今でこそ、「一個人」だとかの雑誌がスノッブ極まりない蕎麦特集なんてやったり、手打ち蕎麦造りが定年オヤヂのペダンティックな趣味になったりしてるけど、本来的に言って蕎麦はある意味、日本の貧しさの象徴のような食べ物だったと思う。普通の穀物がまともに生えないような、冷涼で痩せた土地でないと美味しい蕎麦は育たない、っちゅうんだから、ホント、米もロクすっぽ食えない山賤とか水呑百姓の食べ物だったのだろう。
この点で今、おれの住まう北海道っちゅうのはまことに蕎麦の栽培に好適な土地だと思う。寒いのは言うまでもなく、泥炭や火山灰地が多く、基本的に土地は痩せている。肥沃なイメージを持たれてる方がいるとしたらそれは大きな間違いだ。あくまで長い年月をかけて、客土と堆肥によって地道な土地改良を続けたたゆまぬ人為の結果なのである。
むつかしい話は抜きにして、それにしても蕎麦は美味い。その滋味・旨味は大したグルメでもないおれにだって多少なりとも分かる気がする。饂飩と蕎麦が出されたならおれはまず間違いなく蕎麦を取る。関西人の分際で蕎麦が大好物なのである。部屋の流しの下には様々な乾麺の在庫があって、今はさすがに寒くてパスしてるけど、夏場なんてもう、毎晩のように蕎麦ばっか食ってた。特に凝ったことをするワケではない。たただもう単純に茹でて、水に晒して締めて、良く水切りしたのを丼によそって、ほいでもって山葵と濃縮めんつゆぶっかけて啜り込むだけである。ネギや海苔、鰹節、納豆なんかを載せることもあったが、それは多少なりとも栄養バランスを考えて仕方なくやってるだけで、とにかく基本は盛り蕎麦オンリーである。そらまぁたまに気分転換で他の麺を作ることもあったけど、概ね9割がたは蕎麦ばっか。そんなんでもまったく食い飽きなかった。素麺や冷麦・饂飩だと、ああも毎日は続かなかったに違いない。
なんでそんなに蕎麦の乾麺を常備するようになったんか?っちゅうと、こっちのスーパーでは蕎麦を始めとして多種多様な乾麺の品揃えがやたらいいからだ。一人暮らし始めた最初の頃、保存が利いてチャチャッと作れそうだからってんで乾麺買おうとコーナーに行ったら、驚くほどいろんな種類が並んでたのである。北海道特有のクロレラ練り込んだ「グリンメン」なんてのもある。それでついつい買い込んでしまった。
そのスーパーだけの特異現象かと思って他の店で見てみたら、やはり乾麺の棚はデカかった。そう、どうやらこの地の人たちはひどく乾麺好きなのだ。そうそう、「冷やし中華スープ」なるモノが棚に並ぶのもこの地の特性かも知れない。
・・・・・・で、どれも美味い。江丹別だの鹿追だの幌加内だの、産地の地名が付けられた、おおむね一袋200g前後入った蕎麦の乾麺がどれほどの確かな技術で作られてるのか、はたまたホントにその産地の蕎麦が使われてるのかは正直分からないけれど、とにかくちょっと固めに茹でて、単純に蕎麦ツユと山葵だけで食うと、実に美味い。しょうむない蕎麦屋でザルに600円とか700円とか払うんがアホらしくなる。
ともあれ、そんな北海道が今や日本一の蕎麦の産地になったというのは、こうして考えると当然の成り行きだったのかも知れない。
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しかし、蕎麦はまことにライバルの多い食材でもある。何せ土地が痩せてるほど良く生える、ってことは栽培に手間が掛からないってことの換言でもあろう。そんなんだから、過疎化とそれに苦しむ人手不足に苦しむ山村は村興しも兼ねて、休耕田を全部蕎麦畑に転用しちゃったんぢゃねぇか!?っちゅうくらい、各地でこぞって蕎麦は育てられている。
オマケに蕎麦打ちを志す人の多いこと多いこと!定年までロクすっぽ趣味を持たず、還暦迎えてヒマを持て余すジジィのペダントリーを痛く刺激するのかして、とにかく東急ハンズからその辺のホームセンターに至るまで、あらゆるD.I.Y.の店頭には鉢やら麺棒その他が詰め合わさった「蕎麦打ちキット」なるものが並び、ボソボソして美味くもない手打ち蕎麦とやらを、喜色満面でしたり顔のオヤヂを前に面と向かって文句も言ええず、苦笑いしながら嚥下している老妻とその家族、っちゅうのは今や国内に相当数存在するのではないかと推察せられる・・・・・・まぁ、そのオヤヂにしたって定年迎えるまでは、これまた大して美味くもないボソボソで妙に重たいホームベーカリーなるクソ不味いパンをババァに、あるいは生地の混ぜ方も分からんままに拵えられたこれまたボソボソでクソ不味いクッキーなんぞをバカ娘に食わされてたかもしれないので、お互い様のチャラって可能性もあるだろうが(笑)。
