大阪のプチ贅沢 |

上定食1,200円也!メッチャお得だとおおれは思う。
|
先日、三島の鰻の超名店である「桜家」で鰻重を食べた。実は三島は浜松ほどではないものの、柿田川湧水に代表されるように富士からの豊富な湧き水で泥臭さを抜くことができるとかナントカ、本当のところは良く分からないけど鰻屋さんのとても多い町だったりする。そんな中でも特に老舗なのがこの「桜家」なのである。
平日っちゅうのに店の前は物凄い人だかりができており、1時間半近く並んでようやく座敷に通される繁盛ぶりだ。3枚入りの鰻重は実に4,950円もしやがる。近年の鰻の高騰で高くせざるを得なかったのは分からないでもないが、ぶっちゃけ昼飯としてはやっぱしムチャクチャに高い。
もちろん値段なりのお味で、関東風にシッカリ蒸しの入ったフワフワでトロトロの鰻と、醤油が勝ったキリッとしたタレの味も絶妙で、待たされるのが大嫌いなおれも鰻をゆくりなく堪能出来たのだった。
・・・・・・しかし、何かが違う。
実はこの物足りなさは関東に越してきて以来ずっと鰻に関して感じ続けてることであって、別段それは西と東の味の優劣とは違う。どっちも美味いのである。要するにいわば「記憶味」とでも呼ぶべきものと異なる、と言いたいだけだ。ただの幼稚な地元贔屓、ホームタウンデシジョンと呼んで頂いたって一向構わない。
おれの記憶にある鰻丼とは、とにかくもっと甘目のタレで、飯はやや硬め、そいでもって鰻がもっとパリッ・カリッとして川魚の味を主張するようなものなのだ。一方の関東系はいささかタレの甘みもトロ味も少なくキリッとしてて、そいでもって飯は柔らかく、鰻は洗練はされてるものの力強さが足りないように思えてしまうのである。
そしてそんな昼間っから通常のランチの5倍も10倍もする値段であってもならないとも思う。鰻丼っちゅうのは江戸時代の半ばくらいに蒲焼の技法棟が完成して一般化するのだけど、当時は今の貨幣価値に換算すると牛丼程度、すなわち3~400円くらいの値段で供されて来たモノなのだ。
もちろんそんな値段で出せとまでは言わないが、どうだろ?まぁ今のごく平凡なランチが500~1,000円辺りが相場であるとするなら、せいぜいその2倍くらいの「ちょっとした贅沢」・・・・・・今で言うところの「プチ贅沢」で収まる程度の価格でないといけないと思うのである。しかしながら如何せんこの数年の乱獲と資源枯渇による鰻の値上がりは半端ない。そんなんだから庶民のささやかな贅沢程度の鰻屋はスッカリ見かけなくなってしまった。本当におれは哀しい・・・・・・と思ってたら大阪に残ってたんですよ!
今日はそんな話だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
所用で大阪に帰って、本町あたりで丁度お昼になった。最近は実にベンリになったモンで、スマホでペペッとやるだけですぐにいくらでも近所の食べ物屋が見付かる。見てると船場センタービル地下食堂街っちゅうのが出て来て、そこに「船場いづもや」という店がある。え!?あのいづもや!?
ナニナニ!?昼の定食が鰻丼にう巻、肝吸い付いて880円だと!?こりゃもぉ行ってみるしかないでしょ?
地下鉄・堺筋本町の駅に下ると、2本の平行する地下道がそのまま食堂街になってて数十軒のお店が固まってる。蛍光灯の冷たい光に照らし出されてちょっと薄暗いカンジの、昭和の香りがプンプンするような・・・・・・と言えば聞こえは良いが、今の感覚で言うならいささか場末感漂う、老朽化が進んでうらぶれた雰囲気だ。周囲に合わせるためかコンビニのミニストップまでなんだかアンダー気味の店内照明なのが笑える。
そんな一角に目指す「船場いづもや」はあった。言うまでもなくそんな敷居の高い店構えなんかでは全然ない。紺色の暖簾の出たごくフツーの食堂といった佇まいだ。見た情報が古かったのか、昼定食は100円値上がりして980円になっている。さらにあと220円、つまり1,200円出すとクジラの刺身・・・・・・もといここは「お造り」と言うべきかもしれない・・・・・・が付いた上定食となる。驚くべきことに鰻丼の特上でも1,800円とか、もぉ信じられないくらいに安い。とにかく入ってみることにする。「いづもや」なんて何年ぶりだろう?
