全国餅工業協同組合(・・・・・・って、なんでも協同組合って存在するんやねぇ~、笑)なる機関が出してる統計資料を見て、国内での餅の消費量は減少気味ではあるものの、それほど大きく減ってるってワケでもないらしいコトを知った。生産量で見ると板餅や真空パックの殺菌餅は激減と言って良い状況であるが、生餅なんかは記録的なコメの不作だった平成5年に大きく落ち込んだ以外は一貫して増え続けているし、トータルで見てもピークの平成元年頃よりは若干減ってはいるものの、米を食わなくなったと言われる状況の中ではまずまず健闘してるように思えた。
おそらく大きく減ったのは、こうした統計に捉えられることのない家庭で搗く餅が減ったんぢゃなかろうか。そもそも昔は餅なんて店で買うものではなく、それぞれの家庭で搗くものだったが、今ではそんな風習はスッカリ廃れてしまった。自動餅搗き器なんて便利グッズも存在するけど、そんなに一般的とは思えないし、それなりにめんどくさい作業が伴うので核家族化の進んだ現代では流行らないんだろう。ちなみにこのマシン、1万数千円から売られてるので餅が好きでたまらない方は買ってみる価値があるかも知れない。
・・・・・・んなワケで正月ってコトで第2弾ネタ、今回は餅について。
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実は我が家はこの20年以上餅を買ったことがない。毎年暮れになるとヨメの田舎から食い切れないくらい大量に送って来るのである。関西だけあって全部丸餅で、白以外にヨモギ餅やトチ餅、さらには何割かにはアンコも入ってたりする。これが冷凍庫独占状態になるのである。正月の雑煮や朝の焼き餅なんかも全部これで間に合ってる。鏡餅用に大きいのもついでに入れてくれてるんで、蜜柑だとかなんとかオプションくっ付ければたちまちイッチョ上がり。本当にありがたい限りだ。
そぉいや鏡餅も今は殆どのご家庭がスーパーでそれらしいビニールの型に入ったのを買われるのではなかろうか?紙製で組み立てる三宝なんかも付いてるアレ。実は札幌で一人暮らししてたある正月、帰省できないもんだからせめて気分だけでもと思って買ってみたら、型の中には個包装の切り餅が入ってて随分興醒めだった。
しかしながら、実際のニーズに即するならばこのような奇妙な鏡餅型の容器も止むを得ないことなのだろう。大体マトモな鏡餅のサイズは今どきの家庭には巨大すぎるし、いざ鏡開きの段になるとバッキバキにひび割れてるだけでなく、上段と下段の間はビッシリと緑やら黒やら黴が繁殖してたりもする。玄関に置いてある我が家の鏡餅にしたって既に不気味な斑点が現れ始めている。昔は黴の部分を丁寧に包丁で削り落とすなんてことまでして食ってたけど、食の安全・安心なんて空念仏をみんなが無批判に信じ込んでる現代に於いては蛮行と言って良い行為になっちゃってる。でもまぁその同じ口で、案外黴まみれになった熟成肉とやらに舌鼓打ってたりするんだろうけどね(笑)。
新年早々毒舌吐いても仕方ないんで話を戻すが、ともあれ今どき自家製の餅、それも米が自家製であるだけでなくヨモギやトチの実までその辺の原っぱや山で採って来たもので出来てる餅がたらふく食えるなんて、実はかなり贅沢なことのように思う。
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ともあれ餅は美味い。ミもフタもない言い方をするならば、ただもう米を蒸してグチャグッチャにドツき倒してこねくり回しただけなのに、ある意味何の味もないっちゃないのに、不思議な滋味があると思う。
実のところ、搗きたての餅をおれはあまり美味いとは思わない。煮餅にしたって雑煮に入ってるのを食べるだけで、煮て柔らかくして黄な粉をまぶすなんてことは自分では決してしない。揚げ餅にするのも趣向としては悪くはないが、おれにとっては餅に油っ気はどうも馴染まない。やはり、餅は焼き餅に限ると思う。あの香ばしさが堪らない。
