疲れる食い物はもぉ沢山


亡くなった人にあれこれ文句付けても仕方ないけど、功罪半ばするよね?この人。

 近年、外食してて「あ~もぉ~、うるせぇな~っ!」って思うことがホント増えた。いやいや、決して歳食ってだんだん気難しくなって来てるからではないと思う・・・・・・多分、きっと、おそらく(笑)。

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 何がウザいって、能書きや演出がどこもかしこもムダに多過ぎるのである。しつこいのである。まずは酒、日本酒。おれは日本酒が大好きなもんだから、知らない銘柄等を見付けるとついつい次の日のことを忘れていつも頼んぢゃうんだけど、どぉでもいいような安いチェーンの居酒屋まで地酒揃えてたりなんかしやがって、酒度がプラスだマイナスだなんてご丁寧に書いてあって、注文すると朱塗りの枡にグラス置いたようなんで持って来るのにはかなりイラッとする。ツマんない演出してるヒマがあるんならフツーに冷えたのを正一合のグラスに入れて持って来たらいいのに、っていつも思う。こんな店に限って、基本の猪口の底の紺色の渦巻きやコップ酒のグラスの真ん中の線の意味はちっとも分かってなかったりするモンだ。まぁ、それにしたって知ってたってどぉってコトはないのだけど・・・・・・。
 先日なんざ、洗面器を一回り小さくしたくらいの木桶の中に氷敷き詰めて、竹を切ったのが二つ置いてある。銘柄を書いた小さな短冊や笹の葉まで置いてあったかな?1つは猪口で、1つは徳利って演出だ。しかし竹は断熱性が高いから氷の中に置いたってそんなに中の酒は冷えてくれないし、とにかく木桶が狭いテーブルの上では邪魔でおれは早々に猪口に全部注いで、残りは畳の上に除けてしまったのだった。

 ・・・・・・って、全国の日本酒の銘柄にしたって同じような愚を犯してる。「純米」や「大吟醸」、「山廃」くらいまではまぁまだ許せたが、最近はありゃ何だ!?「無濾過」だとか「無鑑査」、「あらばしり」、「中汲み」・・・・・・おそらく8割方はハッタリな言葉の散りばめられた酒ばっかしになってしまった。飲む方もさして何も分かってないから「へぇ~、そぉなんだ!?」とか気の抜けたリアクションしかできない。
 全部これらの言葉の欺瞞を叩いてってもいいんだけど、めんどくさいから一つだけにしとこう。最初の「無濾過」、意味分かってます?濾過してないって意味ではないよ。濾過しなかったら日本酒は甘酒みたいにドロドロだ。でも、無濾過原酒って売られてるのは綺麗な清酒でしょ?
 実は酒はタンクの出口のサラシ布だけではとても濾せない、それでようやっとかなり真っ白な濁り酒くらいになる。その後、活性炭を混ぜて細かい澱を吸着させてフィルタで濾し取ってようやく清酒になるのだ。澱が沈むのを待って上澄みだけ柄杓ですくってるのでもない。それでも薄っすら濁ってしまう。実は「無濾過」とは活性炭の混ぜ込みを省いた、ってだけである。今はフィルタの性能が上がってより細かく濾し取れるようで、途中にそのようなキャタライザーみたいなものを必ずしも入れなくて済むようになった、ってだけのコトだ。ついでに言うと濁り酒、あのほとんどは一旦清酒にしてから酒粕を混ぜて作ってるトコが殆どだ。

 当然ながら肴も色々とめんどくさい。「備長炭で焼き上げた朝引き健康宮崎地鶏ひなどりの串盛り」(←要はただの串焼き盛り合わせ)だの、「寺泊港直送板前厳選キトキト刺身三種盛り」(←要は申し訳程度に光りモノを入れた刺盛り)だの、「地元新鮮野菜と国産大豆だけで作った絹ごし豆腐のサッパリ和風創作サラダ」(←要は生野菜敷いた上に切った豆腐が置いてあるだけ)だの、書いてるうちにだんだんハラ立って来たんでこれくらいにしとくが、まぁ今時結婚式の披露宴の献立表にもここまで長ったらしくてクドいのは少ないんちゃうか!?ってイヤミの一つも言いたくなるような、上滑りした言葉の羅列ばっかしだ。

 安っぽいスノビズムやペダントリーに裏打ちされた演出は貧乏臭くて侘しいし、却って心を寒々しくする。

 安い居酒屋なら日本語も良く分かってない店員に「これ!」って指差すだけで済むからさほど実害もないんだけど、これが中途半端なトコだと、供される時にイチイチ店主の押し付けがましい解説が付いたりするんでイライラする。その能書きや自慢は後に続くお追従や賛辞を予定調和のモノとして露骨に期待してるのがあからさまに透けて見えるからだ。これではまじないや刷り込みにもならない。ただもう黙って食わせてほしい。そいで旨けりゃホメるんだからさ。

