死ぬほど不味い店に近頃トンと巡り合えなくなった。俗に言う「マズウマ」なんかではない。マズマズだ。ただもうホントにひたすら不味い店、何でこんな味で商売が続いてるのか理解に苦しむ店、根本的に店主が味盲症かなんかで食い物商売に向いてないとしか思えない店・・・・・・社会人になり、家族ができて、あまり知らない店にフラッと入る機会が減ったのもあるだろうけど、一方でファミレスやファーストフード、ほか弁、コンビニ等が増えたせいで個人店が成り立ちにくくなってきた、っちゅうのも大きく影響してるだろう。つまりは世の中の標準化、画一化が進んだのだ。詰まらない時代になったものである。
おれにとってちょっとした外食とは一種の冒険に他ならず、駄菓子屋の当てものとか遊園地のアトラクションのようなモンだと思ってるので、アタリ/ハズレも含めてスリルを楽しみたい。だから、だから、大した金を出さずにフツーに食える味が得られる、っちゅう今の状況は逆説的に実に味気ない。
金払って劇的に不味いモノに遭遇することは、いつもぢゃちょと困るけど、とても貴重な体験なのだ。それも手の込んだ料理とかではダメで、誰が作ったってそんな失敗ありえんやろ!?ってなモノの方が宜しい。
そんな前置きで、これまでに体験した猛烈にマズいメシ屋をあれこれ思い出しながら書いてみよう。
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トップバッターは冷やし素麺だ。忘れもしない小学校4年の頃、父方の郷里に向かう途中で食ったそのマズさは今でも鮮やかに覚えている。元は軽便鉄道の終着駅だったところが小さなバスターミナルになってて、乗り継ぎの待ち時間、横に立つその店に立ち寄ったのだ。古ぼけた田舎食堂である。
たかが素麺ですよ、ソーメン。こんなモン、煮立った湯に乾麺入れて適度に菜箸でかき混ぜ、吹きこぼれそうになったらビックリ水入れて、もう一回吹きこぼれそうになったら直ちに火を止め、手早くザルにあけてよぉ〜く水洗いする・・・・・・たったこれだけで完成。およそ失敗から縁遠い食材の代表格と誰だって思うでしょ?
なのにその店は凄まじかった。ガラスの鉢に氷を浮かべた中、あしらいの胡瓜や錦糸卵、椎茸、サクランボ等と共に漂うそれは、何よりまずブチブチに切れていた。オマケにうどんとまでは言わないけど、冷麦なみに太くなってる。つまりは茹で過ぎなのだ。その様子は水中で何かの幼虫がふやけているようにも見えた。
生地を切って作る饂飩や冷麦とは異なり、素麺は引っ張って伸ばして作るから、茹でてもナカナカ伸びにくいのが特徴である。それをここまでブヨブヨにするとは、一体どんだけ茹でまくったのだろう?
ツルリとした喉越し、なんて微塵もなく、食感はとにかく驚くほどに柔らかかった。もう30年以上経つが、これを凌ぐマズい素麺に遭遇したことは絶えてない。
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安かろうまずかろう、っちゅうのも程度モンである。学生時代、京都・修学院を旧道沿いにちょっと下ったところにあった(丁稚羊羹の店のトコから、と言えば分かる人には分かるだろう)「T食堂」は、そんな類の店では何より最初に挙げたい。ただし、店の名誉のために言っておくと、とにかくここは安くて量だけは多かった。他の学生食堂の定食の相場が500〜600円くらいの時代、ここは350〜400円、カレーや焼飯、オムライスの類の相場が400〜500円の中、200〜250円くらいだったから、値段だけ見ればT食堂が腹を空かせた貧乏学生の強い味方であったことは間違いない。
でも、味もそれなり・・・・・・いや、申し訳ないけどぶっちゃけ遥かにそれ以下、否、端的に言ってとんでもないものだった。何よりまずとにかく油が古い。いわゆる「油が回ってる」って状態。揚げ物なんて油が強烈過ぎてどれ食ってもあまり食材の区別がつかない(笑)。そんなんだから一口で胸ヤケがする(笑)。ヘタするとウっとなる。友人の中にはここで食うと必ずハラ壊すっちゅうヤツさえいた(笑)。
炒め物や焼飯類は、そんな複雑玄妙に色んなエキスが染み込んで酸化した油が無闇に大量に使用されていただけでなく、味付け自体もどこをどうしたらそうなるのか理解に苦しむ珍妙なもので、とにかく不味いの一言だった。オカズだけではない。白ご飯さえ他店では到底味わえないものだった。どんな米使ってたんだろう?