俗に「餅は殿様の子に、煎餅は貧乏人の子に焼かせろ」と言われる通り、あくまで鷹揚に焦らずゆっくりじんわり網の上で焼いて、プクーッといい感じに膨らんで焦げ目が付いたのに醤油掛けて食うのが最もおれにとっては食べ飽きない。香りの良い上物の焼き海苔で包んで磯辺にすれば尚一層美味い。大根卸しや納豆混ぜてなんてーのも世の中にはあって、そりゃ出されれば食べるけど、敢えて餅でやろうとは個人的には思わない。
そうそう、焼き餅の食べ方で好きなのは茶碗に塩少々と熱々のほうじ茶を入れといて、焼き立てをジュッと漬けてのも好きだ。これはやはり茶粥文化な関西方面だけのものかも知れないが、これはアッサリしてるがゆえにより一層焼き餅の香ばしさが引き立って、正月明けなんかにピッタシだと思う。ご存じない方も、まぁお茶の上にプチプチしたあられが浮いてたりするのと同類と思って一度試されてみては如何だろう。
おれは生まれが関西なのでやはり丸餅の方がなじみがあるのだけれど、正直網の上で焼くには丸餅よりも四角い切り餅の方が向いてるように思う。あ、そぉいや北海道にいた時、一人で正月を過ごすのを憐れんでか同僚が市販品の餅をくれたことがあった。それはドサッと袋に切りもちが入ってたっけ。
でもね~、気持ちはありがたがったんだけどやっぱ市販品ってどうもフニャフニャしてるように思ったのだった。件の鏡餅型容器入りのを解体して食った時も同じ感覚を抱いたから、どこもそんなんなんかも知れない。
たしかに餅は軟らかくないと食えない、しかし余りに軟らかく焼き上がっても一つ締まりがないは如何なものかと思ってしまう。多分、煮餅にしたらアッちゅう間に溶けてしまうんぢゃなかろうか?昔は軟らか過ぎる餅のことを「洟垂れ餅」なんて呼んでたけど、ヨメの実家からの頂き物の餅のシッカリした食感からすると、形こそ違え同じような白い餅でも随分中身は異なるモンなんだと妙に感心してしまった。
も一つ余談だが、関西ではねこ餅っちゅうのもある。一升餅をやや平べったい棒状に丸めたものだ。これは白餅だけでなく、エビや黒豆、青のりなんかもあってどちらかといえばおかきの原料みたいな感じだった。その形が蹲る猫ソックリなので名付けられたらしい。なるほどこれ書いてる傍でソファで弛緩しきって寝てる我が家のネコの姿を見ると、実に上手く名付けたものだと思う。
松本清張の初期の短編小説に、餅で殴って殺してそれをみんなに何食わぬ顔で振る舞ってめでたく証拠隠滅・・・・・・みたいなんがあったが、九州のとある田舎町を舞台にしてたことからしても、この兇器になったのはねこ餅と思われる・・・・・・って念のために調べてみたらこれ「なまこ餅」やんか(笑)。
いずれにせよ刻んでお好み焼きやもんじゃ焼きの具に混ぜるも良し、薄く切ってカリカリに焼いて煎餅にするも良し、ピザ味やソース味にしたってそれなりに食える。融通無碍な魅力があるが、どうもカレーやシチューにだけは合わない気がする。実際に試してみるおれも相当のアホだとは思うが、おそらくどっちもネバネバしてるのがいかんのだろう。
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ともあれ正月も終わった。
今年こそは餅くらいゆっくり落ち着いて焼ける気持ちの余裕を持てるようになりたいなぁ~・・・・・・などとオチなのかなんなのか良く分からないまま、まぁこんなとりとめない、真面目なんか不真面目なんかも良く分からない調子で今年も続けて行きますのでどうか宜しくお願い申し上げます。
※参考資料:「100%お餅ミュージアム」http://www.omochi100.jp/index.html |