あれはおれが小学3年生くらいの頃だったか、母方の祖母が心臓だか血圧だかなんだかでしばらく入院したことがあった。期間は多分2ヶ月かそこらだったような気がする。亡くなったのはおれが結婚してしばらくしてからだから、それからも相当の長命を保ったワケで、症状はさほど重くなく、一時的なものだったんだろう。ちなみにおれが現在高血圧の薬が手放せなくなってるのは、こっちのスジの影響と睨んでいる。そぉいや母親も高血圧だ。
その入院先は大阪赤十字病院ってトコだった。大阪の病院の中ではけっこうな老舗らしく、「上六の日赤」の通称で大体通じる。上六とは「上本町六丁目」のことで、難波から千日前通りを東に上がった辺りである。今はタワーマンションが立ち並ぶばかりでこれといった特徴に欠ける都会の一隅に過ぎないけれど、かつては商都の歴史を誇る大阪の中心地であり、延伸されるまでの近鉄・大阪線のターミナルがここだった関係で、そこそこの賑わいを見せていた。
もう大阪市内から富田林に引っ越した後で、平日の学校が引けてからそこまで1時間以上もかけて見舞いに行くこともないと思うので、たぶん日曜日の度に朝から出かけてたんだと思うが、ずいぶん何度も何度も出かけたように思う。だからもちょっと入院期間は長かったのかも知れない。
子供にとって入院の見舞いほど退屈なことはない。それでなくても普段から落ち着きがなくて叱られてばかりなのが、静まり返った病室でじっと我慢してられるワケがない。祖母がくれたのか、母親がくれたのかは忘れてしまったが、見舞いに行ってしばらく経つと決まったように、「何か食べといで!」と300円ばかしを手渡される。体の良い厄介払いではあった。
退屈な病室に比べると、大きな病院の中は子供にとって結構なワンダーランドである。まだ長閑な時代で、子供が一人でウロウロしててもそれほど咎め立てされるような世知辛いことはなく、「手術室」や「霊安室」といった表示にちょっとドキドキしながら院内を探検して回り、いい加減お腹が空いたところで、いつも地下にある食堂に向かうのだった。
売店や理容室なんかと並びになったその食堂は子供心にも陰気やなぁ~、と思わせるところだった。低い天井に並んだ蛍光灯の冷たい光とコンクリートの灰色だけが印象に残っている。今でこそ病院も快適性を重視して内装にもシッカリ手を掛けるようになって来ているが、当時、大小にかかわらず病院にはある種の「素っ気ない冷徹さ」みたいなものが共通してあった。
その時に限って、何でそんなチャレンジングな気を起こしたのか、今となってはもはや正確なところは分からない。単なるイタズラ心のような気もすれば、偏食が激しいためにカレーライスやうどん等の食べられるメニューはあらかた食べ尽くしてしまってたからって気もするし、ガラスケースの陳列棚に飾られたロウ細工のサンプルの中で黄色や赤、緑の鮮やかで明るい色が陰気な周囲の色調の中で最も目立ってたから、って気もする。あるいは、自分一人しかいないからよしんば食えなくてお金が無駄になってもバレへんやろ、ってな狡い計算があった気もすれば、煎餅なら平気で食ってるやんか、っちゅうのもあったような気がする。とにかく、今なら食えそう!!っちゅう根拠のない確信が忽然と生まれたのだ。
それはエビフライ定食だった。ちっこいのが5匹、ステンレスの楕円皿に敷かれたキャベツとキュウリ、トマトにケチャップ味のスパゲティが添えられてる何の変哲もない安っぽいアレ、だ。値段はたしか270円だったような気がする。カレーの1.5倍くらいの値段だった。それまで安っぽい天麩羅うどんの呆れるほどに痩せこけてヒョロ長い海老の身だって絶対に口にしなかったのが、とんだ宗旨替えもあったもんである。
・・・・・・後をグダグダ書いても仕方ない。結論から言っちゃうと、初めて口にしたエビフライはそれまで頑なに忌避してたのがアホらしくなるくらいにとても美味かったのだった。淡白でほのかな甘みのある味、プリプリしつつも歯切れの良い身の歯ごたえ、何より赤い尻尾とキツネ色の衣の織り成すキッチュでポップなカラーコーディネート、そして一筆書きでも描けそうなユーモラスなフォルム・・・・・・アッとゆう間にそれなりにボリュームのある一人前の定食を、おれは夢中になって平らげてしまったのだった。なんだか一つ未知の世界を開拓したような、一つ大人に近づけたような、そんな得意な気持ちになった。
病室に戻って祖母と母から今日は何を食べたのか訊かれ、おれは努めて詰まらなさそうに「エビフライ・・・・・・」と答えた。二人ともものすごく驚愕し、あれこれ詮索されたのだった。
いずれにせよおれの蒙を啓いてくれた、っちゅう点において、大阪赤十字病院には大いに感謝せねばなるまい。感謝されても相手は何のコトだかちっとも分からんだろうけど(笑)。
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値段が値段だけに、日赤病院のは車海老とか大正海老みたいなものではなかったと思う。通称ブラックタイガー、と呼ばれるヤツだったに違いない。ちなみに旧知のエビ屋の話によると、あれは生命力と環境順応力がやたら強く、海から相当離れた殆ど真水・・・・・・要は水田みたいなところでも元気に生育するらしい。それはともかく寸法的にはかなり小さい。エビの長さは実にいい加減で、筋切りして押して延ばせば件の安物天麩羅うどんみたく、いくらでもビヨーンと延びるから一概には言えないとはいえ、フライにしてせいぜい10cmってトコが標準だろう。
