2週続けで襲来した、関東地方としては歴史的な大雪で世の中エラいコトになってんだけど、ヨメとスーパーに買い物に行って豪雪の影響を実感することになった。
言う迄もない、それがもたらした野菜の高騰である。そらまぁ、あちこちで道路は通行止めになって物流が止まるわ、ビニールハウスは雪の重みで押し潰されてペッチャンコになるわで、野菜が入って来ないのだ。そんな中、「100円!」なーんて値段に釣られてホウレンソウ見たら、なんかそこら辺のタンポポ毟ったくらいのがチョロッと入ってるだけだった。客は完全に足許見られてる。
いくら需要と供給が価格を決めると分かってはいても、ナカナカ素敵に酷い仕打ちではある。おれは野菜が大好きなのに.
これだけ酒や煙草をビキビキに嗜みながら、オマケにメタボでハラの突き出た見事なオッサン体型ながら、それでもこの歳までまずまず、まぁ無病とは行かずとも、一病息災くらいでやれてるのには、野菜好きっちゅうのがあるのではないかと、実は密かに思ってる・・・・・・って、科学的根拠はかなり薄弱で、半ば信仰じみた点が多いのは許していただきたい。
とにかく野菜はおっさんとしてはかなり良く食べる方だと思う。食卓に野菜気が乏しいのは我慢ならないし、定食なんかの付け合せの野菜を残す人なんて、おれからすればどうかしてると思う。そもそもあんなんぢゃ全然足りないくらいだ。いかにも健康そうな生活を送ってそうな若くてシュッとして綺麗なオネーチャンで野菜をロクすっぽ食わないのを見ると、中身はもぉデロンデロンに濁ってんぢゃねぇの~!?なぁんて思ってしまう。下半身のモラルがデロンデロンは大歓迎だけどね(笑)。
とは申せ、おれみたいなんはかなり少数派なのである。世の中野菜嫌いの人が実に多いのだ。これは全く以て残念なことである、と思う。別に八百屋や農家がスポンサーになって金貰ってるワケではないんだけど、これはやはり啓蒙するしかなかろう・・・・・・ってな感じで今回はお気楽に流したい。
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野菜が嫌いな人にもいろいろパターンがあって単純に一括りにはできないものの、やはり「生野菜が苦手」っちゅうのがいっちゃん多いのではあるまいか。かつて「美味しんぼ」のセリフにもあったと思うが、人間はどこまで行ったって牛や馬みたいにはなれないのだ。大量の生野菜はキッツい。
・・・・・・ならどうするか?実にカンタンなことで、生で食わなきゃ良いのだ。火を通すワケだな。例えばキャベツはお好み焼きなりポトフなりお浸しなり浅漬けなり、あるいはタジン鍋でも使って豚バラとの蒸し煮なりすれば良いだけのことである。ガーッと炒めといてカップ焼きそばをチューンアップするなんてのもある。
葉物に関して言えば火を通せば嵩は劇的に減る。栄養分が熱で壊れる!?知るかそんなん、ボケ!で良い。そもそも食わないよりは、火が通ってでも何でも食った方がまだちったぁ足しになるだろう。少なくとも繊維質の補給にはなる。ホウレンソウや小松菜等はお浸しなり油炒めにすればよい。
しかし人はキャベツやホウレンソウだけで生きてるのではない。それに胡瓜なんて生食が基本の野菜だってあるではないか!?そんなツッコミを入れられる方もいらっしゃるだろう。
おれからの回答は単純だ。切らずに齧る。冗談みたいだけどこれで行ける。そんな残ないのヤダ~!とか言う前に試してみて欲しい。1本手に取ってマヨネーズを掛けながらボクボク食えば、一本なんてアッちゅう間に無くなる。これをヘタに斜め切りにしたりするからヴィジュアル的に量も増え、食べ辛くなってしまうのだ。同じ伝で行けるものとしてはトマトなんかも良い。1個を櫛形に切ると通常8切れくらいになる。これはかなり大量に見える。生食が基本のものはヘタに切り刻まずにそのまま齧るに限る!ウソだと思ったら試してみて欲しい。セロリなんかもこれでOK。え!?あの味そのものが苦手だって!?