さらには何をトチ狂ったか、「人生の楽園」でも観て舞い上がったのか、各地を食べ歩いたり、家で作った程度でロクすっぽ修行もせず、大した技術も備わってないままに田舎の古民家なんかを退職金つぎ込んで買って改装して蕎麦屋始めるオッチョコチョイまで跡を絶たないのがこの国の嗤うべき、いや憂うべき実態だ。言っちゃ悪いが、このテの店で美味い蕎麦を食った記憶がない。
余り毒気ばかり振りまいても仕方ない。話を元に戻す。
そんなこんなで今や日本中蕎麦畑と蕎麦屋だらけと言っても過言ではない状況となっている。試しにWikiでご当地蕎麦を勘定してみたら80ヶ所近くあった。都道府県の数より遥かに多いのである。これは北海道を一括りにしてるけど、その北海道にはご当地蕎麦が今や20くらい乱立してたりする。こりゃとんでもない状況と言わざるを得ない。ちなみにそんな道内の混戦模様を頭一つ抜け出してるのは幌加内だろうか。
道内で本格的な作付が始まったのはさほど昔のことではないみたいで、大体90年前後、ってトコだろう。四半世紀前後、って感じだな。品種改良も近年急速に進んでるようで、耐寒性や風味は年々改良されて栽培北限も伸びつつある。残念ながら昔からの有名どころである本州各地に押されて知名度はイマイチだが、今や収穫量・作付面積共に圧倒的な日本一は北海道なのである。長閑に牛が草を食み、小麦やジャガイモ、トウモロコシがすくすく伸びてる光景を想像してる貴方は古い!と申し上げざるを得ない。
そんなんもあってか、道内には蕎麦の美味い店が多い。これは実に意外だった。オマケに安い。さらに意外だった。ともあれ盛りで400円とか、もぉ立ち食いに毛の生えたような値段でホンマかいなと思って食うと、これが滅法美味かったりするのである。まぁ、決して神田藪に代表されるダダ辛いツユが美味いとは思わないとはいえ、ちょっとツユに頼りない店が多い気がするのはご愛嬌だろうが、それでも蕎麦自身が美味いからかなりイケる。いや、こう言うと語弊があるだろうが、過去の栄光に胡坐かいたり、東京のいろんなスタイルをパクって恥じることのないラーメン屋なんかよりよっぽど真摯に努力してる美味い店に当たる確率が高い気がする。
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大放言タイムもそろそろ終わりが近づいてきた。オチはタイトル通りである。
群雄割拠、道内各地でいろんな地元(≒零細、笑)ブランドが林立する現状での北海道の蕎麦は、まだまだ黎明期なのだろう。全国区で通用する確固たるブランド性を備えたものに育つには、今暫く時間が掛かるように思う。そのためにはこれまで北海道の農産物が歩んできた、ただの原料供給地に終始するのではなく、一歩踏み込んで食べ方のスタイルでの独自性が必要なようにも思う。
考えてみるといい。わんこ蕎麦、へぎ蕎麦、出石蕎麦、出雲蕎麦・・・・・・列挙するとキリがないので止めとくけど、有名な蕎麦を思い起こしてみると、素材の美味さだけでなく、その調理スタイルにその地方ならではの独自性がある。葱と山葵だけでもそら美味いんだけど、名産が名物となりおおせるにはあと一歩のひねりと踏み込み、およびその上に立った歳月が大切なのだ。
エラそうにゴタク垂れたんなら、そのソリューションも示せ!と言われそうだが、その具体案は残念ながらおれには思いつかない。言えることは、思い付きだけのキワモノではダメだろう、ってコトくらいだ。産地の人、或いは蕎麦屋を営む人には、どうか是非とも頑張ってオリジナリティと古典性を兼備した新しい蕎麦を生み出して欲しい。
ああ、これだけ書くと俄然食いたくなってきた・・・・・・明日の晩は蕎麦にしようかな? |