没後20年近くを経て、もういくらなんでも新たに文庫で出ることはないだろと思ってた中上健次の作品が文庫になって並んでるのを本屋で見付けた。最晩年の作の「軽蔑」が、高良健吾と鈴木杏主演で映画化されるってコトで急遽発売になったのである。まだ読み始めたばっかりなんで中身は良く分かんないが、一連の延々と続く「熊野サーガ」に属する作品とはちょっと違う雰囲気だ。
さてさて、同時期の作品で「日輪の翼」という長編がある。お馴染みの新宮の被差別部落であり生活共同体でもある「路地」が再開発によって解体され、立ち退きで行き場を失くしたオバ達が若衆が職場から盗んだ大型トラックに乗せられて全国の霊地を練り歩く、ってなストーリーだ。どの作品にも共通する、いささか粘液質に捩じり込んで行くような独特のリズム感のある文体は最初ひじょうに取っ付きにくいが、ハマると一気に読める。この中で、毎朝オバ達が朝食の茶粥を拵える際に塩を入れるか入れないかで揉める、ってなエピソードが何度も出てくる。
これはおれには良く分かる。自分の家が正にそんなんだったからだ。
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知らない人にはお粥なんて病人食のイメージしかないだろうし、そうしてアタマに浮かぶのは、干し貝柱かなんかで出汁取って揚げワンタン載せた中華粥ではさらさらなく、やはり梅肉をチョコンと載せたりなんかした白粥だろう。実際、おれも白粥には病気の時の食うもの、っちゅうイメージがある。
常食にしていたのは茶粥の方なのである。最近は奈良辺りに行くと、結構なお値段で茶粥定食なんてモンがあったりする。そんなもん定食にすんなよ!って思うけど、ホイホイ金出す観光客がいるみたいだ。だからちょっとスノッブなものと思われてる方もいるかもしれないが、本来的には庶民のざっかけない食い物である。今みたいに白いご飯がたらふく食えなかった時代の産物だろう。
茶粥(発音は「ちゃがゆ」ではなく「ちゃがい」)とは焙じ茶で炊いた粥のことだ。何にでも下に「さん」を付ける大阪弁で「おかいさん」というのも通常、こっちの茶粥を指すように思う。どうやら紀伊半島を中心とする一帯でのかつての朝食の定番みたいだ。父親は三重、母親は奈良がルーツなのである。以前に触れたハス(ハヤ)の茶煮きといい、ひょっとするとこの一帯には料理に茶を使う風習が根付いてるのかも知れない。そぉいや最近ではお茶を出汁にした創作しゃぶしゃぶなんかがあったりもする。美味いかどうかは寡聞にして知らない。
そんなんで、まぁ毎日ではなかったけれども、休日の朝とか必ずと言っていいほど食卓に上るのはおかいさんだった。そして毎週毎週飽きもせず、塩入れる派の父親は入れない派の母親と、ブチブチやり合ってるのだった。
その頃はおれもまだ子供で父親の度し難い浅薄さがハッキリ分からず、ただ怖いだけの存在で、今みたいな根本的な軽蔑はなかったんだけど、それでもおれは「塩入れない派」だった。なぜなら彼に塩入れさせようものなら辛くて辛くて食えないのである。塩の具合は「塩梅」と言いましてな、料理のもっとも基本にして一番の奥儀の一つなんです・・・・・・などと薄気味悪い標準語でエラそうに料理に付いて能書きを語るクセに、おかいさんの塩加減一つマトモにできない愚劣な男ではあった。
茶粥は正しくはオバ達のように鍋で焙じ茶を煮出し、そうしてゆっくり白米を煮て行く。しかし、通常はそんなめんどくさいことはしない。残った冷やご飯を鍋に入れて、ダバダバ~ッとテキトーに上から焙じ茶注いで、いい加減ふやけたら出来上がり、ってな感じだ。10分もあれば完成だ。仕上がりは、やや赤みを帯びた薄茶色になる。
