串カツ哀歌


パン粉はあくまで申し訳程度、バッタ液部分が分厚いのが特徴。

 昨今、世間からいささか誤った風に理解がなされてるような気がするんで、最初に申し上げることにする。

 串かつは決して大阪のソウルフードではない・・・・・・こりゃもぉ断言したって構わないと思う。たこ焼きやお好み焼きと違って家ですることもなかったし。

 ソース二度漬け禁止でキャベツが無料のアテに付いて、サイドメニューはどて焼のみ、っちゅうスタイルなんて昔はそれほど一般的ではなかったのだ。店だって多くはなかった。もちろん多くの飲み屋のメニューには串カツは載ってたけれども、あくまで数多くメニューの中の一品に過ぎず、焼鳥があれこれ種類を選べても、串カツは盛り合わせしかないってな風になってるトコが多かった。つまり関東の飲み屋と変わらない。

 強いて言うならば、それは新世界の南の外れのジャンジャン横丁だけで局地的に隆盛を極めてた、ってカンジだろう。それも今でこそ名店として名高く、いつ行っても大行列が出来てる「八重勝」「てんぐ」が昔から流行ってたくらいのもんだった。
 もちろん、梅田や阿倍野界隈の地下街とかにもすでに串かつ屋は何軒もあったんだけど、そんな並んでまでして食うものでもなければ、「あ~っ!串かつ喰いてぇ~!」ってな入り方をする店でもサラサラなく、疲れたサリーマンや工員がまぁ「明日も早いし、あんましゼニもあらへんし、チャチャッと片付けてこましたろかい!?」ってないささか投げやりな風情で、何本かをアテに大瓶ビール1本程度でそそくさと出て行くような、どちらかといえばささやかでチンケとも言える業態だったのである。
 いや、新世界にしてもそんなんだった。ドカチンのオヤヂが短期決戦でサッと飲んでサッと出て行くようなんが本来的な串カツのスタイルであって、「食べ放題飲み放題3千円」とかで長っ尻で粘るようなトコではなかったのだ。いわば、立ち呑みよりもさらに忙しないファストフード飲み屋である。
 ましてや自分でチマチマ揚げるお座敷串カツなんてホントごく一部の・・・・・・言っちゃなんだがキタや神戸・三宮界隈のちょっとスノッブで酔狂な店で、登場したのもずいぶん遅く、昭和も60年代近くなったあたりからではなかったか。

 しかし一方で大昔から夜店に串カツ屋が出てるのは見かけたし、子供の頃、手引きの屋台で串カツ屋が回って来ることがあったのも事実である。後者は駄菓子の延長線上で子供のオヤツなんで昼間にやって来る。「牛」とかはちょっと高くて20円、ウインナーやら芋はどれも10円だった記憶がある中で怖かったのは、「にく」って書いてあるのはそれだけが3本10円だったってコトだ。一体全体何の肉やってんやろ!?(笑)
 ただ、いずれにせよやはり串カツがマイナーな存在であることは間違いなかった。

 それが今はどうだ!?新世界なんてもぉ右見ても左見ても下品でド派手な看板でゴテゴテに飾り立てて「串カツ」名乗る店ばっかしである。「ずぼらや」のフグ提灯がスッカリ霞んでしまったではないか。繁華街のちょっと大きな商業ビルの飲食街にも串カツ屋はほぼ必ず入ってたりもする。さらには大阪だけでなく東京だって同じような状況になりつつある。どぉにもオールドタイマーなおれにはすごく違和感がある。

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 ・・・・・・って、ちょとばかしネガティヴな書き方から入っちゃったんだけど、おれは決して串カツが嫌いなワケではない。いやいや、それどころかむしろ大好きだ。ただ、大阪では昔はそれほどメジャーではなかったんだと言いたいだけである。

 思えば箸も使わず、海のモノ山のモノ、いろんな素材を好きなように一口づつ食えて、それでいて天麩羅よりはちょっとモダンでハイカラで、それなりに腹も満たされる・・・・・・串カツは今より遥かに物の無かった時代、大阪ならではの合理精神に基付きながら、揚げるのは天ぷら、串に刺すのは焼鳥、フライはコロッケに代表される戦前のモダニズム等々、いろんな料理やスタイルを換骨奪胎して作り上げたものだったとも言える。

 そんな理屈並べずとも、串カツは単純に美味い。通常の白絞油ではなくヘットで揚げた濃い脂にどっぷりとウスターソースが染み込んだややくどめの味は、少量でもビールが進む。一見単純なようで意外に計算された味なのかも知れない。

