定食のいざない


トリロジーのミクロコスモスやね!(笑)。

 定食は日本固有のものであるらしい。一汁三菜と言われるおかずの基本に則り、どんぶり飯に味噌汁、メインのおかず、付け合わせの冷や奴とか煮物、お浸し等の小鉢、あとは漬物みたいなのが標準形だろうが、なんとなく一品料理にとにかくご飯とお汁付けたら定食、って気もする。ファミレスなんかはそんな感じだよね。

 意外なことに「定食」という言葉は明治時代に輸入されたフランス料理のコースにそのルーツがあると言われてる。1品出しとは申せ、まぁ最初から最後まで中身が定まってるから「定食」、ってコトらしいんだが、それ言い出すと懐石料理だってコースになってるワケだし、実際のところは良く分からない。まぁ、文明開化の流れの中で富国強兵だなんだと軽工業中心に産業が発達したせいで忙しくなって、それでゆっくりメシも食えんようになってきて、合理的な1食を供するために工夫されたものなのではないかって気がする・・・・・・根拠はないけど。

 思えばこれまで数えきれないほどの定食を食べて来た。学生時代、自炊なんて最初の心意気はどこへやら、結局拵えるのは友人たちと部屋で呑んだくれるときくらいなもんで、昼も夜も、ラーメン食う、あるいは王将のタダ券で餃子を詰め込む、あるいは常連の喫茶店でカレーとコーヒーで粘るってな以外はすべて定食、って感じだった。吉野家でも当時270円の牛丼よりは、幻の200円のそぼろ丼に味噌汁と漬物付けて定食らしくして注文するのが普通だったように思う。

 気分の問題に過ぎないのだけれど、定食になると妙に食事のバランスが良くなるような気がする。三位一体、っちゅうんですか、トリロジー、っちゅうんですか、不思議な安心感さえ感じられるのだ。関東人が眉を顰めるお好み焼き定食や焼きそば定食なんて、なるほど栄養的にも組み合わせ的にも冷静に考えるとムチャクチャだと思うけど、それでも座りが良いように思えてしまう。そう!マクドナルドだって、もっと栄養的にメチャクチャなハンバーガーにポテト・ドリンクのセットが鉄板ぢゃないですか。

 定食の良いところはまず、セットになることでチョイスの幅が狭まる代わりに割安感があるってコトだろう。右読みで「しめ」(「し」の字が「め」を取り囲むように大書してある)と看板の出たメシ屋は最近トンと見かけなくなったものの一つだが、あ~ゆうスタイルの店って、自分の好きなだけおかずをガラスケースから選んで取るのだけど、セット割引があるワケでもなく、全部積み上げ加算なもんで意外に高く付く。
 あと、単品で頼むと大食漢なおれはついつい余分に頼み過ぎてご飯が足りなくなったり、バランスや取り合わせが悪くなったりしてしまいがちなのだけど、定食だとその辺があらかじめ考慮されているから、余計なことを考えなくて済むのが嬉しい。

 そんなこんなでつまるところ、おれは定食が好きなのだろう。

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 そんなおれの定食歴の始まりは高校の食堂だった。
 近頃は少子化の影響もあって、高校に食堂のあるところが減ってるらしい。おれが通ってた高校は1,500人以上が在籍するかなりのマンモス校だったので、高単価の望めない高校食堂でも商売になったのか、ボロいとはいえチャンと備わっていた。昼は大行列だったのでほとんど全員がそこを利用してたように思う。定食がA・Bの2種類、あとはカレーと饂飩・蕎麦、ラーメンくらいが揃っていた。
 でもってその定食がスゴかったんですわ。Aがたしか160円、Bが210円か20円だった記憶がある。もう30年から前の話とはいえ、当時でも充分、異常と言っていいほどに安かった。その代わり中身もスゴかった。一言、貧弱(笑)。特にA定食のチープさは素晴らしく、メラミンの丼に入ったご飯と具のない味噌汁に、キャベツの千切りとキュウリ二切れはいつでも変わらず、そこにハムカツとかメンチカツ、ハムエッグなんかが乗っかってるのだった。ちなみにBは付け合わせにスパゲティのケチャップ炒めなんかが増え、おかずも一品増えてた記憶があるが、なにぶんほとんどAしか食ったことがないので定かには想い出せない。いずれにせよBだって200円少々である。大した内容でなかったのは言わずもがなだろう。
 しかし、おれはそれで十分満足だった。なぜなら、それは3時間目の終わりくらいに食堂のオバチャンに頼み込んで出してもらって、午後は学校上手いこと抜けだしてさらに天王寺界隈で食ってたからである(笑)。なんぼ育ち盛りだったとはいえ、あんなに食い倒して体重60キロ台を保ててたのが不思議で仕方ない。

