何だかんだでおれは牛丼が好きなのかも知れない。いや、言葉が正確ではなかったな。「本当に美味い牛丼を探し続けてる」と言った方が正しいだろう。それは吉野家を初めて食った時に何となく感じた物足りなさが未だ心のどこかに引っ掛かってるからだと思う。今なおそれが埋められることがないもんだから、たまに仕事の昼休み、一人で外に食事に出掛ける時なんかついつい店に入ってしまうのだ。もちろんこれからも満足することは決してなかろう。何故なら、牛丼チェーンの牛丼は根本的にはそんなメチャクチャに美味いモノでもないからだ。
いやいや、元祖と言われる浅草・今半の牛丼も食いに行ったことはある。牛丼なのに結構なお値段だ・・・・・・で、それで長年のつかえが下りたのか?っちゅうとそうでもなかった。
結局、チェーンだろうが何だろうが、牛丼自体がさほど美味いモノではないのかも知れない。
さて現在、牛丼チェーン御三家と言えば「吉野家」・「松屋」・「すき家」であることは衆目の認めるトコだろう。以前は四天王で「なか卯」が、それより前は五大チェーンで「神戸ランプ亭」なんかが食い込んでたんだけど、前者は何年か前に牛丼から撤退し、後者は親会社のダイエーの衰退と共にどんどん店を減らし、今や風前の灯である・・・・・・ランプだけに(笑)。
そんなメジャーなチェーンとは別に、東京には元々文明開化以来の牛飯の伝統があったのか、これらメジャーに果敢に挑む泡沫チェーンがこれまでいくつも現れては消えてった。俗に「インディーズ牛丼」と呼ぶらしい。なるほど上手い呼び名だと思う。
今では「インディーズ」などと良く分からない和製英語の呼び方になってしまったが、元は「インディペンデント」だった。少なくとも80年代半ばくらいまでは「インディーズ」なんて言ったって通じなかった。意味はそのものズバリで「独立した」である。大手資本のレコードレーベルではなく独立資本でやるからだ。
そんなマイナーな牛丼屋の一つに今日紹介する「丼太郎」がある。かつては「牛丼太郎」って名前のチェーン店だった。一時は都内でけっこう店を見掛けたように思う。そして勇猛果敢っちゅうか無謀にも大手チェーンの値引き合戦の土俵に上がり、後先考えずに先陣切りまくった結果、矢折れ刀尽きたのだった・・・・・・つまり倒産した(笑)。そんな牛丼太郎のムチャぶりは伝説的である。資本もオペレーションやノウハウも大手に劣っていたにもかかわらず、とにかく闘ったのだ。この系譜に間もなく加わるのはおそらく「東京チカラ飯」だろうな。ここも一時期はエラい鼻息で店舗を増やしまくってたけど、いつの間にかスッカリ見かけなくなってしまった。
それはともかく、倒産により取り残されたスタッフの有志数名が茗荷谷にある店を引き取って細々とやってるのが「丼太郎」なのである・・・・・・って、エラそうに書き連ねたけど、この辺のクダリはネット情報の受け売りだ。スンマヘン。
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こんなんのためにワザワザ出かけてくおれも酔狂だよなぁ~、と思いつつ丸ノ内線の茗荷谷駅を降りる。住所で言うと文京区の小日向になる。夏目漱石が「坊ちゃん」の最後で「だから清の墓は小日向の養源寺にある」と書いた小日向だが、実はこれは創作で、本当の養源寺は本駒込にあって、小日向にあるのは漱石の菩提寺である本法寺だったりする。漱石センセ、意外に細かい所で小ワザをかましてたんだな。
店はすぐに見付かった。改札を出て右に行って100mほどの春日通に面したところだ。そしてなぜ「丼太郎」と名乗ってるかもすぐに諒解した。要はお金が無くて「牛丼太郎」の看板の「牛」の部分だけテープで張って隠してあるのである(笑)。見た目的には「松屋」と同じような感じで、店の表に大きなメニューのポスターが貼られてそれを見て店内の販売機で食券を購入するタイプだが、当然ながらかなり外観もくたびれた印象だ。
ポスターを見ておれは驚いた。メジャーより値付けが安いのだ。並盛290円はともかく、とくとく定食の550円ってどぉなってんだよ!?と思う。ご飯は大盛りで牛皿の肉は2倍ってアータ、一般的な特盛といっしょやんか。それにさらに味噌汁と玉子とサラダまで付けて550円、ホンマにちゃんとした肉使ってるのか不安になってしまう。安さだけで行けば牛丼太郎時代からカルトな一品として知る人ぞ知る存在だった納豆丼なんちゅうのもスゴイ。実に220円。もちろん税込みでだ。
