あげ、っていいよね?


近年人気急上昇中の栃尾の油揚げ。存在感はかなりある。
余談だけど、こうして中に味噌を挟み込んで焼くのがあちらでは本来のスタイル。


https://www.asahibeer.co.jp/より

 あげが昔から大好きだ・・・・・・なーんて、実は最初の一文を書くだけでかなり迷ってしまった。

 あげは「揚げ」と書くべきなのか「アゲ」と書くべきなのかがそもそも良く分からない。字面としてはちょっととぼけた味のある平仮名があげのイメージにおれ個人としては一番近いのだけど、例えば網焼きにして葱と生姜と鰹節と醤油を掛けたり、切って大根と一緒に煮るような分厚いのはやはり「厚揚げ」と漢字で書いた方が似合うような気がする・・・・・・などとどぉでも好いコトに思いをついつい巡らせてしまうほどにおれはあげが大好きなのである・・・・・・って、ホンマ出だしからグダグダの文章やなぁ~(笑)。

 そらまぁ正確には「油揚げ」と呼ぶべきなんだろうけれど、生まれ育った大阪では一般的には略されて「あげ」と呼ばれていた記憶がある。厚揚げのことはチャンと「厚揚げ」と呼んでたので、あげと言えば要するに薄揚げのことだった。まぁ、薄揚げの絶対に主役は張れそうもない存在感の無さ、っちゅうか脇役に徹した地味なキャラクターには、何とも儚い印象の「あげ」の二文字の方が似合ってるようにも思う。余談だががんもどきのことは「ひろうす」などと呼んでた。今はもう死語に近いかも知れない。調べてみたところ「飛龍頭」が正しい表記のようである。

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 言うまでもなく油揚げは大豆の加工食品である豆腐をさらに油で揚げて加工したものである。実はおれは豆腐も大好きで、それもシンプルな冷奴がいっちゃん好きだったりするんだけど、ぢゃぁあげでは厚揚げが最も好きなのかっちゅうと決してそうではない。豆腐は豆腐、あげはあげ、全くの別物なのであって、一緒くたにはできない。
 おれにとってのあげはやはり薄揚げ、それも白い部分がほとんど残ってないくらいにペランペランのヤツが好きだ。良く「5枚35円!」とかで不当廉売のネタにされてるようなアレ、よくもまぁこんなに薄く豆腐をスライスできるもんだ、と感心してしまうほどに薄っぺらなのが最もあげらしく思える。
 最近は安さ一辺倒への反動からか、「昔あげ」「手作り風あげ」などと称して、やや厚めに作ったものが売られたりしてて、もちろんそれはそれでたいへん美味しいのだけど、ペラペラタイプのあの影の薄さはそれはそれでもっと評価されても良いとおれは思ってる。

 何はともあれ、あくまで脇役なあげが輝きを見せる料理がいくつかある。

 まずは何てったって「稲荷寿司」だろう。「おいなりさん」と言った方がシックリ来る気がするな。甘く煮たあげに寿司飯を詰め込んだアレ、他のどんな寿司とも似てないアイデンティティがあるし、あげなくしては成立しないワケで、こりゃもうあげを用いた料理の頂点に君臨してるように思う。
 ここでいくつかおいなりさんについての薀蓄を披露させていただくならば、正方形のあげを対角線に切って三角形に作るのが関西、長方形に半分に切って俵型にまとめるのが関東と言われる。実際、おれも三角の方が何となく馴染みがある。おいなりさん自体のルーツは愛知らしいけど、あっちは俵型なので三角は関西だけなのかも知れない。
 驚いたのでは埼玉のはずれ、利根川っぺりの町・妻沼の聖天さん名物であるおいなりさんが挙げられる。これは大きな長方形のあげを縦に切ってものすごく甘い寿司飯を詰め込んだモノで、とにかくデカい。実に15cmくらいの長さがあった。包むときにあげが破れてしまったものは、お詫びの印なのか干瓢が巻いてあるのが実直で良い感じだ。これが3本と巻き寿司が4切れ入った助六タイプが460円とひじょうに良心的な値段で売られてる。あんまし観光目的で妻沼に出掛ける人もいないだろうが、もし行かれたらぜひ購って頂きたい。

 続いてはヤッパシ八ッ橋、きつねうどんだろう。うどんの主役はそらもちろんうどんだけど、いなり同様に甘く煮たあげなくしてはただの素うどんになってしまってきつねうどんとしては成立しないのだから、準主役級ではある。それに月見や天麩羅にかき揚げ、昆布、山菜、餅等々数あるトッピングの中で、いなりは間違いなく頂点に君臨している。海老天だと!?・・・・・・ッチッチッチ!具の格は原価で決まるんぢゃないよ!
 最近のきつねうどんは大判で長方形のあげをドーンと一枚載せるようなのが増えてしまったけど、昔はもちょっと控え目なのが一般的だった。大体おいなりさんで触れた通り、関西のあげは正方形が元来のスタイルなんだし、おいなりさんの皮にするのを転用してるワケだから昔は真四角か三角ばっかしだった。
 大阪人はきつねうどんを愛して止まない・・・・・・なんちゅうのはウソだ。月見だって天麩羅だってカレーだってフツーに食う。それにアル中で呂律の回らぬオッサンぢゃあるまいし、「けつねうろん」などとも言わない。今時そんなん得意がって言ってるのは出張で大阪に来て、実際は大阪に何の縁もゆかりもない半可通のオヤヂくらいなモンだろう。

