札幌ラーメンの落日 |

シンプルこの上ない古典的札幌ラーメンの例(拾いモノですみません)
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http://kaz1192.blog.so-net.ne.jp/より
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札幌ラーメンと言えば、やはり味噌味のイメージが強い。モヤシやタマネギ等の野菜と少々のミンチを高温のラードで炒めて、スープと合わせて味噌を溶かし込んだヤツだ。ルーツは大通とススキノの間あたりに今もある「味の三平」と言われ、嘘かまことか単身赴任のサラリーマンの酔客の求めに応じて、味噌汁にラーメンを入れたのが始まりらしい。ところが、件の味の三平の店主は味噌ラーメンは先代の創業者である父親が考案したもので、それは全くのデマだとホームページで主張しておられる。何だか良く分からないけど、取り敢えず昭和30年代初めに登場したのだけは間違いないようである。
いずれにせよ札幌ラーメンが一時代を築いたこと、これだけは間違いない事実である。どうだろう?高度成長時代が一段落し、ディスカバージャパン、なんちゅうて北海道旅行が若者中心に広まった60年代末から70年代初頭くらいではなかろうか。サッポロ一番、なんてーのもほぼ時を同じくして売り出された気がする。少なくとも九州のトンコツ系がブームになるよりも随分以前だった。大阪でも「古潭」や「熊五郎」といった、如何にも北海道を連想させる名前のラーメンチェーンが生まれたのもその時代だった気がする。そぉいや国道沿いに「道産子」なるラーメンチェーン店が雨後の筍のように出来たのもこの辺りだった。大袈裟かも知れないが、「ラーメン=札幌」だった時代がたしかにあったのだ。
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札幌に越してきて、最初に気付いたことは意外にラーメン屋が少ないってことだった。むしろスープカレーの店の方が目立つ気がするくらいだ。それでも、探せばラーメン屋はいくらでもあるし、人気店だって勿論、ある。しかしさらに気づいたのは、人気のあるラーメン屋に上に挙げたような古典的な札幌ラーメンの店がないってことだった。
今、この町で最も人気が人気のあるのはラーメン二郎のパクリな一党だろう。昼時などすごい行列ができてるのをよく見る。味も注文システムものけぞるような盛り付けも、まんま二郎である。なのに勝手に「ガッツ系」などと名乗ってるのはどうにもこうにも気に食わない。卑怯な感じがする。やはり人間、先人への敬意と仁義を欠いちゃぁ人倫に悖る猿並みのクズである。中国の違法コピー天国みたいだ。
まぁ、他にも当然たくさんの人気店はあるのだけど、地元の若者が行くのは二郎系以外では東京背脂チャッチャ醤油味や九州のトンコツとかばかりで、札幌ラーメンらしい店を訪ねるなんてーのは、年寄りやガイド片手の内地からの観光客がほとんどだ。
何故か?
実のところ、古典的札幌ラーメンは、本来的にそんな複雑怪奇に凝った組み立てのものではないからだ。そしてその割りに値段の相場が高い。恐らくこの二点が、札幌ラーメンの店が沈滞気味な最大の理由だろうとおれは睨んでいる。
まず最初の点について申し上げねばならないのは、味が単純で素朴なことが悪い、と言ってるのではないってことだ。それはそれでいい。水墨画と油彩を同じ土俵で比較しても詮無いように、澄まし汁には澄まし汁の美味さがあるのだし、何日も煮込んだシチューにはシチューの美味さがある。そして札幌ラーメンの基本は鶏がらベースの昔ながらの白湯スープみたいなのに、ラードのしつこさとニンニクの深み、あとは味噌の味と野菜の自然な甘み、それだけっちゃそれだけなのである。シンプルである。今の感覚からすればそんなにコッテリもしてない。
比較対象が昔ながらのあっさりした醤油ラーメンしかない時代ならそれでも良かったろう。しかし今は濃縮ダシをそのまま飲まされてるような店までが流行ってしまう時代である。油とニンニクと味噌のコッテリ感だけではいかんせん、顧客への訴求度が弱い。
詰まる所、水墨画に毛が生えた、まぁ水彩程度なのに、まるで油絵であるかのように喧伝されたところに札幌ラーメンの第一の不幸がある。絵ならば原料費もヘチマもないけれど、庶民的な食い物である以上、濃厚さが売りなら、より濃厚なものが出てくれば、自ずとその存在感は霞んでしまう。そして第二の問題が首をもたげてくることになる。
二郎系はまぁ特別安く、単純に比較はできないから置いとくとして、今のラーメンは大体6~700円が相場だと思う。それがどうしたワケか、札幌ラーメンを標榜する店では7~800円が相場なのである。1~200円は高い印象だ。具材はミンチ少々の野菜炒めみたいなんがちょろっと入ってるだけ、下手すりゃチャーシューの1枚も入っておらず、さほどふんだんにガラとかを入れたスープにも思えないのが、どうして割高な価格設定になるのだろう?
