「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ハッ・ニッ・ベッ!

  石川県は小松市の東方、静かな山間に忽然と、肩から上だけの金ピカの大仏が出現する。肩から下は資金難(笑)で、未だ完成の陽の目を見ていない。大仏の土台はブロック剥き出しの小屋だ。いきなり脱力で済みません。
  何を隠そう、これこそが今回紹介する「ハニベ巌窟院」なのだった。

  団体客を当て込んだ広い駐車場には、バスどころか乗用車さえ停まっていない。私のクルマを認めたオバハンが土産物屋から飛び出して来て、受付に入った。久しぶりの客なのだろう。ごっつい気迫だ。
  入ると例の大仏。下の小屋は、幟がはためき風車が回る水子供養のお堂。何故か緑色(!)した20cm位の地蔵が壁一面に並ぶ。その姿はどう見ても電動ナントカだ。クネクネ動いたりして。私は思わず同行のO君に言った。

 -------- 何やねん、これ!?
 --------うーん・・・・・・(絶句してしまった)

 一応は寺のハズ。なのに真っ赤(!)に塗られたギリシャ彫刻のキッチュな模造品(最初は人体模型か思たぞ)を筆頭に、悪趣味で異常に下手クソな塑像が林立する。全く意味不明。タイガーバームガーデンかい!ここは!?
  石段を上がると今度は陰陽石!!アレやらナニのカタチした岩だ。既に見るための木の舞台は、腐って落ちてしまっていた。さらにはハニベ道場なる怪しい建物。全く使われてる様子はない。何の修業するんだろ?希望者はいるのか?
  チープで脈絡のない美術展示室には、初代と二代目当主の略歴が、麗々しくも我田引水・自画自賛・自家撞着マル出しで掲げられている。どれどれ・・・・・・

     「初代当主○○先生は日本美術彫刻界の泰斗にして・・・・・云々」
      「昭和20ン年、世界平和を祈念し一念発起、採石場であったこの地に云々」
     「没後、初代の遺志を受け継ぎ子息●●先生は、二代目当主に就かれ云々」
     「不眠不休の努力で、日夜、芸術と宗教の理想郷をこの地に実現せんと云々」
     「代表作は・・・・・・小松市△△幼稚園寄贈」「・・・・・・××小学校寄贈」寄贈!寄贈!寄贈!

  ショボい!ショボ過ぎる!押しつけられた方の困惑が目に浮かぶようだ。

 いよいよ目玉の洞内巡りだ。無論、脱力の期待以外何もない。ホラ、いきなりや。弘法大師と親鸞と日蓮が3人仲良く、ペンキぬたくられて並んどる。一体何宗なんやココは!?ホンマ、ペンキ好きやのお。
  暗い、迷路状の洞内には大きく3つにモチーフが分かれて彫刻が並ぶ。どれもこれも基本はモルタルのペンキ塗り。文化住宅かいっ!?湿気と寄る年波と、資金難に、色は落ち、崩れてボロボロ。一応、説明しておこう。

    インド系・・・・・・つまりはタントラ入ったスケベ。エロですね
    地獄巡り・・・・・・悪趣味かつセンス悪し。全く洗練されてない。グロですな
    極楽巡り・・・・・・上2つにツジツマあわせただけ。ホンマ、ナンセンス

 もー頭痛しそうな位、大脱力〜!!

  加えて当主のアトリエが洞内にある。これで真面目に精進してりゃそれなりにスゴ味もあろうが、当然のように、室内は埃まみれの作りかけが何体も転がったままのガランドウ。おい!「日夜の不眠不休の努力」とやらはどないしたんや?いやもう、一目お会いし、ご尊顔を拝したかった。
  「彫刻その他制作一式引き受けます」の看板がナサケなくも笑える。

  ・・・・・・駆足で紹介したが、以上が脱力大本山「ハニベ巌窟院」の全貌である。こんなもんが今時現存するだけでも、一見の価値はある。気に入った。

  蛇足だが、「粟津グランドホテル」に泊まって、ココに立ち寄り、帰りに「スッポン堂」で土産を買えば、極北の「北陸脱力観光ツアー」が完成するであろうとは旅行屋のO君の言葉であった。マコトに遺憾ながら、同感である。


附記:たしか昨年、ここの庵主が供養で訪れた女性への猥褻行為で逮捕されたと小さく報道されていた。どうなったのだろう?

Original1997 Add 2004
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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