 グッとマイナーになるが、きつね丼もあげが主役の一品として忘れられない。親子の鶏や他人の牛ではなく刻んだあげを使うのがちょっとビンボ臭くて実に好感が持てる。ちなみにあげではなく蒲鉾の薄切りを使うと木の葉丼になって、これまた微妙なビンボ臭さとどうにもニッチな感じがたまらなく魅力的な一品だ。

 続いては何かなぁ~?上記2つに比べると格段に地味になるが、関東煮の餅巾着なんちゅうのはどうだろう?でも、他の素材で包んでは絶対にあの味にならないものの、しかしながら関東煮にとって餅巾着自体は無いとどうしても困るってタネではないよね。あげ焼にしたってパリパリして美味いのは事実ながら、まぁ焼き茄子でも焼き獅子唐でもおかずとしては代用可能なように思えるフシもあって、そこまでの絶対性は無い。やはり基本、脇役なのである。

 とは申せ、そんな脇役のあげが入ってないとどうにも締まらない料理だってある。代表例としてはかやくごはん・・・・・・一般的には炊き込みご飯と呼ぶべきなのかな?あのあげは他の具材に比べると一際存在感が薄いし、名店のレシピなんかを読むと開いて豆腐の白い部分をこそげ落せとまで書いてあったりする。徹底的に存在感を薄くするワケやね。そんなクセに無いとかやくごはんとしては何とも締まらない。
 あと、ちゃんこ鍋なんかもそうだ。主役は肉・魚、ツミレ類であることは間違いない。野菜類だって豊富に入る中であげが必ずしも必要か?っちゅうと、それほどでもなかったりする。だからって他の鍋みたいに豆腐ではどうも落ち着きが悪い。増してや厚揚げでは無残でさえあって、ここはやはり他の具材をひたすら盛り立てるだけの刻んだあげでないとダメだろう。おれ的にはあげ、ニラ、牛蒡の無いちゃんこはアウトではないかくらいに思ってる。
 ああそうだ、小松菜とあげの煮浸しなんかもおかずとしてもかなり脇役だからこそ、存在感の薄いあげで地味ながらも繊細な味付けが活きると思うのだが、どうだろう?分葱のぬたにしたって同じである。殆ど何ら主張しないこんがり炙ったあげを刻んだのと合わせることで分葱と味噌のクセが引き立つのだ。味噌汁の具にしたってあげが一番主張しない。大根でもワカメでも茄子でも芋でも、何となれば豆腐とさえも合ってしまう。融通無碍、っちゅうヤツだ。

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 ・・・・・・とまぁ、そんなにも目立たぬ存在のあげなのだけど、近年は食材に拘るスーパー等で全国各地のあげが売られるようになって来てるのはたいへん喜ばしいことだ。
 仙台の奥、キ印な温泉は廃業しちゃったけどお寺の門前にある定義の三角あげは名物として、今では関東の飲み屋等でも結構見掛けるようになった。同じような系統で薄あげのクセに妙に分厚い栃尾の油揚げは本気で全国区を目指してるのか揃えるスーパーがどんどん増えてる。どちらも脇役にしとくのが惜しいような押し出しの強さを備えたあげだ。
 油揚げ王国とまで称されるようになった福井の座布団みたいなあげは、そのボリュームと官能的な食感からおかずの主役になれるとまで言われる。残念ながらおれはまだ食したことがないけれど、ヴィジュアルからして美味そうだ。何でも現地にある有名なお店は、平日でも2時間くらい並ばないと食えないらしい。あげの分際でナカナカやるモンだ。
 奈良界隈にも独特のあげがあるようだ。大体、近畿一円はちょっと特徴のあるあげが点在してるように思う。要はどこも精進料理と結びついて発展したのだろう。そうそう、謎のカット済商品である松山あげも、今ではスーパーでかなりよく見掛ける。昔、道後温泉土産に買ったことがあって、大変申し訳ないがその時は何がそんなに違うのかは良く分からなかった。調べてみると一種の乾物で、保存食なのがウリらしい。

 あげ同様フワフワとも一つ主張が明確でないまま漫談が長くなってしまったな。

 おれも段々といい歳になって来て老後のことをボンヤリと夢想したりするのだが、何となくあげくらいは必ず日々の食卓のおかずのどこかにあるくらいのチマッとした豊かさが維持出来たら良いのにな~、とか、あげみたいに存在感は無いけど無かったら無かったで何となくちょっと寂しいなくらいの立ち位置で自分自身が過ごせたらな~、って思う時がある。

2017.10.01

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