あくまでおれの推論だけど、これには札幌ラーメンの生まれ育った場所が影響してるのではないかと思う。最初に書いた通りそれは、大通りからススキノにかけての街だ。現在は急速に開発の進む札幌駅周辺に集客されていささか苦戦気味ではあるが、それでも今なお道内随一の繁華街・歓楽街であることは変わらない。つまり、金が浪費される街である。
そんな街であるからして当然、土地代やテナント料といったものは高く付くし、それにラーメンは食事としてよりも、飲んだ後の〆として啜り込まれることの方が多かったろう。
不景気に喘ぐ21世紀の今からは想像もつかないくらいに、かつて景気は良かった。殊に札幌は単身赴任天国と呼ばれ(一度はそんな目に遭遇してみたいもんだぜ!ったく!)、官主導・公共事業中心の経済発展の歴史の影響か、予算は遣い切れとばかりに接待が横行し、タクシー券がばらまかれた時代がかつてあったのだ。そんじょそこらの地方都市が束になってもかなわないくらいの規模で。
「まぁまぁまぁまぁ、せっかく美味しいお酒飲ませていただいたんだから、シメのラーメンくらい奢りますよ!こっちはね、ラーメン、縮れた太麺に味噌なんですよ。まぁせっかく来られたんだし、話のタネに!」なーんて感じで、ほいでもって出るときは「あ~!おあいそ!そそそ、そうそう、領収書お願いね!」ってな調子だ。結局、誰一人として自分の金は払ってなかったりする(笑)。全部が全部そうだったとは言わないが、そのような光景は夜な夜なあちこちで見られたろう。けだし値段が高めに推移するのは当然の帰結だった・・・・・・と。どうだろう?
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実のところ、札幌ラーメンが凋落傾向にあることは業界自身が最も良く分かっている気がする。
試しに「札幌ラーメン」で画像を検索してみるといい。おれが上で述べたようなオリジナルスタイルの味噌タンメンみたいなのは殆どヒットしないことが分かるだろう。普通にチャーシューが載って、時にはナルトや玉子、白髭ネギにとどまらずエビカニの類までぶち込んだようなんばかりが出て来るハズだ。ダシにしたってシンプルなのは少なくなって、魚介類の乾物、トンコツその他を取り入れてるトコばかりになってる。結局、札幌ラーメンは自己矛盾のように元々の「札幌ラーメンらしさ」から離れて行きながら生き残りを図ってるのである。それは当然「らしさ」を喪うことに他ならない。今や、札幌ラーメンにおいては博多のトンコツのような確立されたスタイルとイメージは完全に崩壊してるのではなかろうか。
しかし、だ。これ言っちゃうとそもそも論になってしまってミもフタもないのだけれど、札幌ラーメンって食い物自体、ホントはそれほど人をにインパクトを与える味ではないのかも知れない。それは味を決定づける最大の基本要素が味噌だからだ。
昔、バイトしてたラーメン屋で教わった通りで、ダシの旨さを味わうには味噌はあまり向いてないのである。なぜなら味噌は味が勝ちすぎるだけでなく、いろんな素材のクセやら個性・・・・・・あるいは臭味と言ってもいいだろうが、それらを抑え込む力が強い。だからサバはよく味噌煮になるし、船場汁はよほどサバが新鮮でないと食えないワケである。いろんな味噌味の料理を思い出していただけると分かってもらえると思う。味噌を使った料理は塩や醤油に比べてその味が前に出過ぎて、全体が平板になりがちなのだ。
懐石料理でも椀物と言えば吸い物であって、味噌汁が前面に出てくることはない。決して権威主義で言ってるのではないし、味噌を貶める気も毛頭ない。むしろ逆に言えば味噌は、誰にだって扱いやすい恐るべき万能調味料と言っても過言ではない。でも、それだからこそ、誰が作ってもそれなりに何となくまとまってしまう。換言すれば、そこに奇蹟が起きにくいのである。
実力以上に持て囃されてしまったアーティストみたいなモンだろう。とすれば、今の札幌ラーメンを取り巻く状況は、実はそんなに悪いものでもなく、こんなくらいで丁度いい感じなのかもしれない。
散々放言しといて最後に言い訳のフォローするみたいで申し訳ないけど、ぢゃぁおれ自身は、っちゅうと、札幌ラーメンはそんな嫌いではなかったりする。それも今風ではなく古典的なの。先々週も休日にとある老舗に行ったりした。美味すぎない、ってーか、フツーに美味しく食べれて疲れないのがいい。その伝では、これは札幌の人々にとっては、昔ながらの醤油味の中華そばみたいな存在なんだろう・・・・・・そんな風に思った。 |
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2012.01.28 |
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