「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
Trio de 有馬

 白浜・道後と並ぶ日本三古湯の一つとして(奈良時代の高僧、行基が開いたと言われる)、又太閤秀吉がこよなく愛した湯治場として、そして近年は大阪神戸の奥座敷として有名な有馬温泉。恥ずかしながら、始めての入湯は案外遅く、今から8年前のことでありました。「いつでも行けるや」とゆー気分が、正直な所、中々出掛けなかった最大の理由でありました。

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 今は偉くなったI氏ともう一人、給与前の金欠の休日だった。イイ年こいた野郎が3人、部屋でゴロゴロしてるとゆーのは芸の無いことおびただしい。経緯の詳細は忘れたが、とにかく「有馬のヘルスセンター」に行こうと決まったのである。箕面と並んで有名なあの、「へるすせんたあ」だ。
 生瀬から蓬莱峡・坊主谷と上がって行くと、すぐ到着。急斜面に大小の旅館がひしめく。ほ〜!ちょっとビックリ。温泉らしいじゃないか。目的のトコは意外に高く、古風な外観の温泉会館に入ることにする。

 外見も渋いが中身も渋い。近在でこんなにおるんか?とゆー位、年寄りで一杯だ。後は六甲山からの下山者とおぼしきグループ、こっちはこっちで年齢高め。地方の温泉共同浴場の雰囲気がしっかりある。真っ赤の湯はかなりの熱めで、異様に塩辛く、鉄の匂いがプンプンした。
 錆色に染まったタオル持って、湯上がりにビール飲んだらもう、殆ど一文無し。後は歩くしかない。ひたすら散歩。テクテクテクテク。これがカップルなら、それなりに多少は絵になる姿だろうが、男のトリオ、一体何のドラマが起こるというのだ!?
 石畳の狭い通りを行けば、温泉寺や瑞宝寺公園(ひぐらしの庭で有名)もすぐ近く、炭酸公園なんて地味なのもあったな。

 そして回って結論。有馬は近いくせに、極めて古典的な「温泉街」のたたずまいを持ってるのだった。

 そうなのだ。浴用加熱の、ただの井戸水か何だか分からん貧弱な鉱泉ではなく、有馬は正しく「温泉」である。何で火山地帯でもないのに、こんな高温泉が湧くのか、寡聞にして知らないが、俗に「金泉」と呼ばれる強食塩鉄泉の温度は、場所によっては90℃を超える。ついでに言うなら、これを適温にするのに炭酸泉の冷泉で冷ます。こっちが「銀泉」の正体である。
 だから赤い方に入らないと意味がない。ちなみに効能は、秀吉の故事によって「子宝」だそうだが、これは試したことがないので分からない。

 ともあれ、有馬・六甲の一帯は、この2種類の泉質が湧くようだ。それが証拠にお土産の代表選手は、「炭酸煎餅」じゃあーりませんか。2番手はピコピコ飛び出す有馬筆だ。実用性は不明だが・・・・・・あ、関係ないか。移転して無くなったが、宝塚と生瀬の間にはつい最近まで「ウィルキンソン炭酸」の工場があったりした。
 さらに雑学を披露するなら、丁度六甲をはさんで反対、神戸駅から少し上がった所には、余り知られてないが湊川温泉・不動温泉という金泉そっくりの泉質の温泉がひっそりと建つ(残念ながら温度は少々低い)。
 又、通常「源泉」とか「湯井」と言われる湧出口が、何故か「泉源」と呼ばれて、こいつがあちこちにある。神社境内にあって有名な「天神泉源」など、大きなタルみたいな井戸から湯気がもうもうと上がる。大温泉地はこの「湯気が上がる」とゆーシチュエーションがどこかないと面白くない。他には「妬泉源」なんちゅー変わった名前のも有名だ。

 ・・・・・・さてその後、3人一緒に揃って遊びに行くことは絶えてなかった。と言うのも、この有馬行から間もなく、2人は別々の所に異動して大阪を去ってしまったからである。
 金欠の野郎共とゆー、何ともしまらない連中と、多くの文人墨客に愛された街並が奇妙にオーバーラップして、忘れがたくもケッタイな思い出の温泉。それはそれで良い思い出だが、しかしぶっちゃけた話、やっぱり一度はこーゆートコで豪遊できる身分になってみたいもんですね!!

Original1997 Add 2004
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