「丼」vs「重」 |

丼と言えばおれの中では「親子丼」です。
|
うわぁ~っ!!むっちゃむちゃベタなネタやなぁ~!って、もぉ我ながら呆れてしまうんだけど、たまにはこんな肩の凝らんのもよろしかろう。
何でそんなん思い付いたんか?っちゅうと、先日入った鰻屋で「鰻重」と「鰻丼」が明らかに異なる待遇だったからだ。鰻大好きなおれは躊躇うことなく鰻重を注文したのだが、よくよく見ると鰻丼は肝吸い付きで2,500円の一方で、鰻重は肝吸いなしの1,700円とある。ちなみに肝吸いは単品で300円なので、その価格差は500円ってコトになる。
それでスペックがどう異なるかっちゅうと、鰻の大きさが違う。鰻重が2切れで大きめのが丸っぽ1匹分入ってるのに対し、鰻丼は半匹よりちょっと大きいくらい・・・・・・ん!?ちょっと待て!ほしたらメシ代は1,200円なんかい!?
つまり鰻丼の方がものすごく割高だったのである。金持ちの方が結局モノを割安に手に入れることができて、貧乏人が無理して金持ちのモノを望んでも世の中損するようにできてるっちゅう説があるけど、はしなくもそれは鰻重と鰻丼の関係でそれは立証されたように思えて哀しくなった。
鰻はとても美味かったが、店を出てからもちょっと遣る瀬無い気分っちゅうか、耳に水を入れられたような気分っちゅうか、釈然としないものを残して家路についたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそも食器としては塗り物であるお重の方が、陶器である丼よりも遥かに高価である。陶器が工程数も少なく比較的大量生産できるのに対し、漆器は製作工程が多い上に基本が一品製作なのでどうしても高コストなのである。それでもお重が持て囃されたのにはワケがある。陶器よりも遥かに軽量で壊れにくく、耐水性が高いからだ。おまけにウソかマコトか、漆器には殺菌力まであるらしい。
先日、何気なくTV観てたら伝統工芸の塗り箸を取り上げてて、その強度実験をやってて驚いた。何も塗ってない木箸と比べると耐荷重で10倍くらい強度があるのだ。漆はいわば超硬化樹脂であるから、乾くと素晴らしい硬度となる。ほいでもってそれを丁寧に塗り重ねて薄い塗膜を何層も重ねることでさらに強靭になるらしい。
今ではその辺が忘れられて意匠性や希少性ばかりが取り上げられる漆器なんだけど、元はこれらの優れた実用性が重視されてたのである。
そんな漆器であるから庶民の生活においては陶器よりは遥かに大切にされた。箸などの小物ならまだしも、お重のように大きなものは何代にも亘って受け継がれる大切な財産でもあったのだ。故に、陶器に盛る料理よりも漆器に盛る方が「ハレ」となったのだろう。
お重の用途は何か?軽量で頑丈なもんで可搬性に優れることから、昔ほどではないとはいえ今でも花見や運動会のお弁当の容器に使われる。これも「ハレ」の場に他ならない。松花堂弁当だって、塗りのお重に十字に仕切りを入れた容器を使うのが決まりで、これまた特別な日の御馳走に他ならない・・・・・・ハハ、野暮な例をいくつ列挙するよりも、そう、何よりお重が最も活躍するのが1年の中で最もハレの日と言える正月のおせち料理であるコトを想い出せば十分だろう。
全国的に残る民話・伝説のパターンに「椀貸し伝説」というのがある。大量にお膳やお椀が必要になったとき、山の中の沼や洞窟、あるいは大岩等に拝むと見事な椀が次の日には置いてある。ちゃんと洗って返すといつの間にか消えていて、貧しい村人は大変重宝に使わして貰っていた。ところが不心得者が壊したり、数をちょろまかしたためにそれっきり貸してくれなくなった・・・・・・ってなストーリーだ。近江の国から全国に散ってった木地師にルーツを持つと言われる。
間違いなくこれらの什器は漆器ではなかったかとおれは睨んでいる。どだい陶器では重くて担げないし、無理してガチャガチャ運んでてはすぐに割れてしまう。ただの無垢の木の椀もすぐに割れてしまう。よほど粗雑に扱わない限り壊れないようなものを壊すから気の好い神様も怒って貸さなくなった・・・・・・と解釈しないとストーリーの辻褄が合いにくい。
いや、そんな理屈っぽく考えずとも、貧しい村で大量に膳や椀が必要な場を想像すれば、答えは絞られてくる。言うまでもなく祝言である。これまた漆器の似合うまさに「ハレ」の場ではないか。
いずれにせよ漆器に盛られる方が陶器に盛られるよりも上、みたいな発想のルーツはそんなトコなんだろう。そぉいや先日、国会議事堂内に吉野家がオープンして、そこのウリが一般店では供されない1,200円の「牛重」だって記事を見掛けた。重はワンランク上ってコトでそうしたんだろう。国会議員がお重に盛られた吉野家の牛丼を「庶民感覚の勉強」だか何だかで食う。何ともおぞましい光景だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
与太話はともかく、同じ料理で丼と重にセグメントが分かれてる料理ってどんなんが挙げられるだろう?
