一杯のラーメン(前編)


可愛いよね、何となく。

 ラーメンは好きだ、やはり。

 そんな、しらみつぶしに食べ歩くほどのマニアではなし、また、別段なりたくもないが、家や会社の近所で美味いって評判の店を聞きつけたり、新店がオープンしてるのを見るとついついフラーッと入ってしまう・・・・・・まぁ、その程度の「好き」である。要はフツーに「好き」なのである。何だかんだで温泉ほどではないにせよ100軒や200軒は食ったことがあると思う。
 一方で以前にも書いたとおり、ラーメン食べ歩きのサイトで、大して件数もこなしておらず、自身の食に対する知識も見識も明らかに不足してるのが、したり顔であれこれ生意気に語って評価してるのを見るのはハラが立つ。だからそんなんは見ないし、自分でもそんな大それたことを書こうとは思っていない。

 これからウダウダと書き並べるのは、おれのラーメンにまつわるささやかな記憶と、味の嗜好、それだけだ。

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 おれが年端も行かぬ子供だった昭和40年代初め、そもそも今のように「ラーメン屋」なんて専業店自体が滅多になかった。

 ラーメンっちゅうのは中華料理屋か屋台で食べるものであり、それに家でおいそれと簡単に拵えることのできない代物だったのである。いや、それはラーメンだけでなく饂飩でも蕎麦でも温かい麺類全般に言えることで、家庭でマトモに作るとなると汁と麺を茹でるのにどうしたって鍋もコンロも二つ必要だし、なかなか両者のタイミングが合ってくれんし・・・・・・で意外とハードルが高い。今はコンロのスイッチ捻れば火が着くどころか電磁調理器具なんてものまで出てきて湯を沸かすのは実に簡単だが、当時は元栓開けて燐寸をいちいち擦って火をつけるのが一般的だったから、かなりややこしい作業であった。また、饂飩や蕎麦に較べると具材を取り揃えるのも大変だ。
 よって、せいぜい「ヒガシマルのうどんスープ」を沸かした湯に溶いて、玉屋で買った饂飩ぶち込んで刻んだうす揚げ添えたりなんかしてチャチャチャッと作るくらいが関の山。家で麺類っちゃぁ概ね、夏場の素麵やら冷麦が一般的だったのである。
 余談だが、小さな製麺屋も今ではスッカリ見かけなくなったものの一つだ。ガラスの蓋のついた平べったい台があって、敷かれた簀の上に饂飩や蕎麦やラーメンが一玉づつ綺麗に並べられてある。全部蒸し麺だ。それをオバチャンがおっきな菜箸で突き刺して取って油紙みたいなのに包んでくれるのだった。

 そんなおれにとってのラーメンにまつわる鮮烈な記憶の始まりは「インスタントラーメン」だ。今でこそチキンラーメンの元祖ぶりはつとに有名だけど、実はおれが物心ついた当時は後発の製品にかなり押されてた印象がある。だってアレ、どう考えたって所謂「ラーメン」からするとあまりに似ても似つかないんだもん。
 後発の製品とは「サッポロ一番」や「チャルメラ」、「ワンタンメン」等だ。気になって調べてみたら、それらの発売は殆どが60年代半ば過ぎ、即ち昭和40年代初頭に集中してる。元祖の日清食品も慌てて追っかけるように「出前一丁」を発売してることから、如何にそれら後発組の市場の席巻振りが凄まじかったか分かる。つまり、日本のインスタントラーメン時代の本格的な夜明けに、偶然おれは居合わせたことになる。

 これら粉末スープが別添になった袋物のインスタントラーメンは子供心にも画期的な商品に思えた。そりゃまぁ本物とは違うとはいえ、チャーシューもシナチクも入ってないとはいえ、どだい麺の食感がまったく異なるとはいえ・・・・・・と違うところだらけでも、それでもチキンラーメンよりは遥かに、銭湯の斜め向かいにあるちょっとだけ小洒落た中華料理屋でたった一度っきり食べさせてもらった・・・・・・とエラく頭でっかちな修辞が続いてしまったな(笑)。ま、所謂「本物の」ラーメンにかなり近い気がした。
 お気に入りは「サッポロ一番」の醤油味と「ブッタブッタコッブタ~♪」の「エースコックワンタンメン」だった。「サッポロ一番」の味噌味と塩味は少し遅れて発売になったと思うが、どっちも味に馴染めなかったし、「チャルメラ」は袋に「貝エキス入り」とか書いてあって、当時、大の貝嫌いだったおれにはたとえマトモに貝の味がしなくとも、食うのは充分躊躇されたのである(・・・・・・っちゅうことはあの年齢でおれは漢字が読めたのか!?)。

 勘違いしていただいちゃ困るが、これら一連のインスタントラーメンは今からは想像もつかないくらいけっこうな贅沢品で、そんなに頻繁に口に出来るものではなかったし、ネガティヴな食い物でもなかった。たこ焼が10個20円とかで買えた時代に、たしか1袋30円か40円くらいしたと思うので、相当に高かったのである。月旅行を米ソで争ってた時代でもあり、代用食っちゅうても戦後の悲惨なものではなく、何となく宇宙食に近いイメージ・・・・・・いわば「新しい時代の文化的な食い物」みたいにみんな思ってたように思う。
 おれんちは決して裕福ではなかったから、幼稚園でしょっちゅうインスタントラーメン食った話のできるヤツが羨ましく思えたものだ。そんなんで、ワンタンメンに申し訳程度に貼り付いてる中身のないワンタンの皮、ピロピロのあんなんでさえも本格的なラーメンっぽく思えてとてもありがたいものだった。若い人が読んだら笑っちゃうよね。

