冬はやっぱり鍋でんなぁ〜



有名無名、テキトーにネットから拾ってみました。

 タイトルはぜひとも桂米朝の「味の招待席」での名ナレーション----「京都の夏はやっぱり鱧でんなぁ〜」----のイントネーションで読んでいただきたいと思う。才人・松尾貴史がさんざモノマネでやったアレ、ね。

 ・・・・・・で、鍋だ。思えばコイツはまことに不思議な料理で、作りながら食べ、そのプロセスを愉しむ、っちゅう点では焼き肉と双璧をなす・・・・・・ってーか、最後に残ったダシにうどんやご飯ぶち込んで余すところなく食っちまう、なんて他にあまり類例がない。そしてどうしたワケか日本人は鍋が大好きだ。宇宙人・ジムジョーンズのCFシリーズで取り上げて欲しいほどに。

 なるほどこの季節、スーパーに行くと封切って原液そのままが使える鍋のダシが山積みになってる。それくらい自分でこしらえたかてすぐ作れるやろーが、と言いたくなるような寄せ鍋やちゃんこといったものから、チゲだのキムチ鍋だのモツ鍋だのといった、ちょっと変わったものまで千差万別だ。最近では豆乳鍋とかカレー鍋なんてニューウェーヴまで登場している。世の中バカが多いから、そのうち水炊きのダシまで売られるようになったりして(笑)。

 同様に冬が近づくと、その調理器具である土鍋が瀬戸物売り場に大小様々な大きさのが山積みになってる。おれの感覚では土鍋なんてそんなに頻繁に買い替え需要があるようにも思えないし、簡単に割れるものでもなし、何であんなに毎年毎年あれだけの数が売り場に並ぶのだろう?と思ってしまう。ひょっとして去年の在庫をそのまま出してんだろうか?
 ちなみに我が家の土鍋はもう20年近く使ってる。別に水だけで最高の雑炊ができるようなダシの染み込んだものではないけれど、一向に割れる気配もないし、むしろ熱をかけられることで年々土が締まって行ってるようにさえ思える。だから多分このまま使い続ける。サイズは10号って家庭用では最大に近いサイズのものだ。こと、鍋に限って言えば間違いなく大は小を兼ねるのだ。6号といって旅館で固形燃料の上に乗っけて出されるような小さなヤツもいくつか持ってるけど、最近では石焼き芋作り専用になってしまった。真っ黒でもう、鍋としては使えない。
 余談だが、お好み焼きの鉄板に至っては重すぎてもう使わないからと実家から譲り受けた分厚い鋳物でできたのを未だに使ってる。完全に油が馴染んだ50年近く前の代物だ。調理器具は使い込んだものの方が料理の味の仕上がりに優れているようだ。

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 さて、我が家も冬になれば休日のどちらかは鍋のことが多い。

 ・・・・・・っちゅうても、人ん家の鍋の中身をくどくど語られても読む方はちっとも面白くないだろうから、いくつかおれが考案・工夫した鍋のレシピについて述べるにとどめておこう。

 一つは「ワンタン鍋」だ。おれが勝手に名付けた。ものすごく簡単だがチュルッとした食感が良く、ヨメや子供たちからの評判も良い。要はワンタン作って、胡麻油を入れた塩味の白湯スープで煮て、しかる後に野菜煮て、最後にラーメン入れて終わり、ってな内容だ。市販の3食入りタンメン買えばスープとラーメンが最初から揃う。誰にでも出来る。
 ただし、コツがいくつかある。ワンタンの具を少し多目(5〜6g)にすること、具材を全部一度に入れず最初にワンタンだけ煮て、それを食べ終わったら野菜類を入れるようにすること、だんだんワンタンの皮の打ち粉が溶け出てスープにトロミが付いてくるのでローテーションは2回までにすること、白菜よりはキャベツの方が合うこと、もやしとニラを忘れないこと、ショウガを目一杯効かせる代わりにニンニクは使わないこと・・・・・・と、まぁそんなもんだ。ただし、最後のラーメンまでこの淡白な塩味だといささか食べ飽きるので、この時点で醤油やニンニクを入れてもいいかも知れない。また、辛口が好きな人はラー油を使うのも手だろう。
 今稿を書くに際してネットで念のため調べてみたら、実は既に存在してたりするのだけど、おれは10何年前に予備知識なしで考案したから、まぁオリジナルってことにしといて欲しい。

 も一つがけっこーポピュラーなトコで醤油ちゃんこ。これにしたってむつかしいことは何もない。最近、ひどく濃厚なダシが主流になっているが、逆に昔の醤油ラーメンのようなアッサリしたダシにする、何入れたっていいけど牛肉は使わない、豆腐の代わりに薄揚げ、春雨の代わりに白滝(糸コンニャク)を使う、ニラとささがきゴボウを忘れない、ってなコトくらいだ。ちなみに餅は好き好きだが、おれはダシにヌメリが出るのがイヤなので餅入り巾着にしてる。つくねにしたって「丁寧に叩く」っちゅうポイントさえ外さなければ、そんなに失敗することはないだろう。
 ちなみにちゃんこ屋では締めにうどんが出されることが多いけど、個人的には醤油味はラーメンの方が合ってるような気がする。

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 ときにみなさんは「すき焼き」と「おでん」は鍋料理、とお考えだろうか?

