焼肉とステーキ、すき焼き

 
・・・・・・ま、食えりゃ何でもいいんです。何でも

 実に即物的なタイトルだな〜・・・・・・。

 関東に越して来てつくづく思うのは、こちらが豚肉文化だ、ってコトだ。カレーだって肉じゃがだって豚が基本だし、街角のモツ焼が豚なんだと知って最初はひどく驚いたものだ。ガキの頃から豚だけはちゃんと火ぃ通して食べんとアカン、と教わった者としては最初は違和感ありまくりで、何となく危険なものにさえ思えた。

 なるほど日本の肉牛、ことに珍重される黒毛和牛の故郷は兵庫県の但馬地方である。松阪だろうが近江だろうが米沢だろうが、ルーツはぜーんぶ但馬なのである。昭和46年、この地に伝説の名牛が誕生した。名前を安美土井号という。その偉業を讃えて・・・・・・ってまぁ、種牛としてヤリまくっただけなんだけど、とにかく地域振興に多大な貢献をしたってコトで何と銅像が役場に立ってる(笑)。たしか飛騨牛の歴史を変えたと言われる牛にしたって、こいつの孫か曾孫だったんぢゃなかったっけかな?

 しかし、そんな関西人にとっても昔は牛肉なんてもぉメッチャ高嶺の花だった。牛肉の、それも厚みのある角切肉が食える数少ないチャンスはカレーくらいしかなかったのだ。まぁ、家が貧乏なだけだったのかも知れないが、ステーキなんて夢のような存在だった。そもそもボキャブラリーに「ステーキ」なんてものはなかった。あったのは「ビフテキ」だ(笑)。今は死語だな、ビフテキ。あと、トンテキもか(笑)。

 そうだ、何よりガキの頃のおれは肉が好きではなかったのだった。あの脂身・・・・・・白身っちゅうヤツっちゃね。あれがどうしてもダメでウェッとなってしまう。だからトンカツだろうがなんだろうが、肉となると脂の部分は丹念に除けて食ってたのだ。コレステロールまみれのオッサンのダイエット食みたいだな。

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 それでも小学校に上がった頃からだんだんと、家には鋳物のすき焼き鍋や、底に水入れてガス管つないで使うホーロー引きのボディの、上の鉄板をコンロに換えるとタコ焼き器にもなる焼肉コンロなんかが備わるようになってきた。ちょうどその頃から捕鯨が厳しくなってきて貧乏人の友だった鯨肉が高くなり、変わってスーパー、特にダイエーの台頭と共に牛肉の値段が手ごろになって来た、っちゅうのも背景にあったのかも知れない。それとおれ自身偏食が収まって来たので家のメニューのバリエーションが増えた、っちゅうのももちろんあるだろう。

 親たちは自分たちの嗜好の最大公約数としてすき焼きが上等の牛肉料理と思っていたようだ。最大公約数、とは後述するが、要はお互いの推すモノが違っていたのである。しかし、おれ自身はあの甘辛くてくどくて単調なのがイヤであまり好きではなかった。生卵もなんとなく気に入らなかった。一口二口食べるのならまだいいけど、終始あれではキツい。ましてや日本酒の熱燗なんぞ飲みながら、な〜んてもぉくどさの極致で全く味覚が狂ってると思う。すき焼きで本当に美味いのは良く煮えた豆腐と糸コン、ネギくらいのモンだろう。「すき焼きは牛肉の最も不味い食べ方だ」・・・・・・とは海原雄山の言だが、まことに正しいと思う。

 母親は肉よりは魚の方が好きだったが、肉で言うならどうやら焼肉派のようだった。というのも、生まれ育った大阪・生野区は戦後日本最大のコリアンタウンとなり、焼肉やらホルモンを扱う店が多かった関係で、その美味さをかなり以前から知っていたからだろう。だから件のホーロー引きの焼肉コンロも彼女が買うと言い出したような記憶がある。