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 そぉいやラーメンもまた大層鬱陶しい食い物に成り下がってしまった。この傾向が強まったのは、今から思い起こせば世紀の変わる2000年前後くらいからだろうか?何かもうどんどんヘンな方向に行ってしまった気がする。

 先日、「現代ビジネス」って講談社がやってるサイトのコラムでひじょうに興味深い記事を読んだ。「ラーメンと愛国」(速水健朗)っちゅう近々出る新書の前書きらしい。「ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか」っちゅう副題通りで、ここで述べられてることは殆どおれの主張と同じだった。

 世の中、何かもぉデキの悪い自己啓発セミナーみたいなラーメン屋が多過ぎて鬱陶しいのである。暴れのたくった上手いんだか下手なんだか分からない大きな肉太の字で、壁に愛だの人生だの使命だの書き殴って熱っぽく語ってるラーメン屋に入ってしまうと、最早旨い不味いなんてもうどっかに消し飛んで、おれは新興宗教の道場にでも迷い込んだような不愉快な気持になってマトモに味わえなくなってしまう。
 そいでもって利尻昆布だ、枕崎の鰹節だ、屋久島の鯖節だ、アゴ出汁だ、煮干しは伊吹だ、黒豚だ軍鶏のガラだ、ニンニクは青森のナントカ村で生姜は高知のナントカ村だ、隠し味のハマグリは汽水域の豊かなどこそこ産だ、醤油は醤油でやれ小豆島だ御坊だ房総だ、味噌は味噌で・・・・・・あ~も~うるさい!って。何でもかんでも手当たり次第ブチ込めばいいってモンぢゃねぇぞ!ヴォケ!塩梅ってコトバを知らんのかぁっ!?と凄みたくなる。


 ストイックだか求道的だか知らんけど、拘りたきゃ拘りゃぁ良い。人生賭けたきゃ賭けりゃ良い。一杯のラーメンに世界を表現したり全身全霊を傾けたけりゃ傾けりゃ良い。それは店主、あるいはオーナーがもう心行くまで好きにしたら良いのである。そこまでおれは干渉しようとは思わないし、そりゃぁ投げ遣りに拵えるより真面目に拵えた方が美味いモノもできるだろう。
 ただ、イチイチ暑苦しく語るな!と心の底から思うのだ。自分がこんなに頑張ってんだってコトをくどくど語る姿にはどうにも苛立つ。聖書にもあるではないか、「隠れて祈れ」と(笑)。だからおれにどぉして欲しいんだ!?ってホント訊きたい。女を口説くのに一番ダメな方法は、おれがこれだけオマエのことを愛してるんだからオマエもおれのことを好きになれ、と言わんばかりに鼻息荒く語って迫ることではないかと思うが、そんなのを客相手にヘーキでやってるのがこのテの(ちなみに上述の本では「作務衣系」と称するらしい、笑)ラーメン屋だ。

 大体、ブランド原料を沢山入れたら美味いモノが出来るなんて発想、ねじくれた成金趣味、勘違いした唯物史観ではないのか?とさえおれは思ってる。上に挙げたようなのをテンコ盛りで、箸が立つくらいにコッテリドロドロのスープを見たりすると、何かブランド品で全身固めたケバくて下品極まりない水商売のオネーチャンとかホスト、あるいは崩壊前ソ連の矢鱈と図体ばかりデカくて重いクルマやカメラといった工業製品みたいに思えてしまうのである。
 例えばギターにPRS、ベースにフォデラ、ドラムにクラヴィオット使ってバンドやれば最高の音楽が出来るのか?ってコトだ。出来るワケが無いでしょ!?ガキにでも分かることやんか。
 あるいは芸術家が自作についてその製作にどんなけ努力したか、どんな思いが込められてるかを滔々と語ったらみんなどう思うか?ってコトだ。アホちゃうか?って思われるのがオチでしょ?

 そら食材に粗悪なモノや危険なモノを使っちゃダメだろうけど、そこはまぁある一定水準をクリアしたら、あとは技術とセンスの問題ではないかと思う。ちったぁ「雪舟涙の鼠の図」の逸話でも学んで欲しい。

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 そんなんでスッカリ外食から足が遠のいてしまってるのである。入ったとしても、ごくフツーの下町の中華料理屋とか立ち食い蕎麦とかそんなトコばっかしだ。飲み屋にしたってできるだけ当たり前のメニューが当たり前の名前で並ぶようなトコに入るようにしてる。

 押し付けがましい食い物はとにかく気の休まるヒマが無くて疲れる。味が濃いとか薄いとか、量が多いとか少ないとか、暑いとか冷たいとか、美味いとか不味いの問題ではない。そして疲れる食い物はもぉ沢山だ。メシも酒もサラッと行きたいわ。

2015.09.20

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