ただ、玉ネギの丸齧りだけはいささかしんどいかも知れない。白くて柔らかな新玉ネギならまだイケるかも知れないが、表皮が飴色っぽくなったのだと、ぶっちゃけ辛みが勝ってしまう。生のままだといささか辛い野菜もこれまた世の中には多いのである。
大量に食うための調理法(・・・・・って齧るのが調理法とは言えないな、笑)はやっぱし「火を通す」であって、中でもとりわけ「蒸す」が野菜に向いてるのではないかと思ってる。上記のタジン鍋がなくてもいい。100均で土鍋の小さいの買って、何でも適当にぶった切って押し込んで蓋して弱火で小一時間。これでほとんどのモノが食えるようになる。大根やカブ、ニンジン、牛蒡、蓮根といった根菜類、ジャガイモにサツマイモ、小芋等の芋類、シイタケ・シメジにエノキ、エリンギ、舞茸といったキノコ類、葉物野菜全般、ブロッコリーやらカリフラワー、アスパラにトウモロコシといった良く分からないカテゴリーのモノ、豆類も干したものでなければ大丈夫、何ならニンニクや生姜、あるいはネギやら三つ葉等の香味系の野菜突っ込んだって構わない。火の通りが不安なら硬そうな辺りに塩コショウでも振っときゃいいのだ。
ほいでもってごくごく弱火で1時間ほど放置プレイするだけで、立派な「ゴロゴロ温野菜サラダ」が出来上がる。
焼いたり揚げたりはもちろん美味いんだけど、絶えず火加減を注意せんならんとか油の始末とかそれなりに面倒だし、茹でるのも簡単なようで本当は案外むつかしい。一人暮らしだとか仕事が忙しいとか、ただもうモノグサといった方にも一番オススメはこの蒸し焼きだろう。ほれ、ニューギニアとかアマゾン奥地の原住民とかの料理でも、蒸し焼きってスゴい多いと思いません?土の中に椰子の葉っぱで包んで埋めてその上で焚火熾して拵えたタロイモとかさ。多分料理の原初の形なんだと思うな。
それでも、野菜って味がないよね!?としつこく食い下がる人に。
たしかに野菜の味は旨味の素である各種のアミノ酸や油気が根本的に不足してるからなのか、薄いっちゅうか淡いっちゅうか、肉・魚に較べるとパンチがないのは事実だろう。精進料理もその辺を気にしてか、意外に甘辛く、また油を使う調理法がひじょうに多かったりする。ならば濃い味付けにすりゃいいのである。焼肉のタレみたいなんはマコトに都合が良い。当然ながら油分も有効だ。それも胡麻油とかオリーブオイルとかバターとか、そんなんでコクを出せば良いだけの話だ・・・・・・。
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・・・・・・な~んて、ここまでキメ打ちの断定口調なワリに中身のない話をチャラチャラ書き飛ばして、肝心のことに言及するのを忘れてたことに気付いた。
そうなのだ。おらぁガキの頃、肉魚系ほどではないにせよ野菜類にも食えないものがひじょうに多かったのだった。例えば冒頭に挙げた胡瓜、見ただけで泣いてた。トマトもさほど積極的に食うことはなかった。キノコでは椎茸がとにかくダメだった。当時は今ほどベラボウな価格ではなかった松茸も、親達はありがたがるがおれには理解不能の代物だった。また、どんな野菜も漬物になるとダメだった。沢庵なんて口に居れた途端に吐き出してたもんな。なぜか嫌いな人の多いセロリは最初っから食えた記憶があるが、まぁそんなのは例外中の例外で、およそ見慣れないものはまず殆どダメで、今でこそ随分ポピュラーな存在のブロッコリーやカリフラワーも見た目の形でアウト。ともあれこんな風にエラそうに講釈垂れる資格が備わってなかったのだった。
今はどうして食えなかったのかが想い出せない。多分青臭さとか匂いとかのクセがダメだったんだと思う。また、残念なことにどうして食えるようになったのかも想い出せない。ただ、それぞれ何らかの、そして忘れてしまう程度に些細なキッカケがあったような気がする。多分そここそがいっちゃん書くべき大事なトコなんだろうけど、どうにもこうにも忘却の彼方に消え去ってしまって、想い出せない。
でもまぁ食えるようになったのに、コペルニクス的転換を伴うようなドラマチックな出来事はなかったと思う。しょうむない理由で食えるようになって、そして更には大好きになって今に至ってるだけだろう。
ともあれ、豊作貧乏で百姓が困ってるのも良くないことだが、こうも品薄で暴騰するっちゅうのも宜しくないことで、今しばらくは野菜好きとしては我慢の日々が続くことになるのかと思うと少し悲しい・・・・・・ハハ、どないもこないもベタな展開でしたね、今回は。 |