 一方、これまで何度も登場している限りなくケッタイな父親は、っちゅうと、これが徹頭徹尾ステーキ派なのであった。味がどぉこぉでステーキの結論に達したのではないのは言わずもがなである。ペダントリーの塊りのような俗物の彼としては、欧米人の食するステーキこそが牛肉の一番の調理法で、いわゆる「三国人」の喰らうニンニクまみれの食い物なんて断じて認めたくなかったのだ。実にクダらない差別意識だ。
 やれレアだミディアムだウェルダンだ、ナイフだフォークだと能書き垂れてステーキステーキ言う割に、その実出来上がったモノにはウスターソースぶっかける程度の知識しか備わっておらんクセに、焼肉に対しては俄然攻撃的になのである。要はそんなモンは下賤の食いモンだ、といったことをこれまたペダンティックにもって回って。そして言い訳のように必ず最後に言う----「ニンニク入ってた方がホンマは美味いんやけどな」。
 ・・・・・・ホンマに美味いモンが美味いモンだろうがぁ!?我が親ながら世の中、こんな阿呆も珍しい。ほとんどカタワだ。

 ともあれ最大公約数とはそぉゆうことだ。焼くとどうにもお互いの主張が噛み合わないし、どだい出来上がったモノを食べるステーキと作りながら食べる焼肉では料理としての立ち位置も違う。何だかよく分かんないけど、それらの妥協点としてすき焼きがあったのである。

 ところが、ここでまたもや父親登場。すき焼きはすき焼きで面倒くさいのだ、コイツ。松阪の「和田金」はどぉこぉとか毎度飽きもせず同じ蘊蓄傾けるのは無視してりゃいいが、「おれに任せろ」とか言う本人の味付けたるや、甘いわ塩辛いわでほとんど「佃煮」なのである。とてもそのままでは食えたモンぢゃない。

 若干の説明が必要かも知れない。関東のすき焼きは牛鍋であって、調味料に「割り下」っちゅういわば配合済み調味液みたいなん使って煮込むのだけど、関西では脂引いて肉ガーッと焼いてから砂糖入れて醤油入れて・・・・・・と一応「焼き」の体裁から始まるものなのである。どぉせ次に肉足すと「焼」も「煮」もヘチャチャもないんだが、それはともかく最初の段階で砂糖と醤油をムチャクチャにブチ込んでしまうと、後は具材や酒や水で味を薄めて行くしかないのは理の当然である。足りなかったら足せば良いが、入れ過ぎたものは希釈するしかないのだ。
 本人も食って余りの味の濃さに気付くのだが、とにかく根拠のない矜持、つまりは自惚れだらけの男であるから、「ちょっと濃かったかな」くらいしか言わない。何が「ちょっと」なもんかよ。あまつさえ反省も学習能力もゼロであるからして、いつまでたっても愚行は繰り返され、一向に改まらないのだった。だから、おれはすき焼きと聞くといささか憂鬱な気分にさえなるようなった。

 おれは大人になってから、色んな付き合いもあってすき焼きの名店と言われる所にもいくつか行く機会に恵まれたけれど、あんなにムチャクチャで珍奇なまでに濃い味の店なんてどこにもなかったのは言うまでもない。もちろん「和田金」も、だ。

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 美味いし、食べ飽きしないし、色々楽しめるし・・・・・・で、ガキのおれは焼き肉が一等好きだった。ステーキも根本は似たようなモンだけどウスターソースぢゃ飽きてしまうし、父親が煩しい。それに焼肉にホルモンはあっても、ステーキにはないしね。親父が唾棄するニンニクもタップリ効かせた方が断然美味い。ところがこれはこれで難物で、あんましチョーシ乗って食い過ぎるとハラが痛くなる。それにニンニクは生もイケるが、ちょっと焦がして香りが出たのがこれまた美味い・・・・・・って、肉の善し悪しが一番分かる究極の食い方って、塩胡椒をパパパパッと振って、おろしニンニクをなすりつけて、焼け際に醤油をちょっと掛けてこれも少し焦がして焼くことぢゃないだろうか。