まずは冒頭にも書いた「鰻丼」と「鰻重」がある。「カツ丼」と「カツ重」ってのもあるな。「天丼」と「天重」、残念ながら「玉子丼」や「親子丼」、あるいは「他人丼」に「木の葉丼」等で重に盛られた例は寡聞にして知らない・・・・・・って、調べてみたら存在することは存在するけど、あまりメジャーではないようだ。
こうして見てみると、丼でも元々ちょっと高いものにお重ヴァージョンが多く存在することが分かる。やっぱ、お重は「ハレ」なんだな。
しかし、さらに調べてくと、丼と重が価格帯で比較的厳格に分かれてるのは鰻のみで、カツや天麩羅ではさほど顕著な違いがないことも見えてくる。例えば天丼の名店、浅草の「三定」では並天丼と上天丼が丼を使用し、特上丼はお重なのに、さらにその上の海老特上丼は再び丼、とワケが分からない。大体、こうして丼を名乗りながら容器がお重、って店がカツや天麩羅では目立つ。カツでは丼しか使わない、あるいは重しか使わない店が大半だ。つまり、もうあまりその辺には拘ってない、っちゅうコトなんだろう。
統計を取ったワケぢゃないんであまり断定的には言えないが、まぁ何となく店の数では全体的には丼が圧勝、お重を使うのは少数派、って感じだ。お重が圧勝状態なのはつまり鰻だけなのである。
それにはおそらくお重の洗いにくさや、省スペース性の悪さが影響してるのではなかろうか?丼は丸いから洗うのも簡単だ、陶器ゆえに少々ゴシゴシ洗ったって傷も付きにくい。洗って乾かせば積み上げることもできる。一方、お重はお重っちゅうくらいで何段か重ねて使うのが本来的な姿だから仕舞い寸法がデカくなる。稀にマトリョーシュカみたいに入れ子になって仕舞えるのもあるが、それほど一般的ではないし、めいめいの大きさが異なっててはお客から文句が出るだろう。それになんぼ硬化樹脂とはいえ乱暴に洗うとすぐに傷がついてしまう。
単価がハケる鰻ならそんな手間暇をかけてもまだペイできるだろうが、デフレだ低単価指向だと、何かと効率的にこなさにゃならん世知辛い今の世の中にはいささか不向きなんだろう。
しかし、そうしてツラツラ考えてってもチープな鰻丼の方が結局はちょっと割高な価格設定になってる理由にいくら経っても辿り着けない。飲食店ではメニューが3ランクだと真ん中、4ランクだと上から2番目が売れるので、そこが一番お得な内容になってるなんて説がある。勢い、いっちゃん下が何となく貧弱っちゅうか、貧相になるってリクツだ。これはナカナカ説得力があるのだが、鰻屋のメニューでは通常、鰻重の上・中・下があって、それとは別に鰻丼が載せられてることが多い。やはり丼の立ち位置が良く分からない。
分からないまま終わらせるのもいささか業腹なんだけど、ま、これ以上ネチネチと重箱の隅を突いたって仕方ないしね・・・・・・と、おあとが宜しいようで、チャンチャン♪ |

鰻の切り身は四角いんで、一面に敷き詰められた感があるよね。
|
2013.11.23 |
|
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved |
|
 |