 おれ的にはどっちも鍋料理に思えない。前者は鍋っちゅうにはあまりに汁が少ないし、土鍋ぢゃなくて鉄鍋、っちゅうのが気分をそそらない。そして後者はもっぱら出来上がったものを食卓に供するものだからして、鍋の作り方に根本的に反するような気がするからだ。まれに「おでん鍋」なんて書き方してるのも見かけるが、ひどく違和感がある。

 海原雄山も言ってたが、すき焼きは牛肉を最も不味く食べる方法だろう。こんなモンで名店だのなんだのとエバッてる店があるけど、いかがなものかと思う。甘辛くてクドいばっかしで肉の旨味はほとんど味わえず、その割に後口の悪さばかりが残る。ステーキや焼き肉の方が千倍美味い。すき焼きでマトモに美味いのは豆腐と糸コンニャクだけだ。

 これに対し、おでんは鍋料理とは言い難いものの、1つの料理としてとても繊細だし奥が深い。実のところ関西生まれのおれにとって、「おでん」っちゅうより「関東煮(かんとだき)」と呼んだ方が親しみがあるのだが、とにかく大好物である。
 それはさておき、薄味のダシでゆっくり素材を煮込むだけの単純極まりないものなのに、ちょっとでも手抜きしたり油断したりすると全部台無しになってしまう。練り製品や油揚げの類は丁寧に油抜きをしとかなくちゃいけないし、ダシは煮立たせると濁るだけでなく雑味が出るし、煮込む順番も煮る時間もいい加減にやるとこれまたバランスが悪くなる。ダシにしたって入れるネタの塩味や染み出る甘みを考えとかないどうにもスッキリしない。未だかつておれは自分で満足のいく関東煮を作れたことがない。

 ちなみにこの単純だけど、絶対に成功しない難物・おでんには伝説のカルト居酒屋「素人料理N」直伝の秘密の隠し味がある。珍しいものではない。おそらくどこの家にもあるモノだ。一番下に答えを書いとくので考えてみて欲しい。効果は抜群で、ちょっと入れるだけで不思議に味が落ち着く。

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 ここまでさんざ鍋について語りまくったが、率直に告白するとおれはかつて鍋がそれほど好きではなかった。いや、むしろ水炊きなんて大嫌いなもののレパートリーに入ってたと言ってもいい。素材の味を活かすと言えば聞こえは良いが、ポン酢では元の食材の臭み、特に魚介類の生臭みとか磯臭さが取れないし、だんだん薄まって水っぽくなって行くのもイヤだった。

 いろんな食材がゴチャ混ぜになって、火の通り方にしたって一様でなかったりするのもイヤだったし、最初に入れたモノの切れ端・・・・・・たとえばエノキ茸の一筋や春雨の断片、菊菜(春菊のこと)の葉先なんかがいつまでも漂ってたりするのも、神経質で癇性な子供だった自分にはまるで胃の中の内容物を見せつけられるようで耐えがたく残ないものに思えたのだ。ウロコなんか見つけた日にゃ〜それこそ大変で、大袈裟ではなく嘔吐感を抑えるのに必死だった。
 そんなんだから、最後の締めの雑炊なんて最高にグロテスクそのものに思えた。何でもかんでもブチ込んで、煮出して染み出たものまで食っちゃうのはどうにも生理的に耐えがたいし、出来上がったものはまるで見た目ゲロぢゃねぇか、と。

 要は年齢的にも精神的にもガキだったのだ。そういえば近頃、宴会で鍋は流行らないのだそうな。上記に述べたようなネガティヴな意見に加え、他人の箸が突っ込まれるのがイヤだとか何だとかが原因らしい。いつまで経ってもお子チャマな人が増えてるのだろう。

 どうやら鍋の良さが分かるには、清濁あわせ呑めるだけの良い意味での神経の鈍磨が必要で、それにはある程度の年季と歳月を重ねないとあかんような気がする。



※正解は何と「白胡椒」。ダシに最初ホンの数振りして具材を煮込むのだ。
2009.11.09

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