「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
幻のミカン列車

 かつて秋になると阪和線では、大層な重連の電気機関車に引っ張られて和歌山からやって来る、長大な貨物列車が見られた。俗に言う「ミカン列車」で、初荷には紅白のリボンがついてたと思う。無論、ドワーッと積まれた貨物の分だけ実入りがあるのだから、送り出す地元からすれば黒い貨物は札束の山に見えたに違いない。ノシつける気持も理解出来る。
 時代は列車からトラック輸送に移り、いつしかそれは見られなくなった。

 色も形もバラバラで、各地から集められた余剰電車しか走ってなかったのも、関西空港が出来て一変した。今は最新型の「はるか」がビュンビュン走っとる。まあ、鉄っちゃん連中は「旧型王国」と、ボロボロで統一の取れてない寄せ集めを珍重してたんだけどね・・・・・・まったくアホやな。

 時代の流れには抗えないし、敢えて抗うのはただのマニアか懐古趣味とゆーものだろう。感傷だけで経済は回ってくれない。
 かくしてロスの多いミカン列車の栄華は、甘鄲の夢と消えた・・・・・・なのになのに、ああそれなのに、未だに老残の姿で走り続ける鉄道があるのだった。
 以前チラと触れた、有田鉄道である。紀州鉄道の脱力友達だ。

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 元々は、ミカンだけでなく奥高野の入口の宿場町としても栄えた金屋町から、海岸の有田への交通の至便を図って建設されたものらしいが、今や悪い冗談みたいな存在である。
 列車は1日5本!並行する道路を、大体15分間隔でバスが走ってるから、誰も乗らない。私が訪れた時は発車10分前位だったが、ただの1人も乗客の姿は見えない。
 最初駅自体どこにあるのかも分からなかった。スーパーの駐車場とバスとタクシーの車庫を兼ねた広い敷地に本社の建物が建ってて、すぐ裏には川の堤防が迫る。この建物と堤防の隙間の暗くて狭ーいスペースに、下に線路が無かったらバスだか何だか分からんよーなんが1台停まっていた。
 以前書いた通り、土日は全便運休。距離も知れてて6km弱。全くヤル気は感じられない。多分レールバスの資産償却を待ってるだけなんだろう。

 私は構内をウロウロした。どーせ轢かれる心配など全く無い。だって何にも動いてないんだから。小さな車庫が斜向かいに2つ、それだけ。色褪せた予備が1台押し込まれている。レールは無論錆びていた。

 駅横の更地は、区画に仕切られて「好評分譲中!」のノボリが並んでる。駅まで0分!最高の宅地である。勿論、列車が沢山走る、都心部まで数十分の場所であれば、のハナシだが・・・・・・。家はまだ1軒も建ってなかった。
 駐車場といい、スペースは無闇に余ってる。多分、貨物ヤードの跡地に違いない。昔は農業倉庫が並んでたんだろうな。

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 遅かれ早かれ、この鉄道は消え去る運命にあるのだろう。維持存続に金を掛けるつもりも無いようだ。私はありがちなパターンを想像した。

 最後の日、モールで飾られた列車には鈴なりの人がぶら下がる。無責任な鉄っちゃんは、「有鉄よ永遠なれ!」なんてアホな看板持参で遠方から集うだろう。記憶からもすぐ消えるっちゅーのに。どだい翌日にはレールも撤去だ。
 一方主賓たる、高校の時分イヤイヤ毎日それで通って存続を支えた地元の若者は、何日かしてシャコタンのソアラかなんか転がしてて、踏切を横切ってた線路が消えてるコトに気付く。そして言うだろう。

 --------まだ走っとったんか!



2004補足
 この文章を書いた7年後の平成14年12月31日をもって有田鉄道は廃止された。最末期の運行状況はさらに本数が削減されて、実に1日2本(!)と惨憺たる状況であったと言う。

Original1997 Add 2004
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