻息荒く目ぇギラギラさせて、やれB-1グランプリだの町興しイベントだのと欲の皮の張りまくったことをするのもどうかとは思うけど、今や日本のあちこちで、ムリヤリB級グルメをデッチ上げてまでして、衰退する一方の町になんとか活気を取り戻そうと悪戦苦闘してる自治体や地元商工会議所が多い中では、異様なくらいオットリし過ぎてる気がする。
不思議と糸ヘン産業と焼きそばの間には関連性があって、下館に焼きそば屋が多いのも真岡鉄道沿線がかつて綿花の生産で一時代を築いたのと関係してるのかも知れない。だとすれば、北関東に点在する焼きそばの町とさして歴史的な古さも変わらないのではないかと思う。なのにノホホンとしてるうちに、完全に「焼きそばの町」としてのPRは出遅れてしまったし、引き離されてる感さえある。
結局のところ、下館の町もまた恐らくはおれが良く言及する「廃市」なのだろう。だからとっくに過去の栄華は消え失せてしまってるにも拘らず、未だに優雅で良かった時代の鷹揚で呑気な気分がどこか抜け切ってない。ユックリと衰えつつあるとはいえ、まだまだ人口もあって何だかんだで北関東では今でもそこそこ大きい町で、一通り官公庁から学校・病院なんかまで揃ってたりして、極端に切羽詰まってない・・・・・・そう言ってるうちに、実はすぐ先で陥穽は暗い穴を開けているんだろうが。
やっぱ、おらぁもちょっと真剣に売り出した方が良いと思うな。どうにも勿体ない話だもん。 |

素朴なヴィジュアルが堪りませんな~♪
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2018.01.12 |
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