 特に好きなのは「玉子」である。うずら卵ももちろん好きなんだけど、大きな茹で玉子を丸々1個串に刺して揚げたのが良い。衣の厚さも相俟って頬張るにはかなりボリューミーで、何だかそこには元来は肉体労働者相手に安くて腹に溜まるものを安価に出そうとした良心さえ感じられる。古典派ではジャガイモ・レンコンなんかも好きだな。ワリと新参者のアイテムの中ではアスパラガスが好きだ。アスパラガスって脂の味によく合うのだ。

 一方で普通の豚バラや玉ねぎはさほど好きではない。前者は中も脂身タップリで油分が多過ぎてバランスを欠いてるように思うし、玉ネギは何となく衣と中身のバランスがしっくり来ないのだ。牛は贅沢ってモンだろう。海老と牛を両方頼むなんて串カツの所作が分かってないとさえ思ってしまう。つまりは野暮なのだ。ちょっと慎ましやかに纏めるのが串カツの身上ではなかろうか。

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 先日、家族のうち3人が大阪に集結することがあった。娘が折角大阪来たんだから本場の串カツ食べたいなどと言うモンだから、ついつい子供のリクエストだと甘くなるおれは、宿泊先の近所で老舗とまでは行かないけど、それほどポッと出ではなさそうな店を探して出掛けてったのだった。

 入ったそこは串カツでコース料理を出すようなかなり上品な店だった。ダメな親ではあるけど、ヨメ入り前の娘をいきなり、道端に寝転がったマーリー君が「ネーチャン!オメコさせてぇな~!」などと野次飛ばすようなディープな町のディープな店に連れてくほどおれは乱暴ではない。
 基本はお任せでストップ掛けるまで1回に2~3本づつ、タイミングを見計らいながら手際よく出される。時折、「これは塩で召し上がると美味しいです」あるいは「もうこれはポン酢かけてありますから」な~んて、ややもすれば単調になりがちな串カツの味に変化を持たせてるのも芸が細かい。天つゆや塩は塩でも抹茶塩や塩胡椒を使い分けて食わせる天麩羅割烹みたいだ。天麩羅と異なるのはほとんどの串が単品素材ではなく数種類の合わせ技で攻めてくることだろう。
 うずら卵にベーコンなんてワリとありがちだけど、薄切りのブタはシメジ、角切り肉は大葉で巻いて、牛薄切りはちょっとコクのあるチーズに巻いて、蓮根はアクセントにカレー粉が効かせてあって・・・・・・等々、どれも手が込んだものばかり20数本、店主の軽妙な話も面白く、間然することなく最後まで食べ終えることが出来たのだた。満足だ。

 驚くべきことに普段は小食なヨメや娘も、美味い美味いとおれと同じだけの串の数をこなしている。マトモに呑んだのはおれだけとはいえ、平均すると1人4千円ほどだからそんなに高くもない。

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 氷雨の降る中、傘差してホテルに向かって歩きながら、いい感じに酔いの回り始めたアタマで、「まぁたまにはこぉゆう串カツもアリなんだよな~。串カツだってこんなに上品に仕上げることが出来んだよな~。美味かったなぁ~・・・・・・。」とか半ば独りごちつつ、しかしそれがどこか言い訳めいたセリフであることにもおれは気付いていた。

 そう、串カツなんてモン、やっぱし上品だったり上等だったりしたらアカンのである。狭くて小汚いカウンターに肘突いて、カレー皿に並々と入ったソースにドブ漬けしていささか野卑に横咥えに喰らう串カツがやっぱし本来の串カツなんだろう。

 否、もっと極論するならば、串カツは美味すぎたってダメなのだ。例えばウインナー、シャウエッセンなんかより昔ながらのさして美味くもない赤いソーセージが良いのだ。豚肉にしたってブランド豚なんてダメだ。その辺の肉屋でテキトーに買ってきたチャップを大雑把に角に切り分けたんで良いのだ。薄い衣でサックリ・カラリと揚げる必要なんてないのだ。メリケン粉を溶いただけでちゃんと玉子や牛乳入ってんのかさえ疑わしいようなバッタ液で、チョロッとだけ細挽きのパン粉がまぶさったようなのを、真っ黒なヘットで揚げるからこそ良いのだ。

 串カツは貧者の・・・・・・それも貧乏ヒマ無しだけど一生懸命額に汗してあくせく働きづめに働く労働者階級の、哀歓に満ちた食い物だ。 

2015.03.07

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