たいへん惜しいことに、この奇跡的に不味い食堂、おれが京都を去るまでに廃業してしまった。だんだん学生も豊かになり、食うことよりも格好に気を遣うようになってきた時代で、そこまでして食いたいニーズが失せてきてたのかも知れない。いや、そんな構造的なことより、ただもう純粋に不味かっただけか・・・・・・(笑)。実際、昼飯時でも店はあまり流行ってるとは言えず、いつも閑古鳥が鳴いていた。
油煙で飴色になった汚い店内に並ぶデコラのテーブルと赤や緑のビニールの丸イス、コップ代わりの都正宗ワンカップの花柄の空きビン等が懐かしい・・・・・・が、食べるのは正直もういいや(笑)。
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そぉいや90年代初頭、阪急・豊津駅前で見つけた食堂も素敵に安くて不味かった。不思議な多角形で木造トタン葺のボロっちい小屋みたいな外観の怪しさに惹かれて入ったのだが、暖簾がなければ食堂とさえもわからないような店だった。狭い店内に先客は一人もおらず、ジジィが一人、頬杖ついて14インチの赤い安物のTVで時代劇を観てる・・・・・・いや、それはセリフから辛うじて判明しただけで、画面はアシッドなビデオアートのように乱れまくってサッパリ分からなかった。
「焼肉定食420円」というのが目に留まった。異常に安い。どうだろう、何となく「半額くらいやんけ!」って感じた記憶があるから、標準相場が750円から850円、ってな時代だろう。
ジジィ、キャベツを刻むと楕円のステンレス皿に盛り、おもむろに薄切り肉を炒め始める、あとは一升瓶に入ったタレをドボドボ入れていっちょ上がり。こんな簡単な定食も他になかろう、っちゅうくらいにすぐ完成。
まずは肉を一口・・・・・・うわ!これがもう瞠目するほどの不味さ。何より異常に味が濃い。明らかにタレ多過ぎ。加えてこっからが大事なのだけど、そもそも焼肉の味になっていない。悪い意味で秘伝のレシピでもあるのか、それとも世間で言う「焼肉」をこのジジィは食ったコトがないのか、自家製と思しきそのタレは、ソースに醤油、味噌、酢にケチャップ・・・・・・つまりはその辺に転がってる調味料を何も考えずテキトーに混ぜ合わせたらこんな感じだろう、ってなまことに摩訶不思議な味がした。そのくせ、不可欠とも言えるニンニクの味が全くしなかったのは今でも謎だ。
しばらくして前を通りかかったら、その辺一帯は再開発で更地になってしまってた。思えばバブルの最末期の頃だった。
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東京に越して来てからも、まことにマズい店に当たったことがそれでも何度かある。
たとえば所用で出かけた折、とあるガード下で見つけた「うなぎ・焼鳥」の看板を出した店。ドアのところにぶら下げられてた小さなお品書きの「ビール(大) 450円 おつまみ付」が気になって入ってみたのだ。4〜5年前だから、現在と相場は変わらない。中瓶でも通常500円はするだろう。
前段よりもさらにヨボヨボのジジィが所在無げに座っている。取りあえずビールを頼むと、梯子のように急な階段を上がって2階にビールを取りに行ったままなかなか戻ってこない(笑)。約5分、踏み板を軋ませながらジジィはゆっくりゆっくり降りてきた。おれはジジィが踏み外して転がり落ちゃせんかと気が気でなかった。ちなみに件のおつまみとやらは味付け海苔一袋。当然のようにそれは湿っていて、薄い6枚はネットリと袋自身にまでくっついてしまっている。
たしか、取りあえずだし巻き玉子とつくね、ネギ身なんかを頼んだ。これまた長い長い待ち時間。ようやく出てきた玉子焼にはそもそも味が付いていない。おい!「だし」はどぉした?「だし」は!?・・・・・・ってまぁ、これは醤油をかければまだ食えるわな。
続いてつくね・・・・・・串に刺した那智黒かよっ!?焦げて真っ黒やないか!無論食っても炭の味、苦いことこの上ない。おまえ、ずっと厨房におったやろ!?いったい何見ててん?そして最後はネギ身。ここは一つ有終の美を飾って欲しいと思ってたら、やはりやらかしてくれました・・・・・・って、これまた同じく真っ黒け。今一つ芸がない。もう一ひねり欲しかったかも(笑)。
それでもおれはビールだけでなく酒も一杯飲んだ、いや、飲んでさしあげた。1合230円也だったか・・・・・・1升パックの菊正ピンだったな(笑)。
いつだったか久しぶりに前を通ると店は閉まっている。定休日なんかではないことは、引き戸の隙間に差し込み切れず地面にまで積まれた新聞やいろんな郵便物からも明らかだ。店の中を見ると調度類はそのまま、2階の窓越しに室内にシャツかなんかが干してあるのも見える。おれはひじょうに怖いことを想像してしまった。
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・・・・・・他にもくだらない体験はままあるが、あまり例示ばかりしててもダレるので、今回はこれくらいにしておこう。
さてさて、冒頭「トンと巡り合えなくなった」と書いたが、このようにひねくれた無聊をかこってたら天に願いが通じたのか、つい先日、家の近所で破壊的に不味い中華料理屋を発見した。ババァが一人でやってる、おんぼろで小さな、時が止まったかのような佇まいの店だ。昼下がり、ラーメン食ったのだけど、味ない・麺フニャフニャ・ぬるいの3拍子で、いやもうそれはそれは見事なマズさ(笑)。何だかちょっと嬉しくなってしまった。
怒涛の不味い店・・・・・・それはある種「懐かしき異界」として、この世に必要不可欠な存在なのだと真剣に思う。 |