・・・・・・決して閑古鳥が鳴いてるっちゅう意味ぢゃありませんよ。誤解なきように。
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この数週間、クルマで出かけてってはヨメと地味なラーメン屋でお昼にすることにしてる。もう4軒ほど回った。いや、正確に申し上げるとどれもこれも所謂「ラーメン屋」ではない。ある店は丼モノから定食、果てはソフトクリームまである食堂だったし、ある店は場末の率直に申し上げて少々小汚い中華料理屋だったりもした。いずれも共通するのは、昨今の演出も味もコテコテであざといまでに過剰なラーメン屋からすると実にささやかで目立たないお店ばかりだ、ってことだ。
大体行くのは昼の掻き入れ時を過ぎた頃合の1時から2時の間だが、どの店も判で押したように六分の入り、っちゅうヤツである。昼下がりの店内は決して満席にはなってないけれど、誰かが席を立つと、まるでどこかにモニターがあって見てたかのように、入れ替わりにお客さんが入って来る。出前の電話なんかもイ゛~ッ!ってなるほどジャンジャン鳴るワケではないが、パタパタしたカブのエンジン音が店の前で止まると、ちょうどいい具合に次の電話が掛かってくる感じ。何とも絶妙な間合いである。何だか地元に深く根ざしてることが伺える。
厨房では夫婦、それもけっこう年配の二人が黙々と働いているケースがほとんどだ。ほとんど会話はないけれど、連携の取れた一切無駄のない動きに長年に亘って築き上げられた信頼関係のようなものが仄見える。跡取りはいるのかな?などと余計な心配をしてしまうが、ガラリと威勢よく入り口を開けて入ってくるのは、岡持ちや、夕方からの不足分だろうか野菜の束なんかをを提げて戻ってきた息子と思しき若いニーチャンだったりするので、それなりに事業継承も順調そうに見える。
個性的な味をこぉいった店に求めてももちろん詮無いことであって、どこも至極フツーの醤油味の中華ソバっちゅうヤツである。ただ、それが不味かったかっちゅうと全然そんなことはなく、どの店もそれなり・・・・・・どころかたいへん美味しく頂けたのであった。滋味溢れる、とでも言えば良いのだろうか、ホッとする。
当然行く前には入念にリサーチしてるから、そりゃまぁハズレはまぁ無いだろうことが分かってたのだけど、それでも実際に行ってみるとやっぱし世評に違わぬ味だった。見た目地味とはいえ、伊達に何年も続いてるワケではないのである。
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アッパー/ダウナー、っちゅうのは元々ドラッグ用語で、テンションが上がるのがアッパー、下がってユルユルするのがダウナーなんだけど、間違いなくこれらの店はダウナーである。動きには無駄もないが余分な力も抜けて実に淡々としたものだし、供される味にしたって目を剥いて「スゴッ!美味っ!!」などと叫ぶようなものでは決してない。客にしたって「こんなけ並んだんだから汁の最後の一滴まで吸い尽くしてやるぞ!」みたいに目をギラギラさせたようなのは一人もいない。近所の人たちが三々五々集まってくるだけだ。異分子は悲しいことにおれたちだけである。
対極にあるのはおそらくは「麺屋武蔵」とか「元気一杯活力ラーメン」みたいな店だろう。まるで中国拳法の構えのような格好で意味もなくテボ(振り笊)持って菜箸で突くマネだけしてみたり、ボヘ~ンと銅鑼を打ち鳴らしてみたりとやたらハイテンション。まぁそれはそれでアトラクションとしては面白いのかもしれないが、ハッキリ言ってすぐ飽きる。
・・・・・・で、こぉいった類の店はとにかく忙しない。カウンターの後ろの壁との隙間にまで人が詰め込まれて並んでたりすると、食いながらも後ろから覗き込まれてるようでまったく落ち着かない。作り方も勢いがあるといえば聞こえは良いが必ずしも手際が良いとは限らず、要はかなり乱暴で大雑把だ。基本の麺にしたって、いっぺんに5人前も6人前も作って堅さの均一さが守れるワケがないではないか。
ああ、ついでに書いとくと、近年飲食店で良くある「喜んでっ!」などと胴間声を張り上げるのも好かないな(発音が『ぃよぉ~ろこんどぇえっ』ってな耳に障る言い方なんだわ、またこれが)。そんなん、注文貰ったら喜んで速やかに対応するのは当たり前のことぢゃねぇか。イチイチうるさい!っちゅうねん。「感謝の心で」などと相田みつをもどきのヘタヘタ字で店内の壁やらメニューのあちこちに書いてあるような店も感心しない。お客さんに来てもらって感謝するのは当たり前、それをこれ見よがしにイチイチ吹聴するその甘ったるい偽善の腐臭がどうにも鬱陶しい。ほれ、キリストも「人前で祈るな」てゆうてまっせ(笑)。
いつだったか野菜炒めが乗っかった辛いラーメンで有名な超人気店で食ったとき、その肝心の野菜炒めが大量に作り置きされてるのを見たことがある。当然ながら出てきたラーメンに乗っかってたそれは水気が回りまくってベチャベチャのグニョグニョだった。ウリの商品がこんなザマではどうしようもない。それでも行列は決して絶えることなく、嬉しそうにケータイで写真なんかとってるアホそうなカップルがいたりもする。
元々は味が良いから人気が出たのだろうけど、その人気で客がさばききれなくなって手抜きしてちゃ本末転倒もいいトコだろ、っておれは思う。しかし、ほとんどの客は体験さえできれば実は味なんてもうどうでもいいのである。店内は押し合いへし合いの活況を呈してるにもかかわらず、寒々として不毛な、奇妙にねじれた光景だ。
幾許かの金を払って外食する以上、せめてちったぁ幸せな気分になりたい、っちゅうのが人情ってモンだろう。でも、行列の出来る店でそんな気分にさせてくれるトコはこれまでほとんど無かった。そもそもどうして行列が出来るのかっちゅうと、オーバーキャパになって処理が間に合わなくなるからである。クルマの渋滞だって同じである。そしてそんな状態ではいろんな無理がどうしたって生じる。無理が生じれば雑になる。つまり、行列こそがおれたちを幸せから遠いところに連れてくのだ。
行列は出来ないけれど、決して客が途切れることも無いくらいに繁盛してる・・・・・・それくらいがちょうどいいくらいなんだろう。
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どこの店だったか、食べ終えて外に出るとちっこい柴犬が扉の外に繋がれて大人しく座っている。裏町の、クルマ1台がやっと通れるくらいの狭い通りに面した店だった。さっき入ってきた客はどうやら散歩の途中に小腹が空いて立ち寄ったに違いない。良く躾けられた犬はおれたちを見上げるとパタパタと尻尾を振って愛想を振りまく。いい光景だ。
・・・・・・もう金輪際、行列といったものには並ばないことにしようとおれは強く思った。 |