・・・・・・彼等はまだ価格で戦い続けてるのだった。とっくに雌雄は決したに拘わらず痛々しいほどに。他に闘う術を知らんのか?と問いたくなるほどに。
バカみたいに店頭で感慨に耽ってても埒が開かないんで店内へGO。件のとくとく定食にしてみることにする。失礼ながら意外にも店内はほぼ満席。入れ代わり立ち代わりお客さんは入って来る。外観同様に店内もいささかくたびれた印象で、ナカナカ細かいところまで手が回らないのかちょっと雑然としてるが、個人店として考えればこれは普通にあっておかしくないレベルだろう。
前に立つオッチャンの名札には「運営部**」とある。一応会社組織としてチャンと部に分かれてるみたいであるが、それぞれの部の在籍人数は何人くらいなんだろう?って素朴な疑問が湧く。他にスタッフが数名、彼等の名札は部の所に数字が書かれてるんでアルバイトなのかも知れない。
大して待つこともなくとくとく定食は出て来た。要は牛皿定食の特盛版である。ビジュアル的に何か特別なところがあるワケではない。看板がそのままなくらいだから今さら言うまでもなかろうが、什器の類は牛丼太郎時代の金太郎みたいな腹かけの子供のイラストが入ったのをそのまま使ってる。相次ぐ閉店によって大量に余ったはずだし、財産として差し押さえて転売しようにも二束三文だったろうし、什器についてはこの店、案外大量に確保してるのかも知れない。これは経営的には助かることだろう。
大手に比べると妙に真っ赤な生姜を載せ、七味大量にぶっかけて早速食い方始め。めんどくさいんで牛皿はそのまま飯の上にスライドオン!玉子も適当にかき混ぜてドロップオン!ワシワシと掻っ込む。
う~む、何と言えば良いのか、フツーに美味くフツーに不味い・・・・・・っちゅうかこれ、昔食った牛丼の味に似てる気がするぞ。もちろんチャンといろんな出汁も入れてるんだろうが、化学調味料っぽさが全面に出た味と言えば良いのかな。とてもレトロだ。薄くスライスしてもなお残る肉の筋っぽさも往年の牛丼屋の感じだ。
久しぶりに懐かしくも本格的なジャンクフード(!?)を食った気になれたのだった。
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丼太郎の前途が明るいか暗いか、おれには分からないし軽々に論ずることもできない。取り敢えずお客さんはひきも切らず来てるから目の前の部分では何とか回せてるんだろう。しかし決してラクではないに違いない。例えば冷蔵庫や炊飯器、コンロといった値段の張る厨房機器類がぶっ壊れたりしたら修理や再購入にものすごく金が掛かるが、それだけの潤沢な資金を担保してるようにも見えない。大体そんな余裕があれば、まずは店の看板直すだろうし。まぁ食ってチョン、っちゅうかかなりギリギリのところでやってるのではないかと思う。
既に価格競争で一度破れたのに、それでも未だ安さ一点張りで商売を続けるのはなぜなのか?まさか捲土重来、再び華々しく牛丼業界のトップシーンに躍り出ることを夢見て、臥薪嘗胆で頑張ってるようには・・・・・・ないないない、全体的にやれた店の様子のどこにそんなんあんねん。
むしろ事態は全く逆で、おそらくは「これしかできない」っちゅうのが本当のところではないかとおれは思った。「牛丼を安く売るってコトしかボク達教わりませんでしたから、今さら他の事やれったってむつかしいっしょ!?」みたいな、どこか諦念にも似た淡々とした雰囲気が感じられる。つまりメジャーと戦おうとしての安値ではなく、「ズーッとこれでやって来たし、これからも行ける限りはこれで行くしかないんですよねぇ・・・・・・」みたいな開き直りと換言しても良いかも知れない。
それはまるでつげ義春の「大場電気鍍金工業所」のラストシーン、主人公の義男が勤め先の鍍金工場の経営者が夜逃げしたことを近所の爺さんに告げられて尚、淡々と金属部品にバフ掛けを続ける様子を想い出させた。
失うものはもぉ彼等には、この20坪ほどの店しかないのだ。そして人間、失うものが少ないほど強いっちゅうのは一大鉄則でもある。何かの用事で茗荷谷に出掛けることはまずないからそう何度も再訪は叶わないだろうけど、万一行くことがあれば是非また立ち寄ってみることにしよう・・・・・・そんな風におれは心の中で誓ったのだった。
---附記---
さらに気になって調べてみたところ、このような牛丼チェーンの残党としては以下のような店があるらしい。
●新宿南口・「たつ屋」
●埼玉県上尾市・「横浜家」
●川崎市中原区・「どん亭」
●大井町・「牛八」(旧・牛友)
そのうち機会があればまたレポートします。 |