 大学に入ってみると、キャンパス、および下宿の近辺は笑えるほどに定食屋だらけだった。そして、どこも安くてボリュームがあった。どうだろ?ちょうど500円玉が登場したあたりで、おおむね従来の岩倉具視、もしくは新顔の大きなそれだけでたいていどこの店でも食えたから、相場的には今とさほど変わってない。ちょっと高くて550円か600円、650円はわりと少数派だった。さらに大盛りにしたら50円増し、食後のコーヒー付けたら100円増し、なんてーのにしたってこの30年、まったく変わってない気がする。これぢゃそりゃ景気も沈滞するはずだわな。
 以前も大学時代の定食屋については触れたことがあるから繰り返しはしないけど、未だに想い出すのは、なんか妙に不味かったり、店が小汚かったり、中身を疑ってしまうくらいに安かったり、注文受けてから買いに行ってるんぢゃねえのか!?と言いたくなるくらいにグズで調理が遅い、といった得体の知れないところが多い。なんぼヘンな店マニアと言え、マゾでもなければゲテモノ好きでもないので、そのようなところは一度行ったらお仕舞いである。なのに、よほど強烈だったのか想い出すのはそんな店が多い。足繁く通ったトコはそれはそれで想い出すんだけど、結局美味くて食べ飽きしないっちゅうのはそれだけクセがないってコトの裏返しで、どうにもくすんだ印象ばかりが残ってる。ささみフライ定食がシブかった「F」、松花堂みたいな角箱にメイン以外にも煮物や何やが色とりどりに入ってて楽しかった「M」、オッサンが職人芸的な厳格さできっちり飯盛りしてた八幡前の「H」・・・・・・どっこも零細な、しかししみじみと素敵な個人営業の店ばかりだった。京都市内から大学も減ってしまった今、残ってるのは何軒くらいあるんだろう?

 ウダウダした大学生活を終えて止むに止まれず、っちゅうかしゃーことなしにおれはサラリーマンになった。勤め先には社員食堂が備わっており、その気になれば朝・昼・晩の三食を全部食堂で済ますこともできた。気が滅入るんでさすがにそれはしなかったけど、とにかく安く食えるのは魅力だった。豪華とはお世辞にも言える内容ではなかったものの、味もバランスも悪くは無かった。
 ただ、どうにもこうにも致命的な欠点があった。おかずの内容がいつも和洋中の折衷なのである。焼き魚に八宝菜とか、すき焼き風の煮物にホワイトシチューを薄くしたようなスープとか、天麩羅盛り合わせにソーセージとキャベツの炒め物とか・・・・・・毎度毎度、最早意地悪なんぢゃないかと思えるくらいにハズした、まるで小学校の集団給食みたいな内容だ。メニューっちゅうより献立とでも呼んだ方が似合いそうな組み合わせはまことにシュールで、著しく食欲を削ぐ。
 おれはそのうちあまり食堂で定食を食わなくなり、丼やカレー、麺類で済ますようになってしまった。

 和なら和、洋なら洋、と定食にはやはりピンと一本筋が通ってるべきだ、と強く思う。

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 さてさて、そろそろシメなくてはならない。

 オチにもならない余談で申し訳ないが、この度、20年ぶりくらいにおれは日々定食を食うような暮らしとなった。要は単身赴任、ってヤツだ。料理を拵えるのは大好きだけど、自分のために作る趣味は無い。猛烈なめんどくさがり屋なのだ、おれは。一人でポソポソ料理して食うなんて、実に味気ないし。

 しかしご安心を。これからもヨメを筆頭に家族とのノー天気な旅は続くし、新しい土地で行きたいところの候補は腐るほどある。月に1度くらいは遊びに来ると言ってるし、概ねこれまでと変わらない・・・・・・どころか、もっと活発にネタをアップしたりしてね(笑)。

2011.08.11

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