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 ペロレェ~ロレェ~♪と、遠くから哀調を帯びたチャルメラの音がユックリ、ユックリ近づいてくる。

 何となく寒い冬の晩の方がラーメンの屋台には似合うシチュエーションだけれど、実際は夏冬関係なく大体毎晩来てたと思う。チャルメラの音が近付くと、懲りもせずいつもおれはワクワクする。けれども、詰まんないガキの玩具でさえなかなか買って貰えない家であるからして、やれあんなもんは高いだの不味いだの不潔だの何入ってるか分からんだのなんだの、とそれらしい理由を親につけられて、決して願いは聞き届けられないのだった。

 それが何のハズミか、一度だけ屋台のラーメンを家族で食べる運びとなった。理由は未だに良く分からない。おそらく、当時父方の祖母が入院してて明日とも知れない状況でいろいろ慌しかったから、その日、夕食の準備が間に合わなかったのかもしれない。たしか丼は家のを持ってった。昔は豆腐買うのだって家から鍋持って、ガランガランと鐘振る自転車のオッサンを呼び止めたのだ。
 夢にまで見た、といえば大袈裟だが、長い間の希望が叶ったおれは目を輝かせ、おっさんの動きを一瞬たりとも見逃すまいと必死で凝視した。濛々と二つの釜から立つ湯気、手際良くてぼで振られる麺、左右の棚の小さな抽斗を開けてチマチマと盛り付けられて行く具材・・・・・・あの狭いスペースの中でアッと言う間にラーメンが出来上がってくのがとても不思議な魔法か手品のように思え、おれは猛烈に感動したのだった。

 透明な醤油味のスープにうっすら浮かんだ脂、小さなチャーシュー、ナルト、シナチク、輪切りにしたゆで玉子、葱・・・・・・中身はそんなもんだったかな?一つだけハッキリ覚えてるのは、オッサンが「ボク可愛いからな~、オマケしとくわ~」とか言ってゆで玉子のスライスを2枚にしてくれたことだ。そんなもんかよ?ケチやね、などと思ってはいけない、玉子もまた当時、かなり高価な食材だったのである。
 ともあれ至ってそれは平凡な中華そばだったし、今から思えば、件の中華料理屋で食べたラーメンの方がよほど立派で味も良かったに違いない。
 でも、味とかそんなことはどうでも良かった・・・・・・いや、正直、分からんかった(笑)。おれは「屋台のラーメン」を体験できたことだけでひどく満足してたのである。ビンボなくせにプライドとスノッブが服着て歩いてるような父親は卓袱台で啜りつつ、空腹に代えられんかったくせに、いつもの調子であれこれ盛んに貶していたが、おれはあんな小さな屋台でこんなチャンとしたもんが出来ることを何故喜べないのかなぁ~?といぶかしむばかりだった。

 ・・・・・・しかし、「何入ってるか分からん」って意見だけは正しかったことが後年に至って証明される。

 調べてみると1978年ちゅうから随分長じてからのことであるが(それでももう30年以上前かよ!トホホ)、東京でとある事件が起きて日本中がパニックになった。
 ヤクザの組幹部が内部抗争の結果殺した兄貴分をバラバラにしたまでは良かったが(・・・・・・良くはねぇか、笑)、指紋でアシが付くのを恐れて、損壊した一部を尾久界隈を流していた子分のラーメンの屋台で煮込んでしまったというものだ。言うまでもない。未だ都市伝説として語り継がれる「手首ラーメン」事件である。凄惨極まりないハズなのに、何だかどこかとぼけて間抜けな・・・・・・それこそ内容が内容だけに「味のある」大事件ではあった。

 とまれ、屋台という極度に一つの機能に特化したミクロコスモスに感動したのと、随分と乱暴で大雑把な一方でおれがチマチマしたものを偏愛するのは、同じ根を持っているような気がする。

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 思えば最近で袋物のインスタントラーメンを食べたのはいつだろう?一向に想い出せない。

 段々と贅沢かつ横着になって、いちいち鍋で湯を沸かしたり鉢を洗うのが面倒なもんだから、たまに家で食べるのはカップ麺ばかりになってしまった。スーパーでも袋物のコーナーは縮小の一途を辿っている。
 町を流す屋台にしたって、手曳きが軽トラに変わったなぁと思ってたら、深夜まで営業するラーメン屋が増え、コンビニで夜食になるものはなんぼでも買えるようになり、そうしてすっかり見掛けなくなってしまった。大体、マンションの高いところに住んでては、たとえ通り掛ったところで呼び止めることさえ出来ひんわな。

 今は本格的なラーメンをいくらでも手軽に食べることが出来る。その事実にまったくもって不満はない。感謝である。しかし、なぜか一抹の寂しさがよぎるときがある。もちろんその源がノスタルジーであることは良く分かってる。

 ・・・・・・ホント、贅沢になったもんだ。
 美味いもん食って、そんな感傷を抱けるようになるほどまでに。


ラジコン屋台でも買ってやろうかな・・・・・・

2010.02.13

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