ほぼ満席の店内の客層の年齢はやや高め。やはり昼定食が一番人気のようで、真っ黄色なう巻の載った皿を前にした人が目立つ。おれはクジラも食ってみたかったんで上定食、ヨメは新幹線の駅弁がまだ効いてるそうで昼定食をご飯少な目で注文。
カウンターの奥の厨房では寡黙で頑固な雰囲気の爺さんと、奥さんと思しき婆さんが忙しなく動き回り、娘さんだろうか40前後の女性が外を一人で切り盛りしてる。
驚くべきことにう巻は作り置きとかではなく、一つづつ注文受けてから焼き始める。蒲焼は流石にそんな一匹づつサバいて、なんてコトはないけれど、それでも注文ごとにちゃんと炙り直してタレ付けて香りを立たせるのに料理人の拘りと良心を感じさせてくれる。安いけれど決して手は抜いてないのである。
待つことしばし、2つの定食が到着した。
ご飯多目の丼にはたっぷりのタレとやや小ぶりの蒲焼が二切れ。う~む、鰻丼単品で考えるとこれはいささか貧弱と言わざるを得ないな・・・・・・ったって往年の天神橋「天五屋」の320円鰻丼のような、切手サイズほどに小さくはないけどね(笑)。でもまぁお世辞にも大きいとは言えないわな。
一方、う巻は結構なボリュームだ。玉子3個くらい使ってるのではなかろうか?通常玉子焼はあまり玉子を掻き混ぜないで黄身と白身が斑になるくらいが良いと言われるが、ここでは何ともノッペリと均質な黄色になってる。そしてクジラの造り。いづもやもだけどクジラも何年ぶりだ?捕鯨禁止になって何年も経つのにどっから入手してるんだ?って疑問は頭をよぎるが、とにかく赤身のが5切れくらい並んでる。あとは漬物、小さな肝の入った肝吸い。
まずはこの健気なヴィジュアルにおれはやられたのだった。この「そらまぁ豪勢とはちゃいますけど精一杯頑張ってまっせ」感が良いのである。安くたってチャンと国産鰻なんですわ、ちっちゃいけど一通りアイテム揃ってるんですわ、丁寧に仕事してるんですわ、って佇まいが実にシブい。まさに「プチ贅沢」の良いトコを衝いてる。実際鰻は愛知の一色産使ってるみたいだし、店の矜持を感じる。
まずはご飯を一口頬張る。瞬間、もぉ「孤独のグルメ」の井之頭五郎ばりに「これこれ♪」って呟いてしまいそうになったよ、おらぁ。自然と笑みがこぼれる。上に書いた通りの甘みの強いタレとやや硬めのご飯・・・・・・本当にそれはとても懐かしい味だった。だからって浮かれてここであまり早くに蒲焼を口入れてしまっては大量のご飯が続かなくなる。次はう巻だ・・・・・・って「食の軍師」か!?おれは?(笑)
柔らかな黄色い塊りに箸を入れると鰻は刻んだのがホンのちょびっと、しかし焼き立てでまだ熱々だ。だし巻なんだけど出汁は薄めで鰻の味がハッキリ分かる。玉子の色味を壊さぬためか、タレが皿に流されてるのも芸が細かい。脇に添えられた口直しの甘酢生姜もこの濃いタレには良く合いそうだ。そぉいや関西のタレってこんなに味醂と日本酒が効いてんだ、ってコトも今更ながらに気付いた。
さらにご飯を一口、いよいよ本丸の蒲焼だ。一息で食える大きさなものの、今それをやってしまうと後半の飯がただのタレご飯になってしまうリスクがある。ここはもうちょっとの辛抱だ。
・・・・・・そうして食べ進めるうちに何だかおれは少し涙が出そうになったのだった。万感の思いが去来した・・・・・・まで大袈裟に言う気は毛頭ないが、感激、郷愁、後悔、鎮魂、贖罪、厭悪、思慕・・・・・・何ともそれは複雑な感情だった。プチ贅沢どころか、色んな意味でなかなかにヘヴィな食後感ではある。こんなんだから憂鬱愛好症はアカンのだな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
店を出る時、この「船場いづもや」がどこかの暖簾分けなのか尋ねてみたところ、10年ほど前に閉店して今はもうない「千日前いづもや」とのことだった。かつての千日前には「食いだおれ」や「千日堂」、「どうとん」といった食の百貨店スタイルの店を筆頭に、いろんな食事処がひしめき合っていた感がある。まぁ言っちゃなんだが、基本どれも大衆路線ではあったものの、どの店もちょっと時代から取り残されたような、それでいてレトロっちゅうには少し違う、まるでババァの若作りのような感じがあって、一帯には独特の雰囲気が醸し出されていた。思えばそれらも今は殆どが無くなってしまってる。
以前にも書いた通り、鰻について父親は「いづもや」党であり、母親は「豊川」党だった。実はつい最近になって知ったんだけど、「いづもや」って屋号、中華における「来々軒」、蕎麦屋における「長寿庵」みたいなモンで、かつての大阪では極めてポピュラーな名前だったらしい。驚くべきことに最も多い時には300軒からの「いづもや」が近畿一円にあったらしい。牛丼チェーンどころか7-11やローソン並みの密度だったワケだ。アナーキーでギラギラしてるってコトでは中国に勝るとも劣らぬ大阪らしく、暖簾分けどころかそもそも修行もしてないのに勝手に名乗ってる店なんかも多かったようで、どこの店がどの系統なのかにしたって今となってはもうサッパリ分からない。つまり味にしたってピンキリのバラバラだった。ハハ、「いづもや」で一括りにして語ってた父親はペダンティックなくせに半可通だったってコトになる。一方の豊川は?っちゅうと、こっちはこっちで今ではスッカリ寂れてしまい恐らくは暖簾分けだと思う店が東大阪の方に1軒か2軒残るだけである。
いつもツマんないことで諍ってた二人だけど、何のこっちゃない、諍いの俎上のネタさえ今はもう喪われてしまったワケだ。
【附記】
ちなみにこんなプチ贅沢の鰻屋、気になって探してみたところ大阪にはまだ何店か残っていることが判明した。大阪時代に一度行ったことがある長堀橋の「うな茂」も健在で、ここは何とう巻だけなくうざくも付いて1,500円だったりする。さらに木津市場の「川上商店」やちょっと安過ぎて国産ではないような気もするけどとにかく値段なら梅田の「宇奈とと」等々、少なくなったとはいえ頑張ってるようである。 |
|
2017.06.16 |
|
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved |
|
 |