この即席法がまた、ペダントリーの塊の阿呆な父親にはどうにも気に食わなかったみたいで、晒しの手拭でちゃん袋を拵えさせ、最初に焙じ茶を煮出すとこから「正しく」拵えたことがあった。無論、頭デッカチな小理屈ばかりで実際の経験皆無な者にマトモな料理なぞ作れるワケがない。その出来上がりが壮絶なものであったのは言うまでもない。それはまるで、せんぶりを煮出したもののように真っ黒で苦かった。おまけにやっぱし塩辛い(笑)。流石のバカもこれには懲りたか、それからは自分で作るとは言わなくなったのにはホッとした。
不思議なことにおかいさんはそれ単体でも食べるし、下漬けっちゅうてフツーのご飯をちょっとよそったところにぶっかけることもある。それなら初めから米を多い目にして作れば良いようなもんだが、それはしない。白いご飯の上に焼飯をかけるような感じで何だかよく分からない。うちだけの奇妙な習慣かと思ってたらどうやらそうではないみたいで、他でもそのようにするって話を聞いたことがある。
あくまで想像だが、おかいさんはドロドロネバネバしたものであるからして蓄熱が半端ない。急いで掻き込むとあまりに熱すぎて舌を火傷したり、口中が剥けたりしかねない。下漬けとはそれを避けるためではなかろうか。おれは2階建ての中途半端さが嫌いで、おかいさんだけの方が好きだったけど。
添えるのは鰹節に醤油を掛けたものが多かったように思う。他にもいろいろ出てた気はするが覚えていない。偏食がまだまだ激しかったので、おれはそれ以外手を付けなかったのだ。
これでもまた父親はやらかしてくれる。どこまでやらかせば気が済むのだろう(笑)。鰹節の醤油漬けかぁ!?と言いたくなるほどビッチョビチョに醤油をかけるのだ。当然、醤油の味しかしない。こんなことさえもフツーにできないのはもはやちょっとアレな人の領域に入ってると言わざるを得ない。ネタで大袈裟に言ってるのではない。本当にそうなのだ。いくら母親が諌めようと全く改まらなかった。そのうちおれは自分用に小鉢で別に拵えて難を逃れるようになった。
日曜日ごとに繰り返されるこの、ある意味災難と呼ぶしかない朝の習慣からは、中学になってようやっと逃げ出すことができた。休日も朝から進学塾に行かされるようになったからだ。それに朝の時間を切り詰めるために、そもそも朝食そのものをおれは食わなくなってったのだった。
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当然ながら茶粥に罪はない。それに大体、元々おれはいろんなお茶の中でも、香ばしい焙じ茶が一等好きなのだし、それで拵える茶粥が嫌いなワケが無い。さっぱりと淡白でいながらしっかり味があって、未体験の人はぜひ一度試してみてほしいな、とも思う。
だが、こんなけったいな状況で食わされ続けたためにどうも素直に好きになれない。唐突だけどカメラなんかと同じだ。基本的にメカ好きなおれは何も無ければきっと大いにハマッてただろうと思う。それが何で今でも貧弱なコンパクトにばっか拘ってるのかっちゅうと、父親がカメラヲタで散々耳にタコができるくらい写真やカメラについての蘊蓄を傾けるのに付き合わされて来たからだ。貧乏暮らしなのにカメラは何台も家にあった。また、カメラ雑誌だって山のようにあった。なのにその割に大して撮りもしない。勿体ぶって1枚撮っただけで百言語るようなそのアティテュードがひじょうにイヤで、今のような旅に出ればお手軽に1日中シャッター切るようなスタイルになったのだ・・・・・流石に運転しながらはないけど(笑)。
最後に家で茶粥を食ったのはいつのことだろう?その後、高校・大学時代もたま~に食わされることがあったので判然としないが、まぁ少なくとも20年以上は過ぎたろう。もうつまらないオブセッションも残っていない。だからこうしてネタにして書けもする。
大してむつかしくもないんだしひとつ拵えてみることにするかな?・・・・・・塩は入れないで(笑)。 |