これより大きなのがどんな種類かは知らない。とにもかくにもケッタイな勇気によって小さいのは制覇できたものの、大きいのはどうにもグロテスクな気がしてその後もナカナカ手を出せないでいた。それに大きい方がやっぱ値段も高い。日赤の一件以来、おれんちの食卓にエビフライや天麩羅の出ることは増えたものの、それらはいつもちっこいヤツばかりだった。
大きなエビフライを初めて食べたのはこれまた公共施設(?)だった。今や夏ともなればTバックのネーチャンが大勢闊歩する須磨海岸、そこにある水族館の大食堂である。大阪海遊館ができるまで、関西で水族館といえば須磨と決まってた。
現代の水族館はアミューズメント施設としての性格が強い。イルカが飛び跳ね、着グルミがウロウロし、売店には多数のオリジナルキャラクターの商品が並んで如何にも愉しげだ。しかし昔は全然違って、遊園地等の遊戯施設っちゅうよりむしろ美術館や博物館みたいな「学術」の香りがもっと前面に出ていた・・・・・・ぶっちゃけ商売気がなく、いささかサービス精神に欠けて殺風景だったのである。
そんなところのレストランであるからして、まったく地の利を活かした店にはなっていなかった。明るいことは明るいけど、白っぽいデコラのテーブルと何の変哲もない椅子が規則正しく並ぶだけの収容力最優先である。学食とかに近い。近所には南欧風のオープンテラス、といったお洒落な造りの店がウジャウジャあるっちゅうのに。
どんな経緯があったかは今はもうサッパリ見当が付かないが、その時は従兄弟と一緒に叔父さんに連れてってもらった。それまでも須磨の水族館には何度も行ったことはあったものの、そのレストランに入るのは初めてだった。なぜならおれんちは一家で郊外に出かけるときは弁当を持っていくのが慣わしだったからだ。唯一の例外は弁天町の交通科学博物館に行くときだけだったような記憶がある・・・・・・ま、あそこは郊外ではないわな(笑)。
見本のショーケースにあったエビフライ定食は20cm近くはある大きいのが2本、やはりステンレスの楕円皿に乗っかった、店構えに不釣合いなかなり立派なものだった。付け合せは日赤と似たような感じだった気がする。唯一異なってたのはタルタルソースらしきものがデレーンと上に掛けられてたことくらいか。値段はいくらか覚えてないけど、不思議なことに他のメニューに比べてさほど高くもなかった。場所が水族館だけに、魚やオットセイの餌とかと一緒に安く仕入れることができてたのかも知れない(笑)。
そうしてここでまた忽然と不思議なヤル気が湧いて来たのである。何か今のチャンスを逃すと自分は一生このまま大きなエビフライを食わないでいるような気がした。奢ってくれる叔父さんの手前、チャンと食わんとしめしがつかんだろうし、おれより年下の従兄弟の前で残すのもカッコ悪い、今やらんでいつやんねん!?みたいな。
・・・・・・概ねアッサリこれもクリア。何のこっちゃない、大小にかかわらずおれはフツーにエビが食えたのだ。
冷静に考えれば、もし体質的にダメなのならえびせん食おうが海老満月食おうが、お好み焼きやたこ焼の桜海老食おうが蕁麻疹出たりしてアウトな筈で、それらが問題なく口に出来てたのだから理論上は食えて当然だろう。ところがおれには奇癖があって、カチカチに干したスルメは食えるのに、どうにも煮たり焼いたりしたイカが食えなかったのだ(実は未だに食えない)。それと同じ伝で海老も乾き物はOKでも火の通ったんはダメだろうとズーッと勝手に思い込んでたのである。どうも肝心のところで間が抜けている。
相前後してカニもおれはクリアした。長じた今、エビカニの類は何でも大好物だ。
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エビフライ・・・・・・そぉいやお子様ランチでもエビフライはマストアイテムの一つだよね。実に何とも憎めない存在である。最後に一つ作り方のコツをエラそうに書いて終えることにしよう。なに、少しも難しいことはない。
エビはタイガーでも大正でもパナメイでも何でもいい。それに無頭で充分だ。まずはカラ剥いて尻尾を包丁の背でしごいて水を抜き、背ワタを丁寧に取る。続いて腹側に斜めに2本ほど軽く切り込みを入れて背から押してプツッと音がするくらいに筋切りをする。これで火が通ってもクルンクルンにならない。ただしグイグイ押してはいけない。食感が悪くなってしまう。続いて塩胡椒振ったら粉をはたいて、卵液ではなくバッタ液に浸す。バッタ液とは卵と牛乳とメリケン粉を混ぜたものだ。甲殻類は何せ火が通りやすいので、ボテッととろみのあるバッタ液の方が仕上がりがパサパサしないのだ。小ぶりのエビなら中細挽き、大振りなら粗挽きくらいのパン粉をつけて、油の温度が低いと衣が色づく前に中まで火が通り過ぎてしまうから、やや高温の油でなるだけ手早く揚げて・・・・・・さぁ食え!!って漢のメシかいな(笑)。
・・・・・・明日の夕飯はエビフライをリクエストしようかな? |