 だから、肉どんなんで食いたい?と訊かれると、おれはたいてい「焼肉」と答えるようになった。滅多に「ステーキ」と言わない息子に父親は不満げだった。「メシは皿に盛ってフォークの背に乗せて食え」とか3DKの公団住宅の狭いダイニングで抜かす、パンピーのブスが深窓の令嬢気取ってクネクネしてるのと同質の醜怪な虚栄にいい加減おれが気付き始めてることに彼はちっとも無頓着だった。まことにハッピー、ご同慶の至りだ。

 それでも正月などはあまり意見は聞き入れられず、かといって正月からステーキ、っちゅうのもどことなく座りが悪く、結局いつもすき焼きに落ち着くのだったけど。

 大学生になって実家に寄り付かなくなってからは、ぐずぐず益体もないゴタク並べるヤツがおらんのと、元々のアウトドア指向もあって、けっこう盛んにバーベキューという名の野外での焼肉パーティーを企画した。いつぞや書いた出町柳の河原で大酒喰らって死にかけた時も、元々は周到に企画した焼肉パーティーだったのである。やはり気分を出すには七輪やろ、ってなワケであちこちからかき集め、当時はそんなフツーにバーベキュー用の炭なんてなかったから米屋でセメント袋ほどの袋に入ったの買って、荒物屋に不良在庫で残ってたような丸い餅焼き網まで入手して古式ゆかしく(笑)お膳立てしたのだった。ハハ、じゅうぶん形式主義者やんか、おれも。そんな中、根本的に間違えたのは量だ。肉に野菜、そして何より酒を買い込みすぎてしまった。それで最後はメチャクチャになったのである。

 喫茶「U」の常連客を集めて鞍馬の山奥の河原でやったこともある。何せヒマを持て余してる連中が多かったから、いい歳こいたのばっか平日の昼日中から20人くらい集まった。今なら勝手に河原でそんなことやってたらすぐにお咎めを受けてしまうだろうが、当時は長閑なもんだった。
 会社に入ってからも課の親睦会、なんちゅうておれが幹事で、年に一回くらいみんなで山に行って似たようなことやってたな。

 それらはどこか自分にとっては厄払いの祭祀のようなもんだった。もちろん、家っちゅう、親っちゅう呪縛の。

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 そんなこんなで煮たのを食うのは牛丼くらいで、牛肉を食すのはもっぱら焼肉、たまーに気分変えてステーキ、ってな感じでこの20年数年を過ごしてきた。無論安い肉ばっかしだけど。家には一応何かで貰ったすき焼き鍋はあるんだけど、流しの上の棚にほとんど仕舞われたままになっていた。

 それが数年前、ちょっとした気紛れですき焼きをこしらえてみた。野菜を多めに、味付けも努めて薄目に(笑)・・・・・・率直なところ、牛肉の食べ方としてはたしかに相変わらずさほど美味くはない。でもまぁ、これはこれで世界があってエエんちゃうんかな〜、とも率直に思った。
 恐らくはいつしか肩の力が抜けたのだと思う。何のこっちゃない、おれ自身も60年代生まれだけあって、随分長い間、牛肉を食うっちゅう行為が物凄く特別なコトだと本能の奥深く刷り込まれてたのだ。思えば親達の大騒ぎぶりも同じ穴の狢、牛肉に対するオブセッションのなせる技だったのかな?と少しは醒めた目線で考えれるようにもなった。
 それからはどぉ言えばいいんだろ、「フツーの晩飯」の一環としてちょくちょく家ですき焼きやるようになったのである。

 ・・・・・・だから、今夜はすき焼きだ!(笑)

 マジでだよ。


註:前回から間が空いたおかげで、スッカリ何書いたか忘れてすき焼きについての内容が結構かぶってしまった。ゴメンナサイ。
2009.04.14

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